2015.12.11 Friday

トリチウムの危険性――汚染水海洋放出、原発再稼働、再処理工場稼働への動きの中で改めて問われるその健康被害

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    2015年12月

    トリチウムの危険性
    ── 汚染水海洋放出、原発再稼働、再処理工場稼働への動きの中で
    改めて問われるその健康被害


    2015年9月29日
    遠藤順子、山田耕作、渡辺悦司


    〖ここからダウンロードできます〗
    トリチウムの危険性──汚染水海洋放出、原発再稼働、再処理工場稼働への動きの中で改めて問われるその健康被害(pdf,27ページ,1671KB)



     トリチウム(三重水素)は放射性物質であるにもかかわらず、人間と生物への影響が過小評価され続けてきた。トリチウムは、原爆投下や水爆実験によって地球上に大量にばら撒かれ、原子力発電所や再処理工場からも日常的に放出され続けてきた。そして今まさに福島第一原発から気体および液体(トリチウム水)として放出され続け、さらにタンクにたまった汚染水はトリチウムを除去することなく海へ放出されようとしている。本稿では、トリチウムの物理化学的性質と生成のメカニズム、マウスを使った動物実験や核施設周辺での健康被害の事例を紹介し、今まで無視・軽視されてきたトリチウムの危険性を訴える。また、とくに青森県六ケ所再処理工場が本格稼働した場合のトリチウム大量放出の脅威を警告する。
     
     
       目次

    はじめに ── なぜいまトリチウムが問題なのか    ・・・・・・・・・・・・・  2
    第1節 トリチウムの生成と性質     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  4
    第2節 トリチウムの福島事故による放出と原発や再処理工場からの日常的放出  ・  7
     2−1.福島原発事故による汚染水による危険性     ・・・・・・・・・・・  7
     2−2.原発や再処理工場からの日常的放出    ・・・・・・・・・・・・・・ 10
    第3節 トリチウムによる健康被害について    ・・・・・・・・・・・・・・・ 11
     3−1.ICRPの線量係数とその仮定の誤り    ・・・・・・・・・・・・・ 11
     3−2.低濃度のトリチウムの人間への影響    ・・・・・・・・・・・・・・ 13
     3−3.世界各地の再処理工場や原発周辺で報告されている健康被害    ・・・ 14
      [カナダ]    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14
      [アメリカ]    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15
      [ドイツ]    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16
      [フランス]    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
      [イギリス]    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18
     3−4.日本の核施設周辺で認められること    ・・・・・・・・・・・・・・ 18
      [北海道泊原発]    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19
      [佐賀県玄海原発]    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19
      [青森県六ヶ所再処理工場・東通原発]    ・・・・・・・・・・・・・・・ 20
      [福島県いわき市]    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22
    おわりに    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22
    注記    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
      
     
     
       はじめに ―― なぜいまトリチウムが問題なのか

     
     現在、トリチウムの危険性をめぐる問題は、放射線被曝をめぐる最大の争点の1つとなっている。①福島事故原発からのトリチウム汚染水の海洋投棄、②トリチウムを大量に放出する加圧水型原発の各地での再稼働、③桁違いに莫大な量のトリチウムを放出する再処理工場の稼働という3つの事態があわせて切迫しているからである。
     東京電力は、2015年9月14日、事故原発建屋近くの井戸(サブドレン)から汲み上げ浄化したという汚染地下水の海洋放出を始めた。9月26日までに、3310トンの汚染地下水が港湾に放出された。その目的は、原子炉建屋に流れ込んで汚染水化する地下水の量を減らすためだと報道されている。だがそれだけではない。もっと重大な目的が込められている。周知の通りトリチウムはALPS(多核種除去設備)によって吸着回収ができない。東電と政府は、トリチウムを高濃度で含む大量の汚染水(60万立方メートル注1)を希釈してすべて海洋放出する計画の実施に向かって動き出している。今回の汚染地下水の放出は、実際には、それに向けての第一歩にされようとしている。
     原子力規制委員会の田中俊一委員長は、早くから(2013年9月から)「基準値以下のもの(汚染水)は海に出すことも検討しなければならない」と発言していた。原子力規制委員会は、2015年1月、その方針に従って、早ければ2017年度からの処理汚染水の「規制基準を満足する形での海洋放出」を「中期的なリスクの低減目標」に明記した。国際原子力機関IAEAも「基準以下の処理水の海洋放出を検討すべきだ」という見解を公然と表明してきた注2。今まで海洋放出反対の立場を取っていた福島県漁業協同組合が今回の地下水放出を容認したことで、この動きを今まで押しとどめてきた勢力配置の一角は大きく崩されてしまった。
     今回放出された「処理水」のトリチウム濃度は、1リットル当たり330〜600ベクレルとされている注3。だが、政府の「規制基準」はこのおよそ100倍、1リットル当たり6万ベクレルである。今回1回の放出量は850トンとされている。この量がおそらく現有の日量放出能力であろう。それが毎日稼働し続けたと仮定して、東電のトリチウム現存量推計(タンク中830兆ベクレル、後述)を前提とすると、大ざっぱな計算で、半減期を考慮に入れて、およそ20年程度で、現在汚染水タンクにたまっているすべてのトリチウム汚染水を放出することが可能となる。放出設備能力を増強すれば、さらに短期間で、すべての処理済み汚染水を排出することが可能となる。このように、汚染水海洋放出の準備は整いつつあり、大量のトリチウムの海洋放出、それによる日本近海だけでなく太平洋全体の海洋汚染が現実の脅威となりつつある。
     福島から太平洋に放出すれば、放射性物質は日本近海に広がるだけでなく、東に流れ、約4年でまずはアメリカ・カナダ東海岸を汚染することになる。さらに南に流れ、次に西転して南太平洋、東南アジア、インド洋に達する。また20〜30年後には日本に戻ってくる注4。汚染は太平洋・インド洋地域全体の深刻な問題になるであろう。
     今回の海洋放出は、これから再稼働が計画されている原発からのトリチウムの日常的な放出への突破口ともなろうとしている。政府・電力会社が先行して再稼働を進めている加圧水型(PWR)原発、とくに川内の次に再稼働されようとしている伊方原発は、トリチウムの発生量が大きく注5、瀬戸内海に放出されて滞留しやすいため危険度も高い。
     また重要な点は、この始まった海洋放出が、後述するように、原発とは桁違いの、とてつもない量のトリチウムを放出する再処理工場の稼働への突破口とされようとしていることである。自民党の河野太郎氏は、最近、再処理工場の稼働に反対し核燃料サイクル推進を止めるように求める見解を経済誌に寄せた注6。また、自分の公式ホームページでも、再処理工場稼働反対の主張を掲げている注7。そこで河野氏は、政府・自民党内の重要な情報を明らかにしている。「六ヶ所村に使用済み核燃料の再処理工場が造られ、この工場の稼働が迫っている」ということである。(追記:2015年8月16日に、日本原燃は2016年3月に予定していた本格稼働の2年先への延期を発表した。これが、報道どおり原子力規制委員会の安全審査が遅れによるものなのか、だとすると安全審査がなぜ遅延しているのか、それとも何らかの安全上の重大な問題あるいは深刻な技術的なトラブルあったためなのかなどは、明らかにならないままである。とはいえ、規制委が数ヶ月後に差し迫っていた本格稼働を認めなかったという事実は重大である。それにもかかわらず政府は、2018年3月の本格稼働の姿勢は崩しておらず、安全上・技術上の重大な問題がはっきりした中で、しかもわずか2年程度の猶予期間しかとらずに、本格稼働を強行することになれば、危険性はかえって高まるといわざるをえない。)
     これら政府・電力会社側の動向に対応して、トリチウムの危険性を軽視し否定するマスコミなどの宣伝は強化されている。原発推進派の読売新聞は書いている。「トリチウムは透過力の弱いベータ線しか出さず、体内に取り込んだ時の内部被曝だけが問題となる。ただ尿や汗として排出されるので10日前後で半減する。… 国の放出基準(1リットル当たり6万ベクレル)のトリチウムが含まれる水を毎日2リットル摂取するという極端な場合でも、年間の被曝線量は0.79ミリシーベルトで、国が定めた食品からの被曝量の上限値(1ミリシーベルト)に達しない」と。6万ベクレルでも何の健康影響もないというのである。同紙は、富山大学水素同位体科学研究センターの波多野雄治教授を引用して次のように結んでいる。「トリチウムは、他の放射性物質に比べて危険性は低いと言える。その性質をよく理解し、冷静に受け止める姿勢が大切だ」注8と。政府・支配層はトリチウムの大量放出を「冷静に」受忍せよと国民に要求しているのである。
     だがこれは本当であろうか? このような見解は科学的事実に合致するであろうか? これを検討するのがここでの課題である注9

     
       第1節 トリチウムの生成と性質

     トリチウムは水素の放射性同位元素である。通常の水素原子が正の電荷をもつ陽子1個と負の電荷をもつ1個の電子からできているのに対して、トリチウムは電荷をもたない中性子2個を陽子に加えて質量数3の原子核を持つ水素原子である(図1)。中性子1個を水素原子に加えた場合の水素原子をデューテリウム、重水素と呼んでいる。トリチウムは三重水素とも呼ばれる。
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    図1 トリチウム概念図


     中性子と陽子はほぼ重さが等しく、電子はそれら陽子、中性子に比べて約1800分の1の重さなので、トリチウムは通常の水素より3倍重い水素原子である。原子炉においては、ウランやプルトニウムが核分裂により3つに分かれる三体核分裂反応によって生じる(図2)。また、重水素やリチウム、ボロンなどの軽い元素と中性子の反応によっても生じる。軽水炉でも0.015%程度含まれる重水や水素が中性子を捕獲して生じた重水がさらに中性子を捕獲してトリチウムを発生する。原子炉では主に二酸化ウランUO2の三体核分裂反応で生じるが、そのトリチウムが燃料棒に蓄積される。事故や再処理などで燃料棒が破壊されると外部に放出される。

    図2 三体核分裂とトリチウムの生成(模式図)

    参考文献:日本原子力学会「トリチウム研究会――トリチウムとその取り扱いを知るために」
    http://fukushima.jaea.go.jp/initiatives/cat05/pdf/20140311.pdf
    "Ternary fission", Wikipedia英語版
    https://en.wikipedia.org/wiki/Ternary_fission
    Edward L. Albenesius, et al., "Discovery That Nuclear Fission Produces Tritium"
    http://www.c-n-t-a.com/srs50_files/127albenesius.pdf

     トリチウムの化学的な性質は、陽子と中性子から形成される原子核の周りに束縛されている負電荷をもつ電子によって決まるので、水素原子と変わりがなく、どこでも通常の水素に置き換わり、いろいろな原子と結合する。酸素と結合して通常の水HHOから、トリチウムTを含む水HTOとなる。特に有機高分子化合物と結合して有機結合型トリチウムOBTになると体の一部となるので長く体内にとどまり、大変危険である。細胞の構成要素、特に遺伝情報を担うDNA中の水素とも置き換わるので、次に述べるベータ崩壊(図3)によりDNAはじめ細胞が損傷される。

    図3 トリチウムのベータ崩壊の概念図


     トリチウムは物理的な半減期約12.3年でベータ崩壊し、電子を放出し、正電荷の陽子2個、中性子1個で質量数3を持つヘリウム3になる。このベータ崩壊で放出される電子のエネルギーは、最大18.6keV(キロ電子ボルト)、平均5.7keV で小さく、射程距離は1〜10μm程度であるが、局所的な被曝となり狭い領域に集中的な被曝を与える。それ故、低エネルギーでもかえって危険である。もう一点危険なことは、水素原子がトリチウムに置き換えられると、ベータ崩壊で結合に寄与していた三重水素原子がヘリウム3になることにより、結合が切れることである。遺伝子で起こるといっそう危険である。
     トリチウムの危険性に関しては「広島1万人委員会」のサイトがすぐれた報告をしている注10。特に加圧水型の原子炉は、ボロンやリチウムを含むのでトリチウムの放出量が多く注11、同サイトは伊方原発の日常運転におけるトリチウム被曝の危険性を指摘している。
     トリチウムの健康被害については以下の諸点を確認しておくことが重要である。トリチウムが化学的には水素であり、HTOの形で水となり、通常のHHOの水と区別ができない。それ故、トリチウムを水から分離することができない。さらに、体内の有機体の高分子化合物の水素におけるトリチウムの濃度が環境における濃度と平衡になるように紛れ込む。遺伝子のDNAは水素結合や水素を持つから、置き換わったトリチウムのベータ崩壊によって重大な被害を受ける。どのような原因であれ、環境中のトリチウム濃度の上昇は、水を通じてトリチウムを細胞内に取り込むので、生体にとって極めて危険である。気体の形で放出されたトリチウムが高分子化合物と結合した有機結合型トリチウムOBTを食事などを通じて体内の細胞に取り込むと、その重要な構成要素となり、容易に体外に排出されない。
     例えば次のような議論がある。「最近の雨水中のトリチウム濃度をリットル当たり2ベクレル/Lとして、この水を1年間摂取すると、実効線量は約0.00004ミリシーベルトになる」。しかし、これは局所的な10μm程度の距離の領域の被曝をICRPの方法で臓器を一様物体として平均して、ICRPの換算係数を用いて被曝の実効線量を求めたもので、根拠もない過小評価である。トリチウムのベータ線が低エネルギーだからといっても、内部被曝ではより危険でさえある。その理由は局所的・集中的被曝と後述のトリチウムの元素変換効果による。
     
     
       第2節 トリチウムの福島事故による放出と原発や再処理工場からの日常的放出
     
     2−1.福島原発事故による汚染水による危険性

     上澤千尋氏は『科学』誌によせた論文「福島第一原発のトリチウム汚染水」(2013年5月号)注12で次のように書いている。「セシウムの濃度を低下させた処理済みの汚染水のなかには,なおストロンチウム89 および90をはじめとする放射性物質が,きわめて高い濃度で含まれている。処理済み汚染水から,プルトニウムなどのアルファ核種,コバルト60,マンガン54 などの放射化生成物,ストロンチウム89および90 などの核分裂生成物など,62 の核種をあるレベル以下になるように取り除くために設置されたのが,多核種除去装置(Advanced Liquid Processing System、略称ALPS)である。…多核種除去装置が用いる方法は,ろ過,凝集沈殿,イオン交換などの方法であり,水として存在するトリチウム(三重水素)を取り除くことはできない」。
     それ故、トリチウムはタンクに今も保存されざるを得ない。除染しても海にトリチウムを放出してはならない。東電や政府、原子力規制委員会はトリチウムの被害を過小に評価し、海などに投棄したいと考えている。それ故、トリチウム汚染による被曝がどのような危険性を持つのかは重要な問題である。
     東京電力は以下のように発表している(東京電力「福島第一原子力発電所でのトリチウムについて」 2013年2月28日)注13。「滞留水はサンプリング結果からトリチウム濃度が100万〜500万Bq/L程度であると考えられる」(多核種除去装置ALPSではトリチウムが除去できないことから処理した水、ならびに廃棄物に含まれる水にも同程度のトリチウムが含まれると考えられる)。
     これはトン当たりにすると10億Bq/t〜50億Bq/tとなる。毎日400トン汚染水が出るとすると4000億ベクレルから2兆ベクレルが毎日タンクに溜まっていることになる。もしタンクに溜まった総量が70万トンとするとトリチウムの総量は700兆から3500兆ベクレルとなる。
     東京電力の発表(2014年3月25日時点)によれば、「三体核分裂反応」がトリチウムの「主な発生源」とするコードORIGEN2を用いた計算では福島原発1から3号機までの(掲載されている表の表題では1〜4号機となっている)トリチウムの総量が3400兆ベクレルとしている(表1)。その内訳はタンク貯留水830兆ベクレルや建屋やトレンチ内の貯留水中96兆ベクレルや「その他」2500兆ベクレルとしている。注があり「その他」は「主に燃料デブリ内などに存在するものと想定される」としている。

    表1 東電による福島第1原子力発電所の事故原子炉(1〜4号機)におけるトリチウムの量

    出典:経済産業省「東日本大震災関連情報」ホームページ
    http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/140424/140424_02_006.pdf#search='%E4%B8%89%E4%BD%93%E6%A0%B8%E5%88%86%E8%A3%82%E5%8F%8D%E5%BF%9C'

     問題は、気体として大気中に放出されたトリチウムの量の記載がないことである。液体として海水中あるいは地下水中に漏れたトリチウム量も記載されていない。3400兆ベクレルが事故時の総残存量なら、漏出量は「その他」に含まれていることになる。しかし、一方、東電は「事故前は評価結果のトリチウムのうち、約60%程度が燃料棒の被覆管に吸蔵していたと考えられる」としているので、燃料棒に吸蔵されない40%が水素や水蒸気などの気体として大気中に、また汚染水として海水中(あるいは地下水中)に放出された可能性もある。もしこの40%が気体あるいは液体として大気中・海水中に放出されたとすると3400×0.4=1360兆ベクレルが放出されたことになる。
     もう一つ別の推計を試みてみよう。国連科学委員会のチェルノブイリ事故時の4号炉1基のトリチウムの総残留量の推定値は1400兆ベクレルとなっている注14。チェルノブイリではセシウム134と137の生成比が0.55対1である。福島ではその比が1対1であり、134の割合が大きい。これは燃焼度が福島原発の方がチェルノブイリ原発より約1.82倍大きい結果と推定される。もしこの仮定が妥当で、UO2の三体核分裂反応が燃焼度に比例するとして、福島原発事故炉とチェルノブイリ原発4号炉の出力比をおよそ2対1と計算すると、トリウム発生量は1400兆ベクレルを1.82 × 2倍して約5100兆ベクレルとなる。上記の東電の推計が大気中・海水中放出量をまったく含んでいないとすると、大気中・海水中への放出量は1700兆ベクレル、東電推計から導かれる大気中・海水中への放出量1360兆ベクレルを含んでいるとすると3060兆ベクレルとなる。
     これはストールによる福島事故のセシウム137放出量(3京6600兆ベクレル)と1桁程度の違いで、十分比較可能な水準であり、トリチウムの被曝の影響を考慮すべき値となる。 いずれにせよセシウムと比較しても無視できない放出量である。
     2015年4月1日のロイターの発表注15では「福島第一には現在、900兆ベクレル規模のトリチウムがたまっているが、事故前の2009年には年間2兆ベクレルを海に出している。電力各社が出資する日本原燃が青森県六ケ所村に建設した核燃料再処理施設は、本格操業した場合、福島第一でたまっている量の20倍規模となる1.8×1016(1京8000兆)ベクレルのトリチウムが1年間で排出される」という。ここでの900兆ベクレルは東電発表の汚染水中のタンク・建屋・トレンチの合計926兆ベクレルを用いているようである。政府は放出量の推計において、トリチウム放出量をなぜか一切発表していない。
     日本のトリチウムの排出基準は6万Bq/Lつまり、6000万Bq/tである。これはICRP基準に基づき、内部被曝の局所性を無視し、被曝の具体性を無視した極端な被曝の過小評価を口実にした不当な基準である。

     2−2.原発や再処理工場からの日常的放出

     原子力資料情報室の上澤氏によれば、加圧水型原子炉では,原子炉水中にホウ素とリチウムが添加されており,このため沸騰水型炉よりトリチウムの生成量が多いという。
     「広島1万人委員会」のサイトによると、四国電力のデータで、平均すると、稼働中は、年間57兆ベクレル、事故を起こした東京電力福島第一原発全体が27ヶ月間で出したトリチウムが約40兆ベクレルと言っているから、大雑把に言って、事故を起こした福島原発全体が毎年出すトリチウムの2倍以上を、四国電力の伊方原発は出していることになる。
     図4に見るように、再処理工場ではせん断・溶解工程で燃料棒を破壊することによって、燃料棒の中に閉じ込められていたトリチウムが外部に大量に放出される。燃料中のほとんど全てのトリチウムが放出される。これは大変恐ろしい事実であるが、一般にはほとんど知られていない。

    図4 再処理工場の基本工程

    出典:京都自治体問題研究所『原発再稼働?どうする放射性廃棄物――新規制基準の検証――』2015年27ページ。
    原図は日本原燃ホームページであり、同書はそれを加工している。

     
     
        第3節 トリチウムによる健康被害について
      
     3−1.ICRPの線量係数とその仮定の誤り

     トリチウムの人体への影響については過小評価されてきた。それは、ICRPがトリチウムの線量係数を「セシウム137の100〜1000分の1」と見積もってきたことに代表される(表2)。

    表2 ICRPの線量係数(μSv/Bq)の比較     成人の場合

    出典:ICRP72より。日本原子力学会『トリチウム研究会――トリチウムとその取り扱いを知るために』2014年3月4日配付資料より作成。
    http://fukushima.jaea.go.jp/initiatives/cat05/pdf/20140311.pdf
    注記:原表の単位はシーベルトSvだが、分かりやすくするため単位をマイクロシーベルトμSvとした。すなわち、ICRPによれば、トリチウム水18万ベクレルBqが1マイクロシーベルト?Svに相当するのに対して、セシウム137では130ベクレルBqが1マイクロシーベルトμSvに相当するというのである。

     そもそも線量係数という「体の中に入った放射性物質が、体の組織全体に均質に影響する」という考え方自体に問題がある。しかし、それだけではなく、「トリチウムの線量係数決定に際する仮定が誤っている」とグリーンピースのイアン・フェアリー氏は述べている注16
     ICRPのモデルでは、「トリチウム水(HTO)として体に入ったトリチウムは100%血液に入っていき、生物学的半減期は10日間であり、3%が有機結合型トリチウムに変わるが、その影響は無視して構わない」としている。また、ICRPは、「有機結合型トリチウム(OBT)として体内に入ったトリチウムも 結局血液中に入り、その生物学的半減期は40日である」という仮定をしている。しかし、イアン・フェアリー氏は、様々な研究結果から、炭素と結合した有機結合型トリチウムの生物学的半減期は非常に長く、200〜550日に及ぶことを示している。
     また、よく言われるのが、「トリチウムの崩壊エネルギーは、平均5.7keV(最大18.6)のベータ線であり、飛程距離も1μmしかないから、人体に影響しない弱いエネルギーしかない」とされるものだ。しかし、数々の動物実験によって、トリチウム水や有機結合型トリチウムを与えることにより、特定の臓器細胞のDNAやヒストン(核タンパク質の一種)にトリチウムが結合することがわかっている。
     たとえば、獨協医大の名取春彦医師は、「トリチウムチミジンをマウスに注射することにより、マウスのテラトーマの細胞において、トリチウムチミジンがDNA内に取り込まれた」写真を撮影している注17。名取春彦医師は、「有機結合型トリチウムが体内に取り込まれ、そのトリチウムがDNAに取り込まれたならば、細胞は強力なダメージを受ける可能性がある」と指摘している。前述のように、有機トリチウムによる細胞損傷は、二重の破壊を受けるとされている注18。ひとつは、DNAに組み込まれたトリチウムから出たベータ線によるDNA損傷、もうひとつは、ベータ崩壊した後にトリチウムがヘリウムに変化するために元のDNA分子構造が壊れることによる元素変換効果である。
     また、京都大学名誉教授の斎藤眞弘氏は、2003年の論文で、マウスの実験を通して「トリチウムがトリチウム水として体内に摂取された場合には、トリチウムが体内の特定の場所に集まることはない。しかし、トリチウムが生物の体内で、特定の場所に集まりやすい性質を持つ有機化合物に結合している場合は別である」として、「たとえば、DNAの材料であるチミジンに結合したトリチウムは、細胞増殖が盛んでDNAが盛んに合成されている骨髄、胃腸管、脾臓などに集まりやすい」と述べている注19。また、齋藤眞弘氏は、さらに、「妊娠マウスにトリチウム水を摂取させると妊娠マウスの胎児中の脂肪組織にトリチウムが取り込まれていること」も報告している注20
     また、さらに付け加えるならば、水の形で体内に入ったものだけが危険なのではなく、気体の形で取り込まれたトリチウムも同様に危険である。放射性物質はそのほとんどが、傷や熱傷などのない正常な皮膚からは侵入できないとされているが、放射線医学総合研究所/監修『人体内放射能の除去技術』には「蒸気あるいは液体のトリチウム、ヨウ素などは、例外的に正常な皮膚からすみやかに体内に侵入する」と記載されている注21。また、2014年3月4日に開催されたトリチウム研究会(主催:日本原子力学会)において、トリチウムの内部被曝は 吸入被ばく(皮膚・肺)と経口被ばくに分類され、「吸入被ばくの場合は、トリチウム水蒸気のうちの2/3が肺から1/3が皮膚から体内に吸収される」と報告されている注22。実は大変恐ろしいことだが、「1951〜52年に(米国)ワシントン州リッチランドにあるジェネラルエレクトリック社およびロスアラモス研究所で14人の被験者がトリチウム水の水蒸気で前腕または腹部をさらされる」という人体実験がなされていた。その実験結果によると、「ヒトではネズミの4倍の速さでトリチウムを(皮膚から)吸収していた」というのである注23
     これらのことは、トリチウムは、その形態が、トリチウム水としてでも、また有機結合型であっても、さらには水蒸気であっても、生物の体内に取り込まれ、ある一定の割合で体内組織の水素に置き換わり、人体に影響を与えることを意味している。

     3−2.低濃度のトリチウムの人間への影響

     上記の動物実験などの結果は、人間においてもトリチウムを体内に取り込むことによって、体内の細胞のDNAの破壊が生じうることを示唆している。実際、1974年という早い段階から、放医研の中井斌遺伝研究部長らによって「ごく低濃度のトリチウムでも人間のリンパ球に染色体異常を起こさせる」ことが報告されてきた注24、25。具体的には、「トリチウム水とトリチウムチミジンの濃度を変えてヒトのリンパ球で染色体異常の起こる割合を調べたところ、トリチウム水では0.001μci/ml(マイクロキュリー/ミリリットル)以上の濃度では染色体異常の発生率が高くなり、トリチウムチミジンでは、トリチウム水に比較して、染色体異常誘発効果は約100倍高い(すなわち0.00001μci/ml以上の濃度で染色体異常の発生率が高くなる)。また、0.05μci/mlのトリチウムチミジンでリンパ球の10個に1個が染色体切断される。」と報告されている注26([注]0.001μci=37Bq)。
     ちなみに、現在の原発におけるトリチウムの排水中の濃度限度は、トリチウム水としては60,000Bq/L=60Bq/cm3≒0.0016μci/mlであり、有機結合型トリチウムとしては40,000Bq/L=40Bq/cm3≒0.0011μci/mlとなる。人間のリンパ球で染色体異常の増加が確認されている濃度(上記0.001および0.00001μci/ml)のトリチウムが、海に大量に放出されていることになる。
     また、この論文の中には、「トリチウムによって誘発される染色体異常は、そのほとんどが染色体分体型の切断であった」という記述があるが注27、このことは非常に重要である。なぜなら、ダウン症候群は、21番目の染色体が通常より1本多い3本ある染色体異常による疾患であり、また、急性骨髄性白血病では様々な染色体異常が確認され、急性リンパ性白血病でも約4人に1人の割合でフィラデルフィア染色体という染色体異常が見つかっているからである(フィラデルフィア染色体というのは、9番目の染色体と22番目の染色体が入れ替わってつながったもの)。
     後述するように、カナダ・オンタリオ州トロントの近くにあるピッカリング原発周辺の都市では、通常の1.85倍ものダウン症の増加が認められ、新生児死亡率とトリチウム放出の相関関係が見られ、また、白血病死亡率増加の傾向も認められた。
     このことは、トリチウムによる染色体切断により、これらの疾患が発症したことを示唆し、さらに言えば、日本を含む全世界の再処理工場周辺、原発周辺で垂れ流されているトリチウムによって、ダウン症や白血病などが増えている可能性があることを意味している。では、実際はどうなのか。

     3−3.世界各地の再処理工場や原発周辺で報告されている健康被害

     世界各地の原発周辺、再処理工場周辺では、恐るべき健康被害がこれまで多数報告されてきた。しかし、その健康被害の結果の多くが「原因不明」とされ、被曝の影響は無視されてきた。

      [カナダ]
     前掲上澤論文によれば、カナダのピッカリング原発やブルース原発といったCANDU炉が集中立地する地域の周辺で、子供たちに異常が起きていることが市民グループによって明らかにされた。冷却に重水を用いたカナダのCANDU炉では、重水に中性子が当たるとトリチウムが発生するためトリチウムの発生量が多い。カナダ原子力規制委員会AECBがまとめた報告でも、「データとしては遺伝障害、新生児死亡、小児白血病の増加が認められている」と上澤千尋氏は報告している注28
     また、低線量放射線の健康影響の専門家ロザリー・バーテル博士は、カナダ原子力安全委員会CNSC(上記AECBの業務を受け継いだ)宛ての書簡において、この原発周辺の健康被害について下記のように報告している注29
     Ⅰ.1978〜1985年の間のピッカリング原発からのトリチウム放出量と周辺地域におけるそれ以降の先天欠損症による死産数および新生児死亡数との間には相関関係が見られる。
     Ⅱ.ピッカリングでは1973〜1988年の調査期間に生まれた子どものダウン症の発生率の増加が1.8倍、少し離れたエイジャックスで1.46倍であり、これは高いトリチウム放出量と新生児の中枢神経系の異常との関連を示唆している。
     Ⅲ.国際がん研究機関IARCが行った各国の原子力労働者の調査では、カナダの労働者の被曝関連がんの発症率は、同一線量を被曝した他の諸国の労働者におけるよりも高く、カナダ原発のトリチウム放出量が他国よりも高いことと関係している可能性がある。
     Ⅳ.AECB報告においても、小児白血病死亡数はブルース原発が稼働して以降1.4倍に増加したことが明らかにされている。
     
      [アメリカ]
     アメリカにおいて、原発の廃炉前と廃炉後の周囲の乳児死亡率の変化を調べた調査がある。免疫学や環境問題などを専門とする医師、大学教授などで組織する「被曝公衆保健プロジェクトRadiation Public Health Project(RPHP)」が、1987年から97年までに原子炉を閉鎖した全米9ヶ所の原子力発電所を対象に半径80km以内に居住している1歳以下の乳児死亡率を調べたところ、「原子炉閉鎖前に比して閉鎖後2年の乳児死亡率は激減した」という結果が得られている注30、31 。9ヶ所の乳児死亡の平均減少率は17.3%だが、ミシガン州ビッグロック・ポイント原発周辺では42.9%も乳児死亡率が減少していた(表3)。また、乳児死亡率減少の理由は、「ガン・白血病・異常出産などが減少したため」とされた。しかし、このデータがNGOによるものだったため、政府や原子力業界は、結果を無視してきた。

    表3 全米平均と原子炉閉鎖地域の1歳以下の子どもの死亡減少率の差(アメリカ)

    出典:Joseph J.Mangano, "Radiation and Public Health Project"
    http://www.radiation.org/spotlight/reactorclosings.html

     また、アメリカではもうひとつ重要な調査結果がある。ジェイ・M・グールド博士やアーネスト・J・スターングラス博士らによる乳癌死亡リスクの調査である。この調査では、「1950年以来の公式資料を使って、100マイル(160km)以内に核施設がある郡と無い郡で、年齢調整乳癌死亡率を比較し、核施設がある郡で有意に乳癌死亡率が高い」という調査結果が出たのである注32。この調査結果は、世界に衝撃を与えた。図5の「乳がん死亡率の高いところの分布」は、「米国の核施設の分布」にほぼ一致する。

    図5 乳がん死亡率の高いところの分布

    出典:グールド『低線量内部被曝の脅威』(緑風出版)217ページ

     2011年12月28日、NHKで「追跡!真相ファイル:低線量被ばく 揺れる国際基準」という番組が放送された。この中で、アメリカ・イリノイ州シカゴ近くの原発周辺で、子どもたちのガンや白血病が増えていたという内容が伝えられた。小児科医のジョセフ・ソウヤー氏の報告によれば、シカゴ近くのブレイドウッド原発とドレスデン原発の周辺では1997年から2006年の10年間に、白血病や脳腫瘍が、それ以前の10年間に比して1.3倍に増加し、小児ガンは2倍に増えていたという注33。そしてその後、これらの原発が、2006年までに10年以上にわたり、数百万ガロン(1ガロン=3.785リットル)のトリチウムを漏洩してきたという文書が当局により公開されたのである注34
     脳の重量の約60%は脂肪である。前述のマウスの実験のとおり、トリチウムは脂肪組織に取り込まれやすいことがわかっており、小児脳腫瘍の増加は、脳の脂肪組織へのトリチウムの取り込みによって生じた可能性がある。

      [ドイツ]
     2007年12月にドイツの環境省と連邦放射線防護庁が、「原発16基周辺の41市町の5歳以下の小児がん発症率の調査研究(KiKK研究)結果」を公表した注31。その結果は「通常運転されている原子力発電所周辺5km圏内で小児白血病が高率に発症している」というものだった注32(表4、5)。

    表4 「KiKK研究」における5匏のオッズ比


    表5 5辧10匏の小児白血病のオッズ比

    出典:(表4、5)ともに、原子力資料情報室 澤井正子氏論文より
     http://www.cnic.jp/modules/smartsection/print.php?itemid=122

     しかし、ドイツ環境省は、「総体的に原発周辺5km以内で5歳以下の小児白血病発病率が高いことが認められるが、原発からの放射線の観測結果からは説明することは出来ない。原発に起因性があるとすれば、ほぼ1000倍の放射線量が必要だ。引き続き因果関係を検証するために、基礎的な研究を支援する」としたのである注37

      [フランス]
     フランスでは、「フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)の科学者研究チーム」が、2002年から2007年までの期間における小児血液疾患の国家記録をもとに、フランス国内の19ヵ所の原子力発電所の5km圏内に住む子どもたちの白血病発生率を調べた。結果は「原発から5km圏内に住む15歳以下の子どもたちは、白血病の発症率が1.9倍高く、5歳未満では2.2倍高い」というものだった。しかし、「原因は不明」とされている注38
     1997年の『ブリティシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)』誌に、ブサンソン大学のヴィエル教授などが、フランスのコジェマ社経営「ラ・アーグ再処理工場周辺で小児白血病が多発し、10km圏内では小児白血病発症率がフランス平均の2.8倍を示す」という疫学調査の結果を公表した注39。しかし、様々な原因説が流され、結局「原因が再処理工場からの放射能という証拠はない」とされた。

      [イギリス]
     2002年3月26日、「イギリス・セラフィールド再処理工場の男性労働者の被曝とその子どもたちに白血病および悪性リンパ腫の発症率が高いことの間に強い関連性がある」という論文が『インターナショナル・ジャーナル・オブ・キャンサー』誌に掲載された注40。この研究の結論は、「セラフィールド再処理工場のあるカンブリア地方の白血病および悪性リンパ腫の発症率に比べて、再処理労働者のうちシースケール村外に居住する労働者の子どもたちの発症リスクは2倍であり、さらに工場に近いシースケール村で1950〜1991年の間に産まれた7歳以下の子どもたちのリスクは15倍にも及ぶ」というものである注41

     これらの全ての現象つまり核施設周辺でのがん・白血病・先天異常の増加を、「トリチウムのみによるもの」と言うつもりはない。他の放射性物質(たとえばヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウム、ウランなど)による影響のものもあるだろう。しかし、トリチウムの危険性を過小評価し、最初からトリチウムという原因を排除してきたことも、これらが「原因不明」とされてきたひとつの要因ではないのだろうか。われわれはトリチウムと他の放射性物質や化学物質との複合的な効果も含め、研究を進展させる必要があると考える。
    では、日本ではどうなのか。

     3−4.日本の核施設周辺で認められること

     まず、日本の原発の通常運転時に、どのくらいのトリチウムが垂れ流されているのかをまず示しておく(表6)。PWRの場合、トリチウム水としてのみでも年間20〜90兆Bqも海に垂れ流されている。

    表6 日本の発電用原子炉トリチウム放出量(2002−2012年度)
    トリチウム水 液体放出量 単位は兆(テラ)Bq

    出典:「原子力施設運転管理年報」(平成25年度版 参考資料より抜粋)

      [北海道泊原発]
     さて、北海道庁管轄の「北海道健康作り財団」(理事長は北海道医師会会長)が集計した北海道内の市町村別年齢調整がん死亡率のデータを、西尾正道北海道がんセンター名誉院長が紹介している。その集計によると、泊原発周辺の村のガン死亡率は、北海道の平均の1.4倍ほどあり、泊村のみでなく、近隣の岩内町や積丹町もがん死亡率が高くなっているという注42。そして、このデータに関して、西尾正道医師は「トリチウムが関係しているのだと私は思います」と言及している。

      [佐賀県玄海原発]
     また、玄海原発がある佐賀県玄海町の白血病による死者数は、全国平均の6倍以上や佐賀県の平均の4倍ほどを示している(表7)。表6で示したように、確かに平常運転時でも玄海原発からのトリチウム放出量は、年平均83兆Bq、積算で826兆Bqと掲載した中でも断トツに多いトリチウムを放出している。

    表7 1998年〜2007年までの10年間の人口10万人あたりの白血病による死者数

    出典:厚生労働省人口動態統計より
    (参照「広島市民の生存権を守るために伊方原発再稼動に反対する1万人委員会」http://hiroshima-net.org/yui/1man/

     たしかに、九州地方とくに鹿児島・宮崎・長崎においては、ウィルス性(HTLV-I)の白血病が地域的に多いことが分かっている。しかし原発立地点近傍でのこのように高い白血病死亡率の原因をHTLV-Iに帰することは不可能であろう。

      [青森県六ヶ所再処理工場・東通原発]
     では最後に、青森県のことを記すことにしよう。青森県には下北半島に、東通原発があり、六ヶ所再処理工場がある。また、かつて放射能洩れ事故を起こした原子力船むつが停泊していた港がむつ市にある(そのほかにむつ市には中間貯蔵施設があり、大間町に大間原発が現在建設中)。
     驚いたことに原発から出るトリチウム排水の濃度限度はあるが、日本の再処理工場にはトリチウム排水の濃度基準がなく、「管理目標」というものを決めているという。その管理目標がなんと1年間に1京8000兆Bqという桁違いの数値なのである。六ヶ所再処理工場はまだ本格稼動はしていない。しかし、本格稼動すれば、この量が海に放出されることになる。
     すでに述べたように、再処理においては、使用済み核燃料棒を細かく切断して化学処理する際に、燃料棒の中にあるトリチウムがほぼすべて漏出するため、再処理工場からのトリチウムの放出は桁違いに大きいものになるのである。
     六ヶ所再処理工場が、現在までのアクティブ試験(事実上の部分稼働)で最大のトリチウム水を放出したのは2007年10月であるが、たった1ヵ月で520兆Bqものトリチウムを放出していた(表8)。恐ろしいことに、表6で見た原発各立地点の日常的放出の10年間分程度がわずか1ヵ月で放出されたのである。

    表8 六ヶ所再処理工場のトリチウム放出実績
    *)2007.10はひと月で520兆Bq/月
    出典:(2015/1/24-25 山田清彦氏による反核学習会資料より抜粋して作成)
    原資料は青森県の「青森県の原子力安全対策」ホームページにある日本原燃(株)「安全協定に基づく報告」のサイトにおいて見ることができる。
    http://www.aomori-genshiryoku.com/report/jnfl/safety/

     六ヶ所村再処理工場からのトリチウムの放出は、福島原発事故以降も止まっていない。事故以後最近までの放出量は以下の通りである(表9)。

    表9 福島原発事故以降の六ヶ所村再処理工場からのトリチウムの放出量(兆Bq)

    出典:日本原燃「安全協定に基づく定期報告書」より作成。
    同再処理工場は現在「アクティブ試験運転」中であるとされている。
    http://www.jnfl.co.jp/safety-agreement/

     国立がん研究センターの発表によると、「全がん75歳未満年齢調整死亡率」において、青森県は2004年以来ずっと全国ワースト1位である(表10)。2015年10月18日の毎日新聞によると、2014年のがん死亡率が国立がん研究センターによって発表され、2014年も青森県ががん死亡率全国1位であり、2004年以来 連続11年間全国ワースト1位であるという注43

    表10 青森県の全がん75歳未満年齢調整死亡率全国ワースト順位(男女計)

    出典:国立がん研究センター「がん情報 がん登録・統計」より抜粋して掲載
    http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/dl/index.html#pref_mortality
    「全がん死亡数・粗死亡率・年齢調整死亡率(1995年−2013年)」
    Pref_All_Cancer_motality(1995-2013).xlsの項にある。

     歴史を顧みれば、六ヶ所での高レベル放射性廃棄物貯蔵が始まったのが1995年、再処理工場の化学試験の開始が2002年、ウラン試験開始が2004年、東通原発の運転開始が2005年である。前記のように、六ヶ所再処理工場のアクティブ試験が開始されたのは2006年である。それ以来、青森県東方の太平洋にはトリチウムが大量に流されてきた。
     2014年10月に、弘前大学の松坂方士准教授によって、「青森県内の保健医療圏別のがん罹患率や死亡率に関する研究」が発表されたが、市町村別の詳しい調査結果は報告されていない注44。見てきたように再処理工場からのトリチウム放出量は原発の比ではない。是非とも、市町村別の詳細な調査をお願いしたい。

      [福島県いわき市]
     最後に、福島県いわき市にある「いわき測定室たらちね」で、2015年4月、5月に測定されたフキや落ち葉から、9月には福島沖で獲れたメバルから、有機結合型トリチウムが検出されていたことを報告しておきたい注45(表11)。言うまでもなく、これは実態の氷山の一角に過ぎない。

    表11 いわき測定室「たらちね」による2015年4、5、9月のベータ線測定結果より抜粋

    T(自由):トリチウム(自由水) T(組織):トリチウム(組織結合水)
    出典:http://www.iwakisokuteishitu.com/pdf/weekly_deta.pdf

     
     
       おわりに
      
     これだけ世界のあちらこちらでトリチウムが放出され、そして原発・核燃施設周辺の住民に健康被害が出ている事実がありながら、各国政府と原子力産業界は、無視するか、「原因不明」と言うか、あるいは「ウィルスのせい」や「人口が急激に増えたから」という理屈を付けて、「放射能のせいではない」と言い募ってきた。とりわけ、トリチウムは その軍事的意味もあってか、あたかも無害のような扱いをし、被曝影響を過小評価し続けてきた。
     かつて、ICRPの第二委員会の委員長を務めたカール・モーガン博士は、その著書の中で「トリチウムの線量係数を4あるいは5に上げるよう命がけで努力した」と記している(しかし、結局彼がICRPを去ってから、トリチウムの線量係数は1.7から1に引き下げられてしまった)。そしてさらに、「ICRP主委員会の会議の際に、英国出身のICRPメンバーであるグレッグ・マーレイが(トリチウムの)線量係数をそのように変えると政府は、トリチウムを使った兵器製造ができなくなるということを公に認めた」と記している注46
     多くの人たちが、今まで何度もトリチウムの危険性について言及し、核施設周囲での健康被害の実態との関連性を述べてきたにもかかわらず、政府や核関連企業側は、ICRP理論という権力側の放射線防護理論を楯に、無視し続けてきた。
     福島原発事故が起こり、大量のトリチウム水が溜まり、それが太平洋に大量に放出されようとしている。グアム、ハワイはもちろんだが、対岸のアメリカ西海岸に被害を及ぼす可能性があるような事態に陥ってもなお、日本政府は、言葉を弄し、「放射能の被害はない」と言い繕うつもりだろうか。
     福島事故による汚染は いまだに進行中だが、それよりもずっと以前からこの地球のあちらこちらで、トリチウムが大気中に放出され海に垂れ流されてきたということの意味を、今一度われわれは考えなくてはならないだろう。もう、「知らない」では済ますことはできないし、知らない振りをして黙って暮らすことも、もはや許されない。
     
     
     
       注記

    注1 青山道夫(福島大学環境放射能研究所教授)「東京電力福島第一原子力発電所事故に由来する汚染水問題を三度考える」『科学』岩波書店2015年10月号所収 0981ページ
    注2 「処理水高まる海洋放出論」読売新聞2015年2月1日
    注3 「福島第一地下水を海放出」読売新聞2015年9月14日
    注4 青山道夫著「東京電力福島第一原子力発電所事故に由来する汚染水問題を考える」『科学』岩波書店2014年8月号所収 0859-60ページ
    注5 「<参考資料>日本の発電用原子炉トリチウム放出量(2002年〜2012年度実績)」
    http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/genpatsu/tritium_3.html
    注6 河野太郎「必要なくなった核燃再処理工場 青森県と向き合う首相の決断を」『週刊エコノミスト』毎日新聞社2019年9月15日号
    注7 河野太郎「六ヶ所村の再処理工場の稼働に反対する1・2」河野太郎公式ホームページ
    http://www.taro.org/policy/saishori1.php
    http://www.taro.org/policy/saishori2.php
    注8 読売新聞前掲(注2)
    注9 この点では、以下のサイトもぜひ参照されたい。
    いちろうちゃんブログ「トリチウム(三重水素)の恐怖」
    http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-9414.html
    矢ヶ崎克馬「【死せる水トリチウム】三重水素の恐怖の正体とは?矢ヶ崎克馬教授」
    http://www.sting-wl.com/yagasakikatsuma11.html
    注10 「広島市民の生存権を守るために 伊方原発再稼働に反対する1万人委員会」
    http://hiroshima-net.org/yui/1man/
    注11 前掲(注2)参照
    注12 上澤千尋「福島第一原発のトリチウム汚染水」『科学』岩波書店 2013年5月号、504ページ。以下のサイトで読むことができる。
    http://www.cnic.jp/files/20140121_Kagaku_201305_Kamisawa.pdf
    注13 東京電力「福島第一原子力発電所でのトリチウムについて」 2013年2月28日
    http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/handouts/2013/images/handouts_130228_08-j.pdf
    注14 UNSCEAR, "Annex J: Exposure and effects of the Chernobyl accident": Page 518, Table 1 Radioactive inventory in Unit 4 reactor core at the time of the accident on 26 April 1986.
    http://www.unscear.org/docs/reports/annexj.pdf
    注15 ロイター日本版「焦点:袋小路の原発汚染水処理、トリチウム放出に地中保管の案も」2015年4月1日
    http://jp.reuters.com/article/2015/04/01/analysis-fukushima-idJPKBN0MS3QN20150401?feedType=RSS&feedName=businessNews&utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+reuters%2FJPBusinessNews+(News+%2F+JP+%2F+Business+News)&sp=true
    注16  Dr. Ian Fairlie, "Tritium Hazard Report :Pollution and Radiation Risk from Canadian Nuclear Facilities", June 2007, GREEN PEACE
    注17 名取春彦著『放射線はなぜわかりにくいのか』あっぷる出版社(2013年)221ページ
    注18  The Ontario Drinking Water Advisory Council, "Report and Advice on the Ontario Drinking Water Quality Standard for Tritium", May 21, 2009
    http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/genpatsu/052109_ODWAC_Tritium_Report.pdf
    注19 齋藤真弘(大阪大学教授)「トリチウムの環境動態と人体影響」(核融合科学会研究報告書2003年から)
    http://anshin-kagaku.news.coocan.jp/a_index_tritium.html
    注20 齋藤眞弘「トリチウム、水、そして環境(2)」(2003年)
    http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/sub040208saitou.2.htm
    注21 放射線医学総合研究所/監修『人体内放射能の除去技術』講談社サイエンティフィク(1996年)78ページ
    注22 宮本霧子「環境生態系のトリチウム影響」(2014年3月4日 トリチウム研究会報告より)
    注23 放医研前掲書(注21)90ページ
    注24 堀雅明、中井斌 「3H-標識化合物によるヒト培養リンパ球における染色体異常」日本放射線影響学会第18回大会(1975年)
    注25 朝日新聞 1974年10月8日付記事「トリチウム 染色体異常起こす」
    注26 堀雅明、中井斌 「低レベル・トリチウムの遺伝効果について」『保健物理』11,1-11(1976年)
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhps1966/11/1/11_1_1/_article/-char/ja/
    注27 堀・中井前掲論文(注26)
    注28 上澤千尋「福島第一原発のトリチウム汚染水」科学 May_2013_Vol.83_No.5
    http://www.cnic.jp/files/20140121_Kagaku_201305_Kamisawa.pdf
    注29 Rosalie Bertell, "Health Effects of Tritium" 2005
    http://static1.1.sqspcdn.com/static/f/356082/3591167/1247623695253/health_effects_tritium_bertell.pdf?token=sUZODhODCuiBjSSVrMuOi6TrM9o%3D
    なおバーテル氏が依拠している文献は以下の通りである。
    Ⅰ.McArthur, D., "Fatal Birth Defects, New Born Infant Fatalities and Tritium Emissions in the Town of Pickering Ontario: A Preliminary Examination", Toronto Ontario. Durham Nuclear Awareness. 1988
    この論文はインターネット上では公開されていないようであるが、その要旨の紹介は以下のサイトにある。
    http://www.wiseinternational.org/nuclear-monitor/361/study-finds-increases-birth-defects-near-candu-reactor
    Ⅱ."Tritium Releases from the Pickering Nuclear Generating Station and Birth Defects and Infant Mortality in Nearby Communities", Atomic Energy Control Board, Report INFO-0401, 1991
    http://www.nuclearsafety.gc.ca/eng/about/past/timeline-dev/resources/documents/infohistorical/info-0401.pdf
    Ⅲ.Lydia Zblotska, J.P. Ashmore and the Radiation Protection Bureau of Health Canada, "Analysis of mortality amongst Canadian nuclear power industry workers following chronic low-dose exposure to ionizing radiation", Radiation Research 161, 633-641, 2004
    http://www.jstor.org/stable/3581008?seq=1#page_scan_tab_contents
    Ⅳ.AECB "Childhood Leukemia around Canadian Nuclear Facilities. Phase 1 and 2" AECB-INFO-0300-1/2
    http://www.nuclearsafety.gc.ca/eng/about/past/timeline-dev/resources/documents/infohistorical/info-0300-1.pdf
    http://www.nuclearsafety.gc.ca/eng/about/past/timeline-dev/resources/documents/infohistorical/info-0300-2.pdf
    注30 Joseph J.Mangano, "Radiation and Public Health Project"
    アメリカで閉鎖された各原発の風下方向の郡において、乳児死亡率がどれほど低下したかを一覧表として見ることができる。
    http://www.radiation.org/spotlight/reactorclosings.html
    注31 東京新聞2000年4月27日付「原子炉閉鎖で乳児死亡率激減」
    注32 Jay M. Gould著、肥田 舜太郎、齋藤 紀訳『低線量内部被曝の脅威』緑風出版(2011年)第7章、第8章、図1は217ページ
    注33 Joseph R. Sauer, "Health Concerns and Data Around the Illinois Nuclear Power Plants"
    http://dels.nas.edu/resources/static-assets/nrsb/miscellaneous/Sauer_morning_present.pdf
    この件に関しては、矢ヶ崎克馬氏の以下のサイトを参考にした。「教えて矢ヶ崎克馬教授 【死せる水トリチウム】三重水素の恐怖の正体とは」
    http://www.sting-wl.com/yagasakikatsuma11.html
    注34 "Illinois open records law often a closed door", Chicago Tribune, March 8, 2009
    http://www.chicagotribune.com/news/chi-public-records-08-mar08-story.html
    注35 ドイツ・連邦放射線防護庁の疫学調査報告「原子力発電所周辺の幼児がんについての疫学的研究」。原題は、Epidemiologische Studie zu Kinderkrebs in der Umgebung von Kernkraftwerken
    http://www.krebs-bei-kindern.de/downloads/leukaemie-atomkraftwerke-kinderkrebsregister.pdf
    注36 原子力資料情報室 澤井正子「原子力発電所周辺で小児白血病が高率に発症−ドイツ・連邦放射線防護庁の疫学調査報告」
    http://www.cnic.jp/modules/smartsection/print.php?itemid=122
    注37 田中優『放射能下の日本で暮らすには?』筑摩書房(2013年)170ページ
    注38 ルモンド紙 2012年1月12日 (要約「フランスねこのニュースウオッチ」)
    http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/5112-bb91.html
    注39 Dominique Pobel & Jean-Francois Viel, "Case-control study of leukaemia among young people near La Hague nuclear reprocessing plant: the environmental hypothesis revisited", BMJ 314 1997
    注40 H. O. Dickinson, L. Parker, "Leukaemia and non-Hodgkin's lymphoma in children of male Sellafield radiation workers", International Journal of Cancer, vol.99,2002: pp437-444
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11992415
    注41 原子力資料情報室通信339号 上澤千尋「セラフィールド再処理工場周辺の小児白血病リスクの増加 父親の放射線被曝の影響を再確認」(2002年8月30日)
    http://www.cnic.jp/modules/smatsection/item.php?itemid=63
    注42 小出裕章、西尾正道『被ばく列島 放射線治療と原子炉』角川oneテーマ21(2014年)48ページ
    注43 国立がん研究センターがん登録・統計「都道府県別75歳未満年齢調整死亡率」の最新結果による。
    http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/age-adjusted.html
    注44 平成26年度第1回青森県がん医療検討委員会 資料 http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kenko/ganseikatsu/files/2015-0106-1747.pdf
    注45 いわき測定室「たらちね」2015年4月,5月の測定結果
    http://www.cnic.jp/modules/smartsection/item.php?itemid=63
    http://www.iwakisokuteishitu.com/pdf/weekly_deta.pdf
    注46 カール・Z・モーガンほか著、松井浩ほか訳『原子力開発の光と影 核開発者からの証言』昭和堂(2003年)154〜155ページ
    2015.11.30 Monday

    福島原発事故に対する物理学者の責任を問う 山田耕作

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      2015年11月

      福島原発事故に対する物理学者の責任を問う

      2015年6月
      山田 耕作


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      福島原発事故に対する物理学者の責任を問う(pdf,24ページ,511KB)


       目次
      1節 私の3.11福島原発事故前後の対応
         1.福島原発事故まで 
         2.突然の大震災と福島原発事故
      2節 物理学者の社会的責任
      3節 人格権は何事にも優先して護られるべきである
      4節 科学は何のために必要なのか
      5節 福島原発事故に対する責任を認めない日本物理学会
      6節 おわりに

      参考資料1 会誌掲載論考「福島原発事故研究の要望に対する理事会の回答に思う」
      参考資料2 会誌掲載拒否論考「福島原発事故で放出された放射性微粒子の危険性」
      参考資料3 参考資料2の掲載拒否までの経緯
      追記1 弱いものを締め出す社会は弱くてもろい社会である

      1節 はじめに−私の3.11福島原発事故前後の対応

      1.福島原発事故まで
       私は2006年に京都大学を定年退職した。1961年に大阪大学の物理学科に入学して以来、45年間物理学を専門としてきた。その退職の際、最も強く思ったことは、学生を不幸にしたり、社会に迷惑をかけることなしにどうにか無事定年を迎えたという安堵の気持ちであった。ただ、原発や環境ホルモンなど科学技術のもたらした危険性に対していっそう不安になり、最終講義でそのことをお話し、理学の使命は、諸科学を総合して、このような人類的な課題に答えることにあることを訴えた。この最終講義は物性研究の「講義ノート」に2回に分けて掲載されている。(物性研究 (2005), 84(5): 703-710、URL http://hdl.handle.net/2433/110263)(物性研究 (2005), 85(1):1-19,URL http://hdl.handle.net/2433/110360
       この最終講義で述べたように、私が在職中、職業としての理論物理学における研究・教育と同時に、社会における科学者の果たすべき社会的責任の問題が気がかりであった。
       物理学会では、「物理学者の社会的責任」という特別の分科の世話人を川野真治氏や澤田昭二氏と務めてきた。佐藤一男氏、近藤駿介氏、久米三四郎氏、高木仁三郎氏、槌田敦氏を学会に呼んで、シンポジウムを開き、原発問題を議論してきた。このころは学会の正式分科として「物理学者の社会的責任」は扱われ、学会のプログラム会議にも出席した。
       日本物理学会誌にも原発は「阪神・淡路地震」にも耐えうるという井上進一氏の原発の耐震設計の解説に対する批判を談話室の欄に投稿した。耐震設計の基礎である大崎順彦氏の方法の欠陥を指摘した(日本物理学会誌51、1996年、359ページ)。
       京大では井村総長の時代から少人数ゼミと称して、全学から新入生を10人ずつ研究室に呼んでゼミを行うことが制度化された。これは新入の学生に研究の先端に触れさせ学習意欲を高めるためのものであった。私は1999年から2005年まで「社会における自然科学」というテーマでこのゼミを開講し、原発問題や環境問題を議論してきた。最初の年、学生の意欲は高く、ティア・コルボーンらの「奪われし未来」を読んだ。中西準子氏の「環境ホルモンから騒ぎ」を批判する小冊子をゼミで作り、中西氏へも送付した。
       このような原発や環境ホルモンはいずれ被害が顕在化し、徐々に人々はその危険性を理解するだろうと考えてきた。定年後まもなく、世界大恐慌の時代となり、飢餓と貧困を救う経済学を勉強したいと思い、資本論を読み始めた。

      2.突然の大震災と福島原発事故
       その最中の2011年3月11日、マグニチュード9の大地震と大津波を受け、福島原発が炉心溶融を伴う破局的事故となった。すでにこれまで、女川、志賀、柏崎と耐震設計を超える地震動が現実に観測され、原発の耐震性が破綻していた。耐震設計のもとになっていた大崎の方法に正当性がないことが誰の眼にも明らかになり、耐震設計審査指針の改定が2006年に行われたばかりであった。スマトラ地震や貞観地震などから、津波の心配も出されていた。この一連の地震からの警告も無視して、電力各社、政府、原子力安全・保安院は原発の運転を認め、運転を継続してきたのである。今回の原発震災は、明らかな原発の耐震性の欠如を無視して、地震動の過小評価を用いて安全性を捏造してきた原発推進派の犯罪といってもよい過失の結果である。これはまぎれもなく人災である。
       福島原発事故は私にとって一生の中で最大の衝撃であった。事故の直後の3月20日ごろ、大阪で原発事故についての講演を頼まれたが途中で涙が出て困った。原発は危険だとは言ってきたが本当に起こるという現実感がこれまでなく、私自身原発を甘く見ていたのである。いざ、福島原発事故の被害を心配する多くの市民を前にすると、真っ先に、物理学者はなぜこのような危険な原発を造ってしまったのか。これから起こる被害の大きさを考えると責任の重さに耐えられない気がして声が出なかった。
       現実に福島原発事故のような過酷事故が起こってみると、私の原発事故に対する危険性の規模や現実性・緊急性に対する認識が甘く不十分であったことが明らかであった。この事故で私のささやかな物理学での研究成果も吹き飛び、私が人々に与えたものは負の効果の方が大きいと思った。私の一生は事故とともに無に帰したのである。むしろ物理学者全体としての責任を考えると大きなマイナスである。物理学者が原子力の平和利用を認めなければ福島原発事故はなかったのである。人々は、事故で故郷を追われ、健康や生命を失うことはなかったのである。被害の大きさが底なしの大きさで、長期にわたって、福島はじめ世界を襲うと思うといたたまれない気がした。定年退職後、のんびり経済学を勉強したいと思ったのは福島事故5年前であった。まさに原発に危険が迫っていたのであり、全力で原発の停止に没頭すべき時期であったのである。このころ、耐震設計の欠陥が明らかになり、一方、ウランの資源としての枯渇からいずれ縮小に向かうと考えていた。おそらく大事故がない内に原発廃棄になるだろう。我々は警告を続ければよい。油断があったのである。人は体力の衰えとともに、自分で楽な方向をとり、言い訳をして正当化するようになりがちである。しかし、現実は情け容赦なく襲い掛かるものである。
       さらに私の予想と全く違ったのは物理学者はじめ科学者の事故後の態度であった。この大事故を前にして、安全神話を信じた科学者は後悔し、謝罪し、原発は放棄するするだろうと思っていた。驚いたことは謝罪どころか、被害を否定し、原発の再稼働さえ容認しようとしていることである。正常な判断とは思われない。これは信じがたいことである。さらに田崎晴明氏や菊池誠氏など中堅の物理学者が公平な第三者のような顔をして、放射線被曝を過小に評価し、被曝被害を拡大する危険性にも平然としていることである。これは大変なことであり、福島や東北・関東の子供や妊婦が心配である。物理学者が自分で犯した犯罪による被害を過小に評価し、被害はほとんどないと被害者に言い聞かせている行為である。後述するように、日本物理学会誌で被曝被害の危険性を物理学会員に訴えようにも「風評被害」を煽るとして掲載を拒否される。せめて阪大金森研の同窓会メールで友人たちに広めようとするとメール管理者から通常でさえメールが多いのに迷惑だと使用禁止が宣告される。ことは人命や人権に関わることである。
       雑誌「物性研究」も私の田崎氏の著書(田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあっていくための基礎知識」朝日出版社、2012年)批判に対しては不当な取扱いであった。以前中西準子氏のリスク論を批判した原稿を投稿した。その原稿を中西氏に編集部から送付し、反論等を期待したが応答はなかった。その結果、この事実を付して私の投稿のみが掲載された。ところが今回は田崎氏が反論しないという理由で掲載されなかったのである。反論しないのは田崎氏の自由であるが、批判した私の論考は掲載して読者の議論に付すのが当然であろう。なぜなら私は田崎氏の著書の被曝被害の過小評価や、その危険性を放置することは物理学者の責任として許されないことを読者に訴えていたからである。
       ところが、私の投稿が掲載されなかったことを逆利用して、菊池誠氏は私の田崎批判が「掲載拒否」された論文として間違いや不当性があるかのように宣伝している。菊池氏も物性研究で反論できる立場にあるのであるから,具体的内容で反論すべきである。菊池氏は小峰公子氏との共著「いちから聞きたい放射線のほんとう」(筑摩書房、2014年)の中で、「妊娠中に被曝すると、子供が何かの障害を持って生まれるかどうかだけど、原爆の被爆者の調査でわかっていて、妊娠中に100ミリシーベルト以上被曝しなければ、リスクは上がらない。がんのリスクと違って、低い線量ではリスクは上がらないんだ。」と154ページに書いている。さらに「数値から見ると今回の原発事故に限っては心配ないと」「そう言い切っていいよ」155ページ。ところが、現実に自然死産率は事故から9か月過ぎた2011年12月、福島近県の4県で12.9%増加し、11県で死産率と生後1年以内の乳児死亡率と合わせたものが5.2%増加した(2014年2月6日発行ドイツの放射線防護専門誌「放射線テレックス(Strahlentelex)」650-651号に掲載された論文:Folgen von Fukushima, Totgeburten und Säuglingssterblichkeit in Japan:ふくもとまさお氏訳: http://yahoo.jp/box/fQknBG または http://www.strahlentelex.de/strahlentelex022014_kiji_JP_fukumoto.pdf からダウンロードできる。)この論文の著者たちは「以上の解析結果は、チェルノブイリ原発事故後にヨーロッパで観察できたように、日本でも放射線被曝による遺伝子障害の影響が発生していることを示唆している。この解析結果からすると、今後日本において自然死産と乳児死亡、先天異常、出生時の出生性比の動向を注意深く観察する必要がある。」と記している。.
       このような死産や乳児死亡の増加は放射線の影響で胎児の正常な発育が損傷された結果と考えられる。これまで広島・長崎や他の調査で明らかにされている小児がんの増加なども含め総合的に検討すべきであり、現在放射線医学総合研究所も慎重な姿勢をとっている。菊池氏らの本の帯に「中学校の教科書に」と書かれているがそれでよいのだろうか。
       なぜ、みんなこのような重大事を正々堂々と公表し、議論しないのか。個人や物理学者だけの問題ではなく、社会に対する科学者の責任の問題である。

      2節 物理学者の社会的責任
       前回「原発問題の争点」(緑風出版、2012年)において、原子核物理学者をはじめ専門家の立場から、原子力の平和利用を推進してきた物理学者の原発事故に対する責任について議論した。学術会議をはじめ科学者たちは核の軍事利用には反対してきたが、平和利用の推進には積極的に協力してきた。物理学者をはじめとして日本の科学者たちは、核の軍事利用の歯止めとして、同時に平和利用の自主開発を目指して、平和利用三原則「自主、民主.公開」を主張した。中曽根康弘氏などの自民党と社会党は共同提案で、平和利用三原則を掲げた原子力基本法を1955年に制定させた。これは結果的には、当時のアイゼンハワー米大統領の、核実験反対などの核の軍事利用に反対する国際世論をそらせ、沈静化させるための宣伝政策「平和のための原子力(Atoms for Peace)」(1953年国連演説)に協力する役割を果たした。こうして、我が国の科学者たちは、核の「平和利用」として原子力の自主開発を目指した。しかし、産業界が政界と一体になって海外原発の技術導入によって原子力推進に乗り出してから、「自主・民主・公開」の三原則は政財界の原子力推進に対する外からの条件闘争とならざるを得なかった。そして、科学者としては主導権を産業界・政界に奪われてしまった。こうして科学者は総体としては、平和利用と称する原子力利用に積極的に協力することになった。「自主・民主・公開」の三原則は企業秘密と国家機密のもとにないがしろにされる結果となった。それどころか、原子力に反対するものは科学に反対するものであり、「反科学」とさえ呼ばれた。このように物理学者を中心として科学者は平和利用に積極的に加担し、組み込まれてきたのである。一方、政府・支配層は平和利用を隠れ蓑とし、核燃料サイクルを通じて核武装にも対応できる体制を構築してきた。
       本来、核技術は他の技術と同様に軍事と民事の区別が困難である。このことも平和利用を求める科学者・市民が軽視し、誤った点であった。
       その平和利用の結果、福島原発事故が発生した。それ故、以上の経緯からしても、物理学者に事故の被害に対する加害責任があるのは当然である。主導したとは言わなくても、少なくとも積極的に反対しなかったのは事実である。ここで改めて科学者は原点に返り、原子力の「平和利用」は正しい選択であったかを問わねばならない。私は平和利用として原子力をエネルギー産業とすることは間違いであると考える。
       物理学者を含め科学者が核の「平和利用」において、間違えたことは、第一に原子力の持つ巨大なエネルギーが制御不可能であり、原子力エネルギーの利用は本質的に危険であることであった。第二の重大な誤りは、地震をはじめ天災の危険性とその対策が科学技術的・経済的に不可能に近いことであった。第三に放射線被曝の生命体に対する危険性がすでに明らかであったにもかかわらず、その隠蔽を見抜けず、過小評価したという誤りであった。そしてその危険性が通常運転を通じて日常的に、更に使用済み燃料を通じてほぼ永久に、遠い未来の世代にまで続くことであった。
       原子力発電の危険性に物理学者は気が付かなかったから責任は問えないと考える人もあるかもしれない。しかし、私はこのような言い訳は許されないと思う。内外の物理学者の一部が原子力の危険性を隠蔽して、積極的に協力してきたことは事実であり、それを知らない人はいないであろう。人類にとってこれほど重大な社会問題に傍観者でいることは学者としての責任を放棄するものであり、怠慢であると思う。他にも重要な問題があり、自分は自分の分野で輝かしい成果を生んだからよいではないかと考える人もあろう。しかし、後述するように、人類の平等から由来する民主主義の歴史は、「人類の健康や生命にかかわる人格権は何事にも優先して擁護されなければならない」ことを教えている。高等教育を受け、またそれを後の世代に伝える教育を担う学者集団が率先して、人格権や基本的人権を守り発展させなければならない。
       私は科学者としては、特に集団として総合的な判断は科学者としての使命を果たす上で不可欠であると思う。そうでなければ科学の進歩が人類の幸福に生かされる保証がないからである。
       我々科学者は漫然と研究しているわけではない。研究の成果が真理であればいつかは人類の幸福に貢献することを信じ、それを目的に研究しているのである。それ故、科学の成果の利用には常に関心を持ち、厳しく監視することが使命である。それは現在の科学が組織的社会的な作業となり、国民の血税によって支えられていることからも理解できる。老人医療や生活保護など社会福祉のための予算が圧縮されている中で、研究費が支給されているのである。
       現在の資本主義社会においては私企業や産業界の科学技術に対する介入が強まり、研究の援助、寄付講座まで大学にも浸透した。表1に東大と京大の2014年度の主な収入を示した。文部科学省からの運営交付金が削られる一方で、産学連携等研究収入( 国や民間等からの受託研究や共同研究等に係る収入)の割合が高くなっていることがわかる。それぞれの大学の報告では2015年現在、東京大学寄付講座数74講座、京都大学31講座である。
       このように文部科学省からの運営交付金が厳しく削減される中で、電力独占体や企業の様々な補助や資金は科学者の重要な財源の一つとなった。その結果、政府予算の獲得や産学協同と引き換えに、原発反対を保留し、あるいは原子力推進に協力することはなかっただろうか。 いずれにせよ、この平和利用の持つ危険性を明確に警告できなかったことは我が国物理学者の過去、および現在、未来の人類に対する取り返しのつかない過ちであり、物理学者に加害責任が存在することは物事を真摯に考えれば当然のことである。第2次世界大戦において近隣諸国を侵略し、多くの犠牲を負わせることになった。この犠牲に対する謝罪も我が国及び国民の責任の問題としてよく議論される。同じ意味で物理学者の国民に対する加害責任は放置してよいことではない。物理学者の先人たちの犯した過ちは若い世代が引き継ぎ謝罪し、2度と被害を与えることの無いよう誠心誠意努力すべきことなのである。それ故、現在、起こってしまった福島原発事故の被害を最小限に留め、再び原発事故を起こすことのないようにすることは私たち物理学者の最低限の義務である。

      表1 大学の主な収入(平成26年度)両大学のホームページより引用


      3節 人格権は何事にも優先して護られるべきである
       不平等をなくし平等を拡大することによって民主主義は進歩する。人類の歴史において富の蓄積とともに階級が発生し、不平等が発生した。奴隷制社会や封建制社会のもとでの神の前の平等から、近代ブルジョア社会の法の前での平等へと民主主義は進歩してきた。現在まだ拡大しつつ存在する、経済的不平等は民主主義に対する大きな障害となっている。このような民主主義の拡大とともに人類平等の普遍的原理として人格権や基本的人権が確立してきた。
       民主主義に関しては、哲学者森信成氏はその著『唯物論哲学入門』(新泉社、1972年)で次のように述べている(108ページ)。「民主主義は人類共同の利害が目的となっており、人類の平等が原則である。我々すべてのものが生まれながらにして平等であり、自分の良心に従って生きる権利がある。そしてこの権利を表現する自由を持っている。つまり、思想、言論、出版、集会、結社の自由というものは万人が共通に持っている権利である。これらの権利は、人類平等というところから必然的に導きだされてくるものである。自分はこれだけいう権利を持っているがお前はこれだけいう権利を持っていないといったような差別はない。自分が自分の権利を保障されれば、他人にも同じだけのものを認めるということは、人類平等の原則から必然的に出てくるものである。このように人類平等の原則から必然的に出てくる原則が基本的人権であり、民主主義である」。
       全ての人が健康で文化的な生活を送る権利や働く権利を持つ(人格権)。そして人間としての基本的な権利、表現、出版、学問の自由、集会・結社の自由、健康で文化的な生活など基本的人権が保証されるべきことが人類の歴史上の結論として確立してきたのである。
       この人間としての権利は人格権としてすべてに優先して尊重されるべき権利なのである。この観点から、人類の生命、健康を護り発展させることは他のあらゆる活動の利害に優先するのである。例えば国際放射線防護委員会ICRPの「リスク・ベネフィット論」の言う「経済的・社会的利益を考慮した上で合理的に達成できる限り低く」という被曝基準の考え方は企業の経済的利害を人類の生命・健康の上位に置くものであり、人格権を侵害するものである。この正当な判断を大飯原発運転差し止め判決と高浜3,4号機再稼動差し止め仮処分判決は示したのである。この人格権は世界中のすべての人に保障された権利である。私企業や個々人の私的利益活動よりも、人類の一員であるひとりひとりの生命・健康の擁護が優先するのである。この人類の人格権を守ることは被曝の問題でも科学研究の場においても貫徹されなければならない原理・原則である。この点は特に、大飯原発の差し止め判決やアナンド・グローバー氏の国連特別報告にも「健康に生きる権利」を人格権として優先されるべき原則として主張され、広範な支持を得ている。そして差し止め判決では私企業の電力の生産という利益は人格権より低いものであり、原発が住民の健康・生命という人格権を侵害する恐れがある以上運転差し止めは当然としたのである。福井地裁判決は言う。「個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり、(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、わが国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。」
       これはまた、科学研究といえども人格権の下にあり、研究者である前に人間として、すべての人と同様に、それ以上に、他者の人格権を尊重し、守り発展させる義務があるのである。現在、一般社会において民主主義が蹂躙され、貧富の差が拡大し歴史が逆転している。この中で、大学間の格差が拡大し、外部資金による差別化の下で、科学者は競争で社会的連帯を失い、個人中心主義的になったと思う。
       本論考の最後に人権と全ての人の共生ということに感銘を受けた言葉を追加した。人権ということは社会的弱者とともに生きるということであり、傲慢な勝者の横暴を協力して阻止することである。(追記1参照)

      4節 科学は何のために必要なのか
       科学の発展の初期においては科学が貴族の個人的な趣味として存在した時期もあった。科学が技術と結びつき、産業に貢献するようになってから科学技術は生産力を支える重要な要素となった。科学の進歩は生産技術の進歩として豊かな生活をもたらすはずのものである。生産技術の発達とともに、科学研究は社会的・組織的な労働となった。研究機関は社会的にその研究活動を支えられることになった。研究成果は普遍的であり、人類共通の財産となった。それ故、研究の自由、学問の自由が保障されているのである。ただ、現在社会が、社会的生産手段の私的所有を基礎とする資本主義社会であるために、社会の利益に背くゆがんだ形で科学研究が実現するという制約を持つ。この科学にとって不幸な私的利害からの介入・干渉、制約、私物化という事態は人類の進歩と幸福に反することであり、科学に携わる研究労働者は人類のために尽くすというその社会的責任を片時も忘れてはならない。一方でその科学の破壊力も増大し、ダイナマイトのように生産の進歩にも軍事力の増大にも貢献するものから、ついに科学は核という無限の破壊力を持つに至った。このことは一層科学者の責任を大きくする。
       科学の持つ本来の普遍的な価値のゆえに、物理学者は働く国民の税金である国家予算でその大部分の研究が支えられている。物理学者は、物理に関連する諸問題に対して、的確に判断し、国民の健康、幸福のために学問が利用されるよう行動する義務がある。これが先ほど述べた全ての人が守るべき人格権に基づいているからである。

      5節 福島原発事故に対する責任を認めない日本物理学会
       ところが日本物理学会は福島原発事故直後の2011年6月10日、田中俊一氏、有馬朗人氏、柴田徳思氏などを講師とする「原子力利用とエネルギー問題」というシンポジウムを開き、反省よりも被害の過小評価と再稼動への意志を再構築しようとしたのである。私はこの点に関して「原発問題の争点」第3章で取り上げ、批判した。
       それ以後も日本物理学会は原発事故に対する自己の責任は認めておらず、むしろ物理学会誌上でもオープンな議論を避けているように思われる。大変、遺憾なことである。このような問題点を示す実際の例として、この論考の最後に私の物理学会誌への投稿原稿や会誌編集委員会との議論を資料として再録する。
       まず、日本物理学会は上記の原発推進のシンポジウムを開いた。つづいて物理学会としての責任を認めず、福島原発事故に対する学会としての研究活動を拒否した。私はそれに対する批判を会員の声に投稿した(参考資料1参照)。さらに、私は福島事故での放出放射性物質量に関して、文献調査の結果を会員の声に投稿した。「福島原発事故の放射性物質放出量はチェルノブイリの2倍以上」というものであるが、査読が必要な問題なので掲載できないという編集委員会の回答であった。しかし、本投稿は国際的に権威のある気象学などの掲載論文に基づく総説的考察であり、すでに査読はそれぞれの雑誌でなされているのである。政府やマスコミの福島原発事故はチェルノブイリ原発事故より放出規模が一桁小さいという誤解についてコメントしたものである。会員の感想や意見を述べるべき「会員の声」欄で査読を必要とするという判断も異常なことである。さらに、私が「福島原発事故で放出された放射性微粒子に対する危険性」を会員の声に投稿すると(参考資料2参照)、本来必要のない閲読や「風評被害」を理由に掲載を拒否した(参考資料3参照)。
       まさに福島原発事故の被害を予防原則に基づいて、その危険性を広め、警告し、被害を回避し少なくすることよりも、事故の被害の公開を恐れ、隠蔽しようとする態度である。これは政府や東京電力の責任をあいまいにし、彼らの賠償における立場を有利にし、被害者を切り捨てるものである。
       これは人格権を侵害し、被害者を見捨てるものであるが、同時に物理学会にとっても深刻な事態である。このように、自由闊達な議論が抑圧され、萎縮したような雰囲気の中では、これからの困難な社会的責任を伴う時代をリードする研究者は育たないということである。
       後の資料に示すように、会誌編集委員長はじめ編集委員は話題の枠を狭め、オープンな議論を恐れ、萎縮している。会員諸氏に積極的に訴え、考える機会を与え、活発に討論しようという気迫が全くない。学者に「風評被害」などとまるで過保護な子どもの教育である。このような精神で教育された若者はいわゆる官僚主義的官僚にはふさわしいかもしれないが、我が国や世界の未来を担う科学者や教育者、政治家に育つとは思われない。このことと原発事故が我が国で発生したこととは偶然でないかもしれない。自分で判断し、積極的に行動できる人が少なくなっており、我が国の科学研究や政治に責任を持つ人が少なくなっているからである。高度成長の夢に酔っているうちに、我々は自分で考える判断力を失ったのである。福島原発事故を見て何の教訓も導き出せないとすれば、切り捨てられる事故被害者を見て責任を感じないとすれば、人間として正常な感受性をなくしてしまったのである。残念なことであるが、同時に我が国の未来にとって恐ろしいことである。
       おわりに当たり物理学会が少なくとも基本的人権や民主主義を尊重し、誠実に実践する人たちによって運営されることを期待する。そうでなければ、物理学者は社会から尊敬されず、社会から遊離し、若い研究者が育たず、学問的にも後退し続けるのではないかと危惧する。
       広河隆一氏によればチェルノブイリ事故の時、「ICRPやIAEAと結びついた医学会は、原発のすぐ横のプリピャチ市からの住民の避難に反対した。…しかし、彼らは、チェルノブイリでは思う通りには行かなかった。市民、政府、軍隊、共産党支部、物理学会などの抵抗にあったからである。」(Days Japan2015年7月号27ページ)物理学会は住民の避難に反対するICRPに反対し、住民の避難に協力しているのである。

      6節 おわりに
       以上に述べたように、核の平和利用を含め「核は人類とは共存できない」ものである。核は人類のみならず、地球上のあらゆる生物にとって脅威である。私たちは過去、現在、未来にわたって、人類すべての人に等しく与えられた健康で幸せに生きる権利をすべてに優先して護らなければならない。一切の戦争はこれに反することである。核の平和利用も被曝の被害を避けることができない以上、健康と人命の犠牲なしには不可能である。
       これまで物理学者をはじめ、科学者はこの人類の平等の権利、人格権をあいまいにしてきた。例えば、政府は原発の事故を理由に、被曝の基準を高め、一般人に通常の年間被曝限度1ミリシーベルトより高い20ミリシーベルトまでの被曝を強制して、その健康や生命を犠牲にしてきた。労働者には緊急時被ばく限度を250ミリシーベルトに引き上げようとしている。
       現在さらに、政府は年間被ばく限度20ミリシーベルトの地域に対して、住民の帰還を強制する政策を強化している。「帰還困難区域」を除く「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の避難指示を解除し、5.5万人にも上る避難者を帰還させようとしている。同時に並行して汚染地からの避難者への援助を期限を定めて廃止し、賠償の打ち切りで脅迫し、汚染地への帰還を強制している。例えば、福島県は県外に避難した県民全てに、災害救助法を適用し、応急仮設住宅を無償で提供してきた。しかし、災害救助法による住宅提供は2年という制限があるため、その後毎年更新手続きが必要であり、避難者は将来が不安でその改善を強く求めていたものである。2015年の今年、その要望を署名を持って各地から要請した直後の6月15日、福島県は国の指示のもとに、逆に応急仮設住宅の供与を2017年3月で打ち切ると発表したのである。そして支援が具体化しているのは福島への帰還の片道の交通費だけという。苦しい生活の中から要請した避難者に対して何と冷たい仕打ちであろうか。
       これは「子ども・被災者支援法」に違反し、人権に対する重大な侵害である。原発を推し進めてきた加害者である政府や東京電力が、本来被害者の救済と賠償を行うべき義務が自らにあるのに、避難区域を勝手に縮小し、避難者の住宅援助を打ち切り、避難者を切り捨てようとしている。「自主避難」というがいずれも年間被曝線量1ミリシーベルト以上の汚染地であり、チェルノブイリ法では避難の権利ゾーンである。それ故、住民が様々な困難の中で子供たちのために避難するのは人権の上で当然のことであり、親の義務である。チェルノブイリ法では年間被ばく線量5ミリシーベルト以上は政府の義務で避難させなければならない地域である。正しくは内部被曝2ミリシーベルトを加えているので外部線量では3ミリシーベルトである。我が国ではこのような汚染地への帰還を強制するという非人道的なことが公然と行われているのである。それを知りながら、物理学者は黙認している。中には「目に見える被害はない」と政府の帰還政策に協力している学者もいる。
       我々物理学者は福島原発事故によって、福島、関東、東北、日本中、世界中に被曝を強制してきた。未来の子供を含めて我々はこのような被曝被害の間接的、直接的加害者である。極端に見えるかもしれないが、被曝によって死産となった子供たちには本来、無限の輝かしい未来があったはずである。このような犠牲者をなくしていくことこそ人類の進歩ではないのか。逆にこのような犠牲のもとに我々は何を得ようとしてきたのか。福島原発事故は「現在が科学のあり方を根本から反省するべき時代である」ことを示していないだろうか。




      参考資料1
      「福島原発事故研究の要望に対する理事会の回答に思う」
                               山田耕作 日本物理学会誌 2014年⒌月号335ページ
      1.はじめに
       会誌2013 年10 月号によれば,槌田敦氏ら14 名は次の要望書を物理学会理事会に提出している.1) その要望書では福島原発事故の「深刻な災害のそもそもの原因は物理学者にある.戦後,一部の日本の物理学者は,安全は科学技術で確保できるとして原子力の平和利用を提起した.そして,多くの物理学者は,自主・民主・公開を条件にこの原子力の研究開発を容認した.しかし,安全の確保に失敗してしまった」として,次の2 項目を理事会に要望している.「①福島原発事故の詳細を研究するグループを結成し,その研究結果を発表する.②物理学会誌を福島原発事故に関する会員の意見交換の場としても活用し,上記研究グループの研究に寄与する」.これに対して理事会は会長名で「個別の問題に関して理事会が主導して研究グループを作るということはせず,研究グループを作る仕事は会員の自発的な活動に任せるというのが物理学会のスタンスです」と回答して実質的に要望を拒否している.1)
      2.理事会回答への疑問
      1) 個別でないテーマなどあり得ない
       理事会のスタンスは「個別」でなく一般の問題なら研究グループを組織しうるというようにも理解される.しかし,真理は常に具体的である.「個別の問題」でない「一般の問題」の研究とはなんであろうか.「研究テーマはいつも具体的であり,個別である」.それ故,理事会回答は一切研究グループを組織しないという「スタンス」になる.しかし,これまで,物理学会として重要な課題は個別にワーキンググループ等で検討してきたのであり,問題はその研究の重要性である.理事会は福島原発事故の研究の必要性を認めなかったとしか理解できない.
      2) 「物理学会のスタンス」は今期の理事会で新たに決めたのか
       これまで例えばオーバードクターの問題や女性研究者の「個別の問題」で理事会や会長が主導して検討グループやワーキンググループが結成された.また,原子力の問題は従来から,物理学会をはじめ学術会議の重要な検討課題であった.物理学会が主導して原発問題を5 回のシンポジウムのテーマとして議論し,その報告を物理学会が1988 年に『原子力発電の諸問題』として出版している.2) 日本物理学会編集の『原子力発電の諸問題』の219 ページのあとがきで編集委員会は次のように述べている.「1981 年頃より日本物理学会委員会において,会員の原子力諸問題に対する理解を深めるとともに率直な意見の交換ができる機会を設ける必要があるという提案をめぐって,数回にわたって熱心な討論が行われた.それをうけて日本物理学会理事会において可能性と具体的方式について検討が重ねられ,最終的には,物理学会の開催期間中に分科講演発表と並列に「原子力シンポジウム」を開催することとなった.原子力シンポジウム企画委員会が組織され,1982 年秋,北海道大学での第1 回原子力シンポジウムを皮切りとして,毎回主題を慎重に選びながら1986 年秋まで計5 回のシンポジウムが行われた.シンポジウムにおいては,原子力の諸問題の現状を賛否双方の立場から対立的に浮き彫りにすることを狙いとし,意見あるいは立場を異にする複数の講師の講演を聴き,その後にシンポジウム参加者から質疑に答えてもらうことにした.原子力シンポジウム企画委員会が企画に責任を持つことは当然であるが,個々の講師の講演内容及び意見については,講師自身が責任を持つべきものとした」.
       このように日本物理学会は理事会が主導してシンポジウムを開き,原子力の問題を議論し,検討し,公に出版している.さらに,物理学会主催で2011 年6 月にはシンポジウム「物理学者から見た原子力利用とエネルギー問題」を田中俊一,有馬朗人,北澤宏一,柴田徳思氏などの講師で開催し,その報告が会誌でなされている.3,4)しかし,今期理事会は要望書の「福島原発事故の詳細の研究」が「個別」のテーマであるから物理学会の「スタンス」に反するというのである.この「スタンス」は,会員間の議論もなく従来の物理学会の方針を変更するものではないか.今期理事会の「スタンス」の根拠は示されていないと思う.
      3.福島原発事故の真の原因を明らかにするために
       理事会は,要望書が提起している原子力の平和利用の容認を「個別の問題」としている.これは物理学会として原発事故に対する責任はないというスタンスに通じる.しかし,我々の先輩たちの大部分は今回の事故につながる原子力の平和利用を提案したり,容認したのである.その人類に対する責任は,故人だけのものだろうか.まして,これまで可能性の問題として議論されてきた原発重大事故が起き,現実に甚大な被害が発生している.事故は終息せず,泥沼であることは誰の目にも明らかである.原発を原子力の平和利用として容認してきた物理学会として,福島原発事故の原因を研究し,それを社会に明らかにする義務と責任があると私は思う.我々物理学者は原発重大事故の心配もせず,研究に埋没していたのではないか.本当はもっと明確に,地震国日本での原発の危険性を,物理学者は総力を挙げて国民に警告すべきではなかったのか.5) 福島原発事故が津波による電源喪失が原因なのか,地震による配管の破断や送電鉄塔の倒壊など機器の損傷が原因なのか.今後の耐震性の議論に不可欠の研究課題である.世界でも有数の地震国日本で耐震性は保証できるのか.メルトダウンした核燃料と地下水とが一体となった汚染水と溶融核燃料は如何に処理すべきなのか.余震で燃料プールや建屋が倒壊する危険もある.物理学会は解決に向けて,他分野の人たちとともに努力すべき責任があると思う.それ故,今回なぜ事故の詳細の研究や検討を組織的に行わないかについて理事会の説明が必要であると思う.「スタンスです」という結論だけでは説明になっていない.
      4.おわりに
       私は過去の経緯を踏まえて,原発の安全はなぜ破綻したのか.安全であるとして原子力を容認ないし推進してきた日本の物理学者のどこが間違っていたのか.これらの疑問の解明なしには原発の再稼働はあり得ないと思う.これはすべての事故に普遍的に通じる鉄則である.原因が明らかでなければ,同じ事故を繰り返さないという保証がないからである.津波が原因でなく地震が原因なら,いくら防潮堤を高くしても無力である.現在から過去のシンポジウムの報告2)を見ると地震や津波の議論もなく極めて未熟な理解であったことなど反省点が多くあることがわかる.広大なアメリカに比べても,震度5 以上の地震数で十倍以上も多い日本で米国の原発をほぼそのまま導入しているなど多くの誤りが見いだせる.
       このように福島原発事故の原因の問題は個々の物理学者だけの問題ではなく,平和利用を提唱し,容認してきた物理学会全体の問題でもある.理事会回答は拒否の理由を説明しない官僚的な回答に感じる.なぜ物理学会理事会はJ-PARC 事故や,原発事故を正面から取り上げないのか.物理学会は少なくとも意見交換の場を提供する立場にあると考える.
      参考文献
      1) 槌田 敦:日本物理学会誌68(2013)693.
      2) 日本物理学会編:『原子力発電の諸問題』(東海大学出版会,1988).
      3) 山田耕作:日本物理学会誌66(2011)790.
      4) 相原博昭,北本俊二:日本物理学会誌66(2011)783.
      5) 山田耕作:日本物理学会誌 51(1996)359.




      参考資料2 
      会誌掲載拒否論考 「福島原発事故で放出された放射性微粒子の危険性」
                                    山田耕作     2015年1月17日投稿
      はじめに
       福島原発事故によって大量の放射性物質が放出された。その放出量も重要な問題であるがその放出形態も被曝被害の予測にとって重要である。最近、球形の放射性微粒子が観測され注目されている。その微粒子はミクロンからナノサイズまで様々な大きさを持ち、水溶性あるいは不溶性の様々な放射性微粒子が放出されている。渡辺、遠藤、山田の3名はその微粒子がもたらす危険性について多くの人たちと議論した1)。私たちは、福島事故による被曝の危険性について学際的な議論を続けている。事故原発からは被曝として極めて危険だとされるホットパーティクルが放出されており、ことは重大である。これまでの検討結果を簡単に紹介し、予防原則からしても、会員諸氏に被曝の危険性について問題を提起すべきであると考える。これは私たち物理を専門とする者の社会に対する一つの責任の果たし方であると私は思う2)。特に放射線被曝の影響を解明していく上での、物理学者と医学者・医師との協力・連携を訴えたい。
      観測結果
       筑波の気象研究所の足立光司氏らによれば、2011年3月15日までの間で2ないし2.6μmの直径を持つ球形の微粒子が観測され、その中にはセシウムをはじめ様々な元素が含まれ一様に分布していた3)。これは粒子形成後、高温の状態にとどまり焼きなまされたと考えられる。水には不溶性で、大部分はミクロン以下の微粒子であった。3月16日以降のものは水溶性であった。これは主に硫酸塩コロイドにセシウムなど放射性元素が付着したものである。これら微粒子の生成の機構と事故の経過との関連は重要な物理学のテーマである3)。プラント工学、化学、生物学、気象学、海洋学、土壌学、農学などと物理学との共同作業が必要であると思う。
      微粒子の体内での振る舞い
       酸化プルトニウムのホットパーティクルの危険性についてはタンプリン・コクランの115,000倍危険とする指摘がよく知られている。それ以前の1969年にすでに我が国原子力委員会が的確な報告をしている4)。大きい粒子は鼻腔に、小さくなるにつれて気管支、肺胞に沈着し、さらにサブミクロンからナノサイズに近づくと血管壁や細胞壁を通りぬけて血管、リンパ系を通じて全身に移動することが指摘されている。このような粒子の大きさによる気管支・肺胞への沈着の問題は薬学でも、アスベスト被害などの内科学でも研究され微粒子の体内での挙動が明らかになっている。
       一方、イラク戦争などで劣化ウラン弾の使用とその被害が問題とされてきた。2006年に広島で開かれた国際会議でロザリー・バーテルさんは100ナノサイズ以下の放射性微粒子は血液を介して体内をガスのように自由に動くとして、大きい粒子と異なる危険性を強調した。ナノサイズの粒子は脳にも子宮にも入るのである。
       このように福島原発から放出される放射性微粒子はホットパーティクルとして両方の危険性を持ち厳しく警戒すべきである。プルトニウムはα線を放出するがセシウムやストロンチウムはβ線を放出する。これらの微粒子は体内では局所的・集中的な被曝をもたらし、自然の放射性元素カリウム40に比べて格段に危険である。なぜならカリウムはカリウムチャネルを通じて原子として体内に一様に分布するからである5)
      放射性微粒子の危険性
       放射性微粒子は気管支・肺胞に沈着して肺がんや白血病、リンパ腫を引き起こす直接的な作用と共に、活性酸素・フリーラジカルを発生し、その作用で細胞膜やミトコンドリアの破壊を通じて間接的に生体に被害を及ぼすことが知られている。微粒子に依る被曝の危険性は個々の原子による被曝とは異なり、局所的・集中的な被曝が継続することである。ミクロン単位の微粒子には億単位の放射性原子を含んでいるからである。そして、体内の臓器に長く留まる。
      放射線によって発生したフリーラジカルの危険性
       放射線によるイオン化作用によって活性酸素・フリーラジカルが発生する。もともと生体はこのような活性酸素を用いて病原菌を殺し、生体を守ってきた。しかし、過剰な活性酸素は生体にとって有害である。放射線によって発生する、作用が強力なヒドロキシラジカル・OHは体内に解毒する酵素がなく特に危険である5)。放射性微粒子によって発生したフリーラジカルは細胞膜脂質などを連鎖的に破壊する。ペトカウ効果と呼ばれ低線量での長期被曝によって、心臓など心血管系を含む広範な病気が引き起こされるようである。
      東京圏における様々な病気の増加
       福島における心筋梗塞や突然死が異常に高いことの指摘に留まらず、東京圏にも病気の増加が見られる。例えば血液がん患者数の増加を「院内がん登録」を用いて確認できる1)。物流の中心である東京は、他の県に比べ高い残留放射線量を示している。我が国のがん患者数は諸外国で減少しているにもかかわらず、増加している。2010年と2012年では血液がんは全国で14.3%増加している。しかし、東京は21.1%増であり6.8%高い増加率である。「院内がん登録」統計は、東京の全がんについて、事故前の2010 年から2012 年までの2 年間に、患者数が5 2,090 人から58,662人(調査病院により補正)へと12.6%増加したことを示している。全国では調査病院数の補正値544,067 人から590,856 人へと8.6%の増加であり、東京がやはり4%高い。
       同じような傾向は順天堂大附属病院の血液内科の各疾患の患者数6)や首都圏の4病院、NTT東日本関東病院、千葉大学医学部付属病院、武蔵野赤十字病院、東京逓信病院における骨髄異形成症候群による入院患者数の増加にも見られる1)
      おわりに
       福島原発からナノからミクロンサイズの多様な微粒子が放出された。その結果、ホットパーティクルとしての内部被曝の危険が、今回さらにセシウム、ストロンチウムなどの元素でも生じることがわかった。福島だけでなく、東京圏における放射性物質による汚染の現状に対応して、すでに在京の一部病院で放射性微粒子による被曝に起因する疾患とされる血液系疾患や白内障の増加が見られ、詳しい調査が必要である。
       物理学会員の皆さんには放射性微粒子の物理とその危険性について周りの医学者・工学者など異分野の人と総合的な検討をしていただくことを訴える。
      参考文献
      1)詳しくは yahoo.boxのURL http://yahoo.jp/box/dzEJilを参照
      2)山田耕作:日本物理学会誌:2014年⒌月号、69、335ページ
      3)KoujAdachi:http://www.nature.com/srep/2013/130830/srep02554/full/srep02554.html
      4)http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/ugoki/geppou/V14/N12/196901V14N12.html 
      5)落合栄一郎『放射能と人体 』講談社(2014年)
      6)順天堂大学医学部附属順天堂医院 血液内科
      http://www.juntendo.ac.jp/hospital/clinic/ketsuekinaika/kanja03.html




      参考資料3 
      参考資料2の掲載拒否までの経緯

        編集委員長回答 2月26日

      山田耕作様
       再投稿ありがとうございました。前回は、字数制限による門前払い的な対応になり申し訳ありません。指摘されている点は物理学者と医学者・医師との協力・連携の提言と理解しました。
       会員の声は内容に関しては著者の責任で、閲読的なことは行わないとしていますが、学会誌への掲載の妥当性に関しては編集委員会で検討、決定しています。今回の記事は、「ホットパーティクル」や「東京での院内がん登録と福島事故の関連」など、必ずしも確定していない事実に関して論理の展開があり、編集委員会では主張されている内容の論理的関係が読み取れない(たとえば、がん増加と福島事故の因果関係を主張しようとしているのかどうか、など。)との議論となりました。このような論理の展開は、会員の声の範疇を超えていると判断しました。また、上記の議論はすでにブログなどでも発表されているものであり、その周知活動と見なされる要素もあります。
       これらの観点が議論され、編集委員会において本記事の掲載を差し控えるとの結論になりました。もし、事実関係の論理の展開をされる場合、論理を整理し、専門誌に投稿を勧めます。
      日本物理学会誌編集委員長
      宮下精二

        著者の回答 2015年3月2日

      会誌編集委員会のみなさんへ
      編集委員会に、誤解に基づく掲載拒否の撤回を要求します
      2015 年3 月2 日 山田耕作

      掲載拒否の撤回要求と質問

       2月26日に編集長から掲載拒否の回答を受け取りました。しかし、回答を全く理解できません。以下に述べますように編集委員会の全くの誤解に基づく決定であり、掲載拒否を撤回されるよう要求します。そうでない場合は私の疑問①〜④に納得のいく回答をください。
      編集委員会の決定 念のため編集長の回答を記します。
      山田耕作様
      再投稿ありがとうございました。…上述2月26日付編集委員会回答。…。
      日本物理学会誌編集委員長
      宮下精二

      決定に対する反論と質問
       以下に私の反論と質問を述べます。
      1.拒否理由「論理の展開が会員の声の範疇を超える」とは?
       会誌の投稿規定では
      1) 広く会員にとって関心があると思われる話題についての個人的な意見や感想を述べた投書を掲載する.
      2) 採否は編集委員会での議論を踏まえ,委員長が判断する.その内容に関する責任は投稿者が負う.
      となっており、被曝の危険性について注意を促すことは物理学者の責任としても重要な投書であると思います。2)は個人の責任の範囲を超える間違いなどに適用するものと思います。今回の理由「論理の展開は、会員の声の範疇を超えている」かどうかまで判断するのは越権です。なぜなら、会員の声の範疇が定義されていませんが1)から、「個人的な感想や意見」の範疇であるはずです。この際論理の展開の仕方は投稿者の裁量の範囲内であると思います。個人の感想や意見を述べるのに、投稿者が最も適切な論理の運び方を選ぶ自由はあるでしょう。相応しくなければ編集長がアドバイスすべきですが、いきなり掲載拒否は異常です。
      ①「会員の声の範疇は何ですか」、②「論理の展開が会員の声の範疇を超える」とはどういう意味ですか。
      2.予防原則の無理解による誤解
       編集委員長の回答は私の投稿の主旨を正しく理解していません。私は「初めに」の終わりで投稿の主旨を」次のように述べています。
       「予防原則からしても、会員諸氏に被曝の危険性について問題を提起すべきであると考える。これは私たち物理を専門とする者の社会に対する一つの責任の果たし方であると私は思う2)。特に放射線被曝の影響を解明していく上での、物理学者と医学者・医師との協力・連携を訴えたい。」
       予防原則とは「ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがあるときには、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分立証されていなくても、予防的措置(precautionary measures)が取られなくてはならない」というもので国際的な合意となっている原則です。
       その観点、つまり、危険性の回避の観点から、ホットパーティクルが福島原発から放出されたという重要な事実とその危険性に関する定説を紹介しました。それに関連する病気が福島だけでなく、東京など広く増大している事実を紹介しました。これらは重要な事実と考えるが故に、詳しい調査と検討のために物理学者と医者・医学者の連携を訴えたのです。
       ところが編集長は
      「今回の記事は、「ホットパーティクル」や「東京での院内がん登録と福島事故の関連」など、必ずしも確定していない事実に関して論理の展開があり、編集委員会では主張されている内容の論理的関係が読み取れない(たとえば、がん増加と福島事故の因果関係を主張しようとしているのかどうか、など。)との議論となりました。このような論理の展開は、会員の声の範疇を超えていると判断しました。」
      と述べています。投稿の主旨で述べた「予防原則」で因果関係に関する議論は明白です。私は因果関係そのものを問題にしているわけでなく、投稿の目的は予防原則に基づく被害の防止です。そのためのホットパーティクルに対する警告であり、問題提起であることは編集長が「医者と物理学者の連携」を理解され、その直前の文章ですから当然理解されているはずです。私が予防原則を主張していることは因果関係より被害の回避と救済の必要を主張していることは明らかです。引用している文献2も「物理学者の社会的責任と原発事故の研究」の会誌での積極的議論を訴えたものです。私は因果関係を論じて学術論文を書くために投稿しているわけではありません。それが明らかなのに「専門誌に投稿を薦めます」とは投稿の主旨をゆがめ,自らまじめに投稿文や予防原則を検討もせず、編集委員長は「会員の声」に掲載するための努力を放棄しているようにさえ感じました。「因果関係を主張しているのかどうか」編集委員会で議論されたということですが私が予防原則に基づいて議論していることは明らかであり、因果関係を主題にしていないことは明白です。
      3.私の投稿は論理の展開ではなく、ホットパーティクルに関する事実の報告
       私は病気の増大の事実を上げ、(因果関係の議論ではなく)より詳しい調査を訴えています。それは明白だと思います。それゆえ、「論理の展開が会員の声の範疇を超える」という意味が全く分かりません。なぜなら、私は学説や事実の紹介にとどめ、さらに調査が必要とし、因果関係はもとより、ほとんど論理を展開していないからです。賢明な会員諸氏は私の示した諸事実から自ら総合的に判断されるものだと思うからです。何よりもまず、放射性微粒子の放出などの事実が会員諸氏に周知され、警告がなされるということが重要です。
      4.物理学者は被害の低減に努力を
       わたしの文章は次のようになって終わっています。「福島だけでなく、東京圏における放射性物質による汚染の現状に対応して、すでに在京の一部病院で放射性微粒子による被曝に起因する疾患とされる血液系疾患や白内障の増加が見られ、詳しい調査が必要である。物理学会員の皆さんには放射性微粒子の物理とその危険性について周りの医学者・工学者など異分野の人と総合的な検討をしていただくことを訴える。」
       以上を見て分かるように私は因果関係の論証については重視していません。むしろそのための一層広範な調査の必要を訴えるものです。これは予防原則からしても必要なことです。予防原則は因果関係が証明されるまで待つのではなく「慎重なる回避」を原則としています。私はその観点から事実の提示に努めました。
       私は前書きに「予防原則からしても、会員諸氏に被曝の危険性について問題を提起すべきであると考える。これは私たち物理を専門とする者の社会に対する一つの責任の果たし方であると私は思う2)。特に放射線被曝の影響を解明していく上での、物理学者と医学者・医師との協力・連携を訴えたい。」と書いており、因果関係より被害への警告と救済にあることは明らかです。私が「問題提起」であると述べていることをあえて「因果関係」にまで編集委員会は勝手に拡げ、掲載できないとしているのです。編集長も自分で問題を因果関係まで広め、「会員の声の範疇を超える」としているのです。私にとってはとんでもない濡れ衣です。ただし、念のために言いますが、編集委員会とは異なり、私は意見として一般に因果関係を議論することが「会員の声」の範疇を超えるとは思いません。
       これらの予防原則に基づく作業は放射線被曝の被害をできるだけ早く発見し、警告し、被害を可能な限り小さくするという我々物理学者の現在および未来の人類に対する責任であると私は考えており、その意見を述べるための投稿です。物理学会員への意見の提示が投稿の主旨であることは明らかなのに専門誌への投稿を薦めるなど誤解も甚だしいものです。
      5.なぜ修正でなく、いきなり掲載拒否なのか
       万一もし「論理の展開が範疇を超える」としても、修正を促すのが常識的な判断ではないでしょうか。私の投稿の主旨が因果関係の証明にあるような理解はとんでもない誤解です。苦労して投稿しているのも物理学者として原発事故に責任があると私は思うからです。これは個人個人によって異なることでしょうから、私は一人の会員として意見を投稿しているのです。③編集委員会のように常に閲読を持ち出し、会員の自由な意見を封じるのは多様な会員の意見交換と相互討論の場としての「会員の声」を死滅させることになりませんか。編集委員会はむしろ積極的に会員間の議論を活性化すべきではないですか。「掲載の妥当性を検討する」ことは「閲読的なこと」ではないのですか。
      6.なぜ編集委員会は誤読したのか
       優秀な編集委員たちが私の投稿文をなぜ誤読したのか。それは物理学者の社会的責任という人道的な観点と「会員の声」にまで学術的な形式を機械的に適用する編集委員会の姿勢との違いが原因ではないかと思います。「事実の公表」より「論理の展開」を問題にしたり、「人間の救済」より「閲読」や「範疇」を優先する姿勢が誤読を生むのではないでしょうか。普通の市民は編集委員会のような「因果関係を議論しているのかどうか」などとは議論をしませんし、誤解もしません。予防原則の立場、すなわち、被害から子供やすべての人を守るという視点が最優先です。
      7.ホットパーティクルの放出の危険性は広く警告すべき重要問題
       編集長の理解のように、物理学者と医者との協力を提言するためには一般的な内部被曝研のブログでは不十分で会誌で物理学者に周知し、直接訴えることが必要です。④なぜ物理学会員への「周知活動」が掲載拒否の理由になるのですか。市民と科学者の内部被曝問題研究会のブログは内部被曝をめぐる限定された有志による検討会です。私にとっては医者と物理学者の共同研究の実践例を物理学会員に示すもので貴重ですが、主に市民との意見交換の場です。それ故、物理学者全員を対象とする本投稿とは訴えの内容や規模も異なります。特に今回は放射性微粒子の放出問題の重要性を物理学者に知らせ、危険性の解明に協力をお願いしたいと思います。
      8.質問項目を再掲します。
      ①「会員の声」の範疇は何ですか
      ②「論理の展開が会員の声の範疇を超える」とはどういう意味ですか。
      ③ 編集委員会のように常に閲読を持ち出し、会員の自由な意見を封じるのは多様な会員の意見交換と相互討論の場としての「会員の声」を死滅させることになりませんか。編集委員会はむしろ積極的に会員間の議論を活性化すべきではないですか。「掲載の妥当性を検討する」ことは「閲読的なこと」ではないのですか。
      ④ なぜ物理学会員への「周知活動」が掲載拒否の理由になるのですか。

        会誌編集委員長回答 2015年3月28 日

      2015 年3 月28 日
      山田耕作様
       ご連絡ありがとうございました。ご質問に関する編集委員会の考えをお知らせします。
       まず、「会員の声」欄の文責は投稿者にあるため、比較的軽微な改訂をお願いする場合を除き、委員会は強い改訂意見を述べないこととしていることをご了承ください。
       前回の回答に書きましたように、指摘されている主旨は物理学者と医学者・医師との協力・連携の提言と理解しました。その主旨の掲載に大きな問題はないと思いますが、現原稿を掲載不可と判断した理由として以下の点があります。
       回答の『「ホットパーティクル」や「東京での院内がん登録と福島事故の関連」など、必ずしも確定していない事実に関して論理の展開があり、編集委員会では主張されている内容の論理的関係が読み取れない』の部分については、たとえば、がん増加と福島事故の因果関係を主張しようとしているのかどうか、などが理解しにくいためこのように表現しました。つまり、東京での院内がん登録の増加を福島から拡散してきたホットパーティクルに関連づけるかどうかについて、文面では陽には関係が述べられていませんが、文脈からすると明らかに関係づけていると考えられます。たとえ先生の立脚される「予防原則」が因果関係の立証を必要としないものであったとしても、読者のとらえ方によっては風評や風説の流布にもつながりかねない記述のある場合、編集権の範囲として掲載に慎重な姿勢をとっています。それらの関連を科学的に議論することは「会員の声」欄の役割ではなく、より専門的な議論をしっかりと展開できるところですべきであると考え、そのことを「論理の展開が会員の声の範疇を超える」と回答しました。また、ホットパーティクルに関しても、否定的な見解もあるようで物理的根拠が十分なコンセプトではないと判断しています。「会員の声」欄において専門家による閲読を経ないままこの議論を主張することは、読者に無用の誤解を与える恐れがあり、編集委員会としてお知らせいたしましたような判断となりました。これらの判断は「閲読的」と捉えられなくもありませんが、記事中に描かれた事柄や用語に一定の客観性や合理性を求めることは、公的性格の強い物理学会の会誌編集委員会の責務の一つであり、そのための裁量の範囲内であると考えています。この点に関して「会員の声は内容に関しては著者の責任で、閲読的なことは行わないとしていますが、学会誌への掲載の妥当性に関しては編集委員会で検討、決定しています。」と回答させていただきました。
       「周知活動」に関しては判断が難しいところです。編集委員会が各投稿に強い改訂意見を述べない「会員の声」欄では、個々人の研究成果から全く合理性を欠いた物理の新理論の宣伝、あるいは物理と全く関係のない内容の勧誘など、さまざまな周知活動が形式上は可能となります。これら幅広いスペクトルの周知活動による不測の事態を避けるため、掲載可否判断にあたっては一律に抑制的な対応をとっています。(限られた時間の中での編集活動であることをご理解ください)
       繰り返しになりますが、指摘されている主旨は物理学者と医学者・医師との協力・連携の提言と理解しており、その主旨に強い異論はありません。編集方針をご理解の上、改訂再投稿していただくことを拒絶するものではありません。(4月以降の編集についての事務連絡、略)
      日本物理学会誌編集委員長
      宮下精二

        T氏のコメント
       私と編集委員会のやり取りを読んだT氏より、次の感想が寄せられた。
       「改めて驚きました。『論理の展開が会員の声の範疇を超える』に加えて『読者のとらえ方によっては風評や風説の流布にもつながりかねない』などと言われると``物理学会一般会員は読解力なき馬鹿者共だ” と 見下されているような感を抱かざるを得ません。
       また山田さんの投稿内容が『個々人の研究成果から全く合理性を欠いた物理の新理論の宣伝、あるいは物理と全く関係のない内容の勧誘など、さまざまな周知活動』の一種と見なされたとすれば これは甚だしい言いがかりだと思います。」




      追記1 弱いものを締め出す社会は弱くてもろい社会である

       最後に本題から離れるが、人権と民主主義に関する障がい者、老人など社会的弱者と社会の関係について付け加えたい。以下の文章は人権、民主主義がすべての人間にとって何よりも大切であることを示す経験や言葉であると思う。

      ・私は定年退職の最終講義の前日、たまたま『楽団あぶあぶあ』の演奏を聴いた。ダウン症や知的障害の人たちを演奏メンバーとする楽団である。京都コンサートホールいっぱいに集まった同じような聴衆が、演奏がはじまると、歓喜で飛びあがり、駆け回り、感動を表すのである。会場いっぱいの騒がしさである。私の前の席の多動症の子供も騒ぎ走り回るので、その子のお母さんは追いかけ、他の人に謝るのに大変であった。私はいつもおとなしいダウン症の子供たちの、このような生き生きとした表情と爆発的なエネルギーをはじめて知った。「一人の進歩がみんなの喜びに」がこの楽団のモットーであった。多動症の子どもの母親が謝らなくてよい社会に、子供がそのまま受け入れられる社会にしていこう。



      ・「弱いものを締め出す社会は弱くてもろい社会である。みんな仲間なのです。わたしが歩まなければならなかった、この最も悲しみに満ちた行路を歩む間に、私は人の心は全て尊敬に値すると知ったのであります。全ての人は人間として平等であり、そして万人はみな人間としての権利を持っていると教えてくれたのは、ほかならぬ私の娘でありました。…もし私がこれを理解する機会に恵まれなかったとすれば、私は自分より能力のない人に我慢できないあの傲慢な態度を持ち続けていたに違いありません。娘は私に人間とはなんであるかを教えてくれたのであります。」(パールバックさん、知恵おくれの子の母親)

      ・「被害者の苦しみや悲しみを共にしようとしない人々に伝えようとするとき、伝えようとする『環境汚染をなくし、それを生み出す社会を変えていこう』という考え方は『環境汚染によってもたらされる障害や病気は恐ろしいものだから、それを無くしていこう』という風に受け取られることが多い。なぜなら共に生きる、苦しむという視点がない限り、評価のみが一人歩きし、そのイメージのみが伝わることになるからである。」(真野京子、少人数ゼミパンフ1999年)

      ・朝日新聞(2005年5月12日)の投書欄に載った45歳の母親の言葉。
       「『普通じゃないのよ』その声に、熊手を持つ手を止めて数メートル先を見た。潮干狩りに興じている幼児2人を連れた若いお母さんの口から出た言葉だとわかると、振り向いて娘を見た。先月中学生になった娘には、重い知的障害がある。思春期のシンボルも現れ始めたその顔や手は、泥で汚れていた。そうか、子供から『あの人、大きいのに泥まみれで遊んでいるよ』 と質問され、それに答えたのだろう。母親もどう説明したらよいのかわからなかったのだろう。けれど、『普通じゃない』 という言葉は、幼い子供達をぴしやりと黙らせるのには効果があった。休日で天気もよく、おまけに大潮だったので、かなりの人で、にぎわったが、たくさんのアサリを持って帰ることができた。潮をふくアサリは、どれも同じものはない。色も模様も千差万別だ。まるで、他と違って当たり前と自己主張しているようだ。『普通』、『普通じゃない』 と分けられない社会になれば、その時がくれば私も娘を残す不安もなく死ねるかもしれないと思った。」

      ・2015年6月27日に開かれた大飯原発差し止め訴訟原告団総会で福島からの避難者を代表して、鈴木絹江さんは、原発からの避難が障がい者にとって如何に過酷なものであるかを自らの体験をもとに話された。障がい者は事故で真っ先に死ぬ、炭鉱におけるカナリアのようなものだと言われた。社会的な弱者を含めて共生する民主的社会においては、障がい者にとって、その生命と健康を破壊する緊急避難を必要とする原発は避難体制の問題以前に、本来人権と相容れないものであり、存在すべきでないのである。


      2015.08.30 Sunday

      核兵器を廃絶して歪められた放射線被曝の研究体制を正そう  沢田昭二

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        2015年8月

        核兵器を廃絶して歪められた放射線被曝の研究体制を正そう

        2015年8月
        沢田 昭二


        〖ここからダウンロードできます〗
        核兵器を廃絶して歪められた放射線被曝の研究体制を正そう(pdf,16ページ,1531KB)

         
         
        1.原爆被害隠蔽政策に歪められた放射線防護の研究体制
         
         多くの原爆被爆者が放射線による急性症状で悶え苦しんでいた1945年9月6日、マンハッタン計画医学部門の責任者であったトーマス・ファーレル准将は東京で記者会見した。原爆被害の惨状を目の当たりにした海外特派員たちが悲惨な状況について報道を始めたが、ファーレルは、報道によって原爆投下に対する国際非難が強まることを怖れた。彼は「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在、原爆放射能のために苦しんでいる者は皆無だ」と発表した(1)。放射線による影響を認めると、原爆による障害が広範囲に及ぶだけでなく、長期に継続して被爆者を苦しめていることで、核兵器使用の国際人道法上の違反が明白になる。ファーレルは、すでにマンハッタン計画の中の事故や人体実験を通して放射線被曝による人体影響について内部被曝も含めてかなりの知識を持っていたはずで、この記者会見が原爆被害、とりわけこれから取り上げる放射線による人体影響隠蔽の始まりとなった。さらに占領軍は原爆被害に関する報道規制を発令した。この米国の原爆被害隠蔽政策が、放射線被曝影響の全面的解明、とりわけ放射性降下物による内部被曝の影響研究の遅滞につながった。
         米国は1946年、全米X線ラジウム防護委員会に代って全米放射線防護委員会(NCRP)を設置した。NCRPの第二委員会は放射線内部被曝リスクに関する審議を担当したが、内部被曝に関する研究結果の発表は許されず、審議は1951年に打ち切られた。国際的に合意された放射線障害のリスクの基準を示すために、1950年に国際X線およびラジウム委員会の名称を変更して国際放射線防護委員会(ICRP)が発足した。ICRPの各委員会の議長をNCRPの対応した議長が兼ねたので、ICRPは米国の核兵器政策によって大きな制約を受けた。オークリッジ研究所の保健物理部長でICRPとNCRPの内部被曝委員会委員長を20年間務めたカール・モーガン博士は委員会は政治的圧力を受け続けたと著書で述懐している(2)
         1942年1月1日に結成された連合国は、日独伊枢軸国の軍事力を解体すれば第二次世界大戦後は武力行使のない平和な世界が実現できると構想し、勝利が確実になった1945年6月に武力行使を原則禁止する国際連合憲章を制定した。その一方、米国は第二次大戦後の世界では、力をつけてきたソ連を含め核兵器で脅して従属させる方策を立て、原子爆弾を急いで完成させ、日本の降伏直前に広島と長崎に相次いで投下した。核兵器による脅しに対抗してソ連も核兵器を開発し、核軍拡競争を背景にした米ソ冷戦の時代が始まった。この核脅迫政策はソ連崩壊後も続き、70年後の今も国連憲章に反する武力行使が続いている。核兵器による脅迫は最大のテロであり、テロ組織を非人道的だと非難するなら、核兵器を廃絶すべきである。
         核脅迫政策に対して、1950年のストックホルム・アピールの署名運動に始まって核兵器禁止と平和を求める世界世論は大きく発展し、核兵器独占を狙った核不拡散条約の再検討会議を核兵器禁止条約の交渉開始を求める足場に変え、国連事務総長と軍縮担当者、世界の圧倒的多数の国、世界中の自治体と市民の運動が連携して核兵器使用の非人道性に焦点を当てて、核脅迫政策にしがみつく勢力を追い詰めている。核兵器のない世界は放射線影響の全人類的視点に立つ科学的研究体制の基盤となる。


        2.ABCC-放射線影響研究所の疫学研究の欠陥
         
         米国政府は原爆放射線による被曝影響の隠蔽政策をとる一方、米ソ冷戦の中で、核兵器を使用した場合の放射線影響を知る必要に迫られ、トルーマン大統領の指示によって1947年に原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)を広島市と長崎市に設置した。大統領指示の背後には「原爆の効果によって生じた死傷者の研究について、日本で使用された二つの原爆の効果についての研究は、わが国にとってきわめて重要である。このユニークな機会は次の世界大戦まで再び得ることはできないであろう」と書いた軍医科学者の手紙がある。日本政府は1950年国勢調査の付帯調査によって原爆被爆者リストを作りABCCに渡した。ABCCは、広島市と長崎市に在籍する被爆者で寿命調査(Life-Span-Study、LSS)集団を設定し、死亡原因などの疫学調査を始め、さらに成人健康調査(Adult-Health-Study、AHS)集団を設定して健康調査も始めた。
         ABCCの調査と研究は、主として原爆爆発後1分以内に放出された初期放射線による外部被曝に重点を置き、原爆爆発1分以後に放出された残留放射線と呼ばれる放射線による影響は無視ないし軽視している。残留放射線には、初期放射線の中性子の吸収によって誘導放射化された物質から放出されたものと原子雲から降下した放射性降下物から放出されたものがある。前者は、大量に中性子線が照射した爆心地から一km以内に原爆の爆発後に入った被爆者にも影響を与え、後者は遠距離被爆者を含む原子雲に覆われた広い範囲に被曝影響を与えた。
         放射線影響の疫学研究には被曝線量の評価が必要になる。米国は核実験場に日本家屋を建てて初期放射線の遮蔽効果を調べ、爆心地からの距離ごとの被曝線量を求めて、暫定1957年線量評価(T57D)や暫定1965年線量評価(T65D)を作成した。これを用いてABCCは被爆者を初期放射線の被曝線量ごとに区分し、がんなどの死亡率や発症率の疫学研究を進めた。1975年、ABCCが閉鎖され、日米共同運営の放射線影響研究所(放影研、Radiation Effects Research Foundation、RERF)が発足したが、スタッフと初期放射線影響に重点を置く研究計画はそのまま引き継がれた。
         T65Dは長崎型プルトニウム原爆だけを用いた核実験に依存したため、ウランの広島原爆の被曝線量評価に大きな食違いがあることが判明した。大型計算機の登場によって原爆放出の放射線の伝搬計算が可能になり、原爆放射線被曝線量1986年評価体系(DS86)がつくられ、疫学研究の線量評価に用いられるようになった。
         被爆者の被曝影響に関する疫学研究では、本来全く原爆放射線に被曝していない非被爆者集団を比較対照群に設定して被爆者と比較すべきである(3)。ところがABCCとこれを引き継いだ放影研の疫学研究は、初期放射線被曝が無視できる遠距離被爆者と、原爆の爆発後に市内に入った入市被爆者を比較対照群としてきた。これは初期放射線だけの被曝影響を求めるABCCの設立方針に即している。ABCC-放影研が被爆者同士を比較している問題は、市民と科学者が協力して開催された1977年NGO被爆問題国際シンポジウムでも指摘された。このシンポジウムは被爆者の問題を自然科学、医学、人文・社会科学などの科学者が協力して全面的・総合的に解明し、核兵器使用の非人道性を世界的に明らかにすることにつながった。
         放影研の疫学研究における比較対照群の問題を1983年最初に科学的に明らかにしたのがブレーメン大学のインゲ・シュミッツフォイエルヘーケ教授である。彼女は、NGO国際シンポジウムの報告を聞いたことをきっかけに、放影研のLSS集団の比較対照群とされていたT65Dの初期放射線被曝90ミリグレイ(4)以下の遠距離被爆者集団と入市被爆者集団の各種障害の発症率と死亡率を日本人平均と比較して、図1に示す相対リスクを求めた(5)。破線の左側が死亡の相対リスク、右側が発症の相対リスクで、黒丸の0-9 radグループが遠距離被爆者(初期放射線被曝9ラド=90ミリグレイ以下)、白丸の市内非滞在グループが入市被爆者の相対リスクである。全死亡や全疾病の相対リスクが一より小さいことは遠距離被爆者も入市被爆者も日本人平均より総じて健康であることを示している(6)。ところが呼吸器系のがん死亡の相対リスクや女性の乳がん、甲状腺がん、白血病の発症の相対リスクは1よりかなり大きい。このことは遠距離被爆者が放射性降下物による被曝影響、入市被爆者が誘導放射化物質からの被曝を示している。入市被爆者の白血病死亡の相対リスクが1より小さいが、放影研は1950年10月1日までに広島市と長崎市に転入した人たちを入市被爆者としており、シュミッツフォイエルヘーケ教授は原爆投下後30日以内に入市した人だけの白血病死亡を調べて、図1の早期入市者とした白丸のように2倍以上の相対リスクとなることを確かめた。彼女は放影研の比較対照群もかなり被曝していることを初めて科学的に明らかにした。しかし、彼女の論文は専門誌の審査によって掲載を拒否されたので、Health Physics誌のLetterとして発表された(5)


        図1 放影研の比較対照群の全国に対する相対リスク(シュミッツフォイエルハーケによる(5)


        3.DS86の原爆残留放射線の線量評価
         
         DS86は広島と長崎の爆心地からの距離ごとの初期放射線のガンマ線と中性子線の線量評価を与えるとともに、残留放射線に関する第6章が設けられている。この章は、放射性降雨によってもたらされ、土壌に浸透して、被曝後の火災雨や台風の洪水などで流失しなかった放射性物質が放出した放射線の測定結果を紹介している。こうした放射性物質が、その後の雨などで流出した可能性を述べる一方で、測定結果に基づいて被爆直後から将来にわたって放射性降下物から受ける累積被曝線量を計算して、その結果も記載している。これを放影研も日本政府も放射性降下物による最大の被曝線量であるとして、広島では爆心地から西方3〜4 キロメートルの高須地域の6ミリグレイ〜20ミリグレイ、長崎では爆心地から東方約3キロメートルの西山地域の240ミリグレイが放射性降下物による主な被曝線量で、その他の地域での被曝は無視できるとしてきた。この結果を、厚生省は「科学的」であるとして、被爆者の原爆症認定審査の基準における放射性降下物による被曝線量としてきた。2003年に始まった原爆症認定集団訴訟の判決において誤りを指摘されて連敗しても、厚生労働省と裁判において国側の証人や意見書を書く科学者は、今なおこのDS86の記述にとらわれ続けている。さらに第6章には、長崎の西山地域の被爆者から放出されるセシウム137由来のガンマ線を1969年と1981年にホールボディカウンターによって測定した結果を記述している。セシウム137の物理学的半減期は約30年であるが、体内に摂取したセシウムは新陳代謝によって排泄されるので生物学的半減期は約80日になり、放射性降下物の直接摂取による内部被曝線量は被爆24年後には何十桁も落ち、測定したのは測定1年以内にこの地域の作物などを通じて摂取したもので、被爆直後の放射性降下物からの被曝と無関係である。しかし、放影研も厚労省も放射性降下物による被曝影響を隠蔽する材料として利用し続けている。
         広島原爆では原子雲の中央部からの強い放射性降雨の降雨域は、爆心地から北西方向であることが被爆者からの聞き取り調査によって明らかにされている。図2は様々な調査の中で、最近の調査によっても裏付けられている増田善信による降雨域を示している。この強い放射性降雨域の主要部分は、被爆後に発生した爆心地から半径約2キロメートルにわたる広島市全域の大火災に伴って生じた激しい火災雨の降雨域と重なっており、放射性物質の大部分は火災雨によって流失した。川や池で魚や蛙が死んで浮いてきたという被爆者の証言は、火災雨の前の強い放射性降雨の影響を伝えている。また、9月と10月に台風が広島を直撃し、大洪水によって多くの橋が流失するなどの大災害を起こしたが、放射性物質の大部分も押し流した。己斐・高須地域は弱い放射性降雨域に相当し、火災雨があまり降らず、洪水の影響も小さかった地域である。
         仁科芳雄博士らが日本政府の命令で、原爆であることの確認のため八月九日に広島の28カ所の土壌を採取した。瓶に保存されていたこの土壌からの放射線を静間清博士らが測定した結果を、図2に1から28の資料番号を囲んだ円の大きさで示した(7)。日本政府や放影研が最大の降下物の線量であると主張するのは高須地域(図2の資料番号12地点)である。ところが、図2の資料番号7の地点(西大橋東詰め。放射線の強さを表す円は20分の1に縮小して示されている)は、資料番号12の地点の19倍の放射線を放出した。この地点では、その後の台風の洪水の後には強い放射線は測定されず、洪水後の測定では放射性降下物の線量推定ができないことを示している。


        図2 広島原爆の放射性降雨域(増田雨域)と仁科資料の放射線測定結果(7)

         長崎原爆はプルトニウム原爆であったため地中に残留したプルトニウムの測定によって放射性降雨域が明確にできる。その結果図3に示したように、爆心地から東約3キロメートルの西山地域に大量に放射性降雨が降り、西山地域から東に幅3?5キロメートルで伸びた帯状の地域が放射性降雨域になっている。広島と異なって、長崎では爆心地が長崎市の中心部よりかなり北にずれ、火災域は広島の4分の1以下で、放射性降雨によってもたらされた西山地域の放射性物質の火災雨による流失は避けられ、西山地域の測定値が広島原爆の10倍以上となったと考えられる。


        図3 プルトニウム測定による長崎原爆の放射線降雨域


        4.放射性降下物による被曝影響
         
         初期放射線に被曝した岩石や建造物の1990年頃からの物理学者たちの測定結果を統計学的に総合するとDS86の初期放射線の線量評価は広島も長崎も爆心地から1.5キロメートル付近より遠方では実測値に較べて系統的に過小評価になっていることが分かった。私はこの結果を日米合同ワークショップや放射線影響学会で報告するとともに、原爆症認定裁判に意見書として提出し、証言をおこなった。この裁判で勝利した原告は長崎の爆心地から南方2.45キロメートルの屋内で被爆して脱毛を発症しており、裁判で証言した被爆者たちも爆心地から南方2.8キロメートル前後で脱毛を発症していた。初期放射線の過小評価を実測値に即して是正しても、脱毛などの急性症状が発症していることは説明できない。長崎の爆心地から南方地域には強い放射性降雨が認められていないので、この地域の被曝影響は、放射性降下物の降雨以外の影響を考えざるを得ない。
         原爆の核分裂の連鎖反応で生成された放射性物質は、連鎖反応が終わる100万分の1秒以内では、まだ飛び散っていない原爆容器の中に閉じ込められていた。連鎖反応で放出された大量のガンマ線を吸収した周辺大気はプラズマ状態の火球となり、火球の急上昇に伴って火球の中央部にあった放射性物質も急上昇して急冷却し、放射性微粒子になった。この放射性微粒子が大気中の水分を吸着して水滴の核になり、原子雲をつくった。原子雲の中央部は上昇する勢いが強く、地上約1万メートルの対流圏と成層圏の境界の圏界面を突き破って成層圏に達したが、雨滴の密度も濃く合体して雨滴は一層大きくなって放射性降雨として地表に降下した。他方原子雲の周辺部の雨滴は小さく圏界面に達すると上昇力が得られないので、下からの上昇気流に押されて水平方向に広がった。小さい雨滴の大部分は降下中に水分を蒸発させて元の放射性微粒子になり、広がった原子雲の下に充満した。この放射性微粒子が原子雲の下の広い範囲の被爆者に内部被曝をもたらした。火球の膨張で火球表面に生成した高圧の衝撃波が伝搬して爆心地の地表に達し、地表に反射した衝撃波の圧力と合体して、爆心地から外向きにマッハ軸と呼ばれる強い衝撃波がつくられ、その衝撃波の圧力と大気圧の圧力差によって原爆の爆風が形成された。従って放射性物質は原爆の爆発では飛び散らなかった。
         放影研は2012年12月に「黒い雨」に逢ったかの質問にNoと答えたLSS集団とYesと答えた集団(回答総数8万6671人)の固形がんと白血病の死亡率を比較して、両集団の間に差が認められなかったので「黒い雨」の被曝影響がなかったと発表した。しかし、これは被爆者同士の比較で、広島では放射性降雨地域と放射性微粒子による被曝地域に差がないことを示しているにすぎない。LSSには、長崎の「黒い雨」地域は旧長崎市内の爆心地からほぼ東側の地域(爆心地から北東1.5 kmの本原町、2.5 kmの三川町、東3 kmの西山地域など)に限られており、ここでは有意に固形がん過剰死亡リスクが30パーセント高くなっていることは、この地域に降下した大量の放射性微粒子の摂取とともに地上に蓄積した放射性降下物を継続的に摂取した影響を示している。
         LSSの初期放射線被曝線量五ミリグレイ以下の広島の遠距離被爆者49人の臼歯が放射性降下物からのガンマ線によって外部被曝した線量を電子スピン共鳴法で測定した結果が2011年放影研の平井裕子らの論文として発表された(8)。爆心地から西南西から北にかけての北西方向の2.826から3.491キロメートルの「黒い雨」地域の4人の臼歯の被曝線量が最高295ミリグレイ、平均で127ミリグレイだったのに対し、「黒い雨」が降らなかった爆心地の南から東の方向の2.75キロメートル以遠で300ミリグレイないし550ミリグレイまでの被曝をした人が5人いた。これは「黒い雨」の降った地域よりも降らなかった地域の放射性降下物による被曝が大きかったことを示している。これは遠距離被爆者の周りに放射性微粒子がかなり漂っていて、こうした微粒子を体内に摂取すると、透過力の弱いベータ線などの放出による深刻な内部被曝が予想され、後に述べる急性症状の発症率から求めた遠距離被爆者の内部被曝を裏付ている。

        表1 1963年?2003年の固形がん死亡数、死亡率および超過相対死亡リスク(放影研)

        No:「黒い雨」に逢わなかった、Yes:「黒い雨」に逢った、 Unk.(Unknown):不明。

         ABCCは1950年前後にLSS調査集団について急性症状発症の調査をしている。図4に示したように、他の多くの調査と同様に、初期放射線がほとんど到達しない爆心地から2キロメートル以遠においても脱毛の発症を示している。ところで、放影研も厚労省も、初期放射線の到達しない遠距離における急性症状は、原爆放射線以外の原因であり、脱毛は精神的ショック、下痢は当時の悪い衛生状態によるとしている。しかし、当時日本各地の都市は米軍の空襲で焼け野原になり、精神的な衝撃を受けたにもかかわらず、1000人・100人規模での脱毛や下痢の発症は広島・長崎以外では見られず、精神的影響による円形脱毛は放射線被曝による脱毛とは明らかに異なり、発症率が爆心地からの距離に応じて系統的に減少していることは放射性降下物による被曝影響以外に説明できない。


        図4  広島の爆心地からの距離による全脱毛発症率

         2012年6月、訪日したシュミッツ・フォイエルハーケ教授らと「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の役員と共に放影研を訪問し、副理事長と疫学部門の代表と2時間余り懇談した。その時私は放影研がABCCの各種の急性症状を含む詳細な調査資料が、まだ十分精査されないまま保管されていることを確認した。こうした資料を、問題意識を持って詳細に研究すれば内部被曝を含む放射線による人体影響についてのさまざまな知見を見出すことが出来るであろうと伝えた。
         動物実験によって放射線による急性症状の発症率は被曝線量に関する正規分布をしていることが知られている。私は実際の被爆者の脱毛発症率調査として、放影研のD. O. ストラムとS.水野が、重度脱毛(3分の2以上の脱毛)発症率は原爆の初期放射線被曝によると仮定して、ABCC調査の重度脱毛発症率とDS86の初期放射線被曝線量との図5の黒丸●で示した関係を検討した。重度脱毛発症率は被曝線量3グレイまではほぼ正規分布を示していたが、3グレイ以上では70%程度から横這いになって増加せず、5グレイ以上では減少している。これはLSSが、1950年10月1日の国勢調査の付帯調査の全国の被爆者調査の中で広島市と長崎市に戸籍のある被爆者を選んで設定したために、被爆後5年以上の間に死亡した人が含まれていないというバイアスが脱毛発症率にも現れたと考えられる。ストラムと水野はDS86の初期放射線量を用いているので、遮蔽効果を無視して、DS86を用いてストラム水野の重度脱毛発症率を爆心地からの距離による変化になおして図6に示した。


        図5 ストラム・水野の重度脱毛発症率と食放射線被曝線量の関係(●)と
        京泉らのX線被曝と脱毛率()および全脱毛発症率と全被曝線量(


         またストラムと水野は重度脱毛は初期放射線被曝だけで起こると仮定したが、図5に示されているように、正規分布に較べて1グレイ以下の立ち上がりが早いという不自然な振る舞いをしている。これは、放射性降下物による1グレイに近い被曝影響を考慮すべきことを示している。こうしたことを考慮して、初期放射線被曝と放射性降下物による被曝の両方を考慮して、軽度と中程度の脱毛も加えた全脱毛発症率を考えると図6の□印と◆印の開きがほぼ放射性降下物による被曝であることを考慮して、図5において黒丸印●で示したストラム・水野の重度脱毛は赤いに移動すると推定される。


        図6 ABCC調査によるLSSの脱毛発症率(印)とストラム・水野による重度脱毛発症率(◆印)。

         放影研の京泉誠之らが免疫機能を除去したマウス22匹に死亡した5人の胎児の頭皮を移植してX線を照射して被曝線量と脱毛率(脱毛した頭髪の本数の割合)の関係を求めた結果を図5の赤い印で示す。胎児数は5人と少なかったが、脱毛率は被曝線量についてほぼ正規分布を示しており、全脱毛発症率と全被曝線量の関係を示す赤い印と3グレイ以下ではよく一致している。脱毛率がゼロであれば多人数の調査による脱毛発症率もゼロであり、発症率が正規分布であれば、脱毛率が100%に近づけば調査した発症率も100%に近づくと考えられる。そこで放射性降下物による被曝を考慮して、重度から軽度までを含む全脱毛発症率を京泉らの求めた脱毛率とX線被曝線量の関係を表す正規分布を求めて、これを用いてABCCの求めた全脱毛発症率を解析することにした。
         マウスを用いて京泉らが求めた被曝線量と脱毛率の関係を表す正規分布は平均値2.751 グレイ、標準偏差0.794 グレイのN(2.751グレイ,0.794グレイ) であるこことになり、これを用いてABCCの調査した全脱毛発症率を解析して広島原爆の初期放射線による被曝線量と放射性降下物による被曝線量を求めた。その結果が図7である(9)


        図7 ABCCのLSS脱毛発症率に基づく広島原爆による被曝線量

         初期放射線による被曝線量は爆心地からの距離とともに急激に減少し、爆心地から1.2キロメートルの地点で放射性降下物による被曝線量と交差し、それより遠距離では放射性降下物による被曝線量が圧倒的になり、爆心地から5?6キロメートルでは放射性降下物による平均的被曝線量は約 800ミリグレイの一定値となることがわかった。日本政府や放影研が主張する高須地域の放射性降下物による被曝線量の40倍ないし130倍である。
         2012年10月に広島大学原爆放射線医科学研究所(原医研)の大瀧慈教授らは、広島県居住の被爆者を広島県民の非被爆者を比較対照群にした研究において、爆心地から1.2〜2.0キロメートルの距離に亘って被爆者の固形がん過剰死亡リスクが約20%と、ほぼ一定値となった。これは、この被爆距離で約20分の1に減少する初期放射線被曝では説明できず、大瀧教授らは70%以上の確率で初期放射線以外によるとした。この結果は、脱毛発症率など急性症状の発症率に基づいて、爆心地から1.2キロメートル以遠では放射性降下物による被曝影響が初期放射線を上回っているという結果と一致している。
         放射性降下物による被曝影響が主に内部被曝によることは、下痢の発症率と脱毛や紫斑の発症率と比較すると明らかになる。図8は、於保源作医師の調査結果の中で、屋内被爆者で三ヶ月以内に爆心地から1キロメートル以内に出入りしなかった被爆者の脱毛、紫斑(皮下出血)、および下痢の爆心地からの被爆距離ごとの発症率である。初期放射線による被曝線量が大きい爆心地から一キロメートル以内では、下痢の発症率が脱毛や紫斑の発症率より小さく、放射性降下物による被曝が主になった1.5 キロメートル以遠では脱毛や紫斑の発症率の3〜4倍である。これは、まばらな電離作用のため透過力の強い初期放射線による外部被曝では薄い腸壁細胞に損傷を与えて下痢を発症させるためには高線量でなければならないのに対し、遠距離では放射性降下物を呼吸や飲食で体内に摂取し、集中した電離作用のため透過力の弱い放射線が腸壁細胞に接して集中して電離作用を起こす内部被曝によって腸壁細胞が容易に損傷することによって説明できる。さらに被曝線量と発症率の関係を与える正規分布を用いて、図8の脱毛(□印)、紫斑(○印)および下痢(△印)の3種の急性症状の発症率の爆心地からの距離による変化にフィットする曲線を与える初期放射線量と放射性降下物の被曝線量を求めると、3種の急性症状共にABCCの脱毛発症率から求めた図7の被曝線量とほぼ一致する被曝線量が求まった。このことは脱毛も紫斑も放射性降下物による遠距離被曝が主に内部被曝であることを示している。
         このようにして急性症状の発症率にもとづいた英文論文を専門誌に投稿したところ、政治的とか、掲載すると放射線影響の研究分野に大混乱が起こると掲載を拒否された。ようやく英文論文は専門誌『社会医学研究』に掲載された(9)


        図8 於保調査による広島の屋内、爆心地出入りなしの被爆者の脱毛、紫斑、下痢の発症率

         長崎の爆心地から5キロメートル以内を被爆直後の長崎医大調査、5キロメートル以遠を長崎市と長崎県が1999年に行った爆心地から12キロメートル以内の原爆手帳未支給地域で被爆した人々の調査から、広島と同様の被曝線量と急性症状の脱毛、紫斑、下痢の発症率の関係を表す正規分布を用いて長崎原爆の被曝線量を求め図9に示した。広島と同様、爆心地から1.2キロメートル以遠では放射性降下物による内部被曝線量が初期放射線による外部被曝線量を上回った。爆心地から5?12キロメートルの放射性降下物による平均的被曝線量はほぼ一定値の約1200ミリグレイとなった。これは広島原爆の放射性降下物による被曝線量の約1.5倍で、長崎原爆の爆発威力が広島原爆の1.4倍、爆弾容器の誘導放射化物質の量が長崎原爆の方が多いこと、核分裂しないで残されたプルトニウム239の方がウラン235より放射能が強いことで説明できる。


        図9 急性症状発症率から求めた長崎原爆による放射線被曝線量

         このような放射性降下物による被曝影響を無視して遠距離被爆者を実質上比較対照群にiしている放影研の疫学研究の結果に依拠したICRPの放射線防護基準を内部被曝が主要な被曝影響である原発事故の被曝影響の評価に適用すると大きな疑問が生まれるのは当然である。福島原発事故による被曝は、原爆の放射性降下物による被曝と類似性があるが、原子雲の下にいた被爆者は爆心地から10キロメートル程度の距離でも、原子雲の雨滴に運ばれた放射能がまだ強い時間内に放射性降下物を摂取して、放射線感受性の強い1%程度の被爆者に脱毛などの急性症状を発症させた。これに対し、福島原発事故によって放出された放射性物質の量は原爆が放出した放射性物質の数100倍であったが、大量に放射性物質を放出した2号炉の事故が連鎖反応停止後4日を経過して放射能が弱くなって放出されたためと、原爆の場合より遥かに広い地域に飛散したので、急性症状の脱毛を発症するほどの被曝をした住民はきわめて限られてい る。そこで福島原発事故による被曝影響は、急性症状よりも晩発性障害の発症が懸念の中心となる。放射性降下物の被曝影響を無視した研究によって内部被曝の研究が大幅に遅れているが、これをカバーした原発事故からの放射線防護体制を準備しなければならない。しかし、福島原発事故以来、政府の放射線防護に拘わっている科学者は、100ミリグレイ以下では晩発性のがんなどの発症は確認されていないので、心配ないという発言をくり返している。しかし、これは専門科学者として不勉強である。10ミリグレイ程度の被曝でがんの発症の増加を示す論文は最近急速に増えている。例えばカナダのマギル大学の心筋梗塞患者8万2861人に対するCTなどX線照射によるがん発症の過剰相対リスクは10ミリグレイで2.8%でそれ以上では直線的に増加することを明確に示している。


        おわりに
         
         原爆被爆者に関する多くの調査があり、科学者はこれら被爆実態を示す貴重な資料から、近年急速に発展している分子レベルでの医学的・生物学的研究と合わせ、内部被曝の機構を含む科学的な研究を発展させることが求められている。しかし、今なお真面目に被曝影響の研究をしている多くの医学者や科学者は、ICRPや原子放射線の影響に関する科学委員会(UNSCAER)の放射線防護基準の欠陥に気づいていない。
         世界世論の高揚が、今日では核兵器禁止条約の交渉開始を求める大きな潮流になって、核兵器保有国を追いつめている。核兵器禁止条約が実現すれば、核不拡散条約の下で、世界中に放射線被曝の危険性をばらまくIAEAの原発推進政策の矛盾が浮かび上がる。こうして科学者が放射線被曝の実相、とりわけ内部被曝の危険性について科学的解明を進め、市民との共同によって、人類社会が核兵器も原発もない、放射線被曝に脅かされない世界への展望が開けると期待している。


        1) 高橋博子著『封印されたヒロシマ・ナガサキ』凱風社、(2008)。
        2) カール・モーガン、ケン・ピーターソン著、松井、片桐訳『原子力開発の光と影』昭和堂(2003)。
        3) 放射線被曝の疫学研究において被爆者の被曝に起因する障害の発症率や死亡率を被曝していない集団を比較対照群としてその発症率や死亡率との比をとって相対リスクを求めたり、これから1を引いて過剰相対リスクを求める。比較対照群として遠距離被爆者と入市被爆者を選ぶならば、過剰相対リスクの計算では、残留放射線による被曝影響は差し引かれて、初期放射線による被曝影響だけが残る。それだけでなく相対リスクの分母の比較対照群の発症率や死亡率が大きくなるので相対リスクや過剰相対リスクの過小評価をもたらす。
        4) 放射線の強さはグレイ(Gy)という吸収線量で表す。これは1 ?の組織が放射線から吸収するエネルギーが1ジュールのとき1 グレイとする物理学的単位である。約4グレイを半致死線量と呼び、この線量を浴びるた半数が60日以内に死亡する。1ミリグレイは1グレイの1000分の一である。福島原発事故後はシーベルト(Sv)という線量当量で表すことが多いが、これは放射線の種類や被曝組織など人体影響の影響の違いを修正係数で表してグレイの値に乗じて求め、被曝影響をX線被曝による被曝線量に対応させる。内部被曝にたいしてはシーベルトは未確立と考えられる。
        5) Inge Schmitz-Feuerhake、 Health Physics、 44、 693-695 (1983)
        6)被爆者のがん発症の相対リスクは大きいが、死亡の相対リスクが1より小さいのは、被爆者健康手帳を支給され、無料の被爆者検診を定期的に行ってきたことによる。
        7)Kiyoshi Shizuma, et. al., 137Cs Concentration in Soil Samples from Early Survay of Hiroshima Atomic Bomb and Cumulative Dose Estimation from the Fallout, Health Physics, 71, 340-346(1996).
        8)Yuko Hirai, et. al., Electron Spin Resonance Analysis of Tooyh Enamel Does Not Indicate Exposures to Large Radiation Doses in a Large Proportion of Distally-exposed A-bomb Survivors, J. Radiat. Res., 52, 600-608(2011).
        9) Shoji Sawada、Estimation of Residual Nuclear Radiation Effects on Survivors of Hiroshima Atomic Bombing、 from Incidence of Acute Radiation Disease 『社会医学研究』29巻1号47-62、 (2011)。
        2015.08.20 Thursday

        原発再稼働の経済と政治――経済産業省専門家会議「2030年度電源構成」の分析と批判 (4−6章・参考文献)

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          2015年7月
           
          原発再稼働の経済と政治
          ――経済産業省専門家会議「2030年度電源構成」の分析と批判
          (4−6章・参考文献)


          渡辺悦司
          2015年7月17日


          〖ここからダウンロードできます〗
          原発再稼働の経済と政治――経済産業省専門家会議「2030年度電源構成」の分析と批判(78ページ,1877KB,pdf)


          〖参照〗 (1−3章)
          原発再稼働の経済と政治――経済産業省専門家会議「2030年度電源構成」の分析と批判(1−3章)



          第4章 核武装の準備としての原発と再処理・核燃料サイクル、
             原発再稼働と軍国主義の不可分の結びつき、
             日本における民主主義の危機の現れの1つとしての再稼働


             1.原発問題は軍事問題である

           前に引用した『ダイヤモンド』誌のインタビュー記事の後半も興味深い。

          (西川)過去にさかのぼって資料を調べれば調べるほど、原発問題の行きつく末は軍事問題なのだということがわかる――と西村さんは言う。?
          (西村)「1954年に保守3党から最初に原子力予算が提出されたとき、中曽根康弘氏ら中心メンバーは『原子兵器を使う能力を持つことが重要』という意味の言葉を述べています。また、1969年にまとめられた『わが国の外交政策大綱』には、当面核兵器は保有しないが、核兵器を作るためのお金や技術力は保っておくべきである、と書かれているんです」。
          (西川)プルトニウムを保有することの良し悪しは別として、西村さんは「これ以上のプルトニウム製造は、安全保障の面から見ても必要ないはず」と言い切る。?
          (西村)「すでにフランスやイギリスで再処理し、(国内に)保管してある日本のプルトニウムの量は、核兵器数千発分に相当します。だから国際的に見れば、日本は"準核保有国"という位置づけなんです」。


           この記事は極めて重要であって、安倍政権と財界中枢が原発に固執する経済以外の理由、政治的軍事的理由を明らかにしている。核武装の準備、その物理的条件の確保、その前提として「準核武装国」の地位の維持――これこそ原発再稼働と原発推進の隠された秘密である。
           今回の政府案のベースとなった日本経団連の文書「新たなエネルギーミックスの策定に向けて(概要)」は、「エネルギーミックスの中に原子力を明確に位置づけ、核燃料サイクルを着実に推進することは、日米原子力協定を円滑に延長し、世界の原子力平和利用に貢献するためにも重要」であると露骨に書いている。(文献8)。
           プルトニウムの抽出を含む再処理が国内で可能な現在の日本の「準核武装国」としての地位は、ここに言及されている日米原子力協定によって与えられており、その期限は2018年で切れる。韓国などは日本にだけこのような地位を与えることに反対している。この改訂交渉のためにも原発を稼働し、核燃料サイクルを推進しておかなければならないという発想は、日本の独自核武装カードを保持し続けるという意図の露骨な表明であり、安倍政権が進めている安保法制・集団的自衛権の行使容認と一体のものである。
           アメリカ支配層の一部で、日本の核武装によって中国に対抗していく可能性が検討されていることは、日本経済新聞に掲載されたアーサー・ウォルドン氏(ペンシルベニア大学教授)の論説にはっきり示されている(2014年3月7日付)。同氏は、中国の核戦力および通常戦力が今後10年間さらに強大化すれば、日本が攻撃された場合に米国が核兵器によって日本を防衛することはできなくなるであろうという見通しを述べ、日本のミサイル迎撃システムも中国の核兵器に十分には対抗できないであろうと書いた後、次のように言う。「その問題に対する答えは困難だが、極めて明確だ。中国は脅威であり、米国が抑止力を提供するというのは神話で、ミサイル防衛システムだけでは十分でない。日本が安全を守りたいのであれば、英国やフランス、その他の国が保有するような最小限の核抑止力を含む包括的かつ独立した軍事力を開発すべきだ」と結んでいる。日本に核武装の検討を公然と促す主張を、アメリカの専門家によって書かれたものではあれ、日本財界に最も近い有力紙日本経済新聞が掲載したことは、極めて意味深長である。それは、日米支配層の間で、中国の核戦力に対抗する手段として、日本の核武装という選択肢が本格的に研究され検討されていることを示す証拠の一つである。多くの場合、日本の核武装は、安倍現首相も含む一部の右翼的政治家の失言やブラフとだけ見られているが、その危険性を決して軽視してはならない。現在問題になっている戦争法制を阻止しなければ、原発再稼働を阻止しなければ、次には核武装が前面に出てくる危険が十分ありうるということであり、決して警戒を怠ってはならない。

             2.現在問題になっている戦争の性格

           重要な問題は、現在の安倍政権が強行しようとしている「戦争法制」における「戦争」の「仮想敵国」はどこか、実際に想定され準備されつつある戦争は社会経済的に見てどのような性格の戦争か、という点である。まず、仮想敵国が第1には中国であり、さらにはロシア、北朝鮮、イラン、またテロリストと一括されている武装集団であることは明らかである。想定されている戦争は、大きく分けて2つである。
           第1は、イランや中東諸国や北朝鮮など、さらにはテロリストを口実とした途上諸国に対する帝国主義的・植民地主義的な侵略戦争である。独占資本主義の基礎の上では、資本輸出によって蓄積され、世界的規模に拡大してきた海外権益が存在すれば、それを武力によって防衛しようとする衝動が生まれるのは、必然であり、それがこのような戦争の基礎にあることは明らかである。日本は、自国だけではできないこの機能を、アメリカやその他の国と協力して、アメリカの下請けとして、積極的に果たそうとしているのである。だがこれだけではない。
           第2は、中国およびロシアを主敵とする世界的覇権と勢力圏の維持・再分割のための戦争である。中国はその経済力の強大化に見あう勢力圏を要求する形で、ロシアは社会主義崩壊時に米欧に奪われ失った勢力圏を取り返す形で、世界の勢力圏の再分割を求めようとする野望が出て来るほかない客観的立場に置かれている。これは今まで支配してきたアメリカ・欧州・日本などの利害と直接に衝突する。このような利害対立がどの当事国にとっても帝国主義的性格を持つことは明らかである。しかも現段階の特徴は、この再分割の対象には領土が直接的な形で含まれていることである。経済的分割とは違って、領土の再分割は、クリミアやウクライナ東部の例で明らかなように、武力によって軍事的にしか行うことができず、それは他の当事国との戦争に転化する可能性が極めて高い。
           現在アメリカがアジアにおいてまた世界的規模で準備し日本がその一翼を担おうとしているのは、第1の戦争だけではない。第2の戦争、世界支配と世界的勢力圏の帝国主義的再分割をめぐる、中国・ロシアに対する全面核戦争あるいは全面核戦争に転化する可能性が高い局地的戦争もそうである。自衛隊をそのための米軍配下の「下請け」部隊に変えてしまうことが、「安保法制」と現に進んでいる日米防衛協力(さらにはオーストラリア、フィリピン、インドなどとの軍事協力)の真の目的である。その目下の焦点の1つは、中国との間での南シナ海の領土的経済的軍事的な分割である。自衛隊と米軍およびフィリピン軍の共同哨戒訓練がすでに始まっている。これが中国との直接の軍事的対立に導くであろうことは明らかである。
           現在表に出ている「戦争法制」と「集団的自衛権」は、次には「憲法改悪」「徴兵制」に、さらにはアメリカの軍事力が相対的に弱体化するような場合には西川・西村両氏の警告する「日本の核武装」となってエスカレートしていくであろうことは、すでに明白である。
           また三菱グループを想起すれば明らかなように、日本の主要原発企業は、同時に軍需企業集団であることを忘れてはならない。

             3.原発輸出による新興国への核兵器拡散の危険性

           日本の原発企業は、新興諸国や途上国に対して大々的に原発を輸出しようと計画している。それには原発事故時の日本政府による(したがって日本国民の税金による)補償条項が付いている点が問題視されている(文献44など)。われわれは、さらにこの点に加えて、もし新興国への原発と核技術の輸出が実施されるならば、核武装を狙っている諸国への核兵器の拡散につながりかねず、世界的な核戦争の危険を高める結果になりかねない点を強調したい。
           最近、新興国への核拡散の危険の切迫度を端的に示す事例があった。アメリカ・欧州は、イランとの間で、イランのウラン濃縮の権利を認め、読みようによっては「8〜15年後」のイランの自由な核開発すなわち核武装を容認したとも解釈される核協定を締結した。このことと関連して元米国国連大使ジョン・ボルトン氏は「サウジ、トルコ、エジプトが核兵器が不可欠と結論づけ」「(中東における)核軍拡競争が始まった」と警告したと報道されている(読売新聞2015年7月15日付)。三菱グループは、安倍首相の直接の後押しを受けて、仏アレバと共同で、トルコに原発を輸出することに決まっているが、これがトルコの核武装の物的準備を促す危険性は極めて高いといわざるをえない。

             4.軍国主義に内在する自滅的性格

           よく知られているように、軍国主義は内在的に、すなわちそれが何らかの外的な力で抑え込まれることがないならば、不可避的に戦争に向かって突き進み、軍事的な敗北や泥沼あるいは社会経済的崩壊などの決定的な破局に陥るまで止まることができないという一種の自滅的傾向をもっている(文献47)。明治維新後の征韓論から始まり日清・日露戦争を経て太平洋戦争での軍事的敗北と無条件降伏にいたる歴史を振り返ってみても、このことは明らかである。
           近年目立って活発化している日本の軍国主義は、決して日本が経済的金融的に成長・強化されつつありそれを基礎にして顕著に前面に出てきているのではない。むしろ反対である。確かに日本の独占体は対外進出を遂げ、世界の経済的分割に深く関与するようになっている。だが、日本の長期的経済停滞と最近の円安によって、日本の国際的な経済力は大きく削がれている。IMFの統計によれば、日本と中国のGDPを名目で比較すると、日本は2009年に中国に抜かれて以降、2014年には中国の半分以下になっている。日米比較では、日本は1990年代半ばにはアメリカの7割程度であったが、2014年には4分の1程度にまで低落している。購買力平価では、日本はすでにインドにさえ抜かれて世界の4位に転落している。このような日本の急速な経済的衰退とそれに対する危機感・焦燥感こそが、軍国主義的傾向をいびつな形で強めているのである。
           軍事的にも日本は、中国の軍事的台頭によって、1980年代ごろまで有していた東アジアにおける通常兵器における軍事力の優位を失って久しい。最近の「集団的自衛権」や「歴史問題」などをめぐる政府や自民党の首脳たちの「勇ましい」発言などもまた、決して日本の軍事的地位の強さの証明ではない。これも反対である。軍事ジャーナリストの福好昌治氏は、自衛隊筋に近い軍事雑誌『軍事研究』において、改訂された日米ガイドラインを詳しく分析して次のように結論している。「アメリカは対テロ戦争で疲弊した」「新ガイドラインで日米同盟のグローバル化が打ち出されたものの、肝心のアメリカの力が陰りを見せ始めた。だからといって日本がアメリカに替わるグローバルパワーにはなれないし、アメリカもそれを望んでいない、むしろ警戒している。」「日本が(とくに尖閣問題をめぐって)対中抑止にアメリカを巻き込もうとしているのに対し、アメリカは(日中間の)余計な紛争には巻き込まれたくないと考えている。日本は自衛隊の役割を拡大しようとしているが、アメリカは日本防衛への関与を後退させている。日米の思惑には微妙な相違がある」と(文献47)。この発言は、中国による占領の危険にさらされている尖閣列島の防衛へのアメリカの政治的軍事的協力と引き替えに、「集団的自衛権」容認による世界的規模での自衛隊の米軍下請け部隊化が、日米間で取引された可能性を示唆している。このように日本が経済的にのみならず軍事的にも後退局面にあり追い込まれて行っていることが、安倍政権が進める日本の冒険主義的軍国主義をより危険で自滅的な性格を強めているということができる。

             5.日本の民主主義全体の危機の一環としての原発再稼働

           すでに指摘したように、現在始まろうとしている原発の大規模再稼働の計画は、対米従属の一段の強化の下での日本軍国主義の急速な台頭と不可分に結びついているだけではない。またそれは、憲法学者のほとんどが憲法違反として反対しており憲法違反が誰の目にも明らかな安保法制を政府がごり押しすることによって顕在化している日本の民主主義全体の危機、立憲主義そのものの危機の一環でもある。原発をおよそ20年周期で福島的事故を引き起こし住民と国民全体を被曝させる想定を持って再稼働することは、憲法の保障する人権、人格権の公然たる蹂躙であり、明確な憲法違反である。国民の大多数が反対しても、政府が決めたことだから「粛々と」強行するという意味でも、安保法制、沖縄の辺野古基地建設などと同じく民主主義の公然たる否定である。この意味で、原発再稼働に反対する闘いは、民主主義と憲法・立憲主義を守る闘争の一環である。
           安倍政権を先頭として軍国主義を進めようとしている勢力は、原発の大規模再稼働を推し進めようとしている勢力と一体化している。それには公明党・創価学会の指導部も含まれる。軍国主義に内在するこの自滅的傾向は、原発の再稼働計画にも反映して、原発推進自身のもつ自滅的傾向と一体となり、その危険性を異常なほどに高めている。この二つの自滅的傾向の結合こそ、原発再稼働をめぐる政府・財界の議論における思考の異常な「倒錯」「転倒」や「狂気」「狂信」の物的な基礎である。原発の大規模再稼働において示されている自滅的・自殺的傾向は、日本の軍国主義に必然的に内在する自滅的傾向と一体のものなのである。安倍政権と支配層は、このように戦争・核戦争によると同時に原発事故・放射線被曝とによる自滅に国民を無視やり巻き込もうとしているのである。
           「原発事故で被曝しても安心」「福島事故では何の健康被害もない」「被害を言うものは風評をばらまくものだ」という現在行われている政府・原発推進勢力のキャンペーンは、安倍的な戦争路線が進んでいけば、次の段階では「核戦争による放射性降下物があっても大丈夫」「死の灰で被曝しても安心」「核兵器を使っても問題ない」という性格に変化していく危険性がすでに見え隠れしている。被曝安心キャンペーンには、核兵器にも原発にも反対していると称する野口氏ら「放射線被曝の『理科・社会』」のグループも巻き込まれているが、彼らは、この傾向が、核戦争を肯定する恐るべき毒芽を宿している(毒牙を隠しているという方が適切かもしれない)ことに、本当に気が付いていないのであろうか。きわめて深刻な事態である。


          第5章 風力・太陽光を基礎とした電力技術革命、その世界的進展、
              その中で再生可能エネルギーの導入抑制を基礎に原発を大規模再稼働する意味について


           すでに述べたように、政府の2030年度電源構成案の電源構成は、原発の最大限での再稼働の障害となる再生可能エネルギー導入の推進を阻止するという内容である。このことの技術的・経済的意味を考えていこう。そのためには、その前提として、再生可能エネルギーをめぐる技術的・経済的状況を検討することが必要不可欠である。
           政府案に規定されている「再生可能エネルギー」には、いわゆる風力、太陽光、地熱、小規模水力などにとどまらず、旧来からの水力や一般に火力に分類されているバイオマスなども含まれている。ここでは、風力、太陽光、地熱、小規模水力を含む水力を「自然エネルギー」、そのうち風力と太陽光を国際エネルギー機関(IEA)に従って「変動性再生可能エネルギー(Variable Renewable Energy、以下VREと略記)」、自然エネルギーにバイオマスを加えたものを政府報告書どおり「再生可能エネルギー」と呼ぶことにする。
           現代の特徴は、風力と太陽光などVREを基軸とした電力技術全体の革命が世界的規模で現に進行中であり、VREを中心として電力系統を構成することが技術的にもコスト的にも可能になっただけでなく現実に実用化が進んいるという事実である(文献14、20〜24)。もはや再生可能エネルギーや自然エネルギーの最大限の利用は「将来の理想」ではない。「現実に生じている電力革命」なのだ。

             1.風力・太陽光発電を基軸とする電力技術革命の進展

           政府や財界首脳達は、自然エネルギーの変動性は「技術的に克服できない」「ベースロード電源にはならない」という後ろ向きの、その意味で反動的な、しかも虚偽の主張にしがみついている。しかし、政府の電源構成案は無視しているが、世界では、自然エネルギーをめぐる革命的な技術革新が現在急速に進行中である。すなわち、①自然エネルギーによる発電と蓄電池システムとの結合、②自然エネルギーによる発電の天候予測システムとの統合、③電力系統(送電網)への接続管理システム、がすでに実用化され、それに加えて④余剰電力の水素転換(電気分解)と燃料電池を結合した「パワー・トゥ・ガス」システムの開発、が進んでいる。これらは「変動性再生可能(自然)エネルギー革命」ともいうべき根底からの技術革新である。「変動性が大きい」という特性は克服され、むしろ反対に、変動性を積極的に利用する技術が確立されつつある。太陽光による発電量は電力使用の山と一致し、また風力の出力は太陽光と反対方向に動く場合が多く相互補完的に使用できるからである。
           以下、いくつかの事例を検討してみよう。

          事例1:アメリカにおける風力発電所レベルの蓄電池と電力系統周波数調整サービスとの組み合わせ

           相対的に早い事例として米国ウェストバージニア州ローレルマウンテン風力発電所とその蓄電池群を挙げることができる。同風力発電所の蓄電システムはすでに2011年に稼働を開始している。
           マーチン・ラモニカ氏はこのプロジェクトについてマサチューセッツ工科大学のMIT Technology Review(2013年4月12日)に次のように書いている。

          「(AES社の)ウエストバージニア州のローレルマウンテンの蓄電施設では、A123システムズ社製の蓄電池群は、容量3万2000キロワットで最長15分間、充電または放電を行うことができる。… 同社は4つの地点で、巨大なリチウムイオン電池群を用いた設備容量15万キロワットのエネルギー貯蔵プロジェクトを施行してきた。… 同社は、今週初め、容量4億キロワット時の周波数調整サービスを、PJM社(米東海岸の送電網会社)が運営する送電網の一部、中部大西洋岸諸州の電力系統に提供し始めたと発表した。… 蓄電池は、実際には16個の出荷用コンテナに装備された蓄電池群であるが、ウエストバージニア州の61基の山頂設置風力タービン(最大出力9万8000キロワット)からエネルギーの供給を受けている。シェルトン(同社長)によれば、周波数調整サービスを提供する場合、風力発電と蓄電池の組み合わせは、天然ガスおよび石炭火力発電所よりも一貫して優位にあるという。… (同蓄電施設は)地域送電網運営機関に柔軟性と安定性を提供し、それに対して報酬を支払われている。… 多くの化石燃料火力発電所とは違い、蓄電池は常時接続して使われしかも数秒以内に応答する能力がある。」(下線部は引用者が付けたもの、文献21)

           まずこのシステムの規模を考えてみよう。次のことが分かる。
           AES社の蓄電池設備総容量は「15万キロワット」あるが、これは瞬間供給能力で、ほぼ標準的な小規模火力発電所の発電能力に等しい。
           AES社が受注した「4億キロワット時の周波数調整」は
           =原発の1年間の発電量(87億6000万キロワット時)の約22分の1
           =原発1基の半月分余の発電量に等しい
           =瞬間能力換算では(÷8760で)約4万6000キロワット
           =通常時にはAESの蓄電池能力(15万キロワット)の約3分の1弱を使用する、ということになる
           次に、火力発電所の接続には10分単位の時間がかかり、数秒で接続・切断できる蓄電池は電力系統の安定に対する利点は極めて大きい。
           重要な点は、単に個別の風力発電所(ウィンド・ファーム)が蓄電池と結合されて供給電力を安定化しているだけでなく、小型火力発電所規模の自然エネルギー+蓄電池+電力系統周波数調整サービスのシステムが実用化され稼働しているという事実である。これはすでに2013年はじめの時点での話である。ちなみに、ここに出てくるA123社は、経営不振に陥り、現在中国の万向集団と一部は日本のNECが買収して子会社化している。日本の支配層がアメリカのこのような最新の電力動向を知らないとは考えられない。

          事例2:電力会社レベルでのエネルギー貯蔵・周波数安定化システム

           個別の風力発電所レベルだけでなく、電力会社レベルでも、自然エネルギーの貯蔵および周波数安定化システムが実用化されている。アメリカの最大手電力会社デューク・エナジー社の声明(2013年1月)から以下に引用しよう。

          「デューク・エナジー社の事業部門の1つ、デューク・エナジー・リニューアブルズは、本日、エネルギー貯蔵・電力管理システム(3万6000キロワット)が、テキサス州西部のノートゥリーズ風力発電プロジェクトの一環として完成したことを発表します。2012年12月、同システムは検査を完了し、完全稼動しました。… 電池蓄電プロジェクトは、余剰の風力エネルギーを貯蔵し、電力需要が最も高い時間帯にそれを放電して、風力発電の変動性を軽減する機能を担います。 
           同システムには、電力需要がピークとなる時間帯に再生可能エネルギーの供給を増やす働きに加えて、送電網全体を通して供給される電気の周波数を安定化させる機能があります。」
          (下線部は引用者が付けたもの、文献22)

           すなわち、ここでも、風力発電と蓄電池システムの組み合わせによって、①風力発電所の変動性の軽減、②電力需要のピーク時に放電することによる需要変動への対応、③送電網の周波数安定化、という電力管理システムの機能が果たされていることが分かる。デューク・エナジーは関西電力と提携関係にあり、電力業界の上層がアメリカにおけるこのような動向を知らないはずはない。

          事例3:アメリカにおける大規模太陽光発電所

           アメリカにおいて、風力発電だけでなく太陽光発電においても大規模な発電施設の建設が進んでいる。『日経テクノロジー』インターネット版は、2015年7月2日、カリフォルニア州において大規模な太陽光発電所が次々と稼働して行っている状況を伝えている(単位は日本でよく使われるkWおよびkWhに変換してある)。

          「今年6月に連系出力57万9000kW、太陽光パネルの設置容量74万7300kMWのメガソーラー(大規模太陽光発電所)「Solar Star」がカリフォルニア州ロザモンドで運転を開始した。世界最大規模である。年間発電量は最低でも15億6000万kWhが見込まれ、なんと一般世帯約25万5000世帯の消費電力に相当する。…プロジェクトは2013年初めに着手され、米サンパワー製の高変換効率タイプの単結晶モジュール(太陽光パネル)を170万枚以上、採用した。最後のモジュールは今年3月に設置が終わり、プロジェクトの完成となった。架台システムは、太陽の方角に合わせてアレイの向きが自動的に変わる『追尾型』になっている。
           …カリフォルニア州には現在、出力容量で世界トップ3のメガソーラーが稼働している。「Solar Star」を筆頭に、55万kWの「Topaz Solar」、やはり同じ55万kWの「Desert Sunlight」が稼働している(いずれも連系出力)。
           …2014年時点で、カリフォルニア州は大規模太陽光発電・集光型太陽熱発電(CSP)で州全体の電力供給の5%以上を賄っている。同州は、電源に占める太陽光・CSPの比率が全米で最初に5%に達したという。ちなみにこの比率は、電力卸売り用のメガソーラーからの電力に限られ、分散型太陽光発電システムからの発電(230万kW相当)は含まれていない[これを含めるとおよそ570万kW、8%になる―引用者]。
           …同州における大規模太陽光・CSPによる電力発電量は、2013年の610億kWhから990億kWhに大きく飛躍した。…カリフォルニア州のRPS用に設置されたメガソーラーの設置容量は、今年5月時点で340万kWを超える。
           …2013年時点で州の民間電力会社による再生可能エネルギー調達量は20.9%にまで達している。さらに、各電力会社は(再生可能エネルギー・ポートフォリオ基準RPSである)「2020年33%」を満たせる再生可能エネルギーの電力量を購入契約でほぼ確保している。
           …2014年における同州の再生可能エネルギー全体の内訳は、36%が風力、そして25%が地熱発電という。電力会社のRPS用電力購入契約を考慮すると2020年の再生可能エネルギー構成比(ミックス)は太陽光発電が40%を占めると予想されている。」
          (下線部は引用者が付けたもの、文献26)

           この記事で分かるように、米カリフォルニア州では、すでに現時点で、日本政府の15年後の太陽光発電導入目標である年間855億kWh、電源構成比率7%が早くも達成されているのである。電源構成案が計画段階ですでにどれほど世界の水準から「時代遅れ」になってしまったかは明らかであろう。

          事例4:スペインの自然エネルギー発電量予測システムとその中央給電センターとの統合

           畑陽一郎氏は、再生可能エネルギーに関する情報サイト「スマート・ジャパン」で、スペインの事例について以下の重要な指摘を掲載している。

          「スペインが風力発電などの再生可能エネルギーの比率を高めることができた理由は、連系線(送電網のこと)にはない。それ以外の3つの仕組みにある。
           1つは出力の予測技術。先ほどの統計にもあるようにスペインの風力の比率は2割を超える。「風まかせ」とやゆされる風力発電のために、特に強力な予測技術を利用している。REE(スペイン電力系統運用会社)は、早くも2001年に「SIPRE?LICO」と呼ばれる風力発電所の発電量予測システムを開発し、翌年から運用を始めている。この予測システムは48時間先までの電力量を1時間単位で予測可能だ。予測値は15分ごとに更新する。予測精度は年を追うごとに正確になっている。全設備容量に対する二乗平均誤差は、現在、1時間後の予測で1%以内、24時間後でも4%以下だ。
           同システムは、2006年に開設されたREEの中央給電センター「CECRE」と完全に結び付いている。CECREの目的は全国の系統を安定化させることだ。CECREは、出力10MW(1万kW)以上の風力発電所と通信回線で結合されている。出力値の更新頻度は12秒と短い。これが再生可能エネルギー(風力)の比率を高めることができた2つ目の理由だ。
           3つ目の理由は、CECREがSIPRE?LICOの予測に基づいて、水力発電やコンバインドサイクルガスタービン発電などの調整力を計算、系統のバランスを保つ能力と権限を備えていることだ。いざというときは風力発電の解列(系統からの切り離し)も行う。
           CECREの開設後、2008年にはスペイン全国の強風により、風力発電の発電比率が1日のうちに一時的に40.8%まで高まったこともある。これも無事乗り切った。」

           あわせて引用すれば、スペインでは「この(2014年1〜5月)5カ月の全電力量に占める再生可能エネルギー由来の電力の比率は52.7%」に上ったという(下線部は引用者が付けたもの、文献23)。

           ここには、スペインにおいて、①自然エネルギーによる発電量の予測システム、②それと中央給電センターとの結合、③水力発電・天然ガス発電などのそれらへの統合、について見事に要約されている。

             2.ベースロード電源という考え方は「時代遅れ」である

           安田陽氏は、アメリカやヨーロッパの電力系統の分析から、「ベースロード電源」という考え方そのものが「時代遅れである」という結論を引き出している。「日本では石炭火力発電や原子力発電はできるだけ一定出力を保ちベースロード電源として運転することがいわば常識のように考えられているが、海外ではその前提は崩れつつある」「ベースロード電源消滅の主な要因は水力発電、風力発電や太陽光発電など、『再生可能エネルギーの大量導入』である」「再エネは燃料費がゼロで短期限界費用が安く…(電力卸売)市場ではこれらの電源が必然的に優先的に落札される」「このように、市場で再エネが優先されるのは、経済学的に合理的な行動である」というのである。続けて安田氏は警告する。「より重要なのは、そのことを多くの日本人が知らされていない、ということである」と(文献20)。
           政府や大手マスコミは、現在進行中のこの再生エネルギー革命について巧妙に隠蔽しようとし続けている。安田陽氏が言うように「再生可能エネの大量導入についてはここ5年間だけでも恐ろしいスピードで進展しているが、それら(の情報)は断片的にしか日本にもたらされていない。情報が偏るとその国や組織の末路がどのようになるかは、経営者や意思決定者であれば誰でも肝に銘じているはずである」(文献20)。しかし、残念ながら、安田氏のこの警告が、日本のトップ経営者や政府・経産省の意思決定者にしかるべく受け止められているとは思われない。

             3.自然エネルギーは国産エネルギーであり自給率上昇にも役立つ

           大林ミカ氏も「『ベースロード』をめぐる誤解 2030年、日本の電源構成をどう考えるか」(『科学』2015年6月号)において、「ベースロード電源」という考え方そのものが時代遅れであり、「古くさいもの」になっていると指摘している。
           大林氏は、自然エネルギーが「国産エネルギー」でありエネルギー自給率の向上に役立つ点を合わせて強調している。米欧における自然エネルギーの導入は急速に進んでおり(下表)、これらの国々は2020年あるいは2030年に、電力の半分程度かそれ以上を「自給できるようになる」ことを意味しているという。またドイツでは、風力発電の増加の結果、1年間に電力卸市場価格が20%も下がったという(文献29)。フランスが2030年に自然エネルギー40%を目標としていることも注目される。いままで原発に全面的に依存してきたフランスは、「縮原発」の方針を打ち出し、原発を縮減していく方向に転換している(文献30)。自然エネルギーの導入を抑えてまで原発に再度依存しようとしているのは、主要国では日本だけである。


          出典:大林ミカ「『ベースロード』をめぐる誤解 2030年、日本の電源構成をどう考えるか」『科学』2015年6月号

           経産省の電源構成案はその基本目的の一つとしてエネルギー自給率の向上を上げている。しかし、もしそれを真剣に追求するのなら再生可能エネルギーの導入こそ、そのための最も有効な手段であるはずなのである。
           国際エネルギー機関(IEA)は、2014年に、『電力の変革 風力、太陽光、そして柔軟性のある電力系統の経済的価値』と題する報告書を公表し、変動性再生可能エネルギー(VRE:主に風力と太陽光)を発電量の45%に高めるよう各国に勧告した。同報告書は「風力発電及び太陽光発電には、より安定的で持続可能なエネルギーシステムへの大きな貢献が期待されている」として重要性を強調し、続けて「しかしこれらは風量と日射量の変動によって制約され、常時必要な電力需給バランスを維持しなければならないという課題が発生する」と課題を提起し、それに続けて本報告書の結論として「VREの高い導入シェア―(VREの年間発電電力量の45%まで)は、長期的には電力システムにかかる費用コストの大きな増加なしで実現できる」と書いている。上記のEUの目標はこれを踏まえたものとなっているが、日本政府の電源構成案案は、IEAの勧告に真っ向から反している

             4.日本の電力産業の技術的立ち後れ

           安田氏の警告するように、日本の電力システムは、いまや自然エネルギーを基礎とする世界的電力技術革命から決定的に立ち後れて行っている。
           風力と太陽光の世界的動向との比較を挙げよう。
           風力では、政府の「2030年度電源構成案」の通りに事態が進めば、2030年になっても、日本は風力発電能力で昨年2014年末のブラジルの発電能力以下でしかない。

          世界の風力発電能力の上位10ヶ国(2014年末Wikipedia英語版による)

          出典:GWEC-Global Wind Statistics 2014.
          注記:記載されているのは定格出力である。年末時点での数字。中国とブラジルについては暫定値。
          http://en.wikipedia.org/wiki/Renewable_energy

           風力発電技術での日本の立ち後れは明らかであり、日本企業は最大手である三菱重工を含めて、世界の風力発電メーカーの上位15社にはまったく出てこない。経産省の電源構成案自体が、日本の国内市場でさえ、海外メーカーが市場シェアーの3分の2をおさえていることを認めている。

          例1:風力タービンでの日本企業の競争力の顕著な低下傾向

          出典:総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会 発電コストワーキンググループ「長期エネルギー需給見通し小委員会に対する 発電コスト等の検証に関する報告(案)」

           太陽光発電では、風力よりは日本は上位にあることは事実であるが、電源構成案の太陽光抑制路線が進んでいった場合、この部面でも風力と同じ事態が予想される。

          太陽光発電の上位10ヶ国(2014年) 総出力および年間追加出力での比較

          Data:IEA-PVPS Snapshot of Global PV 1992-2014 report, March 2015[2]:15
          これらの10ヶ国で世界の累積総出力および追加出力のそれぞれ85%および90%を占めている。
          http://en.wikipedia.org/wiki/Growth_of_photovoltaics

           また、日本の太陽光発電モジュールの価格は、諸外国に比べて明らかに高く、この点でも日本の優位の消失傾向を示している。

          日本における太陽光パネル価格の他の主要国との比較

          出典:総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会 発電コストワーキンググループ「長期エネルギー需給見通し小委員会に対する 発電コスト等の検証に関する報告(案)」

           電力技術のレベルを示すもう一つの指標は、電力周波数の安定性である。アメリカ、欧州は周波数の要求精度が非常に高く、日本はこの点で大きく立ちおくれている(日本の周波数誤差はアメリカより1桁程度大きく、ヨーロッパよりは5倍程度大きい)。以下Wikipedia より引用しよう。

           (1)北米 (NERC) 年間標準偏差(一分間平均値)目標値(北米は60Hz)
              ・東部: 0.018Hz以内、西部:0.0228Hz以内
              ・テキサス(ERCOT):0.020Hz以内
              ・ケベック:0.0212Hz以内
           (2)欧州 (UCTE) 年間標準偏差(一分間平均値)目標値
              ・50±0.04Hz以内:90%以上、50±0.06Hz以内:99%以上
           (3)日本の電力会社が目標としている周波数偏差
              ・北海道 50±0.3Hz以内、時差 3秒以内
              ・中西地域 60±0.2Hz以内、(中部電力 時差±10秒以内、滞在率95%以上 60±0.1Hz)
              ・東地域 50±0.2Hz以内、(東京電力 時差±15秒以内)
          出典:「商用電源周波数」Wikipedia 日本語版より
          https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E7%94%A8%E9%9B%BB%E6%BA%90%E5%91%A8%E6%B3%A2%E6%95%B0

           日本が、再生可能(自然)エネルギー技術で、とくに風力において顕著に、しかし太陽光においても同様に、国際水準から立ち後れ、国際競争力を喪失しつつあることは事実である。もしも、政府の電源構成案に盛り込まれた再生エネルギー抑制政策が2030年度まであと15年間も実施されたとすれば、進行中の世界の電力技術革命から日本が決定的に立ち後れるだけでなく、日本企業が再生エネルギー分野での国際競争から致命的に落伍してしまう結果を引き起こすであろう。

            5.自然エネルギー革命から出てくる将来に向けての結論

           進行中の自然エネルギーを基軸とする電力技術革命によって、将来への展望も大きく変化した。現在の技術水準を前提にすれば、風力・太陽光に水力・地熱その他を組み合わせることによって、ほとんどすべての電源を自然エネルギーに依存し、それによって発電部門のCO2排出量を劇的に削減することは、現実に可能となっている――これが将来に向けての結論である。
           ただ自然エネルギーの開発もまた、資本主義的進歩の本質である二面性と矛盾から自由ではあり得ない。それは大きな技術的革命ではあるが、同時にまた大資本、金融ファンド、地主などの特権層によって行われる限り、巨大な環境破壊と住民からの土地収奪、住民の生活破壊を必然的に伴わざるをえない(文献49)。
           したがって、われわれが求める自然エネルギー開発に関する基本的な方向は、
           (1)重大事故と住民被曝による破局的リスクを伴うほかない原発に反対する観点から、また火力発電によるCO2排出や大気汚染に反対する観点から、基本的方向として自然エネルギーあるいは再生可能エネルギーの導入に賛成であり、その促進を支持するけれども、
           (2)自然エネルギーの開発が、巨大資本によって行われ、自然環境を破壊し、地域住民の土地を取り上げ生活を破壊する形で行われることに対する民主的統制が必要であり、
           (3)自然エネルギーの開発は、①地域住民が参加し住民の利益になるような形で、②自然環境や景観が保護される形で、③集中的な大規模発電施設よりは小規模な発電施設を数多く作りそのネットワークを形成する形で、④経済全体の省エネルギーや地方分散と結びつける形で、⑤エネルギーの地産地消を促す形で、なされるように求めていかなければならず、
           (4)日本の客観的な具体的条件の下では、とくに都市の家屋・建屋の屋根や構造物上の太陽光発電、ダムを造らない小規模水力発電の極めて多数の設置、洋上の風力発電などが適切であると考える。
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          2015.08.20 Thursday

          原発再稼働の経済と政治――経済産業省専門家会議「2030年度電源構成」の分析と批判 (1−3章)

          0
            2015年7月

            原発再稼働の経済と政治
            ――経済産業省専門家会議「2030年度電源構成」の分析と批判
            (1−3章)


            渡辺悦司
            2015年7月17日


            〖ここからダウンロードできます〗
            原発再稼働の経済と政治――経済産業省専門家会議「2030年度電源構成」の分析と批判(78ページ,1877KB,pdf)


            〖参照〗 (4−6章・参考文献)
            原発再稼働の経済と政治――経済産業省専門家会議「2030年度電源構成」の分析と批判(4−6章・参考文献)



             現在、原発をめぐる情勢は極めて切迫している。福島原発事故以後日本の原発は次々と停止し原発ゼロの状態が続いてきたが、8月の鹿児島県の川内原発を皮切りに原発の大規模な再稼働が順次始まろうとしている。経済産業省は7月16日「長期エネルギー需給見通し」を決定し、以前に提起されていた案の通り「2030年度電源構成」を決定した。以下は、「2030年度電源構成案」(以下電源構成案と略記)を分析し、その真の意図と欺瞞性、政府・原発推進勢力が進めようとしている原発再稼働計画の規模や内容、その致命的な欠陥と危険性、その実施から必然的に生じることになる諸結果について考察しようと試みた論考である。読者にとって読みやすいよう少し先回りになるが内容を要約してみよう。
             「はじめに」では、電源構成案が残存原発の最大限規模の再稼働計画であり、新増設を含めて福島事故前の原発推進政策に回帰する意図の表明であることが示される。
             第1章では、同案の最重要かつ致命的な問題点――同案自身が原発46基の稼働によっておよそ20年あるいは10年に1回の頻度での福島原発事故級の苛酷事故の反復を最初から想定していることを詳しく検討する。この苛酷事故頻度想定は、決してわれわれ自身の独自の見解とか評価ではなく、政府専門家会議の報告書そのものが明確に記載し公然と述べている内容である点に注目して分析している。
             第2章では、電源構成案が、原発再稼働の障害になるとして、再生可能エネルギー・自然エネルギーの導入を、政府公約に公然と違反して、全体として抑制する計画となっていること、とくに太陽光については既存の認定分を2割も削減する計画であることが明らかにされる。
             第3章では、同案における発電コスト比較が、どのような形で、原発を一番経済的なエネルギー源であるかのように見せかけるために数字上操作され粉飾されているかを詳しく分析する。原発は現実には、石炭火力はもちろん自然エネルギーに比較してさえ高コストのエネルギーであることが証明される。それにもかかわらず、政府や電力会社や財界が原発を再稼働し推進しようとする奥深い基礎は、経済的には、使用済み核燃料という核廃棄物が「資産」扱いされ、巨大なマイナスの価値が巨大な資本価額に転化されるという「核のゴミ」に対する「物神崇拝」的会計経済制度にあることが明らかにされる。
             第4章では、政治的軍事的な分析が行われ、原発・核燃料サイクルへの固執が日本の独自核武装への意図と不可分に結びついていること、また原発を導入しようとする新興諸国に原発輸出によって核兵器拡散の危険があること、原発再稼働が現在の戦争法制と軍国主義化と一体であり、民主主義の危機を意味することが強調される。
             第5章では、再生可能エネルギー技術の最新の発展段階を検討する。政府は再生可能エネルギーについてその固有の「変動性」のために「ベースロード電源」としては使えないと切り捨てたが、それとはまったく反対に、世界的規模では、変動性再生可能エネルギーを基軸とした電力技術革命が現に進行中であり、原発の方こそ過去のエネルギー源となりつつあるという現実が事例研究により示される。日本は、この分野での国際競争に大きく立ち後れつつあり、この電源構成案が今後15年にわたって実行された場合、日本が電力技術の部面で国際水準から決定的に落伍してしまうことは避けがたいことが示される。
             第6章では、電力部門の直面している危機について検討する。火力発電とくに石炭火力に大規模な投資が行われている中で原発を大々的に再稼働すれば、電力部門の過剰設備危機の激発は不可避であること、原発をめぐる世界的趨勢の中で世界でも日本でも原発関連企業・部門で深刻な経営危機および技術劣化が生じていることを事例研究により指摘する。また、この電源構成案の路線を今後長期に実施した場合に生じうる結果を検討する――福島級の原発事故の再来と反復、日本の人口の減少の急加速、日本経済の深刻な危機と経済的衰微が生じることは避けられないことが示される。電源構成案は政府・財界・支配上層のいわば倒錯と狂気を反映していると言って過言ではないが、これは諸個人のものではなく原発をめぐる経済・政治・社会関係から不可避的に生じるものなのである。
             以上すべてから、脱原発と再生可能エネルギーへの移行は、今では現在の生産力の要求であること、政府の原発再稼働・再生エネルギー削減計画とそれを進めるような政治経済体制は生産力の桎梏となっており、どのような経過を辿ろうとも最終的には必然的に打破されるほかないと結論づけられる。その際の電力・原発企業の民主的懲罰的国有化の重要性が指摘される。
             本論を作成するにあたって貴重な問題提起をいただいた田中一郎氏、重要な情報をご提供いただいた落合栄一郎氏に深く感謝いたします。
             
             
                目 次

            はじめに          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    5

            第1章 経産省2030年電源構成案が想定する事故確率――計画通り46基稼働すれば「22年に1回」の頻度で福島原発事故のような過酷事故が繰り返されるという前提で立案されている   ・・・・・・・・・・・・・    9
              1.事故確率1基あたり「4000炉・年に1回」の本当の意味
              2.苛酷事故確率についての政府文書の説明
              3.政府想定の事故確率の検証――立地点ベースの事故頻度実績の計算
              4.政府が想定する事故確率の整理
              5.事故確率を大きくするその他の諸要因
              6.安全への基本的考え方と事故確率の意味の根本的変化
              7.経団連「エネルギーミックス」プランの役割と財界の責任
              8.チェルノブイリ事故と社会主義崩壊以後の東欧の人口動態
              9.結論

            第2章 電源構成案の基本的な内容と特徴          ・・・・・・・・・・・・・・・   28
              1.原発再稼働の規模と再生可能エネルギー抑制
              2.日本経団連の2030年度電源構成案
              3.電源構成案でCO2の26%削減目標の達成は能か

            第3章 発電コスト比較――本当に原発は一番安価な発電方法か? なぜ電力会社は原発を運転して大きな利益を得るのか?            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   36
              1.計算上のトリック――他の発電種類の数字を人為的に膨らませる
              2.原発の発電コストを低く見せかけるさまざまなトリック
               2-1.事故費用を低く算定する
               2-2.核燃料サイクルコストの罠
               2-3.安全対策費用、廃炉費用などの過小評価
              3.「共済方式」を採用し「割引率3%」と計算
              4.電源構成案の補正したコスト比較
              5.電力会社が原発を動かしたがる理由――会計上の「錬金術」
              6.東京電力の巨額の利益の秘密――交付金受取と賠償支払いの削減・遅延

            第4章 核武装の準備としての原発と再処理・核燃料サイクル、原発再稼働と軍国主義の不可分の結びつき、日本における民主主義の危機の現れの1つとしての再稼働   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   49
              1.原発問題は軍事問題である
              2.現在問題になっている戦争の性格
              3.原発輸出による新興国への核兵器拡散の危険性
              4.軍国主義に内在する自滅的性格
              5.日本の民主主義全体の危機の一環としての原発再稼働
             
            第5章 風力・太陽光を基礎とした電力技術革命、その世界的進展、その中で再生可能エネルギーの導入抑制を基礎に原発を大規模再稼働する意味について   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   55
              1.風力・太陽光発電を基軸とする電力技術革命の進展
               事例1:アメリカにおける風力発電所レベルの蓄電池と電力系統周波数調整サービスとの組み合わせ
               事例2:電力会社レベルでのエネルギー貯蔵・周波数安定化システム
               事例3:アメリカにおける大規模太陽光発電所
               事例4:スペインの自然エネルギー発電量予測システムとその中央給電センターとの統合
              2.ベースロード電源という考え方は「時代遅れ」である
              3.自然エネルギーは国産エネルギーであり自給率上昇にも役立つ
              4.日本の電力産業の技術的立ち後れ
              5.自然エネルギー革命から出てくる将来に向けての結論
             
            第6章 電源構成案の経済的結果――迫り来る電力過剰設備危機      ・・・・・・・・・   67
              1.エネルギー政策の基本目標
              2.発電設備への過剰投資傾向
              3.世界的な原発産業の経営危機とその日本への反映――技術劣化の危険
              4.総括

            参考文献        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   75



               はじめに

             政府は7月16日に2030年度の「望ましい電源構成」を正式に決定した。それに向けて、経済産業省有識者会議(総合資源エネルギー調査会長期エネルギー需給見通し小委員会)は4月28日に「長期エネルギー需給見通し骨子(案)」および同「付属資料」を提起し、6月1日に決定していた(文献1〜3)。正式の決定は同案の通りであり、以下は同案の分析であるが、決定された内容と同一である。それによれば、政府が想定する2030年度の電源構成は下図の通りである。

            図表1 2030年度に想定されている電源構成とその内訳

            出典:経済産業省総合資源エネルギー調査会長期エネルギー需給見通し小委員会「長期エネルギー需給見通し骨子(案)関連資料」
            注記:電力需要は、2030年度に2013年度との比較で、わずか1.5%しか伸びないと想定されている。政府案はこの間に17%の省エネを実現するとしている。

             ただこの図表では、原発が停止している現在の状況が分かりにくいので、日本経済新聞のデータを入れて作成した下表を参照していただきたい。

            表1 電源構成の推移と政府による2030年度の想定

            出典:(1)震災前10年間平均と2030年度想定については、経済産業省総合資源エネルギー調査会長期エネルギー需給見通し小委員会「長期エネルギー需給見通し骨子(案)」
            ・原発と再生可能エネルギーで数字の順番が違うが、これは原発については高い方の22%が、再生可能エネルギーについては低い方の22%が現実の目標となっていることを示唆している。
            ・注意点としては、原発比率が自家発電分を発電量合計に入れた数字に対して計算されている点である。したがって、一般に使われる自家発電分を除いた発電量では、原子力発電所の想定比率は24〜22%となる。
            (2)2013年度実績については、日本経済新聞2015年6月13日付の記事「石炭火力リストラ促す 環境相、山口の新設計画に異議 老朽施設削減も視野」より引用。
            ・原発がゼロになっていないのは、当時大飯3・4号機が2013年9月まで稼働していたことによるものである。2014年度ではゼロである。

             同電源構成案については、次のような問題点があり、すでに多くの人々によって指摘されている(文献10〜13など、他にも多くある)。
             (1)同案の真の目的がどこにあるかという点である。同案は、未来の「望ましい電源構成」を示すという形をとっているが、実際には、政府の今までの「原発依存度を可能な限り減らす」という公約に明確に違反しそれを事実上破棄して、福島原発事故以前の原発推進政策への全面的な回帰をはっきりと示すことが現実の意図ではないかと疑われている。具体的には、同案が想定している2030年度の原発依存度22%〜20%を実現するためには以下の諸方策の実施が必要となり前提となるので、それが真の目的ではないかという点である。
             ①既存原発を最大限に再稼働する(すなわち福島第2、女川、東海、浜岡も含めて廃炉決定以外の原発43基をすべて動かす)。
             ②原発の新増設を推進すること(最低でも大間、島根3号機、東通2号機の完工・稼働)とあわせて、結局は「なし崩しに」(文献13)あるいは「後出しジャンケン」的に(文献11)老朽化した原発のリプレースを推進する。
             ③現在の設備年限である40年を越えての原発の稼働を「例外的措置」ではなく「常態化」する(まずは60年までだが、おそらく次には80年まで[文献15]となる可能性があり、結局は、可能な限り廃炉費用を避け、事故を起こして使えなくなるまで使い尽くす方向性が示唆されている)
             ④使用済核燃料を全量再処理する(20年後半量・45年後全量という年限とともに明記されている)。記載の通りであれば、再処理・核燃料サイクルを六ヶ所再処理工場の工事完工や高速増殖炉「もんじゅ」の稼働も推進することになる、等々。
             しかし、既存原発のこのように大規模な再稼働と老朽原発の最大限長期利用によっても原発比率22%を確保することは「あまりに非現実的」な方針であると考えられている(文献10)。
             (2)再生可能(自然)エネルギーは、「最大限導入する」という公約に違反して、伸びを抑制し、とくに太陽光発電については認可済み計画さえ削減する内容となっている。2030年度に発電量の22%〜24%というのは数字の上で「格好を付ける」程度であり、実際には「導入目標ではなく抑制目標」であるとさえいわれている(文献12)。これは、IEA(国際エネルギー機関)の2030年までに「変動性再生可能エネルギー(主に風力と太陽光)を45%に高める」という勧告に真っ向から違反する内容である(文献12、14)。この分野での国際競争に立ち後れてしまう可能性があると指摘されている。
             (3)環境的負荷の大きい石炭火力に追加的に依存しており、石炭火力の過剰設備化が避けられず、さらにCO2排出だけでなく大気汚染とくにPM2.5などの問題がさらに深刻化する危険性がある。
             (4)発電コストについては、福島原発事故の賠償支払や今後の重大事故対策を考慮に入れても「原発が最も低い」という計算は「無意味」(文献10)である(付言すれば、同案は、現在最も安価とされる石炭火力のコストには、現実には課されていない炭素税分を上乗せして原発より高く見せる細工をするなど欺瞞的なものでさえある)。
             (5)吉岡氏は電源構成案の原発比率22%〜20%を「非現実的」と評価している(文献10)が、同案の実現性の問題にはここでは立ち入らないことにする。経済計画を評価する上でのまず第一の論点は、その実現可能性の前に、その目的あるいは意図でなければならない(文献45)。その意味では、電源構成案は、全体として見れば、火力発電を維持した上での、原発推進の障害になる再生可能エネルギー活用を抑制し、原発の最大限の再稼働計画であるといえる。それはまた、この夏以降に連続的に予定されている本格的な原発再稼働を、政府として後押しするための正当化の手段、政治的ショーアップとしての性格が強いといえる。
             だが、これらの経産省案をめぐる議論では、この計画のもつ最大の危険性、文字通り致命的な欠陥に十分な光が当たっているとは言いがたい。上記のさまざまな問題点の検討は後回しにして、多くの論者において注目されていない最も深刻で重大な問題点、電源構成案のベースとなっている原発過酷事故頻度(確率)の想定を詳しく検討しよう。


            第1章 経産省2030年電源構成案が想定する事故確率
            ――計画通り46基稼働すれば「22年に1回」の頻度で福島原発事故のような過酷事故が繰り返されるという前提で立案されている


             2030年度電源構成案は、原発の過酷事故(すなわちスリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、福島第1原発事故などのような重大事故)の起こる確率を1基あたり「4000炉・年に1回」と想定している。該当箇所を引用しておこう。

            引用1:電源構成案で想定された事故確率


             では、この4000炉・年とはどんな意味をもつのであろうか?

               1.事故確率1基あたり「4000炉・年に1回」の本当の意味

             これに関して国会福島原発事故調査委員会のメンバーでもあった吉岡斉九州大学教授は、『東洋経済』オンラインでのインタビューで、極めて重要な指摘をしており、注目される。

             「(編集部の問い)今回の原発コストの試算では、追加的安全対策費用が増えた一方、安全対策の強化で過酷事故発生の確率は前回試算(1基当たり2000年に1回、50基では40年に1回)から半分(1基当たり4000年に1回)に低下すると想定し、事故リスク対応費用が減少する形になりました。
             (吉岡氏の答え)発生確率が2分の1になるという根拠も疑わしいが、たとえ半分になったとしても数十基が稼働し続けるならば発生確率は低くない。原発はそれだけの事故リスクがあるということを改めて認識すべきだ。」
            (文献10)
             
             つまり、過酷事故発生確率を半分に引き下げる「根拠は疑わしく」、また半分としてもその確率(政府の計画通り46基運転とすると87年に1回に相当する)は決して「低くない」というまったく正しい指摘である。われわれはこの内容にさらに次の点を付け加えたいと考える。
             なによりもまず、原発の過酷事故を確率的に考えてコスト計算していくという考え方そのものが、「福島のような原発事故を決して起こしてはならない」という基本理念の真っ向からの否定である。それは、原発事故は「起こる」ものであり「起きてもよい」「起こしてもよい」という前提に立って、その上に原発を再稼働し再度推進するという路線であり、一段と露骨な原発推進の論理である。しかし、この根本的な点での批判はしばらく置いておこう。ここでは、まず最初に、この過酷事故確率あるいは頻度の具体的数字を問題にし、吉岡氏のインタビューで言われている過酷事故発生の確率の「前回試算」の内容を検討してみよう。
             言及されている数字は、内閣府原子力政策担当室(当時)「原子力発電所の事故リスクコストの試算 原子力発電・核燃料サイクル技術等検証小委員会(第3回)」(2011年10月25日付)および原子力委員会(当時)「核燃料サイクルコスト、事故リスクコストの試算について(見解)」(2011年11月10日付)の文書記載のものであろう(文献4、5)。そこでは、過酷事故発生頻度の確率について「1基当たり2000年に1回」(あるいは「2000炉・年」)という評価がなされている。だが、それは「モデルプラント」に対して仮想的に計算された事故確率であって(同文書では「算定根拠(炉・年)」と呼ばれている)、実際の事故確率ではない。実際の発生実績に基づく数値(政府文書では「商業炉シビアアクシデント発生実績」と呼ばれている)は、原発50基を稼働した場合に「10年に1回の頻度に相当」するとされている。すなわち、同文書における「モデルプラント」に対する「2000炉・年」の事故確率とは、福島事故の「実績」に基づいて計算すれば、現存する原発1基あたりでは「500炉・年」のことであり、50基を運転した場合には「10年に1回」の頻度で過酷事故が起こる確率である。この点は明確に政府文書に記載されている。以下に少し長くなるが引用しておこう。なお同文書は現在も日本政府の公式ホームページに掲載されている。ぜひ参照されたい。

               2.苛酷事故確率についての政府文書の説明

            引用2:確率は現実の原発ではなく「モデルプラント」を「想定」して計算されている
            注記:ここで言うモデルプラントとは、東北電力東通原発1号、中部電力浜岡原発5号、北陸電力志賀原発2号、北海道電力泊原発3号から想定した仮想の原発である
            内閣府原子力政策担当室(当時)「原子力発電所の事故リスクコストの試算 原子力発電・核燃料サイクル技術等検証小委員会(第3回)」2011年10月25日
            http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/hatukaku/siryo/siryo3/siryo3.pdf

            引用3:福島原発事故までの日本の全原発の稼働実績は廃止プラントも含め約1500炉・年である

            注記:備考一番上の欄にある1494炉・年が福島原発事故までの日本の全原発の運転年数である。福島事故を3基の事故と計算すると1基あたり約500炉・年となり、50基に対しては約10年の頻度となることが分かる(次の表参照)。
            内閣府原子力政策担当室(当時)「原子力発電所の事故リスクコストの試算 原子力発電・核燃料サイクル技術等検証小委員会(第3回)」2011年10月25日
            http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/hatukaku/siryo/siryo3/siryo3.pdf

            引用4:「モデルプラント」での事故リスク「2000炉・年」は「現実の」原発では「50基稼働」で「10年に1回」の「シビアアクシデント(過酷事故)頻度に相当」する

            注記:一番左の欄最下列の括弧内の括弧内の注記に注目のこと。表の下に記されている原表の注[1]も注目のこと。
            原子力委員会(当時)「核燃料サイクルコスト、事故リスクコストの試算について(見解)」2011年11月10日付
            http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/kettei/seimei/111110.pdf

            引用5:当該箇所を拡大してみよう。


             すなわち、政府の委員会自身が、「シビアアクシデント発生実績」すなわち福島原発事故の現実の経験から計算すると「商業炉シビアアクシデント頻度」が「10年に1回」にならざるを得ないという計算結果を、報告書に正式に記載していた。これが事実である。このことを疑う向きもあるかもしれないので、この政府コスト等検証委員会の2011年報告に関する新聞報道を読売新聞から引用しておこう。読売新聞は露骨な原発推進の論調で知られており、同紙が脱原発の主張に有利になる方向でバイアスをかけて報道した可能性があると考える人は(この反対ならともかく)おそらくいないであろう。

            引用6:「過酷事故確率が500年に1回」とする読売新聞の報道

             「原子力発電所事故に伴う損害額などを試算する内閣府原子力委員会の小委員会(座長=鈴木達治郎・原子力委員長代理)は[2011年10月]25日、日本の原発が過酷事故を起こす確率は最大で500年に1回で、1基あたりの標準的な損害額は3兆8878億円、将来の損害に備えるために必要な費用は、従来の発電コストの約2割にあたる1キロ・ワット時あたり1.1円とする試算を発表した。… 日本の原発が事故を起こす確率は、全国の原発がこれまでに延べ時間数で1400年あまり稼働してきたなかで福島第一原発1〜3号機が過酷事故を起こしたことを根拠に、『500年に1回』と算定。…」
            「原発事故コスト 従来の発電費用の2割」2011年10月25日13時54分 読売新聞オンライン http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111025-OYT1T00701.htm
            (上記は閲覧当時のサイトであるが、同記事は現在も以下のサイトで閲覧可能である)
            http://blogs.yahoo.co.jp/zaqwsx_29/29648693.html

             この新聞記事でも、政府が試算した「日本の原発が過酷事故を起こす確率」は「500年に1回」すなわち「500炉・年」とはっきり記されている。これは50基を運転したとすると、事故確率は「10年に1回」の頻度であり、10年ごとに福島原発事故のような破局的事故が起きるリスクが高いことを意味する。
             吉岡斉氏の議論に戻ると、これが『東洋経済』編集部がいう政府「前回試算」の「モデルプラント」ベースの「2000炉・年」という数字の具体的内容である。
             つまり、今回の電源構成案の「モデルプラント」ベースで「4000炉・年」という数値は、2011年の政府見解から「たとえ半分になったとしても」50基稼働すると「20年に1回」福島事故のような過酷事故が生じる確率ということである。電源構成案の想定通り46基稼働すると「22年に1回」ということである。つまり、経済産業省の案は(数字そのものの妥当性は今は問題にしないにしても)「約20年ごとに福島規模の原発事故が起こる」ことを想定し、それを前提に原発の再稼働と核燃料サイクル推進を行っていくという計画であるということができる。すなわち、政府案は2030年代半ばには次の福島クラスの重大事故が再発する確率的リスクをいわば前提にして、原発の大々的再稼働を計画していると言っても過言ではない。
             いまもし、事故確率が2011年の政府文書のレベル(「50基で10年に1回」)に近ければ、電源構成案が目標としている46基稼働では「11年に1回」過酷事故が起こることになってしまう。これだと、目標年次の2030年度以前に次の福島事故クラスの重大事故が起こってしまうリスク事態を、2030年度を目標年次とする電源計画が想定しているということになってしまう。
             いずれにしろ政府の2030年度電源構成案が正常な神経で立案されているのかどうか疑わしめる内容と言うほかない。

               3.政府想定の事故確率の検証――立地点ベースの事故頻度実績の計算

             原発立地点について福島事故のような重大事故を引き起こす自然災害(地震・津波)に襲われる確率あるいは政府の言う「頻度実績」は、容易に計算することができる。下の表1のように、各原発立地点につき福島原発事故までの存在年数を合計すると約543年である。これが1立地点あたりの過酷事故の頻度実績である。それを立地地点数18カ所で割れば、全原発立地点あたりの自然災害(地震・津波)による事故確率が計算でき、それは約30年に1回となる。
             これは、上記の政府の推計において、福島事故を1事故と計算した場合とちょうど同じ頻度である。福島事故を3事故とすると事故頻度は10年に1回である。すなわち上記の政府の2011年の事故リスクの推計(500炉・年)が決して不自然な数値ではなく、反対にきわめて当然の常識的な数値であることを示している。また、それを仮想の「モデルプラント」に対して推計した2000炉・年や4000炉・年という数字の方が(それでも十分に危険であるが)、人為的に加工された架空かつ虚偽の数字であり、人々を欺す欺瞞的性格を疑わしめるものであることを示している。

            表2 原発立地点の存在期間による重大事故確率の概算

            Wikipedia各項目より筆者計算。福島事故発生は2011年3月11日とした。閏年は考慮していない。新型転換炉「ふげん」(1978.3.20〜2003.3.29に存在、現在廃炉作業中)は敦賀原子力発電所に併設されており、立地点は敦賀とした。なお、単純計算して事故以前の日本の原発存在期間を1966年からの45年間ととっても、苛酷事故実績頻度は45年になり、上で計算した30年とそれほど大きな隔たりはない。

             ここで試算した1立地点当たり「約30年に1回」、原発1基当たり「10年に1回」という確率は、政府の「原子力損害賠償責任保険」の保険料率計算における事故確率によっても検証できる。同保険料は「一工場若しくは一事業所当たり」で計算されている。なお、福島原発以後、2012年1月に、保険料はそれまでの7倍に引き上げられた。

            引用7:「原子力損害賠償補償契約に関する法律施行令」における補償料率

             「原子力損害賠償補償契約に関する法律」第6条「補償料の額は、一年当たり、補償契約金額に補償損失の発生の見込み、補償契約に関する国の事務取扱費等を勘案して政令で定める料率を乗じて得た金額に相当する金額とする。」
             この「料率」は、「原子力損害賠償補償契約に関する法律施行令」において規定されており、その第3条第2項「原子力損害の賠償に関する法律施行令第二条の表第一号に規定する熱出力が一万キロワットを超える原子炉の運転に係る補償契約 一万分の二十」。この条項は2012年4月1日から実施された。
            出典:原子力損害賠償補償契約に関する法律
            http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxrefer.cgi?H_FILE=%8f%ba%8e%4f%98%5a%96%40%88%ea%8e%6c%94%aa&REF_NAME=%8c%b4%8e%71%97%cd%91%b9%8a%51%94%85%8f%9e%95%e2%8f%9e%8c%5f%96%f1%82%c9%8a%d6%82%b7%82%e9%96%40%97%a5&ANCHOR_F=&ANCHOR_T=
            原子力損害賠償補償契約に関する法律施行令
            http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S37/S37SE045.html
            この件に関する解説は以下のサイトにある。
            http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/efd19d32948cbe1a8fc10625bc1a2063

             ここで「1万分の20」を乗じるということは、最大補償損失の発生する確率が「500年に1回」すなわち「500事業所・年」に相当するということである。事業所は立地点とほぼ同じであるから、18箇所で計算すると約28年に1回の最大事故確率となる。この数字はわれわれの計算(30年に1回)とほぼ一致する。また、原子炉が1基しかない「事業所」でも「1万分の20」であると理解すれば、原子炉1基あたり「500炉・年」(10年に1回)とも解釈することができる(この点は後述)。
             なお、アーニー・ガンダーセン氏は、世界的に見れば、この35年間で5基の原発がメルトダウンを起こしたのだから、重大事故頻度は7年であると主張している(文献42)。これを採ると、世界に原発は400基ほどあるので、1基当たりは2800炉・年、日本について50基では56炉・年ということになる。政府の2011年報告の表3(上記引用4)の下から2段目「57年に1回の頻度」に対応する。したがって、福島事故を1事故としても3事故としても、日本における事故頻度は世界平均の事故頻度よりもおよそ2〜6倍も高いということができる。

               4.政府が想定する事故確率の整理

             いろいろの数字が出てきてややこしいので整理しておこう。下の表2を左下から時計回りに見ていただきたい。
             政府が想定している原発の過酷事故頻度(確率)は、今回の案(2015年4月)の数字[(1)段]と、同案が基礎として依拠している2011年報告書の数字[(2)段]と2つの推計がある。
             さらにこの2011年文書では、数字は2本立てであって、「モデルプラント」をベースとする数字[A列]と、それに対応する現実の「過酷事故発生実績」をベースとする数字[B列]とが併記されている。
             後者にも福島原発事故を1事故とする評価[①]と3事故とする評価[②]がある。
             ここまで見て今回の電源構成案に帰ると、そこでは2011年報告書の「モデルプラント」ベースの数字[A(2)]だけが記載されており、「発生実績」ベースの数字[B(1)に対応]は公表されていない(ようである)。
             ただこれは容易に計算できる。これら数字を列挙してみると以下の通りである(以下「→」以降は筆者の計算である)。
             [下段左の欄A(2)]今回の「2030年度電源構成案」の「事故発生頻度」あるいは「事故リスク」は「4000炉・年」(「モデルプラント」となる原発1基を4000年運転すると1回過酷事故が発生する)→ 46基運転として計算すると87年に1回となる。
             [上段左の欄A(1)]同案の基礎となった「2011年コスト等検証委員会」の想定した「事故発生頻度」あるいは「算定根拠」は「2000炉・年」(モデルプラント1基について2000年運転すると1回)すなわち「50基運転で40年に1回」。
             [上段右の欄B(1)]上の「2000炉・年」に対応する「2011年コスト等検証委員会」が計算した日本における実際の、すなわち「発生実績」ベースの事故リスク、あるいは「シビアアクシデントの発生実績」には2つの数字があがっている。
              福島原発事故を1事故と評価すると「1494炉・年」(福島原発事故までに存在した原発の総運転年数)→ 50基運転で約30年に1回。これは筆者が原発立地点の存在年数から計算した数字(表1)とぴったり一致する。
              福島原発事故を3事故と評価する(稼働中の原発3基が事故を起こしたのでそれぞれ別な事故と評価する)と「500炉・年」(福島原発事故までに日本に存在した原発の総運転年数÷3)すなわち「50基運転で10年に1回」 → 同委員会は1事故ではなく3事故とするこちらの数字を表に記載している。
             [下段右の欄B(2)]「2030年度電源構成案」の想定する実際の原発の事故確率、つまり「発生実績」ベースの事故発生頻度、つまり「2011年コスト等検証委員会」の上記B(1)の②にあたる数字は、同案には見当たらないようである → ただこれは簡単に計算でき、2011年報告書の半分として(「2000炉・年」から「4000炉・年」にリスクを半分に評価しているので)、50基運転で20年に1回、今回の計画46基運転では22年に1回の頻度になる。
             事情に疎い一般人ならともかく、政府委員会に所属する専門家たちが、このような事情を知らなかったとは考えにくい。彼らも、また大手マスコミの記者たちも、知っていながらこの事実に口をつぐんでいるとしたら、許しがたい行為というほかない。

            表3 政府各委員会の過酷事故確率の推計の一覧(「→」以降は筆者の計算)

            政府の各文書によって筆者が作成。左下から時計回りに見ていただきたい。

               5.事故確率を大きくするその他の諸要因

             電源構成案では、想定される「モデルプラント」について、福島事故の経験を踏まえて事故対策が進み事故確率が2.4分の1に「低減すると推定」している。だが、反対に、現実の事故確率を増大させる一連の諸要因はまったく顧慮されていない。いくつか上げてみよう。
             (1)20基を越える多数の老朽原発を設備年齢40年を越えて60年まで使うならば、当然事故リスクは増大するであろう。このことは、原子炉や配管などの放射線による脆性劣化が進んでいること、鉄筋コンクリート構造物の経年劣化による脆弱化が避けられないこと、1980年以前に稼働開始した原発では配線の被覆に可燃性素材が使われており火災の危険が高いことなどを考えただけで明らかであろう。
             (2)多数の原発が稼働される場合、たとえ政府委員会の言う「モデルプラント」のような事故確率の低い新しいプラントが少数(4基+新設3基)あったと仮定しても、全体の事故確率は、その本質上、運転される原発の中で最も危険度が高く事故確率の高い多くの老朽プラント(39基)によって支配され決定される。その意味では、同案は事故確率計算にあたって、最も危険度の低い原発ではなく、最も危険度の高い原発を「モデルプラント」とすべきであったのである。
             (3)政府推計の事故確率は、事故が原発の運転時にだけ起こることを前提にしているが、原発は、福島第一原発4号機の爆発(その詳細は未解明である)のように、稼働していなくても事故が起こる危険がある。また、使用済燃料プールの地震・津波に対する脆弱な構造を考慮すると、原発の稼働・非稼働にかかわらず事故の確率を考えなければならないことは明らかである。
             (4)日本列島とその周辺が、地震や火山活動について、激しい地殻変動の歴史的時期に入った可能性が指摘されている。その結果として当然、原発事故確率も上昇が予測される。
             (5)後に詳述するが(本書第5章第3節)、近年、財界サイドの経済誌によって、日本の重電・原発メーカーの技術劣化が指摘されている(文献33、35、38)。とくに、日立・三菱製の機器で、発電用タービン・ブレード損傷(浜岡、島根、志賀原発など)や蒸気発生器の細管の振動による破断(米サンオノフレ原発)など、重大事故に繋がりかねない深刻なトラブルが頻発している。このような技術劣化が生じているとすれば、原発の事故確率も必然的に上昇していると考えるべきである。
             (6)あわせて言えば、電源構成案には、使用済核燃料の「全量の」再処理方針が表明されている(下に引用)。つまり高速増殖炉「もんじゅ」の再稼働と六ヶ所村核燃料サイクル基地の全面的稼働を行うという方針が明記されているといってよい。これら核施設は原発以上に危険であり、事故リスクも高いことが当然予想され、これらを稼働させた場合、想定される事故確率はさらに高くなるはずである。だが政府の電源構成案ではその検討はなされていない。

            引用8:使用済核燃料の全量再処理と核燃料サイクルの推進という方針の表明

            総合資源エネルギー調査会 長期エネルギー需給見通し小委員会 発電コストワーキンググループ「長期エネルギー需給見通し小委員会に対する 発電コスト等の検証に関する報告(案)」2015年4月
            http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/cost_wg/006/pdf/006_05.pdf

             これらのことから必然的に導かれるのは、電源構成案のように日本における原発の苛酷事故リスクが福島事故後の対応策によって顕著に低下したと評価することはできないということ、日本における原発稼働の歴史的経験から計算される過酷事故確率が極めて高いということである。政府の想定しているどの数字をとっても、50基稼働として「実績」ベースでおよそ10年に1回、20年に1回、30年に1回のどの数字であったとしても、また「モデルプラント」ベースでおよそ40年に1回、80年に1回であったとしても、この結論は変わらない。また、われわれの計算のように原発重大事故を引き起こす自然災害の確率が18立地点で30年に1回であったとしても、同じことである。これらはすべて「いつ起こってもおかしくない」程度の確率であるといえる。
             政府が想定する「モデルプラント」ベースの事故確率(4000炉・年)でさえも、IAEAの掲げる国際的な安全目標値を大きく越えてしまっている(「大規模放出頻度」10万炉・年はおろか一般的な「炉心損傷頻度」1万炉・年をも)。そのような、危険性が確率的に実証されている原発を、それを承知の上で稼働することは、皮肉にも、世界的な原発推進を目的としている国際機関の基準にさえも公然と違反し、その規制と権威とを赤裸々に踏みにじることになるであろう。政府の想定する事故確率からだけでも、日本において原発を稼働することには福島規模の破局的事故を繰り返し引き起こす極めて大きいリスクがあり、「あらゆる原発は運転してはならない」という結論以外の結論は出てこない。

               6.安全への基本的考え方と事故確率の意味の根本的変化

             以上を総括すると、経済産業省の「2030年度電源構成案」には、原発の安全性についての政府の根本的な路線変更がある。すなわち同案は「原発は安全であって事故は起きない」と言っているのではない、あるいは「事故を決して起こしてはならない」と言っているのでもない、「事故は確率的に起きる」「事故は事業者の責任であって政府には主な責任はない」と言っているのだということが分かる。「2030年度電源構成案」には次の1節があり、この方針が端的に表現されている。

            引用9:電源構成案の事故に関する基本的な考え方

            出典:「長期エネルギー需給見通し 骨子(案)関連資料」

             だから事故費用は「コストとして」算定しておけばそれでよいというのが経産省案の基本的立場である。しかも、このコストには住民の健康被害に対する賠償はまったく算入されていない。過酷事故が起こっても「健康被害はない」という評価なのである。また、福島のような原発の重大事故が起これば、もはや賠償や事故対応コストによっては「取り返しの付かない」損害や被害が出ることへの、金銭的な補償や対応の枠組みそのものを越えてしまう破壊が生じることへの意識や配慮はまったく表明されていない。
             これは、検察が事故を起こした東電や関連官庁担当者を不起訴処分としたとあわせて、恐ろしい無責任状態であり、電力会社に「事故を起こしてもよい」「事故を起こしても責任を取らなくてよい」という示唆を与える重大なモラル・ハザードである。それどころではない。過酷事故を想定して原発を大規模再稼働させようとしている点で、もはや今後起こる可能性のある原発事故は決して「想定外の結果」ということにはならない。「苛酷事故が起こることを想定して原発を稼働すべきだ」と公言していると言っても過言ではない。
             つまり原発の事故確率の意味が根本的に変わってしまった点に注意が必要である。福島原発事故以前には、原発の事故確率は、IAEAに従って重大事故頻度(「早期大規模放出頻度」)は1基に対して「10万年に1回」、50基運転の場合で「2000年に1回」とされ、いわば近い将来生じる可能性がゼロに近いことの根拠の1つとされてきた。それは「安全神話」の不可分の構成部分であったといえる。しかし、今や状況は根底から変化した。政府の電源構成案では、事故確率は、それほど遠くない時期に、確率的にではあれ必然的に、過酷事故が生じると想定し、そのような巨大なリスクを国民に無理矢理押しつけ受忍することを強要する道具になっていると言える。
             日本経済新聞の滝順一編集委員は、経産省の電源構成案が決定された6月1日に「『まさか』への備えはあるか」と題する論説を日本経済新聞紙上に掲載し、「原発の再稼働を目指す電力会社に『まさか』への備えはあるだろうか」という問題をはっきりと提起したが、それは当然である。この論説は、原発再稼働をめぐって「規制基準を超えた事態」への備えが電力会社の「自主的な」取り組みに委ねられている(すなわち実質上行われていない)現状の危険性を訴えている(文献16)。それは、過酷事故を起こすことを想定した再稼働という事態に直裁に危機感を表明した、極めて時宜にかなった優れた問題提起である。全体としては原発推進論を基調とする日本経済新聞がそのような論説を編集委員名で掲載した事実に注目しなければならない。ただ、滝氏があわせて指摘しなければならなかったのは、政府案におけるこの「まさか」の想定頻度である。
             電源構成案は、この「まさか」の事態が、福島事故のような大量の放射能を放出する破局的事故が、「事故実績」ベースではおよそ20数年ごとに(可能性としては10数年ごとに)反復されることを想定し前提としている。それを、安全で事故対策の進んだと想定した「モデルプラント」1基について計算すれば「4000年に1回」となるとして人々を慰めようとしているようにも見えるが、現実の想定数字は計画通り46基稼働するなら「22年に1回」である。政府の電源構成案は、20数年周期の過酷事故の反復を前提に、原発を大々的に再稼働し、原発を新増設・リプレースし、「もんじゅ」も核燃料サイクルも稼働し、日本国民を放出放射能によって大量にしかも何度も繰り返し被曝させ、いわば日本全国の原発が事故によって使えなくなるまで原発を推進しようという計画であるといっても過言ではない。

               7.経団連「エネルギーミックス」プランの役割と財界の責任

             この経済産業省の電源構成案は、日本経団連のまとめた「新たなエネルギーミックスの策定に向けて2015」(文献7、8)をベースとして策定されていると考えられる。経団連案は「原子力比率が高いほど+再エネ比率が低いほど経済に好影響を与える(悪影響を与えない)」という主張を基軸としている。経団連案は原発比率を25%以上とするよう勧告しており、政府案の自家発電分を除いた原発比率24%とほとんど一致している。核燃料の再処理・核燃料サイクル推進という点でも政府案と同じである。政府の電源構成案をまとめた委員会の責任者、コマツ相談役坂根正弘氏は、財界首脳の1人であり、日本経団連の元の評議員会副議長あるいは環境安全委員長であった。
             坂根氏は日本経済新聞に「100年先の資源枯渇を見越して」という論説を書いている(2015年5月21日付)。化石燃料の多くだけでなくウランまでが枯渇する「100年先を見越して」「核燃料サイクルを含めて原子力エネルギーを使う」べきであるという主張であるが、原発の全面推進方針のもつ事故リスクについては口を閉ざしている。それだけでない。坂根氏は、『中央公論』誌に寄せたインタビュー記事においては、原発再稼働をめぐって「安全神話を再び蘇らせてはならない」と主張し、「100%安全・安心」という「お墨付き」を住民に与えることなく再稼働を行なうように進言している(文献6)。
             坂根氏の言っている「100年」単位でとれば、坂根氏が委員長として作成した政府案は、実は、福島原発事故クラスの原発事故が100年間に4から5回程度起きることを「見越して」作成されている。坂根氏は同委員会の責任者として、この事故リスク計算について知らなかったとは言えないはずである。坂根氏は「安全神話の克服」を訴えているのだから、事故確率についても当然知っているのである。だが、肝心の数字について氏はまったく沈黙している。
             元通産官僚・元経済企画庁長官であって、財界中枢に近く「電力会社に群がった原発文化人」の一人とされ、また維新の会のブレーンともされる評論家の堺屋太一氏も、週刊誌とのインタビューで「事故確率主義による『安全神話』からの脱却」を訴えている(文献42)。この点も重要であって、坂根氏だけでなく財界首脳層が苛酷事故の確率的反復を前提に原発を大規模に再稼働していく方向で一致していることを示している。堺氏は、原発即時ゼロを(まったく正当にも)主張する脱原発運動に対して、「どんなに規制基準を厳しくしても事故が起きる可能性はゼロにはならない」のだから「『原発即時ゼロ』しかない」という主張は「冷静な議論ではない」と批判する。「事故リスクは確率主義で考えるべき」であり、それに基づいて政府が「基本的考え方を改訂」し「安全指針を定める」べきであり、そうでなければ「本当の意味で『安全神話』からの脱却はできない」という。だが、これらの内容はすでに政府案の基本線になっており、その口移しに過ぎないように見える。だが、文脈からは肝心の具体的な事故確率あるいはその頻度年数が問題になる直前のところで、堺氏の議論はなぜか突然止まってしまう。具体的数字を提起しなければ「冷静な議論」は不可能である。具体的な事故確率数字には沈黙して、卑怯にも人々には知らせないまま、「冷静に」受忍だけして欲しいというわけなのだろうか。
             しかし、政府文書に明記されている数字が鮮明に示しているように、政府・財界の意図通りに事が進めば、坂根氏の言う100年の間に日本全国の原発のうち4〜5基程度(可能性としては9〜10基)が福島原発と同じ運命をたどるという確率的なリスク――これが政府のエネルギー長期計画の大前提になっているのである。
             思い起こせば、JR東海の葛西敬之氏(当時会長)には、福島原発事故の記憶がまだ生々しかった2012年に、原発事故によってたとえ交通事故死者と同程度の「年間5000人の犠牲者」が出たとしても、その程度のリスクは「覚悟を決めて」原発を推進していかなければならないと公然と主張する「勇気」(「蛮勇」というべきであろう)があった(文献9)。
             葛西氏は「国益に背く『原発ゼロ』」と題された論説の中で言う。「人々の生活は多様なリスクと共存している。…要はどこまでリスクを制御・克服し、覚悟を決めて活用するかだ。…自動車は日本国内だけでも毎年5000人の事故死を出している。それでも自動車の利便性を人は捨てない。…原発も同じだ。事故被害の規模の大きさを考えれば四重五重の安全対策を施して事故を防ぎ、損害を封じなければならない。…逃げることなく問題を克服し、原子力を活用してこそ、日本の明るい未来が開ける。そしてそれは可能である」と。これは、例示の形ではあるが、福島原発事故の被害規模についての財界首脳による貴重な示唆である。
             葛西氏の例示した数字に従って計算をしてみよう。単純にするために仮に50基稼働とすると、今後100年間には4回福島規模の原発事故が起きることになる。これまた単純化のため1回の事故ごとに、放射能汚染が全国各地に拡散し、年間の死者数が葛西氏の想定どおり5000人ずつ増えていくと仮定しよう。すると80〜100年後には単純計算で毎年2万5000人規模の犠牲者が出ることになる。100年間で積算すれば合計150万人に上るであろう(20年ごとに10+20+30+40+50万人と増えていくので)。戦時に匹敵する「静かな大量殺戮」と言ってよい事態が生じるであろう(これは現在すでに始まっている可能性があるがこの点はここでは置いておこう)。
             日本の人口は福島事故以前にすでに減少傾向に入っており、福島原発事故以後、減少幅は大きく加速している。国立社会保障・人口問題研究所の福島事故以前の数字に基づく研究(文献18)によれば、およそ100年後2110年の日本の人口は、出生・死亡とも中位推計で4286万人とされ、現状の約3分の1に減少すると予測されている(出生低位・死亡上位推計では3014万人と現状の4分の1に減少)。もし、そこにさらに4回の福島規模の原発事故と放射性物質の大量放出が日本各地の原発で繰り返されるならば、何が起こるかは明らかであろう。坂根氏ははっきりと「それでも」全面的原発・核燃料サイクル推進を強行するべきであると公然と主張するべきだったのだが、彼には葛西氏的「覚悟」はなかったようだ。いずれにしろ、これが財界首脳の人権感覚である。今回の電源構成案の策定にあたって財界の果たした役割もまた徹底的に追及されなければならない。

               8.チェルノブイリ事故と社会主義崩壊以後の東欧の人口動態

             チェルノブイリ事故によって大きな健康被害を受けたウクライナでは、事故後現在までに人口が8人に1人の割合で急減した。ロシア、ベラルーシを加えるとチェルノブイリ事故後3国の合計で人口減少は1300万人以上に達した。その他の東欧諸国での人口減少も、2200万人以上であった。合計ではおよそ3500万人の減少が生じた。もちろんこの全体がチェルノブイリ事故に関連しているわけではないであろう。ヤブロコフはチェルノブイリ事故の人的被害を約100万人と推計しているが、これを見るとさらに多い可能性を考えなければならないかもしれない。しかし、日本で福島クラスの事故が何度も反復すれば、東欧の被害どころではない。現在の人口の減少傾向は破局的に加速しないわけにはいかないのは確実であろう。

            表4 チェルノブイリ原発事故以後の東欧諸国の人口動向  (単位 万人)

            出典:WikipediaウェッブサイトにあるDemographicsの各国の項目より計算(四捨五入があるので合計は一致しない)。2013年7月24日閲覧

               9.結論

             以上検討したことから、次の結論が導かれる。
             1.この電源構成案は、無責任きわまりない半ば狂気と呼ぶほかない計画であって、およそ20年ごとの確率で反復する原発重大事故とそれによる国民の繰り返される大量被曝という破局的なリスクを前提とした計画になっている。それを実行すれば、その計画の想定通り、政府・財界自らが国と国民の存立そのものを脅かす破局的危機を人為的に作り出す結果になりかねない。
             2.しかも、想定どおり再度の破局的事故がおよそ20年ごとの頻度確率で繰り返される事態が生じた場合、事故は政府電源構成案の中に原発の「発電コスト」としてはっきりと想定され計算され計画された内容の帰結であるということになるであろう。決して「想定外」の「意図せざる結果」としてではない。その意味では、同案の実施によって次に起こる原発の重大事故は、政府・財界が「意図した結果」であるというほかない。政府は、福島原発事故がいまだに収束せず、福島県とその周辺や首都圏などの住民および多かれ少なかれ全国民の放射線被曝による健康影響が進んでいく中で、さらに破局的事故のおよそ20年程度ごとの反復を見込んだエネルギー計画を実行しようとしているのである。これは政府・財界による未必の故意による「国家的組織的犯罪行為」としか言いようがない。
             3.政府の電源構成案は、すでに誰の目にも破綻と致命的な危険性が明らかになった原子力エネルギーを、致命的に大きなリスクを冒してでもあえて推進しようとする「集団自殺」(文献17)的計画であり、いわば太平洋戦争末期の絶望的攻撃計画にも等しい「原発特攻」「原発バンザイ突撃」「原発玉砕」計画であるといえる。もしそのような計画が実行され、その想定どおり100年間に4回の福島級原発事故が反復すれば、財界首脳が奇しくも示唆した評価によって計算してもおよそ150万人規模の犠牲者がでる事態が生じる危険性がある。現実には文字通り国と国民の存立そのものが根底から脅かされる破局的事態となるであろう。
             4.政府の事故確率の試算から出てくる結論は、原発は一切稼働してはならずすべて直ちに廃棄に着手すべきであるということである。最低限必要なのは、何よりもまず政府が進めようとしている原発再稼働を何としても止め、この危険極まる電源構成案を撤回させることである。このような犯罪的ともいえるエネルギー計画を立案した責任者を厳罰に処し、全原発と核燃サイクルを全面的に廃棄し、再生可能エネルギーを半分以上に高めることを中心に2030年の電源構成を決めることである。
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            2015.06.06 Saturday

            石川廸夫著『考証 福島原発事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』の問題点 山田耕作、渡辺悦司

            0
              石川廸夫著
              『考証 福島原発事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』
              の問題点


              山田耕作、渡辺悦司
              2015年6月1日



              石川廸夫著『考証 福島原発事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』の問題点(32ページ,928KB,pdf)


               福島原発事故の経過をたどり事故原因を解明することは、溶融炉心の状況がいまだに不明なままであり、また一連の重要情報が公開されていないことから、極めて難しい。石川廸夫氏の『考証 福島原発事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』日本電気協会新聞部(2014年3月出版)は、原発推進側からの事故の経過を解析する試みである。しかし、我々から見ると、有馬朗人氏の「目からうろこ」という賞賛に反して、多くの本質的な論理矛盾や問題点が数多く見られる。その点を指摘し、原発の本質的危険性に関連する検討課題を提起したい。このような検討を通じて、正しい事故解析が進むことを期待するものである。さらに同書後半の地震や放射線被曝に関する記述については、科学の歴史的成果を踏みにじるがごとき非科学的な記述が多々あり、何の批判もなくこの書が店頭や図書館に並んでいるという状況を科学者として座視することは許されないと思う。また、政府・原発推進勢力がこの夏から原発の再稼働を強行しようとしている現在、原発推進勢力が事故とそれによる住民の被害についていったい何を考えているのかを知るという点でも、無視することのできない文献と言える。


                   目 次

              1.はじめに――本書の基本的性格       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  2
              2.有馬朗人氏の「発刊に寄せて」      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  5
              3.「第一部 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか」      ・・・・・・・・・・・  6
               3-1.石川氏の主張      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  6
                3-1-1.「第1章 スリーマイル島原子力発電所事故」       ・・・・・・・・  8
                3-1-2.「第2章 福島原子力発電所事故 1〜3号機編」       ・・・・・・・ 10
                 3-1-2-1.「1号機の場合」(82ページ)      ・・・・・・・・・・・・・・ 10
                 3-1-2-2.「2号機の炉心溶融」(94ページ)       ・・・・・・・・・・・ 10
                 3-1-2-3.「3号機の場合」(125ページ)       ・・・・・・・・・・・・・ 11
                 3-1-2-4.「再び1号機の場合」(162ページ)        ・・・・・・・・・・ 12
                 3-1-2-5.2章の「まとめ」(194ページ)        ・・・・・・・・・・・・ 12
                3-1-3.「4号機編」(203ページ)       ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13
              4.第一部のまとめと問題点         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14
               4-1.まとめ        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14
               4-2.問題点        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15
                4-2-1.問題点1:崩壊熱の過小評価とヒートシンクの無視がある       ・・・ 15
                4-2-2.問題点2:ICとRCICの過大評価         ・・・・・・・・・・・・・ 16
                4-2-3.問題点3:石川氏は3号炉の爆発を格納容器の底からの水素爆発とする
                   のに苦労している、臨界爆発の可能性はないのか        ・・・・・・・ 19
                4-2-4.問題点4:メルトダウンに対する一般論との整合性       ・・・・・・ 19
               4-3.再臨界爆発の可能性に関する国会事故調の見解       ・・・・・・・・・・ 20
               4-4.NHKスペシャルが放映したデブリ再臨界の可能性       ・・・・・・・・・ 21
              5.「第二部 原子力安全向上と福島復興の論点」       ・・・・・・・・・・・・ 21
               5-1.問題点1:被曝被害に対する石川氏の見解は基本的人権に反する      ・・・ 21
               5-2.問題点2:SCベントの過大評価         ・・・・・・・・・・・・・・・ 24
               5-3.問題点3:石川氏の地震に対する楽観的見解の誤り        ・・・・・・・ 24
                5-3-1.国会事故調査報告書を補足する証言       ・・・・・・・・・・・・・ 25
                5-3-2.石川氏の主張の激しい動揺と支離滅裂       ・・・・・・・・・・・・ 26
               5-4.問題点4:安全な耐震設計ははたして可能か        ・・・・・・・・・・・ 26
                5-4-1.5学会の柏崎刈羽原発の地震被害調査と報告         ・・・・・・・・ 27
                5-4-2.耐専スペクトルの問題点        ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28
              6.おわりに       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 29
              注記         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30


                     1.はじめに――本書の基本的性格

               福島原発事故の経緯とその評価は、溶融炉心の現状など未解明な部分が多く、詳細なデータが公開されていないこともあって難しい問題である。このような時、原子力分野の大ベテランの石川廸夫氏が事故の経緯についてシナリオを提出された(石川廸夫著『考証 福島原発事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』日本電気協会新聞部 2014年3月出版)。同書に対して、物理学者で元文部科学大臣の有馬朗人氏が「発刊に寄せて」を寄稿し、同書を「目からうろこ」(3ページ)と絶賛している。確かに、石川氏の専門の溶融実験に関しては参考になる報告もあり、われわれは謙虚に学ばなければならないと思う。しかし、力作だけに、それだけ石川氏の思い入れが強く、私達から見ると、福島原発事故の評価は全体として一面的でバランスを欠くものになっているように見える。
               例えば、崩壊熱に対する危険性の評価が甘いことである。ここから石川氏は、炉心溶融は基本的に、崩壊熱ではなく、ジルコニウムと水の反応によって生じたと断定する。それに基づいて、炉心溶融は1号機・2号機・3号機とも、起こっていたとしても部分的であり、溶融した炉心の大部分は、表面が固まった卵のような形で、圧力容器の内部にとどまっていると推定する。しかし、2015年3月19日の東電の発表(1号機)、同20日の名古屋大学の発表(2号機)によれば、宇宙線ミュオン(ミュ中間子)を用いた炉内の透視を行った結果、両号機とも、圧力容器内に溶けた核燃料は見えず、炉心が圧力容器の外に格納容器に溶け出ていることが明らかになった注1。石川氏の議論の基本的な大前提は、実際の測定によって崩れてしまった。
               いっそう問題となるのは、被曝被害の評価や耐震設計などに対する恐るべき楽観的見解である。あまりにも信じがたいことなので、無知なふりをして暴言やデマゴギーを振りまいているようにも見えてしまう。
               例えば、238ページでは「上限値の100ミリシーベルトは人体に影響がない値として、科学的に判断した数値です。」と、最近はICRPなどでも国際的に否定された閾値100ミリシ−ベルトを未だに主張している。その上、石川氏はさらに総被曝量と年間被曝量100ミリシーベルトとを混同し、年間100ミリシーベルトを浴びても害がないかのように記述している。ICRPが言っているのは総被曝量100ミリシーベルト以下で、統計の信頼性の基準である危険率が0.05より小さくないので統計的に信頼性が「低い」というということであって、被曝影響が「ない」といっているのではない。しかも最近は、被曝線量がわかりやすい、医療被曝などを通じて10ミリシーベルト以下でも被害があることが統計的に証明されている注2。また、福島原発事故でも2011年12月には福島近くの4県で自然死産率の12.9%の増加が確認された。にもかかわらず、石川氏は福島原発事故の直接被害で死んだ人はなく、むしろ、避難生活で命を落としたとして、「不必要な」避難をさせたとして民主党政権を批判している。石川氏の見解は『電気新聞』紙上や研究会で議論されたというが、誰も忠告しなかったのだろうか。私達がこの本で最も驚いたことは、原発を推進してきた人たちの放射線被曝に対する軽視の姿勢である。何事においても全力で推進させようとする人には、その障害となるマイナス面は目に入りにくい。石川・有馬両人とともに『電気新聞』に集まる人たちが被曝者被害に対してまじめな注意を払って来なかったし、まじめに議論して来なかったことが、何よりも明確にこの本に示されている。その意味では恐ろしいが重要な本である。
               著者たちの目的は、福島原発事故を解釈可能で対処可能なように見える水素爆発として説明し(後述するように「見える」だけである)、事故を恐れることなく原発の稼働を進めようという宣伝にある。少々単純化しすぎたり、言い過ぎても再稼働に役立つなら良いではないかというのであろうか。石川氏が、歯に衣を着せず率直に言い放つところは人柄として好ましく思う人もいるかもしれない。しかし、物事を的確に判断できるはずである石川氏本人が福島の子どもの甲状腺がんをはじめ本当に被曝被害が一切ないと信じているのかは、依然として私達にはわからないままである。事故による「死者は1名も出ていない」と何度も強調するが、石川氏自身が追悼の言葉を捧げている吉田元所長自身の急死を含めて単にカウントされていないだけだという可能性を一顧だにしなかったのだろうか?
               財界・学界・マスコミ・政界を結ぶ原発推進のための組織「原子力の安全と利用を促進する会」の共同発起人には、同会会長の有馬氏や石川氏とともに、JR東海の葛西敬之名誉会長が名を連ねている。葛西氏は、読売新聞紙上で、福島原発事故により、交通事故死程度「毎年5000人」の死者が出るとしても「リスクを制御・克服し、覚悟を決めて(原発を)活用する」べきだとする趣旨の発言をしている注3。これは10年間で5万人、50年間で25万人という犠牲者数であり、脱原発側のクリス・バズビーなどの試算とほぼ同じレベルである。つまり、この葛西氏の言葉は、そのまま石川氏に跳ね返って突き刺さることになる。
               石川氏は、今まで日本の原発推進を技術研究の面からトップに立って担ってきた責任者の一人である。だが、そのような者として重大事故を引き起こしたことに対する自分の責任や真摯な反省は表明されていないように見える。これは大変遺憾なことであるといわざるを得ない。
               石川氏の本は、第二部はとくにそうであるが、議論が混乱して、首尾一貫せず、お互いに相対立する見解や主張が、何の説明もなく並んで述べられている。その意味で、二面的で、矛盾し、立場が常にゆれているという印象が強い。ただ、これは善意で解した場合の評価で、意図的だと解釈されるなら、欺瞞的、二心的、虚偽的という人もいるであろう。
               たとえば、一方では、技術者・研究者として事故を客観的に見ていこうという立場がある(この点ではこの本から大いに学ばなければならない)かと思えば、他方では、原発推進と再稼働という技術外・研究外の目的のために事故像をその都合のよいようにゆがめていこうという立場がある。しかも石川氏本人はこの2つの立場の間を、無意識にか意識的にか、絶えず揺れ動いている。一例は、崩壊熱が1時間に700℃〜1000℃の炉心(燃料棒)温度上昇をもたらす(134ページ)という崩壊熱の重要性を指摘している箇所があると、そのすぐ後には、水・ジルコニウム反応を強調して崩壊熱による炉心溶融を否定する見解が展開されるという具合である。
               また、安全性のところでは、一方では、軽水炉は本来「強靱で絶対に安全」だという軽水炉に対する「原理主義的安全信仰」と、他方では、その反対に、事故は「自然力によリ不可避的に生じる」のだから、起こる事故に対応して改良を積み重ねながら原発を推進していくべきだという「事故対応的安全論(弥縫(ビホウ)策的安全論というほかない)」との間を、絶えず行ったり来たりしている。
               さらには、事故原因でも、一方では、建設当時の原子力発電所の設計上の制約からして起こるべくして起こった(たとえば非常用発電機の低い設置位置)という「事故必然論」をとりながら、他方では、東電トップと吉田所長の事故対応(水の注入時期)や当時の民主党政府の対応(首相視察や4号機への注水優先)と無策(電源確保の遅れ、自衛隊・米軍の発電艦の派遣を依頼しなかったなど)に転嫁するなど「人的ミス原因説」をとり、ここでも揺れが甚だしいと言うほかない。
               事故を起こした東京電力についても、事故対応の失敗(とくに注水の遅れ)や秘密主義の点で批判して一線を画しているかと思えば、他方では、事故原発の「運転員のレベルは一流だった」、東電の技術者たちの「気概」を評価してほしいなど露骨な賛美と弁護論、その裏返しとして「東電には地元からの心の支援が今必要」であり(それにより)「東電職員がしっかり働く」かどうかで「廃炉工事の成否が決まる」、つまり廃炉工事が失敗するとしたら住民が東電を心から支援しないからだなどと、住民の反東電意識への責任転嫁を示唆するなど、これも二面性が甚だしい。
               あと一言付け加えれば、石川氏の主張は、意図的に虚偽的なものを取り除くと、結局のところ、①注水したことがメルトダウンと水素爆発の原因である、②放置しておけば熱放射で徐々に冷えて爆発は起きなかった、③注水は原子炉をベントで減圧し水を沸騰させて炉心が冷却した瞬間(時間単位ではなく分単位の期間)にだけ行うべきだった、という3点に帰すると思われる。
               しかし、後述するように、もしも③が実施できた場合でも、石川氏の説くとおりだとすると、燃料棒は屹立しているが制御棒は溶け落ちているという状態であり、そこに注水して炉心を水で満たせば、再臨界が制御不能な形で生じることになる注4。ということは、つまるところ、「いったん重大事故が起き始めるとそれを止めることはできない」というのが、石川氏の証明しようとした真の核心であるということになる。
               だが、石川氏は、この自分の議論から出てくる必然的な結論を、公然と一貫して主張する勇気がなく(葛西氏式に言えば「覚悟が決まらず」)、自己の推論の結論を断固として主張すれば、自分が代表する原発推進の利害と矛盾すると感じている。この結論における動揺が、氏の議論を曖昧にし混乱させ、正反対の矛盾した見解を平気で併置し、真実と虚偽意識との間を常に動揺するという形に終わらせている最奥の原因であると思われる。
               この本のもつこのような複雑で矛盾した基本性格は、読み手を混乱させ理解を困難にしているが、同書のもつこの本質的な二面性を確認し意識しておけば、本文の理解と検討は容易になるであろう。


                     2.有馬朗人氏の「発刊に寄せて」

               石川氏の主張の要点を有馬氏は次のようにまとめている。
              3ページ「石川氏によれば軽水炉の冷却材喪失事故では、燃料は高温となっても蒸気冷却や輻射による放熱と被覆管表面にできる強靭な酸化皮膜で形態を保ち、その後に急冷されると分断・落下して炉心崩壊を生ずる。燃料が出し続ける残留熱(崩壊熱)だけでは容易に溶融せず、被覆管材料(ジルコニウム)と水との激しい酸化反応による発熱が止まらなくなると初めて炉心溶融を生じる。しかし、溶融物と水との間に卵の殻が形成され、溶融炉心はその中に保護されるので水蒸気爆発は生じない」。以上の理解のもとに有馬氏は「石川氏の分析、考証の結果は、原子力発電の安全性の再構築が可能であることを証明している。」「本書により福島の炉心溶融・爆発の様相は完全に解明された」と宣言する。
               しかし、問題はこのような石川氏の議論と有馬氏の理解が正しいかどうかである。長い歴史を持つ原発の危険性に関する議論が石川氏の著作によって一挙に解決したかのような有馬氏の宣言は、すぐには信じがたい。以下問題点を議論するが、私達は「解明」されたのではなくて、採用するシナリオを決めたに過ぎないと思う。しかもそのシナリオは出版後1年で実測により土台から崩れてしまった。このような誤った認識で再稼働されてはたまらない。まさに安倍首相の「アンダーコントロール」に対応する主張である。かって、理論物理学を指導した有馬氏は科学的証明ということを現在どのように考えているのだろうか。伏見康治氏以来、有馬氏の子弟をはじめ、我が国の核物理の理論家達は輝かしい伝統を持つ。彼らは沈黙しているが、有馬氏の結論に同意しているのだろうか。
               事故の「解明」と安全性の「再構築」に関しては例えば二見常夫氏の教科書的文献(二見常夫著『原子力発電の事故・トラブル』丸善出版 2012年)と比較してほしい。著者二見氏は、3年間、福島第一原発の所長も務めた。この書は、東電福島原発の吉田所長などとの議論を踏まえた東電の情報に基づく教科書的な著書である。石川氏が明言していない真実もみられるようである。
               例えば、65ページで、5,6号機では、ディーゼル発電機が、それを冷却する取水口近くの海水系ポンプモーターの冠水により使用できなかったことなど、ヒートシンクの重要性を正しく指摘している。
               「1号炉 12日2時45分原子炉圧力0.800MPa、2時30分のD/W(格納容器ドライウェル)の圧力が0.840MPaと原子炉がD/Wの圧力より下がった。明らかに燃料が溶融し、原子炉圧力容器から原子炉格納容器へと流れ落ち始めたことを示している(同書77ページ)。全電源喪失から約11時間経過していた」として、炉心溶融を明確に認めている。
               二見前掲書129ページでは、「三つの喪失と三つの多様化の教訓」として「福島第一原子力発電所の事故のキーワードは『三つの喪失』すなわち電源喪失、水源喪失、ヒートシンク喪失であり、「再構築」への教訓は『三つの多様化』すなわち電源多様化、水源多様化、ヒートシンクの多様化である」という。


                     3.「第一部 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか」

                   3-1.石川氏の主張

               8ページ「はじめに」で次のような「NHKのシナリオ」を否定している。「真っ赤に焼けた炉心燃料がぐにゃぐにゃと溶けて崩れ、丸い灼熱の溶液と化した炉心が圧力容器の底に落ちる。この熱で周辺の水と溶融炉心とが反応して水素を発生させ、水素爆発が起き原子炉建屋を破壊する。さらに灼熱の溶融炉心は、圧力容器の底を溶融貫徹して格納容器の床の上に落下し、格納容器の床のコンクリートも溶かす。幸い炉心から出る崩壊熱が低下したために、紙一重の差で格納容器を貫く事故への拡大は防げた模様」という「NHKのストーリー」は「間違っている」として全面的に否定して、「演繹と考証」で「1から4号炉で起きた事故の具体的現象を分析」するというものである。
               この点は、事故炉の調査が進んで事実が公開されていけば、自ずと明らかにされるであろうことなので、これ以上は触れないこととする。ここは事故のシナリオについてできるだけ予断を持たず、石川氏の述べる内容の検討に入っていきたい。言っておきたいのは、この点でも石川氏は、非常に誤解や混乱を生じやすいミスリーディングな書き方をしていることである。本の中では石川氏自身も、1号機については、このメルトスルー・水素爆発・シナリオを基本的に認めている(171ページ)。だから石川氏のこのNHK批判は、2号機と3号機についてだけに限定しなければならないはずである。

                 3-1-1.「第1章 スリーマイル島原子力発電所事故」

               22ページ「燃料棒が2000℃くらいの高温になると、燃料本体の二酸化ウランと被覆管のジルコニウム合金とが境界面で接触し、混入しあって、ウラン、ジルコニウム、酸素の3元素からなる混合溶融物を作ります。」「混合溶融物は,二酸化ウランの融点よりずっと低い温度で溶融する。」「TMI(スリーマイル島原発事故)の場合2,200℃程度であったといわれています」。「福島第一の場合も、炉心の混合溶融温度はこの程度と推測」する。
               この石川氏の3元素からなる混合溶融物の記述は正しく、それらは二酸化ウランの融点2800℃より低い温度で混合溶融する。
               23ページ「TMI事故では、制御棒はすべて炉心に挿入されました。制御棒の材料は融点の低い銀、インジウム、カドミウム合金(融点約800℃)で、それを覆っているステンレス鋼の融点も1450℃です。制御棒材料は比較的早く溶けて、溶融炉心の周囲を囲む薄い外皮(殻)の下半分に集まっていたとみられています。この事実は、たとえ制御棒が溶融炉心中で偏在しても炉心は再臨界にはならなかったということの証明でもあります」。
               これは証明でも何でもない。再臨界はウランやプルトニウムの集まり方や水の中性子の減速効果によるのである。必ずしも臨界にならない場合もあることを示したに過ぎない。偶然、救われた一つの例というべきではないのか。本来、形が崩れなければ、制御棒なしでは再臨界になるはずだからである。3号炉はプルサーマルが行われており、反応の速いプルトニウム燃料が混在している。プルトニウムが集まると臨界が起こりやすい。この点の検討も必要である。また、3号炉の爆発の際、オレンジ色の炎が見られており、その説明も必要である。
               37ページ「第3の知見は、中央の溶接部を除く比較的温度の低い、燃料棒の上下部分の様相です。そのうちの約25%は粉々になって炉心外に流出していましたが、それ以外の部分は、表面が酸化ジルコニウムの被膜に締め付けられた状態で、分断してループの下に落下していました」。TMIでは溶解した燃料棒などのタマゴの上には燃料棒のデブリがあったが、それは微粉塵化していた。福島でも、溶けなかった燃料棒は微粉塵化しているにちがいないという重要な指摘がなされている。この微粉塵化した燃料棒が3号炉の黒い煙の正体の可能性がある。これは、我々の微粒子論文(「市民と科学者のための内部被曝問題研究会」のブログに掲載されている)でベースにした東北大学の佐藤修彰氏の見解――炉心溶融の早い段階で燃料棒は微粒子化する――を補強するものである注5
               39ページ「このジルコニウムの酸化被膜は非常に緻密で、一度表面にできると、その内側に容易に水を浸透させません。しかもその融点は2700℃に近く、本体であるジルコニウム合金の融点約1800℃よりずっと高いのです」。酸化被膜は安定ということであるが、石川氏の記述によると、上から散水すると壊れるようである。石川氏の主張ではこの酸化膜が鍵となるが、PWR型のスリーマイル島原発の例のみでは生成条件、安定性が不明である。例えばBWRの沸騰水中でも生成するのか。安定に存在するのか。酸化被膜は炉心が静かな場合、溶融燃料と水との接触を防ぎ水蒸気爆発を抑える場合があると思われるが、崩壊熱による沸騰や温度上昇などの条件に依存すると思われる。石川氏は研究会でNSRR実験では「軽水炉燃料をUO2の融点以上の高温にすると、粉々に噴出して水蒸気爆発を起こす」と報告している。
               53ページ「炉心溶融は2分程度で終了しました。ジルコニウム水反応の発する熱量はそれほど激しい、これがTMI事故の示してくれた貴重な事実です。
               65ページ「炉心上部の燃料棒が灼熱状態となって溶けたのではなく、水の中にあった健全な燃料領域が溶融したという事実には驚かれるかもしれません。
               65ページ「炉心溶融がジルコニウム水反応の反応熱で起きるとは想像もしていなかった。
               この記述は不正確である。炉心溶融がジルコニウム水反応の反応熱だけで生じたかのような記述になっている。正しくは、酸化ジルコニウムの薄い被膜が燃料棒の溶解や破壊を一時的に防いだが、崩壊熱によって燃料棒は変質していたのであり、冷えて収縮すると破壊された。いずれにせよ健全な状態ではなかったのである。最後にジルコニウム水反応の熱で溶融したとしても、それまで溶融していないというだけの違いを誇大に強調している。いずれにせよ、水が入ると水素ガスを発生し、水素爆発したというシナリオに違いはない。しかも後に見るように石川氏は1号炉の炉心の溶融は認めているようである。
               66ページ「もう一つ注意してほしいことがあります。溶融という文字は高温の溶液を連想させますが、炉心は溶融の開始時点から流れやすい液体になるのではありません。高温で柔らかくなった燃料材料が混合し、接着したような状態が存在します。2000から2200℃という高温ですから、輻射熱の放散があって融点に達しても、容易に液化できないのです。冒頭で述べた炉心溶融の誤りはこの部分です」。本書冒頭の書き出しでは溶融自体が起こらないというように理解する人もあると思われる。ここで明らかにされたことは溶融体を作り、「容易に液化できない」ということであった。溶融の形態の違い、「映像イメージの誤り」に過ぎない。確かに石川氏の記述のように輻射熱の放散で溶融は容易でないかもしれない。しかし、輻射熱による放散も周りを温め、系全体の温度を高めるであろう。境界条件に依ることであり、いずれ溶融すると考えられる。もし輻射熱で冷却できるなら水の注入は不必要になるはずである。現実に1号機では大量のジルコニウム水反応の前に圧力容器下部は溶融していた。最近のミュオンによる透視では1、2号炉ともに圧力容器内に炉心はなく、格納容器に溶融落下したようである注1

                 3-1-2.「第2章 福島原子力発電所事故 1〜3号機編」

               73ページ「なお、原子炉の冷却に重要な役割を果たす海水ポンプの設置高さは4メートル、当然のことながら海岸近くに設置されていますから、津波で全滅の被害に遭いました。
               75ページ「機械設備に電気を分配する配電盤も、地下室または1階に設置されていたため、その多くが被水して使えなくなりました。したがって、仮に電源が復旧してもおいそれと機械を動かすことはできません。
               77ページ「福島第一発電所が事故に至り、災害を引き起こした原因は、第一に津波ですが、第2に全電源喪失状態が10日間も続いたことが原因とわかります。
               石川氏はここでは福島事故の他の要因にも正しく言及しながら、再稼働を議論する際にはこれらのことに一切注意を払っていない。後にIC(非常用復水器)やRCIC(原子炉隔離時冷却系)の運転操作が正しければ炉心溶融は回避できたかのような記述があり、この時には海水ポンプや電源盤のことはもう忘れている。このように事故の評価が総合的でなく一面的である。
               78ページ「3号機の炉心も13日に崩壊し、14日には同原子炉建屋で水素爆発が起きました。3号機炉心溶融の側杖を喰らって、3号機から流れてきた水素によって、15日には4号機も爆発しました。」「14日午後10時ごろには、2号機の炉心は溶融しました。

                3-1-2-1.「1号機の場合」(82ページ)

               87ページ「IC停止に気付くのが遅れたことは、事故対応での最大のミスといって良いでしょう。」しかし、もし気づいたとしてもICの200トンの貯蔵水では水素爆発と炉心溶融は避けられなかったのではないだろうか。

                3-1-2-2.「 2号機の炉心溶融」(94ページ)

               96ページ「マーク2型の格納容器に蓄えられるSC(サプレッション・チェンバー)水量は約3000トンです。」しかし、NHKが強調している、冷却中にこの温度が上昇してしまう問題については沈黙している。
               100ページ「炉心から完全に水がなくなり完全に空焚き状態になっているにも関わらず、原子炉は溶融していないという事実です。」だが、このまま空焚きが続けばいずれ炉心は溶融するか微粉塵化して崩壊すると思われる。空焚きのままで安定するなら海水の注入は不必要のはずである。
               101ページ「炉心溶融が起きるには、…燃料棒が高温の灼熱状態にあること、水が大量にあることの2つでした。
               103ページ「もし海水が炉心の頂部から散水されていれば、酸化膜は冷えて破れ、燃料棒はバラバラに分断されて、炉心が崩壊したであろう。…炉心は一瞬にして崩壊し、デブリの山と化したでしょう。でも、こうはなりませんでした。
               105ページ「炉心溶融を起こす熱は、崩壊熱ではなく、被覆管材料のジルコニウムと水との酸化反応が生み出す膨大な反応熱でした。でも、この反応を一気に起こすには、燃料棒温度が高く、水が十分あることが必須です。消防車を用いての注水では一気に反応を進めるには十分な水量ではなかったのです。
               必ずしも一気に炉心溶融を起こす必要はないが、そのためには燃料棒温度が高くなることが必須条件という。しかし、その燃料棒の温度上昇は崩壊熱によって起こされることである。
               123ページ「2号機では、減圧と同時に炉心注水を行っていれば、炉心溶融は起きなかったと考えられる。
               これは注水が継続できればの話である。それが問題である。さらには、注水がもし万一成功したとしても、減圧による炉心冷却が起こる以前の炉心温度上昇(1000℃近く)によって制御棒はすでに溶け落ちている(Ag-In-Cd合金の融点約800℃)はずなので、制御棒がない状態で核燃料に注水すれば、当然再臨界が制御不能な状態で生じ、核暴走が生じた可能性が高い。そうなれば、事故はさらに重大な結果を生み出したかもしれない。石川氏は再臨界の可能性についてなぜか一貫して口をつぐんでいるが、石川氏のようなプロがこの危険を知らないはずがない注4

                3-1-2-3.「3号機の場合」(125ページ)

               136ページ「2号機の水位低下理由は、崩壊熱による原子炉水の蒸発でした。このことから3号機の水位低下も2号機と同じとして間違いなさそうです。」RCICによる冷却もSCの3000トンの水では足りなかったということである。
               148ページ「原子炉建屋の爆発」(14日午前11時1分)
               156ページ「下階に爆発を起こすほどの水素ガスが存在したのは、下階に漏れが起きていたからです。格納容器の機器搬入ハッチは原子炉建屋の一階にあります。ここから水素が長時間漏れ出していたとすれば、3号機の爆発状況はきれいに説明できます。
               水素がずっと長時間下階に溜まって上昇しなかっただろうかという疑問が起こる。3号機の爆発が臨界爆発すなわち核爆発であった可能性は、真剣に検討されてもいない。

                3-1-2-4.「再び1号機の場合」(162ページ)

               171ページ「(3月11日)午後11時ごろ、原子炉建屋内の二重扉前面の線量が高いことが記録されています。格納容器の中に相当量の放射能が漏れていた証拠です。…原子炉圧力容器の水は完全に空になっています。午後11時50分頃、格納容器DW圧力が0.6メガパスカルに上昇していることが確認されています。原子炉圧力容器に熱による開口部が生じ、中の蒸気が原子炉から抜け出たことを意味しています。
               173ページ「炉心の輻射熱や溶融した炉心上部構造体の熱影響で、炉心下部に位置する制御棒駆動装置の案内管や中性子測定器などもその一部が溶け、原子炉圧力容器の底には穴ができたことでしょう。
               石川氏は水素爆発前に1号炉の炉心溶融が(崩壊熱によって)生じていたことを認めているようである。
               178ページ「注水を開始する12日午前4時頃には、炉心温度約2000℃原子炉圧力容器温度550から600℃、格納容器温度の推定120〜130℃という輻射熱の平衡温度体系がほぼ出来上がっていた。
               この状態は崩壊熱によって起こったものであり、石川氏の主な主張、ジルコニウム水反応でのみ炉心溶融が起こるという説に反することではないだろうか。この熱輻射の状態が安定な状態のように記述しているが、さらに温度が上昇するので注水する必要があったのである。

                3-1-2-5.2章の「まとめ」(194ページ)

               194ページ「第一は炉心の溶融がジルカロイと水との反応による発熱で起きることです。…炉心は崩壊熱で溶融するのではありません。…ふにゃふにゃと崩壊熱で溶けて、液体となるのではありません。…わずか1%やそこいらの崩壊熱で簡単に溶融するやわなものではありません。その証拠に一滴の水の補給ですらなかった1号機ですら、爆発が起きたのは丸一日以上後のことでした。」 我々には十分早いと思うが、石川氏は遅いという。
               「わずかな崩壊熱が起こす低温火傷は、適切な手当てで治まります。炉心溶融という治療のできない大火傷は、たった2分間でTMI炉心を溶融させた、急激なジルコニウム水反応の発熱しかありません。この反応を急激に発生させるには、ジルカロイが高温であることと、水が十分あることの二つの条件が必要です。
               以上の記述は発生する熱量から見ても誤っている。ジルコニウム水反応の過大評価と崩壊熱の過小評価がある。ここでは突然、崩壊熱が1%というだけで軽視されている。これを軽視してはならないというのが炉心溶融事故に対する従来の教科書的警告である。ジルコニウム水反応が最終的に炉心崩壊を導く急激な反応であったとしても、高温のジルカロイを生成したのは崩壊熱である。
              197ページ「第二は水素ガスの急激な発生とこれによる圧力上昇が水素爆発の大きな原因となっていることです。
              198ページ「適切な注水ができれば大規模な炉心溶融を防ぐ可能性があるという教訓です。
               「適切な注水」これが困難なので、原発の致命的欠陥として指摘されてきたことである。崩壊熱を適切な注水で冷却できればというがそれこそ問題なのである。石川氏は原発の危険性の問題の基本問題に戻ってしまっただけではないのか。
               198ページ「福島での事故対応は、減圧沸騰までは間違いなかったのですが、いずれのケースも2時間ほど注水が遅れました。この遅れが命取りになりました。この2時間の間に、崩壊熱によって炉心温度が再上昇して、燃料棒は灼熱状態になってしまったのです。
               わずか「2時間の遅れで命取りになる」――ここには崩壊熱の恐ろしさが的確に表現されていて、石川氏の優れた記述である。しかし、直前の結論の第一で「1%そこらの崩壊熱で溶融するやわいものではない」といったのは石川氏自身である。著者は混乱している。これは重大な発言である。一般に原子力関係者は崩壊熱を重大な脅威として、それが避けられないことが原発の致命的欠陥として恐れてきたはずではなかったのか。何よりも停止時も崩壊熱のために水で冷却することの必要性が言われてきた。ここには石川氏と有馬氏の思考方法の欠陥が表れている。何事も総合的に考察しなければならない。崩壊熱や反応熱をあれかこれかと対立的に議論するのではなく、総合的に検討すべきであるということである。両方が重なって原発の危険性を高めていることを正しく見なければならない。そうでなければ原発の安全性を論じる資格はないのである。

                 3-1-3.「4号機編」(203ページ)

               204ページ「4号機の爆発が、3号機の炉心溶融でできた水素ガスが逆流して起きたものであること」。
               205ページ「4号機の非常用ガス処理系(SGTS)に取り付けられていたフィルターの汚染状況が、入り口より出口が高いという、普通では起きることのない事実が判明しました。この事実によって、3号機から4号機への水素の逆流が証明されたのです。
               4号機の爆発は不明な点が多いが、もし石川氏の記述(すなわち東電の説明)の通りであるとすれば、4号機の爆発は、3・4号機を共用排気筒とした設計上の根本的欠陥、4号機の共用排気筒への非常用ガス処理系のバルブが開いていたことを見逃した重大な操作ミス、それを明確に規定していなかった事故マニュアルの信じがたい不備など一連の人為的ミスにより生じたことになる。


                     4.第一部のまとめと問題点

                   4-1.まとめ

               以上の石川氏の第一部の見解に対してここでまとめて考察する。
              1. )石川氏が、制御棒が燃料棒よりも先に溶け落ちた可能性が高いことを指摘しながら、その状況で注水すれば、それによって再臨界が生じた可能性を検討もせず、論証なしに否定していること。
              2. )崩壊熱とジルコニウム水反応とを機械的に対立させて考え、実際には崩壊熱にさらにジルコニウム水反応の熱が付け加わってメルトダウンした可能性が高いにも関わらず、崩壊熱によるメルトダウンを一面的に否定するためにジルコニウム水反応をもちだしていること。
              3. )TMIでは溶解した燃料棒などの溶けて表面が固まったタマゴ状の塊の上には燃料棒のデブリがあったがそれは微粉塵化していたが、福島でも溶けなかった燃料棒は微粉塵化していたにちがいないという指摘は重要である。3号炉の爆発時の黒い煙はこの微粉塵が噴き出したものである可能性がある注5
              4. )高温になると格納容器も圧力容器もその蓋のボルトが伸びて空隙ができ、またシール部のシールも劣化して空間ができ、容器は気密性を喪失し、外形的には破損していないように見えたとしても、破損したと同じことになる。
              5. )ジルコニウム水反応そのものが急激に爆発的に生じるので、「水素爆発」と呼ばれるものには、①水素の爆発的生成と、②水素と空気中の酸素の爆発的化合の「2つの爆発」がありうる。石川氏のように水蒸気爆発を否定したとしても、炉内での急激な水素発生によって爆発事象が生じたという可能性は否定できない。
              6. )その際、水素は2000℃の温度で吹き出したであろうと推計していることは重要である。このような高温の水素が酸素と反応した場合、水素爆発の火炎温度約2000℃がこれに加わって4000℃近くになると考えてよいかもしれない。福島原発事故では、ウラン粒子を含むガラス状の微粒子が発見されており、このことは、事故の過程の中で、ウランがその沸点(4131℃)付近にまで加熱されたことを示している注5。これにあと崩壊熱として500〜1000℃ほど加われば、ウランの沸点に達するので、さらに再臨界による加熱が生じた可能性を示唆している。


                   4-2.問題点

                 4-2-1.問題点1:崩壊熱の過小評価とヒートシンクの無視がある

               石川氏は崩壊熱を「たかが1%」と軽視する気持ちが強いようである。それ故、ジルコニウム水反応による水素爆発のみが重要視され、崩壊熱による炉心の加熱を必要とする水蒸気爆発は起らないことになる。ICやRCICが機能すれば炉心溶融が避けられたように主張するが、崩壊熱の過小評価が念頭にあり、原子炉の冷却をシステムとして厳密に考察していない。大量の熱を発生する原発ではその内部の冷却系から外部への熱の除去が必要で、我が国の原発はすべて海水で冷却している。閉じた原発の冷却系で冷やしても、いずれ全系の温度が上がり溶融は避けられない。それ故、海水の取水口も決定的に重要である。フクシマ第一では海水ポンプが水没して壊れた。取水口の海抜はゼロである。
               アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発――真相と展望』集英社新書(2012年)は次のように述べている。
               「原発は、最終的に海水を使って徐熱しているのです。津波ではディーゼル発電機だけでなく、海岸沿いの冷却用海水ポンプも壊滅しました。燃料の崩壊熱を運ぶ汚染された冷却水の循環系と、そこから熱を除去する海水の系統は分かれており、後者はこのポンプに頼っています。両者は熱交換器を通じて熱の受け渡しを行います。つまり、海水ポンプが壊れてしまえば、最終放出先である海へ熱を逃がすことができないのです。この手段を失うことは、最終的な冷却機能(UHS:Ulltimate Heat Sink)の喪失と呼ばれます」(22ページ)。
               「冷却用海水ポンプが破壊されてUHSを喪失した1から4号機では交流電源に依存しない冷却系の機能喪失が長引き、1から3号機はメルトダウンに至りました。もし、ディーゼル発電機が無事だったとしても、防げなかったのです。なぜなら、海水ポンプが流されたり取水口が砂で埋まったりして海水取水系の設備は壊滅しており、仮に電気が通じたとしても全く使えない状態でした。代替する設備は用意されていませんでした。海水を利用できなければ、原発内の冷却水を最終的に徐熱できないのです。…結局のところ1から3号機は、冷却用海水ポンプが原因でメルトダウンが運命づけられていたのです」(24ページ)。
               以上ガンダーセンであるが、NHKスペシャル「メルトダウン取材班」著『福島第一原発事故7つの謎』講談社現代新書(2015年)には、福島第二原発にも同じ危機があったという指摘があり、次の記述がある。
               「外部電源も無事だという。しかし、原子炉の熱を格納容器の外に逃がすための海水系の冷却装置が機能を失っていた。福島第二原発では所長の増田尚宏が中心になって、原子炉からの熱を海に逃がすための海水系のポンプの手配を急いでいた。この海水系のポンプが動かなければ格納容器の熱を逃がすことができない。このままの状態が続けば、核燃料が溶け、さらに周辺に放射性物質を放出するベントを迫られる事態になりかねない」(279ページ)。

                 4-2-2.問題点2:ICとRCICの過大評価

               83ページ。非常用復水器(Isolation Condenser)ICは100トンの水がたくわえられており、8時間しか持たないのに石川氏の評価は過大評価である。最後は海水で熱を交換し、取り出す必要がある。「もちろん,2次側に水を追加すれば、冷却時間を延長するのは容易なことです。」水はどのように持ってくるのか。2系列A,Bあったとしても200トンである。
               87ページ「運転員の完ぺきを求めるのは酷でしょう。」「IC停止に気付くのが遅れたことは、事故対応での最大のミスといって良いでしょう。」しかし、もし運転員が気づいてICを開いても、8時間しかもたないということはここでは忘れられているようである。
               2号機以降は、原子炉隔離時冷却系RCIC(Reactor Core Isolation Cooling System)であるが、同じ問題を持っている。一時的応急処置であるICやRCICが8時間もてば、成功として評価している。その時間内に電源が復旧し、接続できなければならない。そういう応急処置が必要であるということそのことが原発のシステムとしての本質的危険性であるということが無視されている。電源さえ回復すれば冷却機能が機能するとしているが、海水の取水口、電源の差込口など、機能の回復が必要で、現実に1か月以上かかった。
               東北大学小宮山研究室の報告 Heat-Transfer Control Lab. Report No. 1, Ver. 4 (HTCRep. 1.4 2011/04/13)によれば、1号炉は崩壊熱の冷却で5日で1250トンの水を必要としたと推計されている。ICの貯蔵された200トンの水では焼石に水である。
               図2は崩壊熱に相当する水量を表している.原子炉内を3気圧の気液平衡状態とみなし,発熱量を水の蒸発潜熱2.16MJ/kgで除したものである.原子炉の温度を維持するための最低限必要な水の流量とみなすことができる.2号機と3号機は発熱量がほぼ同じであるため,注入水量も同量でよいことがわかる.原子炉停止から30日後の温度維持のための注水量は1号機が毎時3.6トン,2・3号機が毎時6.4トンとなっている.

              図1 原子炉停止からの総崩壊熱量


              図2 崩壊熱に相当する水量

              出典:東北大学小宮山研究室の報告「図2 原子炉停止からの総崩壊熱量に相当する水量」より
              http://www.ifs.tohoku.ac.jp/maru/atom/HTCRep/HTCRep.1.4.pdf

               故吉田所長の言葉も引用する(門田隆将著『吉田調書を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』PHP研究所 2014年)。
               「もともとICによって取れる熱量はそんなに大きく設計されていないわけですよ。交流電源が復旧して停止時冷却系が動かない限り原子炉の熱は取れないんです。しかし、交流電源の復旧は全く期待できませんでしたから、どこかでICをあきらめて水を入れるしかないんです。後はどんどん水を入れていって,水位を確保するしかない。わかりやすい話なんですよ。そういう方式を、われわれはやっていたんですが、報告書もそうですけど、ICがちゃんと動いていれば、あの事故は防げたみたいな違ったことを言っている人がたくさんいるんですね。私は『熱量というものを考えてくれ』と思うんですよ。そういうことを仰る方には、原子炉から出てくる熱量を考えてみてください、といいたいですね」(114ページ)。
               吉田氏の言うとおり、熱量を簡単に計算してみよう。
               電気出力50万kW、熱出力150万kWとし、その1%が崩壊熱とすると1.5万kWとなる。この1日の発熱量は1.5×107×3600×24=1300×109=1300GJである。これは上記東北大グループの10日で4000GJ、5日で2500GJに近い。小さめにして熱出力の0.5%が崩壊熱とすると650GJとなる。石川氏はスリーマイル事故で6トンのジルコニウムと水との反応で4×107J=40GJの熱量と260キログラムの水素ガスが発生したとしている。水素の発生を520キログラムとしても発熱量は80GJである。確かに吉田所長の言うように崩壊熱の方が決定的に大きい。

                 4-2-3.問題点3:石川氏は3号炉の爆発を格納容器の底からの水素爆発とするのに苦労している、
                 臨界爆発の可能性はないのか


               もし石川氏の言うように、炉心熔融がないとすると、制御棒が溶けているのだから、水があれば臨界爆発の危険がある。水素爆発では3号炉の爆発で生じたようなオレンジ色の光は生じないから、何か別の説明が必要である。また、建屋の底から上空への爆風の起源は水素爆発ではたして可能だろうか。石川氏は、原発事故を水素爆発だけに単純化している。3号炉の黒煙が高く上がり幾日も継続したことの説明ができない。

                 4-2-4.問題点4:メルトダウンに対する一般論との整合性

               石川氏の単純化した主張は、以下のような一般的な検討に基づく見解とどのような関係にあるのだろうか。もし、福島事故で海水が注入されなかったら、大量のジルコニウム水反応は起きない。そのあとも崩壊熱で温度は上がり続けるから酸化被膜や酸化ウランの融点を超えてゆくだろう。そうすれば、石川氏が冒頭で否定した「NHKのシナリオ」による炉心溶融となるであろう。また、ウラン、ジルコニウム、酸素の溶融体を形成しておれば、核燃料は高温で微粉塵化し、そこに水を入れると水蒸気爆発を起こすかもしれない。その前段の酸化被膜や酸化ウランの融点以下で水をいれるとジルコニウム水反応が起こるのである。これが石川氏のシナリオである。石川氏のシナリオもNHKのシナリオもどちらも可能性としては正しく、取り扱う冷却水が量的、時間的に異なるだけである。2つのシナリオは統一的に理解できるのである。現実には、壊れた炉心に海水を注入し、水素爆発も炉心溶融・メルトスルーも両方とも生じ、現在でも地下水を循環させて行方不明の溶融炉心を冷却している。
               石川氏は1996年に『原子炉の暴走』日刊工業新聞社を出版している。同書107ページの第2章でNSRRの標準燃料実験について紹介している。その中で「燃料の破壊形態には2つの型があり、明確な破壊力を伴うものは330cal/gUO2以上の燃料エンタルピが加わった場合であることがわかる」と書いている。石川氏は、この破壊力を伴うものを「悪玉の破壊」と呼んでいる。これは「燃料ペレットが溶融蒸発して生じる破壊である」。さらに同書112ページによると「原子炉の燃料にこのような悪玉を作り出す発熱条件は暴走出力以外にはない」としている。
               しかし、石川氏はスリーマイル島原発事故でも、今回の福島原発事故でも、2200℃までの上昇を認めている。『原子炉の暴走』によれば酸化膜の溶融点は2400℃であり、福島原発事故で消防ポンプなどで水が入れられなかったら、崩壊熱により、2400℃も超え、ペレットの融点2700から2800℃に達する可能性は否定できないであろう。石川氏によれば「100cal./gUO2というのは、燃料ペレットの温度が1000℃上昇するほどの熱量」(『原子炉の暴走』105ページ)である。これは熱出力の1%の崩壊熱で1時間程度の熱量である。

                   4-3.再臨界爆発の可能性に関する国会事故調の見解

               国会事故調査報告書では、この点に関し、米国サンディァ国立研究所が米NRC職員の研修用に編集した資料NUREG/CR-6042も参考にしながら真剣な検討がなされている。「炉心溶融が進行する過程で、融点の低い制御棒だけが先行して溶け落ち、赤熱の燃料集合体だけが炉心に残るという仮想的な議論がある。その場合、減速材の水がないことで臨界になることはないが、仮にそのままの状態で注水された場合には臨界超過(暴走)が起こり得る。しかし、そのような状況を実際に現出させるためには、燃料集合体だけが溶融せずに整然と残り、注水されたときの熱衝撃にも耐えて燃料棒の形状を保つというおよそ起こりえない状況を想定しなければならず、これは現実にありえないものと判定されている。」しかし、3号炉はプルサーマルでプルトニウム燃料も入っており、臨界は複雑である。必ずしも米国の教材のようにはならないかもしれない。「メルトダウン後、原子炉圧力容器の底部にたまった溶融物、メルトスルー後に原子炉圧力容器の底部から漏れてペダスタル内に滞留する炉心溶融物に対しても、もはやそれらの臨界性については扱われていない。また、原子炉圧力容器の底部にまで水位が低下した後、炉心支持板が溶け落ちることで崩落する炉心溶融物が水に没する際、水蒸気爆発を起こすのではないかという懸念についても議論されており、実施された様々な実験結果を根拠に、実質的にはそのような懸念はないとの趣旨が述べられている。」
               「炉心溶融物がコンクリートを侵食していくプロセスに関しては、溶融物を熱した鉄の円柱や山盛りの釘で模擬した実験で推測している。これらの実験によれば溶融物はコンクリートを溶かしながら沈降し、水蒸気、水素、二酸化炭素、一酸化炭素などの気体を発生させ、鉄筋が存在する場合には、それが触媒となってメタンガスも発生させるという。いわゆるチャイナシンドロームの現実性についても実験と解析が行われている。ドイツの研究機関が同国の代表的な規模のPWR型の原発に対して行った解析では炉心溶融物は、コンクリートの層を1050日かけて浸食し、深さ約19mにまで達するが、ここで成長が止まった。」
               以上、国会事故調査報告書(139〜140ページ)より引用した。

                   4-4.NHKスペシャルが放映したデブリ再臨界の可能性

               付記として、石川氏が一貫して批判の対象としているNHKが、最近、原子炉から溶け落ちたデブリの「再臨界リスク」に1つの焦点を当てた番組を放送したという事実を指摘しておこう(2015年5月17日「NHKスペシャル廃炉への道2015『"核燃料デブリ"未知なる闘い』」)。デブリに含まれるであろう成分を実際に溶解して固化する実験によれば、デブリは2つの層に分かれて固まり、制御棒に使われていた炭化ホウ素は、ほとんどがデブリの薄い上層に集中して(99%が上層に)、厚い下層にはホウ素はほとんど含まれていなかった。ウランは、それと反対に、下層に集中して固化した(91.5%が下層に)という。ウランの濃度は下層では上層の3倍になっていたという。この実験結果から、番組では、デブリを取り出す際に局所的な「再臨界」が生じる可能性があるという点が強調されていた。番組に登場して再臨界の可能性に言及していたのは、内藤正則氏(エネルギー総合研究所)、ソン・ジンホ氏(韓国原子力研究所・過酷事故研究部門部長)、高木直行氏(東京都市大学教授)である。デブリになってもさらにその処理の際に再臨界が生じる可能性があるというのであるから、現実の事故の過程において再臨界が起きる可能性を完全に否定することは不可能なはずであろう。
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              2015.05.05 Tuesday

              大阪がれき裁判意見書 「バグフィルターのセシウム除去効率について」  矢ヶ崎克馬

              0
                2015年5月
                大阪がれき裁判
                意見書
                「バグフィルターのセシウム除去効率について」 

                琉球大学名誉教授 矢ヶ克馬
                2015年4月30日


                大阪がれき裁判意見書「バグフィルターのセシウム除去効率について」 矢ヶ克馬(11ページ,791KB,pdf)


                           <目次>
                第1章 バグフィルターでセシウムは除去できるか・・・・・・・・・・・・・・1
                   1.バグフィルターの濾過特性
                   2.環境省指針に基づく測定データの問題点
                   3.バグフィルターの性能を実験によって検証したか
                第2章 バグフィルターを通過する微粒子の存在証拠・・・・・・・・・・・・・8
                   1.消音機(サイレンサー)に付着した焼却灰
                   2.降下法による煤塵測定
                第3章 どれほどのセシウムがバグフィルターを通過すると予想されるか・・・・9
                     −塩化セシウムの蒸気圧と微小微粒子量をもとにして−
                結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11


                第1章 バグフィルターでセシウムは除去できるか

                1.バグフィルターの濾過特性
                 バグフィルターは濾布と呼ばれるフィルターを用いて空気中の微粒子を除去するものである。バグフィルター、集塵機などの作動原理は、空気分子やそれに近い小さいサイズの微粒子を通過させることにより、サイズの大きい微粒子を捕獲するものである。サイズの小さい微粒子や空気分子を逃がすことにより、大きな微粒子が捕獲できるのである。気密なビニールシートなどを用いた濾過はあり得ない。濾布には布目の大きさがあり、その大きさに応じて通過する微粒子のサイズが決定する。
                 図1は池野栄宣氏の論文からの引用である。フィルターは燃焼煤塵を通過させる時間の経過にともない目詰まりを起こすので、一定時間ごとに目に詰まった埃を払い落としては繰り返し使用する。埃が払い落とされた直後は布の目に応じた濾過ができるが、目が詰まってくると通過できる微粒子の粒径は小さくなる。目詰まりすると微粒子が通過できる濾布の穴の数が減少し、通過できる微粒子の径も小さくなる。すなわち、微小微粒子や空気分子などが通過しにくくなり圧力が上昇する。このようにバグフィルターは通過させる微粒子の粒径が刻々と変わるものである。それゆえ、微粒子の粒径に応じて通過割合が違うという確率的濾過を行うものである。



                http://repo.lib.nitech.ac.jp/bitstream/123456789/74/5/ko445.pdf
                名古屋工業大学リポジトリ―
                バグフィルターの圧力損失特性の解析と最適設計に関する研究
                2004 年池野栄宣より転載

                 すなわち、バグフィルターには以下のような特性がある。
                ① 微小微粒子と空気分子の酸素、窒素、および液体は、常にフィルターを通過する。
                ② 濾布のメッシュにかかる大きさを持つ微粒子以下の径の微粒子は、フィルターを通過する。
                  通過できる粒径は時間とともに変化する。
                ③ フィルターで分離されるものは、固体である程度以上の粒径を持つ微粒子である。

                2.環境省指針に基づく測定データの問題点
                 環境省の指針に基づく測定には、微小サイズ微粒子と気体は測定できないという問題がある。以下、焼却施設における測定データについて、その具体例を述べる。

                1)環境省は、平成23年8月9日、「福島県内の災害廃棄物の処理における焼却施設及びモニタリング」(https://www.env.go.jp/jishin/attach/fukushima_shokyaku110809.pdf) として、電気集塵機を設置している焼却施設における排ガス中の放射能試験測定を報告している。それによると、排ガスの収集法について、次のように述べている:
                 「排ガス分析用試料は、「JIS Z 8808:排ガス中のダスト濃度の測定方法」により採取した。ろ紙には0.3μmDOP 捕捉効率99.9%以上のシリカ繊維(ADVANTEC 円筒濾紙88RH)を用い、約1時間で約1 ㎥ N の吸引を行った。」
                 バグフィルターのセシウム通過率(1から除去率を引いたもの)とは、バグフィルターに入る前の排ガス中のセシウム量に対して、バグフィルターを通過してしまった後の排ガス中の微小粒子および分子気体中のセシウム量の比率である。通過してしまったセシウム量を収集して検査し、初めてバグフィルターの放射能除去率などが議論できるのである。
                 この事情を図2〜図4に説明する。


                 図2はバグフィルターに入る前の放射性セシウムの微粒子や分子(原子)のサイズには分布があることを示す。図3はバグフィルターによる粒子の捕獲を示す。微小微粒子と分子(原子)は背後に通過する。図4はバグフィルターの除去率を示す。捕獲前の放射性セシウム総量に対する通過してしまった微小粒子等の比率(通過率)が決定的である。


                 環境省等で実施した除去率検査におけるもっとも重大な間違いは、排ガス収集に、微小粒子気体を通過させる特性を有するろ紙を使用していることである。
                 実験に用いた排気ガス収集のための集塵機においても、バグフィルター同様、気体や超微小粒子は捕捉できない(気体や超微小粒子を捕捉してしまえば装置の機能:「集塵」が麻痺する)装置を使っているのである。バグフィルターで逃した気体を調べるのに、その逃した気体をそのまま逃す方法をとっているのである。これではバグフィルターから漏れた気体および超微小粒子の放射能を測定できるはずがない。環境省等の行った除去率測定で実際に行われた事柄を図5と図6に示す。



                 図5はバグフィルター通過後の集塵機の様子である。バグフィルターで捕獲される大きいサイズは文字通り「通過していない」ので、捕獲量は少ない。図6は環境省などの行った「除去率測定」で実際に出した数値の内容を示す。測定で捕獲する必要のあるバグフィルター背後に通過した微小微粒子は全く捕獲されていないので、測定は意味がない。
                 環境省がいう「試験を行った」は、まったく間違った方法で実施していたのである。微生物の観察を望遠鏡で行って「微生物はいなかった」と結論しているのと同じである。
                 ここで数値を挙げて「除去率」としているのは、もともとバグフィルターで捕捉できる大きなサイズの微粒子に限って集塵機で捕捉して、捕捉したものについて計測した除去率なのである。おそらく0.4~0.5μmφ以上の大きな微粒子の補足率は99.99%程度であり、それを集塵機で確認したにすぎない。それはバグフィルターのセシウム除去率とは全く縁もゆかりもないものである。

                2)同様に、資源循環局は、平成24 年3 月14 日、「バグフィルターの構造及び除去率について」
                http://www.city.yokohama.lg.jp/shikai/pdf/siryo/j6-20120314-sj-21.pdf)と称する資料の中で、「国は、「災害廃棄物の広域処理の推進について(ガイドライン)」のなかで、放射性物質を含む廃棄物の焼却処理における排ガスの安全性について、福島県内の焼却施設で行った実証試験で、バグフィルターにより99.99%の放射性セシウムが除去されることを確認したとしています」と報告している。この測定における排ガス収集装置においても、1)で述べた誤りを繰り返している。上記および同様の方法で行った「確認」は、科学的に意味をなさない。


                ① 99.99%の意味するところは、集塵機で捕獲できるサイズの大きい微粒子については、バグフィルターでも99.99%捕捉できるということである。バグフィルターで背後に逃がした微小微粒子と気体については、全く捕捉できていない。すなわち、この収集方法ではバグフィルターのセシウム除去率を求めることはできないのである。

                ② 集塵機はフィルターの原理である「背後に漏らす」ことを作動原理としている以上、バグフィルターで漏らした気体集団について測定することはできない。

                ③ 結論として、99.99%という数値はバグフィルターのセシウム除去率ではない。セシウムなどを検出する能力がない方法で、バグフィルターでもともと除去できる大きなサイズの微粒子の補足を「確認した」にすぎない。確認したもの内容が違うのである。「99.99%の放射性セシウムが除去されることを確認した」に、科学的根拠はない。


                3)さらに、国立環境研究所の資料、第6 章の表6.1−医学処理設備による除去率の調査結果(http://www.nies.go.jp/shinsai/techrepo_r4_140414_6.pdf)は、いずれも測定手段が上述の微小微粒子と気体を筒抜けにさせている捕獲装置(電気集塵機)によるもので、上記の2報告と同様にセシウム除去率に該当する数値ではない。

                3.バグフィルターの性能を実験によって検証したか
                1)大阪市は、平成24 年10 月11 日、実験試料「放射性物質の測定方法に関する確認について」(http://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/cmsfiles/contents/0000187/187721/jikkennsiryou.pdf)において、焼却がれき中のセシウム濃度より10 桁も高い濃度で、バグフィルターの性能を検証したと報告している。また同報告では、排ガス中におけるセシウムは全て塩化セシウムであると仮定して実験を行い、「高温でガス化したセシウムは200℃の円筒ろ紙によって固体粒子として全て捕獲され、ガス状セシウムは検出されない」としている。現実より濃度が10 桁も高い状態で実験したものが、はたして実際の焼却炉でのセシウムの状態を再現しているだろうか? 科学的に見るとそれは全く「否」である。


                ① 前記の飽和蒸気圧における排気ガス中の塩化セシウムの存在量と取り扱う塩化セシウムの濃度が10 桁も違うと、フィルターにとらえられるセシウム量とフィルターから抜け出る「気体」中のセシウム量の比率も10 桁違いとなる。現実の排ガス中でフィルターの背後に抜ける「微小微粒子と気体」であるが、気体に注目すると、気体中では200℃における飽和蒸気圧となる濃度の塩化セシウムが存在する。これを考慮すると、バグフィルター出口の濃度は200℃の飽和蒸気圧で決まるセシウム濃度とみなして良い。すなわち出力はほぼ一定で変わらないのである。入力としてのバグフィルター前のセシウム濃度が10 桁も違うと「計算」上の除去率も10 桁のケタ違いとなり、現実条件を再現するには程遠い実験企画である。実際には気体に加えて微小微粒子中のセシウムが存在するので、純気体中のセシウム濃度に比してケタ違いのセシウム濃度であることを考慮しても、バグフィルター前後の比率は実際の比率とはケタ違いである。現実をこのようなモデルで実験することに、科学的な根拠は見いだせない。従って、この実験結果をがれき焼却の場合に適用することはできないのである。

                ② さらに、ガス吸収ビンで気体の塩化セシウムを捕捉する方法も定量的測定の保証されない方法である。標準状態での気体の平均自由行程は0.1μm 程度である。その場所0.1μm 範囲から外には出ない。その移動については塩化セシウムの分子の場合は拡散運動に従い、微小微粒子の場合はブラウン運動に従う。気泡の直径が1mm 程度ならば、膨大な酸素・窒素分子に囲まれている。塩化セシウム(あるいはセシウム化合物)分子あるいは微粒子が気泡表面に達し、水に接することにより初めて溶ける。全てのセシウムが水溶性であるとしても、自然拡散に従って気泡表面に達して全部が溶けるまでには1 時間単位の時間が必要である。さらに不溶性の微粒子等は溶けださない。この方法は定量的測定をする目的に適わない方法である。たとえ数値が出てもそれは全体に対して一部でしかない部分量であり、定量的な意味はない。ND だから「ない」と結論付けるのは誤りである。この様子を図7に示す。





                ③ 以上の「不適切」に加えて本質的欠陥がさらにある。実験条件として記されているように円筒フィルターの温度が200℃として、フィルター通過時の塩化セシウムの飽和蒸気圧は10-9Pa(10-14atm)である。1 回の通過気体量が3000ℓ程度の容積中のセシウムは、全量が捕捉されたとしても、測定下限値0.01mg の5 ケタほども少ない量である。実際の排ガス中には微小微粒子に凝結したセシウムがあるので、気体中の量に比して数ケタ上回るセシウム量が存在する。それを考慮しても計測できるはずのない微小量なのである。
                 ちなみに、本実験と同様にずさんな実験である下記の2)で述べる実験結果は同じ信憑性が無いにしろ例えば気体中の塩化セシウム量として0.014μg/m3N という値を示す。本実験の検出限界では計測できない排ガス中濃度である。


                 本実験はもろもろの要素において、科学的実験に必須の、量的な検討・考察(オーダーエスティメーション)が根本的に欠け落ちている。数字で出された除去率に科学性はない。
                 なお、大阪市の一連の放射能濃度測定は、国の「放射能濃度等測定方法ガイドライン」平成25年3 月(http://www.env.go.jp/jishin/attach/haikihyouka_kentokai/16/mat02_2.pdf)に従って行われており、この項で論じた方法によるものである。排ガス測定結果の「不検出」は信用できない。

                2)平成23年6月19日、環境省が開催した第3回災害廃棄物安全評価検討会の資料6−3:京都大学高岡昌輝氏の「一般廃棄物焼却施設の排ガス処理におけるセシウム、ストロンチウムの除去挙動」(http://www.env.go.jp/jishin/attach/haikihyouka_kentokai/03-mat_5.pdf)については、以下の点を指摘しておく。


                ① この論文は単位系と数値に混乱があり、フォロー不能である。ICP-MSの測定の定量下限として0.01μg/ℓを提示している。非水溶性と水溶性の試料はそれぞれ100㎖及び50㎖に定量している。論文中の結果:表1では当然溶媒容積の少ない方がℓ当たりの精度としては小さくなるはずである。実験で結果ではその精度比率が逆転している。

                ② さらに、バグフィルター前では69.2ℓ、バグフィルター後では34,500ℓの排ガスを試料として収集している。試料の量に約500倍の比率がある。カスケードインパクターの元素解析には上記分解能(測定限界)が存在する。この測定限界は流した排ガス流量で変化することはない。ところが結果表示ではいきなり流した流量でカスケードインパクターの分解能を割って測定の分解能としている。この分解能の提示は正しくない。

                ③ 同時にカスケードインパクターの測定量を表示せずにいきなりm3Nあたりに換算している。この方法ではカスケードインパクター試料分析分解能の400倍のCs濃度が検出されても流量の比:約500で割ってしまえばND以下に沈んでしまう。実験の内実はおそらく有意な数値が得られているはずであるが、この誤った数値処理で、バグフィルター後(煙突)での測定結果は全て測定下限とされている。この数値処理方法では測定結果の提示にはなりえないのである。このような結果提示は、99.99%などの高い数値を出すための数値処理と疑わざるを得ない。

                ④ 実験者はバグフィルター前の測定結果、すなわちgas:0.014μg/m3Nから「バグフィルターにおいてはガス態のものがフィルターを通過し、後段に抜けたとすると」として、バグフィルターの精度を算出している。もしこの仮定が成り立つと、バグフィルター後(煙突)の測定においてもガス態の量は0.014μg/m3Nと変わらないはずである。しかし実験結果の表1などには、その10分の1以下の「測定不能」量が提示される。これは明らかに「仮定」が間違っているか、測定プロセスが不適切であるか、あるいは両者が絡み合っているのかのどちらかである。実際は測定方法が間違っているのである。

                ⑤ ガス採取における処理過程が高岡氏の論文の図1に提示されている。ガス成分を取り除くとして5%H2O2の層をガスとして通過させている。すでに記したとおり、この方法はガス中の全Csを捉えることは決してない。定量的な溶解度などの試験をするには数時間の規模の時間が必要である。この方法は定量的測定をする目的に適わない方法である。たとえ数値が出ても定量的な意味は無い。
                 実験結果のバグフィルター前後のガス態のセシウム濃度が異なることは、ガス捕捉方法が不適切であることをよく物語っている。
                 実験結果は、非水溶性のセシウムはより粒径の小さくなるback up filter で量を増している。気体においても量を増やす傾向がありうる。また表1から全セシウム量は1μm以下の粒子にかなり集中している。この意味からも気体の測定法は重要である。
                 この実験方法によるガス態中のセシウム捕捉はホンの一部であり、全量捕捉はあり得ない。表1から推測しても一部分しか測定できていない値であるが、同じ値であるべきバグフィルター前と煙突の値から推察するに、表1での気体の測定量は、実際に存在する量の100分の1〜1000分の1程度の可能性がある。したがってバグフィルターの除去率99.87%には科学的根拠が何もない。まして99.99%はもっと根拠の薄い数値である。
                 最も重要なバグフィルター通過後(煙突)の分析が全くなされていない。加えてガス態中のセシウム捕捉方法は、全量捕捉できるものではない。

                ⑥ バグフィルターのカタログ上の精度は、粒径0.3μmを90%捕獲程度である。(「バグフィルター」のおさらい−放射性物質の捕捉は期待できるのか:ごみ・環境ビジョン21 理事多田眞:http://www2u.biglobe.ne.jp/GOMIKAN/sun6/no88%20bagu.pdf
                 実用段階では精度はもっと悪くなることが予想される。バグフィルターには、後述するように微小微粒子を通過させている証拠がある。仮にバグフィルターの補足力を0.4μmと置くと、上記高岡氏の実験ではbuck up filter の分までバグフィルター通過成分として加えねばならない。バグフィルターの除去率は(空気補足分をそのままの数値にして)約80%、本実験での気体の数値が100分の1であるとすると約70%となる。さらにその上のstage 8 の分までバグフィルターを通過しているとすると50%まで除去率は落ちる。
                 あくまでバグフィルター自体の除去率を測定により求めるべきであるのに、それができていないのがこの論文である。この論文は基本的な記述に「追跡不能」な誤りがあり、99.99%などとする科学的な裏付けは全くない。


                第2章 バグフィルターを通過する微粒子の存在証拠

                1. 消音機(サイレンサー)に付着した焼却灰
                 2012 年10 月25 日、ジャーナリスト井部正之氏は、「焼却炉のフィルターをくぐり抜ける放射能拡大する管理なき被ばく労働(1)」(http://diamond.jp/articles/-/26833)と題して、バグフィルターの性能に関する次のような取材記事を掲載している。(以下一部引用)

                 「これを見てください」
                 そう言って出した数枚の写真には、円筒状の外装にロケット状の吸音体を格納した、飛行機のジェットエンジンにも似た金属設備が写っている。
                 社長は続ける。
                 「これはサイレンサ。消音器です。焼却施設の騒音が煙突から出ていかないようにするもので、それなりの規模の焼却炉には必ずついています。消音器は電気集じん機やバグフィルターといった集じん設備の後ろ、煙突のすぐ手前に取り付けます。ですから、消音器を通る排ガスはきれいになった状態で通過するはずです。でも見てください。これがうちで修理した消音器(図8)なのですが、修理前はこれです(図9)」



                 社長が指さした写真はジェットエンジンの前部のような消音器の吸入口を撮影したものだ。今年になって修理したという、修理後の消音器はきれいな銀色の金属製品だが、修理前のものは全面に薄茶色の粉じん状のものがこびりついていて、まるで磁石に砂鉄をくっつけたようにこんもりとしている。
                 「すごいでしょう。これ、みんな焼却灰です。バグフィルターで焼却灰の99.99%が除去されていると言いますが、実際にはこういうものが外に出て行っているんです」


                2.降下煤塵法による煤塵測定
                 2013 年1 月10 日、同じく井部氏は、「静岡市の震災がれき試験焼却で明らかになった広域処理での放射能拡散増加の可能性」(http://diamond.jp/articles/-/30406)と題する記事で、焼却施設の煙突より出た排ガスを別の方法で収集した測定結果を報告している。(以下一部引用)

                 調査したのは静岡県の市民団体「セーブ・ジャパン・ネットワーク」。調査は大気中を漂って地上に降ってくる粉じんやばいじんを面積の広い容器で集める「降下ばいじん法」で実施した。
                 12 月上旬にそのうち4 ヵ所の試料を名古屋大学名誉教授の古川路明氏を通じて専門機関で分析してもらったところ、下表に示したとおり、最大で1 平方メートルあたり0.4 ベクレルの放射性セシウム137 を検出した。
                 国が実施している同様の調査によれば、静岡市の採取場所で6 月の1 ヵ月間に放射性セシウム137 が1 平方メートルあたり0.54 ベクレルだった。つまり、試験焼却時の3 日間(設置から回収までだと計5 日間)だけで、1 ヵ月分の7 割以上の放射性セシウム137 が降り積もった計算になる。
                 同ネットワークの野田隆宏氏(仮名)は今回の試算から「焼却温度が800 度程度のストーカ炉ではあまりセシウムが減っていなくて、1500 度の灰溶融でいきなり100 万ベクレルくらい減った。これは灰溶融の高温で塩化セシウムが揮発したためではないか」と指摘する。
                 野田氏は以前に静岡県島田市での試験焼却時に物質収支に加え、集じん装置の入口濃度と出口で捕集された溶融飛灰の放射能量から除去率を推計し、2012 年3 月の環境省交渉で「物質収支から算出されたセシウム137 の除去率は65%で、排ガスの分析から算出された除去率は53〜62%。バグフィルターによる除去率は60%程度であり、約4 割が外部に漏れている可能性がある」と発表した。このときの経験をふまえて、こうも話す。
                 「島田市も高温溶融炉を採用していた。高温による処理のほうが放射性セシウムがバグフィルター(などのろ過式集じん機)を抜けて外部に流出しやすいのではないか」



                第3章 どれほどのセシウムがバグフィルターを通過すると予想されるか?
                −塩化セシウムの蒸気圧と微小微粒子量をもとにしてー

                 環境中でセシウムのもっとも安定な姿は塩化セシウム(CsCl)であると言われる。フクイチ原子炉から放出されたセシウムは3 月15 日(まで)の爆発では合金状あるいはガラス上の不溶性の微粒子として放出され、それ以後のものは水溶性微粒子とされる。(Adachi K, et al:Emission of spherical cesium-bearing particles from an early stage of the Fukushima nuclear accident, Scientific Reports,2013: http://www.nature.com/srep/2013/130830/srep02554/full/srep02554.html)
                 これらががれきに付着し800℃で燃焼される。どのような変化を受けるであろうか? ガラス状微粒子も800℃の燃焼で酸化物あるいは塩化物になるのだろうか? 未解明なところが多い。大部分が塩化セシウムとされているので、この点での物性を探る。
                 塩化セシウム化合物の融点は645℃、沸点は1295℃である。環境中ですでに塩化セシウムになっているものは800℃焼かれても塩化セシウムのままでいる確率が高い。焼かれた後200℃に急冷されバグフィルターに入る。融点・沸点などで区分される相転移(気相、液相、固相間の相互転移)は一次転移であり潜熱を伴う。上の温度から相転移をするときには自由エネルギーの放出をしなければならず、急冷のようなときには過冷却が生じる。温度履歴も存在する。
                 800℃から200℃へ急冷されるときは高温相からの転移であり、エネルギーを放出しきれず固体化に遅れを生じる。通常の蒸気圧曲線は平衡状態を達成して得られる圧力である。平衡状態とは例えば液相から気相に蒸発する分子の数と気相から液相に入る分子の数が同じになるという条件である。急冷されるときには平衡状態は達成されず、蒸気圧はより高温側の状態を引きずるために高圧側にずれている可能性が十分ある。したがってバグフィルターを通過する分子の数は予想されるより多い。
                 バグフィルターを通過する温度である200℃に於ける飽和蒸気圧に基づいて論考を進める。上記考察でも述べたが、焼却後のガス温度が蒸気を多く含む高温から冷却され、かつ200℃に冷却される過程で多くの塩化セシウムが析出しその微粒子がフィルターで捕獲されるところから200℃では塩化セシウムを含むガスは飽和状態でいると熱力学的には判断される。温度の急速降下で過冷却の可能性を考慮すると、バグフィルター通過後のガス中には塩化セシウムは飽和状態以上の圧力で存在すると判断するのが科学的に妥当である。最低条件での飽和状態で考察する。
                 CsCl の飽和蒸気圧を調べると、600℃で7.25Pa、200℃(473K)で1×10-9 Pa である。200℃の温度でのCs137 の濃度は、120Bq/m3(標準状態に換算すると、約210 Bq/m3)。温度によって急激に飽和蒸気圧が変わる。(国立環境研究所資源環境・廃棄物研究センター:「放射性物質の挙動からみた適正な廃棄物処理処分(技術資料)第四版」第6章、69 頁 http://www.nies.go.jp/shinsai/techrepo_r4_140414_6.pdf
                 冷却過程でかなりのCsCl が析出する。析出時は、排ガスはもちろん塩化セシウムが飽和状態である。なぜならば、温度効果とともに飽和蒸気圧が減少し、排ガス中に蒸気として存在できない部分が析出するからである。200℃でのバグフィルターとその後の温度低下でも飽和状態が保たれていると仮定するのは十分な科学的根拠がある。バグフィルターに入る排ガスに気体としてのCsCl がどれほど含まれているか? 大阪市においては、2013 年2 月1 日から9 月7 日までの219 日間に、焼却場から9 億534 万6 千m3N の量の排ガスが排出されている。
                 この排ガスがCsCl の飽和蒸気圧状態であるとして試算する。放射性セシウムの全体のセシウム中での濃度は不明であるが、全体量100%が放射性だと仮定するとほぼ1011 ベクレル、半分だとすると5×1010 ベクレル、10 分の1とすると1×1010(100 億)ベクレルほどの放射能量となる。そのうちの40%が通過(除去率60%)すると仮定すると、それぞれ通過量は 4×1010、2×1010、4×109 ベクレルとなる。
                 それに加え、微小微粒子がバグフィルターの背後に通過しており、その微粒子からの放射線は飽和蒸気圧状態にある塩化セシウムより数ケタ大きいと推察される。0.1μm の微粒子の中におよそ109 個の原子があり、そのうち何%が放射能を持つか、微粒子がどれだけの数・量存在するかによっている。飽和蒸気圧状態の塩化セシウムガスよりはるかに多量であると推察する。
                 ただし、ここで扱う数値は、報告されている数字以外はオーダーエスティメーションとしての値であり、値そのものより桁数(大きさの程度)を求めるうえで意味のある数値である。
                 放射能被害の大きさは全体量で効いてくる。汚染の強さと人口に比例して健康被害の量が推し量られる。「放射性物質の濃度が法定基準以下であれば被害は出ない」というのは、全く誤った見解である。低線量被曝による健康被害は前意見書に詳述したが、ドイツ政府の行った原発周辺住民の健康調査「KiKK 研究」(http://www.alfred-koerblein.de/cancer/english/kikk.htm)でも明らかにされている。何の事故もなく「計画被曝」範囲の被曝によっても、白血病その他の大きな健康被害が出ているのである。


                結論

                 バグフィルターのセシウム除去率は、国が言うような99.99%などという高率ではない。まず、実験における排ガスの収集方法が適切でない。それはもともとバグフィルターを通過した微小微粒子・ガスを原理的にとらえることができない装置である。バグフィルターを通過した微小微粒子・ガスを集めて分析すべき課題を、それが不能な装置で行っても意味をなさない。
                 さらに99.99%を証明したとする実験にも、科学的な意味はない。10 桁もセシウム濃度の違う実験や、気体中のセシウムを捕捉することが完全にできていない実験で、バグフィルターのセシウム除去率を計算し論じている。
                 バグフィルター背後に装着するサイレンサーの汚れは、大阪府・大阪市の主張することが事実と異なることを示している。市民団体「セーブ・ジャパン・ネットワーク」の行った方法「降下ばいじん法」は、バグフィルターで漏れ出た微小微粒子・ガスを捕獲することのできる方法であり、その結果の信ぴょう性は高い。バグフィルターの除去率は60%程度と判断すべきである。
                 飽和蒸気圧量と排出した全ガス量とで試算すると、大阪市におけるがれき焼却で、気体塩化セシウムによる放射能は少なく見積もって約40 億ベクレル放出された可能性がある。なお、この計算には微小微粒子による放射能は含まれない。
                2015.04.28 Tuesday

                『放射線被ばくの理科・社会』を批判する ―ICRPを信奉する著者らの考え方と人格権ー  矢ヶ崎克馬

                1
                2015年4月
                『放射線被被曝の理科・社会』を批判する
                ―ICRPを信奉する著者らの考え方と人格権―

                矢ヶ崎克馬


                『放射線被被曝の理科・社会』を批判する 矢ヶ克馬(14ページ,390KB,pdf)

                目 次
                第1章 誰が人格権を守るのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
                (1)はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
                (2)ICRP放射線防護の3原則 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
                (3)防護3原則の実際の意味 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3
                (4)人格権の理解なしに行う「核兵器廃絶や原発反対」とは何であろうか ・・ 5
                (5)大飯原発差し止め判決 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
                (6)放射線防護の基準とは? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
                (7)ICRPの歴史を見る  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  7
                第2章 管理区域云々について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9
                第3章 日本の汚染について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11
                第4章 事故先験国のチェルノブイリ法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12
                第5章 「逃げる勇気を持ってほしい」と人格権 ・・・・・・・・・・・・・・ 13


                第1章 誰が人格権を守るのか?

                (1)はじめに
                 この論考は人格権に視点を当て、放射線被ばく防護の考え方に限定して議論する。
                 なぜ人格権に基づく議論が必要か?
                 福島第一原子力発電事故は、国家的戦略上で原子力発電がもたらした公害である。それに今我々は直面している。原子力発電は必然的に漏れ出す放射線によりシステム的に(必然的に)発がん等の健康被害、犠牲者を生み出す。それをどう評価すべきかで国家戦略・核戦略上の都合や発電産業としての企業的功利主義が渦巻く。特に原子力産業は世界的な支配力を誇る国際放射線防護委員会(ICRP)のALARA原則などにより手厚い思想的保護を受ける特殊産業である。必然的に放射線被害の受忍を強要する功利主義とその中で生活権、健康権などの内容である人格権がどう守られるかのせめぎあいが展開する。
                 現状では、日本政府の姿勢を見る限り、民主社会のおける主権者が主権者としての声を上げない限り人格権は守れない。一見科学上の問題に見える健康被害の問題でも、今引くしまで、日本で起こっていることを経験的に見ると人道的視点無くしては件く評価さえおぼつかない。その意味で、単なる「科学上の認識が問われる」だけでなく人格権の擁護の立場で論ずるかどうかが決定的に真の社会的意味を生じるところとなる。科学的に「都合のよい側面だけを取り上げる」ことにより、「科学」が人格権破壊などと密接にかかわる。科学は誠実で正直でなければならない。
                 この分野で圧倒的な支配体制を持つ国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方を『放射線被被曝の理科・社会』の著者たち、主として野口氏がどう考えているかを確認しながら論考する。核兵器禁止運動に指導的な役割を果たすような著者たちが、民主主義の基本的概念:人格権を大切にし「個の尊厳」を大切にする立場で議論しているかどうかが、本論の課題である。
                 野口氏は第1章「福島は人が住めないのか」の項でICRPの「計画被曝状況」、「緊急被曝状況」、「現存被爆状況」等の概念を紹介し、ALARAの原則などを紹介する。それらは「美味しんぼ」の危ないところから逃げる勇気を持ってほしいを非難する等に用いられていることからICRP的世界観は野口氏の信念とするところと解釈される。
                 平常時の線量制限の原則として氏は①行為の正当化、②防護の最適化(ALARAの原則)、③線量限度遵守の原則であると紹介する。
                 ではこれらの原則がどのようなものであるか具体的に確認するところから始めよう。

                (2)ICRP放射線防護の3原則
                ①行為の正当化
                ICRP2007勧告「用語解説」によると以下のとおりである。
                (1)放射線に関係する計画された活動が、総合的に見て有益であるかどうか、すなわち、その活動の導入又は継続が、活動の結果生じる害(放射線による損害を含む)よりも大きな便益を個人と社会にもたらすかどうか;
                 あるいは(2)緊急時被ばく状況又は現存被ばく状況において提案されている救済措置が総合的に見て有益でありそうかどうか、すなわち、その救済措置の導入や継続によって個人及び社会にもたらさせる便益が、その費用及びその措置に起因する何らかの害又は損傷を上回るかどうかを決定するプロセス。


                ②防護の最適化
                同じくICRP2007勧告「用語解説」によると以下のとおりである。
                いかなるレベルの防護と安全が、被ばく及び潜在被ばくの確率と大きさを、経済的・社会的要因を考慮の上、合理的に達成可能な限り低くできるかを決めるプロセス。

                ③線量限度
                同じくICRP2007勧告「用語解説」によると以下のとおりである。
                計画被ばく状況から個人が受ける、超えてはならない実効線量又は等価線量の値。
                と記述される。

                (3)防護3原則の実際の意味

                ①行為の正当化についてであるが、

                 人が放射線に被曝する行為は、それにより、個人あるいは社会全体に利益がもたらされる場合でないと行うことはできないとするものである。行為の正当化を判断するには、被曝させる行為が健康被害(死亡も含む)などの害に比べて利益(公益)が大きいか、また経済的に適性であるかなどについて検討される、とする。
                 この原則の真実の意味は、害すなわち発がんによる死亡などがシステム的に生じることを認知し、その上に立って、「害に比べて公益が大きい」あるいは「経済的に適正である」等と一発電産業等の営業行為による経済的利益とその行為による構造的健康被害・結果殺人等の価値判断を対等物として天秤にかけて論じるという功利主義そのものである。功利主義思想の民主主義思想に対する大胆な挑戦であり、核産業の開き直りである。
                 「個の尊厳」として位置づけられる人格権の否定、基本的人権を否定する内容であることは歴史に示された事実である。民主主義が基本となる近代的社会において民主主義の基本理念を真っ向から否定する考え方であり、民主主義社会としては受け入れてはならない基本原理の破壊である。

                ②防護の最適化について、

                 放射線防護においては、集団の被曝線量を経済的及び社会的な要因を考慮して、合理的に達成可能な限り低く(ALARA:As Low As Reasonably Achievable)保つようにすることをいう。「経済的及び社会的な要因」が一見リーゾナブルに見える表現だがここでは大問題である。「最大限住民を保護するために力を尽くせ」というのではなく、国の予算や企業の営業活動に支障が来ない範囲で無理しないで防護したらよい、というものである。これは企業や国家の都合を考えてその都合のつく(利益が守れる)範囲で人々の防護を考えるべし、というものである。例えば、東電の爆発があった直後政府が防護量を、今まで年間1mSvだった一般公衆の被ばく限度を20倍に引き上げた。これはICRPの勧告に従って政府が学問的検討など何もせずに決めたものである。法律的に「防護」という以上20倍まで被曝許容限度を上げることは即刻人権切り捨てに繋がり、乱暴な方法と言わざるを得ない。「事故により放射線防護力が20倍になる」という日本在住者が特殊生物でない限り、住民防護である法律を変更するのは住民切り捨てそのものである。この20倍適用は、住民にとっては人権の切り捨てが国家的に行われることであるが、他方、原発会社にとっては賠償責任を軽減し免罪してもらう仕掛けである。人格権を経済活動の下位に置く考えの典型である。ICRPの思想である功利主義は民主主義社会では受け入れるべきではない。

                ③線量限度については、

                 放射線被ばくの制限値としての個人に対する線量の限度で、ICRPの線量制限体系の一つの要件である。線量限度は、確定的影響に対する線量に対してはしきい値以下で、癌などの確率的影響に対しては、しきい値がなく、そのリスクが線量に比例するという仮定の下に、容認可能な上限値として設定されている。線量限度には、自然放射線と医療による被ばくは含まない。(実効線量と等価線量の限度が、職業人と一般公衆の当初は線量当量限度と表記されていたが、2013年に国際放射線防護委員会(ICRP Pub.60)勧告の取り入れにより、「線量限度」に改正された。組織線量当量も同様に「等価線量」に改正された。)
                 福一爆発時に設定された年間20mSv等の限度引き上げは典型的に住民の健康切り捨てである。
                 原発などでは法律に定められた線量限度以下の濃度で放射性物質を常時放出しているが、法定濃度限度以下でがんや白血病の多発を裏付ける証拠が各地で報告されている。その一つがドイツにおけるKiKK研究である。ドイツ連邦環境・自然保護・原子力安全省と連邦放射線防護庁:『Epidemiologische Studie zu Kinderkrebs in der Umgebung von Kernkraftwerken 』、略称『KiKK-Studie』。https://doris.bfs.de/jspui/bitstream/urn:nbn:de:0221-20100317939/4/BfS_2007_KiKK-Studie.pdf
                 その結果を次表に掲げる。


                表1 KiKK研究における5匏のオッズ比。オッズ比が1より大の時、その事象が起こりやすい。
                原発に近い圏内で小児白血病小児がんが多発していることが示されている。


                表2 5辧10匏の小児白血病オッズ比。5劼世韻任覆10匏内でも明らかに白血病が多発している。

                 注意すべきは、これら小児がんや白血病の被害は、ICRPの「正当化、最適化、線量限度」の範囲内で生じている被害なのである。「法的な線量限度以内」で発生している犠牲者なのである。これがICRPの受忍強要だ。東電福島原発事故に際しては日本政府は「…ベクイレル以下は安全である」と宣伝し、本来毒物であり安全値はありえない放射性物質を内部被曝させることを市民に強制している。
                 これらはICRP体制の放射線防護の原則が如何に人格権を破壊しようとしているか、すでに生じたことが雄弁に語っている。

                1.ICRPは民主主義の土台である「個の尊厳」を破壊する思想体系である。
                2.それはICRP勧告の放射線防護の三つの基本原則として、(1)行為の正当化、(2)防護の最適化及び(3)個人の線量限度として主張される。
                3.その主張はALARA精神を特徴とする。(ALARA:As Low As Reasonably Achieve)


                (4)人格権の理解なしに行う「核兵器廃絶や原発反対」とは何であろうか
                 著者たちは、3名とも日本科学者会議原子力問題委員会の委員および委員長と記されている。そのうちの1人(清水氏)は「福島県民健康調査検討委員会」の「副座長」であり、他の1人(野口氏)は事故後に「福島大学客員教授」に就任するとともに「福島県本宮市放射能健康リスク管理アドバイザー」を務めているとされる。その意味で、同著者集団(少なくとも2人)は、被曝問題において基本的には行政側の当事者である。また、児玉氏は「原発問題住民運動全国連絡センター」の代表委員とされており、野口氏は「原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会」の代表を務める。
                 「(私たちは)原子力発電に対して明確に批判的な立場に立っている」(5ページなど)が、「健康被害の有無・大小の問題は、原発の是非の問題とは切り離して客観的・科学的に論じなければならない」と言う。「私(同書著者)自身ははっきりと原発には反対の立場なわけですが、放射線の問題については、原発賛成の立場の人とも科学的な見解を共有することがあっても何ら問題ないと考えています」(177ページ)。等と記述している。
                 私が驚愕したことは「原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会」の代表、「原発問題住民運動全国連絡センター」の代表委員の「自身ははっきりと原発には反対の立場」に立つ人々が被曝問題・原発問題にかかわる人格権を尊重する考え方に触れたことが無いのではないか、否それらを全面否定しているのではないか、と疑わざるを得なかったことだ。
                 言うまでもなく私たちの社会が民主的に保たれる原則は、お互いの人権を尊重することである。自分の人権を守りたい限り、人の人権を自分の人権と同様に大切にし、その共通基盤があってこそお互いの人権を、その犯そうとするものから守るために協力していけるのである。原水爆禁止も平和に生きる権利:人格権が基盤にあって共通の運動となる。原水爆禁止を願う人は「核抑止論」:平和を守るために核兵器は必要である:という核兵器必要悪論に強く反対している。
                 ICRPの被曝防護3原則は、「原子力発電に関する核抑止論」である。被曝被害の受忍を強制することにより原子力発電に伴う被曝の必要性を受け入れさせてきたのである。もちろん思想として人格権を真っ向から否定している。
                 この「原子力発電に関する核抑止論」を「もっともである」と説いている野口氏の人権感覚は民主運動と相いれられるのであろうか?
                 「(私たちは)原子力発電に対して明確に批判的な立場に立っている」というのであるならば、物理的な発電そのものに対してだけでなく、原子力発電を推進してきたICRPの基本思想を人道的に分析してほしいものである。とっぷりとICRPの「原子力発電に関する核抑止論」につかりこんでいて、「原発に反対する」もないのである。
                 以下に人格権と一商業行為の、民主社会が受け入れるべき優劣を説いた「大飯原発差し止め判決」を引用する。

                (5)大飯原発差し止め判決
                 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である
                 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。

                 この判決は原発と人格権について明瞭な判断を下している。
                それだけではない。ICRPの防護原則に潜む人格権破壊の精神を見事に喝破しているのである。反原発を標榜する著者らはこれをどのように受け止めたのであろうか?
                 次に中川保雄氏の言葉を引用する。

                (6)放射線防護の基準とは?
                 「今日の放射線防護の基準とは、原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクをやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである。」(中川保雄「放射線被曝の歴史」)
                 核兵器推進勢力の論理的基盤は「核抑止論」である。原発推進勢力にとっての「核抑止論」は「ICRPの被曝防護3原則でありALARA原則」である。この点を理解せずに何の「核兵器禁止」であり「原発反対」なのであろうか?

                (7)ICRPの歴史を見る
                 ICRPは放射線の犠牲者隠しに貢献してきた。典型的な例は、IAEAはチェルノブイリ事故後の健康被害を甲状腺がんだけに限って認めた。現実は『チェルノブイリ被害の全貌』(ヤブロコフら、岩波書店、2013)に記載されているようにあらゆる疾病の増加が記録されている。チェルノブイリはまさに「知られざる核戦争」の実戦場であった。「知られざる核戦争」は爆弾を投下するという物理的破壊である核戦争に対して、裏側の「放射線の犠牲者隠し」という内容を持つ「核戦争」であり、矢ヶ崎が命名したものである。
                 ICRPの果たしている役割は図1に示すようなものである。核戦略及び原発を進めると必ず放射線が環境に放たれ、命と環境が被害を受ける。もし科学が被害を逐一解明していたら核兵器開発や原子力発電は推進不能となる。そこでICRPが猛威を振るうところとなった。その果たした役割は思想的な面と科学的な面との二つがある。思想的な面はまさに人格権破壊のALARA思想に代表されように被曝受忍の強制と命を金勘定で計りにかける功利主義であった。科学的な面は内部被曝隠しと具体性を骨抜きにした似非科学により、被曝を見えなくさせてきた。これが図1の意味である。
                       
                図1 ICRPのはたしてきた役割。
                ICRPの政治的役割は人格権を破壊する「功利主義・放射線被害の受忍強要」と反科学である。

                 倫理的手段と非科学体系を築くことで自然と命に対するありのままの姿を明るみにさらすことを阻止し続けた。
                 図2に「放射線防護」の哲学の変化の歴史を示す。人道的・科学的基準から経済的基準に原則が置き換えられる歴史であり、人道に反する考え方が支配する防護基準の達成される過程である。1954年にはまともにも「被曝被害を可能な最低レベルまで引き下げるあらゆる努力を払う」としていたものが、リスクベネフィット論とコストベネフィット論を経て被曝防護3原則となった。
                 人格権をないがしろにするICRPの反人道的主張は、例えば1977年勧告において、放射線防護の三つの基本原則として、(1)行為の正当化、(2)防護の最適化及び(3)個人の線量限度が導入された。その後の勧告においてもこの基本原則に基づいて放射線防護の具体的指針が示されている。

                  
                図2 ICRPの哲学の歴史、科学的基準を放棄し経済的社会的要因重視への変換の歴史


                ICRP2007勧告「緒言」には以下のように紹介されている。
                 委員会の1954年勧告は「すべてのタイプの電離放射線に対する被ばくを可能な限り低いレベルに低減するため、あらゆる努力をすべきである」と助言した(ICRP,1955)。
                 このことは、引き続いて被ばくを「実際的に可能な限り低く維持する」(ICRP,1959)、「容易に達成可能な限り低く維持する」(ICRP,1966)、またその後「経済的及び社会的な考慮を行った上で合理的に達成可能な限り低く維持する」(ICRP,1973)という勧告として定式化された。



                第2章 管理区域云々について

                 野口氏は、漫画『美味しんぼ』「福島の真実」編で「福島の人たちに、危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」と主人公の父親である海原雄山に語らせる場面も、原作者が「福島県」=「管理区域」=「危ない」と考えているからでしょう。として管理区域問題を論説している。野口氏の論述をかいつまんで紹介すると、「・・・3か月あたり1.3mSv を超える恐れがあると危ないから管理区域とするわけではなく、管理区域には必ず放射線源があり、野放しでは放射線職業人が高い被曝線量をする可能性があるからこそ線量限度や環境基準が設けられていると言えます。したがって、管理区域は「計画被曝状況」の下での環境管理基準を定めた区域のひとつであり、それを「現状被曝状況」に当てはめるのはそもそも間違っています。・・・」氏は「計画被曝状況」、「緊急被曝状況」及び「現存被爆状況」を説明してから上記の論を展開している。野口氏の論理の根底はICRPの功利主義そのものである。ICRPのこれらの規定には何の疑問も持っていないようである。ここが大問題である。
                 この点を少し具体的に考察しよう。
                 公衆を年間1mSv 以下の被曝に留めるような規制は、各官庁毎の「法律」⇒「施行規則」⇒「大臣告知」等という絡みで実施されている項目であり、法律に絡む規制であることは間違いない。「原子力基本法」には次の条文がある。
                第二条  原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
                2  前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。

                 放射線管理区域とは「不必要な立ち入りを防止する規制」にかかる区域である。正常な状態では一般公衆は立ち入ってはならないし、区域内で飲食するようなことも禁じられる。
                 放射線管理区域設置の目的は「放射線障害を防止し、公共の安全を確保することにある」(放射性同位元素等による放射線防止に関する法律、他の法律も同様)とされている。「放射線障害を防止し」は要するに「危ないから規制する」というところにある。これを野口氏は「3か月あたり1.3mSvを超える恐れがあると危ないから管理区域とするわけではなく、管理区域には必ず放射線源があり・・管理区域は「計画被曝状況」の下での環境管理基準を定めた区域のひとつであり、それを「現状被曝状況」に当てはめるのはそもそも間違っています。」という。そうであろうか?
                 氏の論理は「放射線源が無ければ被曝量は制限されない、あるいは、放射線源の無いところとあるところの線量を比較してはならない」、「現状被爆状況だから、放射線管理区域に相当する(放射線量)の場所も規制されることはない」、「素人が管理区域設定の具体的条件を抜きにして線量を比較するのは不当である」という論理のようである。線量の大きさを比較しようとした論理がはぐらかされている。人格権を基準とした視点ではない。ICRP流の「受忍強制」論の立場であると思う。我々一般公衆は「人格権に基づく保護」を求めている。
                 3か月あたり1.3mSvという規定の他に管理区域設定基準はいくつか並置される。表面の放射能汚染が(アルファ放射体でないならば) 40kBq/ m2 という規定も並行して設置されている。これは表面汚染を基準にして「管理区域」が設定されているのである。文科省でも、航空機モニタリングにより空間線量を測り土地汚染を計算している(例えば、第4次航空機モニタリング)。それによるとそもそもの「管理区域」として指定しなければならない線量である地域は膨大なもので、数百万人が居住する地域となる。
                 まさに日本の汚染状態は、政府が正常に人格権を守るならば、チェルノブイリ周辺国のように(後出)「年間1mSv 以上」の環境には保護施策が適用されるべきである。今からでもやるべきである。
                 野口氏の論にしても、確立された国際的な基準を踏まえということについてはICRP勧告を是とすれば確かにその手順を踏んでいる。しかし、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資する ことに関しては果たしてどうであろうか?ICRPの適用は健康に生きる権利の切り捨てそのものではないか。ICRPの果たす役割がここで明瞭に示されたわけである。人格権破壊を容認してはばからない人権感覚を疑う。
                 通常「公衆を年間1mSv 以下の被曝に留める」ことは上記法律に明記されている国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資する ところから発していることは矛盾が無い。しかし、いったん事故があって、「緊急被曝状況」になったら、「20mSv までよろしい」ということには野口氏は矛盾を感じないだろうか?
                 20mSv につり上げたのは、ALARA原則に従って、「被曝線量を経済的及び社会的な要因を考慮して、合理的に達成可能な限り」という範囲で設定したものである。経済的社会的要因として「東電の賠償負担と政府の保護義務」等を最小限に抑える基準に変更したのである。住民の人格権は考慮されていない。切捨てされる対象となっているというべきである。
                 「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全」という原則からすると、年間1mSv が通常時の限度であるならば、それを守るべきである。事故が起こったからと言って公衆の放射線に対する抵抗力が20倍になるわけではない。「計画被曝状況」、「緊急被曝状況」及び「現存被爆状況」等の規定そのものが、中川保雄氏が指摘するように、原発推進の目的で組み立てられた論理である。原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段がICRP勧告そのものである。公衆の人格権など2の次である。野口氏はこのようなICRPの防護原則を使って論議する。反原発の精神と矛盾しないのであろうか?
                 そもそも福一原発の放射性物質が爆発等により「勝手に」住民環境に押し寄せていて、法律等で「公衆に約束していた被曝をさせない」環境が保たれていない。管理区域にはまさに目的意識的に設置された線源があるのであろうが、住民地区には全く何の予告もなく住民の意志に反して無数の目に見えない「線源」がばら撒かれたのである。放射線被ばくを議論するうえで「線源」云々は全く必要ない詭弁である。一般に原発等作業者の被ばく限度は公衆の数倍甘く設定されている。その作業者の制限値が「3か月1.3mSv 」である。公衆の基準にしたらあくまで年間1mSv であり、それに比べると非常に高い危険区域なのである。作業者は自らの意志で決定できる労働を行うものであるが、地域住民は否応なく、自分の意志に関わりなく「被曝させられる」存在である。作業者は3か月より短い期間で1.3mSvに達してしまえば、もうそれ以上継続して働けない。すなわち被曝は避けられる。地域住民は決してそう振る舞えない。被曝を強制させられているのである。
                 『美味しんぼ』では、その線量の状態を比較しているのである。野口氏の「現状被曝状況」に当てはめるのはそもそも間違っています という論理は官僚よろしくまさに詭弁に聞こえる。「放射線源は存在していません」と、線源を機械的設置物だけに限定しているが、住民はまさに勝手にもたらされた「目に見えない線源」からの放射線にさらされているのである。
                 人格権無視のICRPをもろに擁護する視点を少しでも人道的視点で見直すことを願うばかりである。

                 
                第3章 日本の汚染について 

                 さらに、「3か月あたり1.3mSv を超える恐れのある区域はそれこそホットスポット地域であり、・・・現在福島県中通り地方で年5.2mSvを超えるところはごく一部の極めて狭い範囲に限られ・・・『美味しんぼ』「福島の真実」編は現状認識において不正確極まりなく、あまりに大げさであり、政治的にすぎます。」と述べている。はたしてそうであろうか?
                 前述のように文科省確認の管理区域並の40kBq/岼幣紊療效榔染下に数百万人の人が生活し続けてきたのである。
                 福島の放射能汚染状況は野口氏の言うように「大したことではない」のではなく、チェルノブイリをしのぐ汚染が実際のようだ。
                 政府は福島で放出した放射線量はチェルノブイリの6分の1 低度だとする。しかし、山田耕作氏らの論考(http://acsir.org/data/20140714_acsir_yamada_watanabe_002.pdf.
                関連する青山道夫氏「東京電力福島第一原子力発電所事故に由来する汚染水問題を考える」『科学』岩波書店2014年8月号所収)では福島の放射能放出量はチェルノブイリ事故の最低4.4倍としている。この事実を「理科・社会」の著者らは検討してほしい。今後の日本における健康被害を暗示する。
                 さらに重要なことは公式データとして用いられているモニタリングポストの値は真値のおよそ半分なのである(矢ヶ崎克馬ら:http://blog.acsir.org/?eid=23)。図3にそれを示す。


                図3 モニタリングポストの実態

                 日本政府の行っている住民切り捨てをまさに絵で見せている実測図である。
                 野口氏が言う「現状認識において不正確極まりなく、あまりに大げさであり、政治的にすぎます。」という判断は、逆に「あまりにも人道的見識から外れ政治的すぎる」と申し上げたい。民主社会を構築する思想的基盤である一人一人の人格権を大切にして、「人道的立場を思い出して、ぜひ真実を見ていただきたい」と申し上げるばかりである。


                第4章 事故先験国のチェルノブイリ法

                 図4はチェルノブイリ法(住民保護法)(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、ほぼ共通)汚染ゾーンである。表はセシウムの汚染状況からのゾーンを示している。
                 ゾーンは放射性物質の土地汚染を主体として決めている。土地の汚染が3倍になると内部被曝も含めた被曝量が5倍になる勘定をしている。年間1mSv 以上で「移住権利」ゾーン、年間5mSv (土地汚染からの外部被曝3mSv、内部被曝2mSv)以上では、強制移住ゾーンとなっている。

                 
                図4 チェルノブイリ法(住民保護法)(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、ほぼ共通)

                 特徴は政府がまさに人格権を擁護する立場に立って、「年間1mSv以上は危険ですよ」と明言して、移住権利ゾーンでの意志決定は、住民が自らの意志で決定していることである。避難対象となる人口などの社会的条件は異なっても、どちらの住民も放射線に対する抵抗力は同じである。一般公衆に対する被ばく限度値、すなわち市民が保護される基準、も同じ「年間1mSv」である。法的に定められた基準通りチェルノブイリ周辺国は「年間1mSv以上は危険です」と明言する。


                第5章 「逃げる勇気を持ってほしい」と人格権

                 野口氏は「現状被爆状況」だから、危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」と福島県民に呼びかける『美味しんぼ』「福島の真実」編は現状認識において不正確極まりなく、あまりに大げさであり、政治的にすぎます。という。この論理は、まさに「安全」だという科学的にも経験的にも破たんした科学無視の論理を前提として、住民に被曝を強要するものである。
                 「逃げる勇気を持ってほしい」という言葉は、「日本政府はチェルノブイリ周辺国と異なり住民の人格権に基づく被曝拒否の判断・行動を封殺している」、「日本政府が人格権を守らないのならば、住民は自発的意志で自ら人格権を守るしか道はない。」と判断して「危ないところから逃げる勇気を持ってほしい」と悲痛な訴えをしているように私には思える。
                 政府や専門家が科学的な意味でも法的な意味でも真実を語ることは市民が人格権を守る上で重大である。ましてや行政が言論封殺に動くことなどもってのほかである。事実を具体的に明らかにすることは科学の仕事であるが、科学者・専門家がその逆を行くことは人格権破壊を科学の面で支えるものである。
                 野口氏は美味しんぼの鼻血問題で、実際に生じている事実を「ICRPなどの論理で、『このような低線量では絶対ありえない』という趣旨で否定している。『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見(スピリッツ25、2014・6・2、p.391~)での野口氏のコメントは外部被曝の立場に立った全身被曝の考え方から「福島県内でそのような高線量の被曝をする状況にはありません。」と、事実確認をする前にICRP体系に従った教条的判断で事実を否定するものだった。内部被曝・付着被曝等被曝形態での被曝状況を検討することもなく、科学を行っていない言説である。
                 津田敏秀氏らによる『低レベル放射線曝露と自覚症状・疾病罹患の関連に関する疫学調査』は事故後1年半の時点で調査した報告書である(2013年9月6日~実施)(http://www.saflan.jp/wp-content/uploads/47617c7eef782d8bf8b74f48f6c53acb.pdf)。
                 調査は対象を双葉町(福島県)・丸森町(宮城県)とし、被曝していない木之本町(滋賀県)を参照群:基準とした。全8284名が参加した調査である。多様な調査であるが、鼻血が出た人割合のオッズ比は被曝集団のほうが3.5倍(丸森町)、3.8倍(双葉町)高くなっている(木之本町を1とする)。ちゃんとした統計を取れば、鼻血が被曝を原因としていることが明瞭となる調査結果だ。ICRPの教条的結論をうのみにした「科学の逆を行く判断」は人格権無視に繋がる。
                 科学とは無縁の具体性から離れた思想は、ICRPの被曝強要という人格権無視の思想構造に起因し、限りなく原発再開推進派の論理ににじり寄るものである。日本政府は、20mSv以下は安全だと言う。図らずも野口氏が実践しているように不安を抱くものの口を封じている。「早く帰れ」と帰還政策を進めている。私の願いは、「原発反対や核兵器反対」の看板を掲げる人士は、それを内的に裏付ける人格権擁護と一致させてほしい、と願うばかりである。もし、「被曝を住民に強要して受忍させる」という思想を住民に押し付けようとしているならば、何ら原発推進派と変わりはない。
                 チェルノブイリ周辺国に反して、基本的人権の擁護という視点は、日本政府は全く持ち合わせていない。チェルノブイリで、IAEAが唯一の放射線起因の疾病として認めた甲状腺がんも日本では認めようとしていない。放射線に関連して一切ものを言わせまいとする統制がまかり通っている。それに加えて、本来なら人格権を守るべき立場にある人物たちが、積極的にICRPの人格権無視に加担している。これが被爆国日本の悲しむべき特徴的現象である。
                 ICRP体系には科学の原理に反する規定が満載される(長崎被爆体験者訴訟矢ヶ崎意見書参照)。ICRPを金科玉条にするのではなく少しは批判的に見てほしいものである。
                2015.04.27 Monday

                『放射線被曝の理科・社会』の問題点 (5〜6章・付表・資料)  山田耕作・渡辺悦司

                0
                  2015年4月

                  『放射線被曝の理科・社会』の問題点
                  (5〜6章・付表・資料)


                  山田耕作、渡辺悦司
                  2015年4月3日(5月15日改訂)

                  〖ここからダウンロードできます〗
                  『放射線被曝の理科・社会』の問題点(全体) (89ページ,1200KB,pdf)

                  〖参照〗 (1〜4章)
                  『放射線被曝の理科・社会』の問題点(1〜4章)



                  以下は 『放射線被曝の理科・社会』の問題点(1〜4章) のつづきです


                     5.第5章「原発住民運動と放射線問題」(162ページ)

                  5-1.被曝の問題では原発推進勢力と「科学的見解を共有する」という見解

                   『理科・社会』177ページ「私自身ははっきり原発には反対の立場なわけですが、放射線の問題については、原発賛成の立場の人とも科学的な見解を共有することがあっても何ら問題はないと考えます。」
                   同177ページ「原発に賛成する人たちも反対する人たちも同じテーブルについて肝を据えた議論を行う必要があると思います。このことを行う上で大きな壁になっているのが、『放射線影響が大きければ大きいほど脱原発にとって都合がいい』という心理です。これを乗り越えて、原発そのものの是非と放射線の健康問題の有無・大小は別の問題で、一緒くたに論じてはならないという一致点を作ることが、原発をどうするのかという日本の将来に関する重要な課題に国民全体が向き合っていくための、重要な第一歩になると考えます。」
                   ここでも『理科・社会』の著者たちの歪んだ心理が表現されている。人々は原発に反対するために被曝の危険を探しているのではなく、核の歴史とくに核兵器と原子力発電の歴史の中で被曝の危険性が現実に明らかになり、人類的課題として核の利用の停止が客観的に提起されたのである。あたかも「核の危険性を棚上げにして核の廃絶を議論する」がごとき提案がベテラン科学者からなされることは信じられないことである。「放射線影響が大きければ大きいほど脱原発にとって都合がいい」などと考えている人がいるだろうか。これは失礼ながら『理科・社会』の著者のように内部被曝をはじめ被曝の被害を誤って過小に評価している人に限って、そのように見えることではないだろうか。我々はむしろ、チェルノブイリや福島で次々と明らかにされる事実を驚きと恐怖を持って受け止めている。しかもまだそれが十分に明らかにされていないと考えている。そのため汚染地からの避難を訴えているのである。まず、チェルノブイリ法に見習い、年に1mSv以上被曝の恐れのある地域の避難を選択した家族や人には、経済的にも避難を可能にする避難の権利が保障されなければならない。年に5mSv以上被曝する地域は政府が避難させる義務があるところとしなければならない。現在のように年間20mSv以下であるとして帰還させるのはとんでもないことである。
                   これまで検討してきたように『理科・社会』は内部被曝をはじめいつも過小評価の方向に間違っているのは偶然であろうか。著者たちこそが、危険な放射線被曝の真実を明らかにすることを「恐れている」ように見える。自らが過小評価しているので、真実を暴く科学的見解が根拠のないデマのように見えるのではないだろうか。鼻血問題がその例である。我々は淡々と被曝の科学を進歩させればよいのである。著者たちはなぜ原発に対する立場を先に問うのであろうか。被曝の科学が正しくなければ判断ができないのではないだろうか。原発をどうするかは世の人々がその科学的な結果を見て正しく判断するであろう。『理科・社会』の内部被曝は外部被曝ほど危険でないという見解は、本当に正しいのか。これが誤りであることこそ肝心かなめのことである。
                   結局、『理科・社会』の出版は反原発運動の武装解除を説得するための出版であったのである。これではICRPなど原発に賛成する人とも共同行動ができるのは当然である。原発が生み出す放射能の危険性、放射線被曝による健康破壊を抜きにして原発停止を説得することが正しいことであろうか。ほとんど大部分の人たちは、子どもたちをはじめ未来の人類の命と健康を守るために原発廃止を要求しているのである。それはICRPの歴史が裏返しの形で証明していることである。歴史的にICRPによって、内部被曝は核の推進のために隠蔽されてきたのである。『理科・社会』のベテランの科学者がこの歴史を知らないはずがない。にも関わらず、「原発に反対する」彼らが今まで見たようにICRPの見解を支持するのはなぜなのか。本書を読むものには理解できない。
                   中川保雄氏の言葉を最後に引用する。
                   「今日の放射線防護の基準とは、原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクをやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである。」(中川保雄「放射線被曝の歴史」))

                  5-2.脱原発運動をめぐる現下の根本問題

                   結局、『理科・社会』に関連して、現在の状況の下で提起されているのは、以下の3つの根本的な問題である。
                   1.住民の健康被害を引き起こし住民のストレスを高めている元凶はいったい誰なのか?
                   2.「目に見える被害は出ない」という主張はいったい誰の役に立つか?
                   3.なぜいまこのような主張をするのか?
                   これについて我々は次のように考える。
                   第1の問題。原発事故を引き起こし大量の放射能を放出させた東京電力・政府・原発推進勢力こそが、住民の健康被害を引き起こし住民に強力なストレスを与えている元凶である。東京電力・政府・原発推進勢力こそが有責であり、生じた事態に対してすべての責任を取らなければならない。彼らは、本来、訴追されなければならない刑事被告人であり、民事上のすべての賠償義務を負うべき被告である。『理科・社会』が、「放射線の恐怖をあおる」脱原発派という虚偽の図式を持ち出すことによって、曖昧にしぼかし隠そうとしているのは、この基本的な対立関係である。それを常に明確にし、一時も忘れてはならない。
                   第2の問題。「「目に見える被害は出ない」という主張は、重大事故を引き起こし福島と日本全土と世界を汚染した張本人を救済しようとする論理である。彼らが用いる論理――現に被害が出ている事実があるという主張は「風評」であり無用に「人々の恐怖をあおる」ものであるとする論理――もまた、同じように犯人の救済論である。それらは、表裏一体となって、事故を引き起こし放射能をまき散らした張本人が、晩発性の放射性障害を含め長期にわたって賠償し償うべき責任を逃れるのを助ける弁護論である。端的に言えば、このような犯人と責任者の免罪を脱原発運動が行うべきであるというのが、この本の著者たちの主張である。
                   第3の問題。「なぜいまなのか」は明らかである。政府・電力会社・原発メーカー・原発推進勢力、これらの福島原発事故を引き起こした張本人は、一体となって、この夏から原発を一挙に再稼働しようとしている。もっと言えば、福島事故のような重大事故がおよそ10余年から30年程度に1回の確率で起こることをいわば前提にして、全国で40基程度を、40年以上経た老朽原発も含めて再稼働しようとしている(つまり廃炉決定5基以外は数基を除いてほぼ全ての原発を再稼働し、原発依存度は事故前2010年の29%から2030年の22%に下げるだけである)。さらに、核燃料サイクルも推進し続け、高速増殖炉もんじゅも動かし、原発の新増設も続け、独自核武装の準備も進めようとしている。問題は国内だけでない。事故で危険性が明らかになった原発を、世界に、とくに途上諸国に、大々的に輸出しようとしている。「事故が起こっても何の問題もない」「被曝しても何の健康影響も出ない」「被害が出ているというのは『風評』すなわち嘘やデマである」「放射線への恐怖こそが被害を生み出している」という主張は、大規模再稼働と原発推進と原発輸出と独自核武装準備を進めるための原発推進勢力の共通のスローガンである。また原発を世界に売りこむための国際的な宣伝競争のキャッチフレーズである。(事故確率については、経済産業省原子力委員会原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会「核燃料コスト、事故リスクコストの試算について」2011年11月10日の表3の注記を参照。
                  http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/kettei/seimei/111110.pdf 我々の微粒子論文の注73も参照のこと)。
                   この第3の問題には、もうひとつの重要な側面がある。政府・東電による賠償の打ち切りと原発周辺地域の「核のゴミ捨て場」化に対して、福島県の住民の反発が、極めて強くなってきていることである。「被害は出ない」という主張は、抵抗する住民を宥め反発を和らげるための策略だと取られても仕方がないし、著者たちの意図はどうであれ、客観的にその役割を果たしている。

                  5-3.福島県住民による『理科・社会』的見解への厳しい批判

                   『理科・社会』が図らずも明らかにしている重要な点は、福島県の住民の多くが、被曝による住民の健康被害を認めず福島を「核のゴミ捨て場」に変えようとする政府・東電また県や行政当局に対して不満や怒りを露わにし、その怒りは行政側の当事者でもある著者たちにも実際に向けられているという事実である。著者たちは、住民から「加害者を免罪するのか」「反原発運動に水を差す」「裁判を不利にする」「障害者差別だ」などと厳しく批判されていることを自ら告白している(133〜136ページ)。これらはまさに正当な批判である。
                   とくにこの最後の批判は、清水氏の次の発言に対するものであり、氏の見解の本質を鋭く突いたものである。清水氏は、県のアンケート調査で避難区域住民を中心とした成人の約6割が「現在の放射線被曝の次世代以降の人への健康影響の可能性」が「非常に高い」あるいは「やや高い」と回答していることに関連して、次のように述べる。「(広島・長崎の原爆被爆者と同様に福島事故においても)被曝による遺伝的な影響は確認されない」「先天奇形・異常は通常からある程度の確率で発生する。福島でそうした子供を出産した親の気持ちを考えてみてほしい。『あのとき避難しなかったのがよくなかったのではないか』という悔恨、そして東京電力や政府に対する怨念や憤怒を、一生かかえながら生きることになるかもしれない。これは悲劇だ」「被災者である県民自身が遺伝的影響の存在を信じているようだと、『福島の者とは結婚するな』と言われても全く反論できないし、子供たちから『私たち結婚できないの』と問われて、はっきり否定することもできない」(132〜133ページ)と。
                   清水氏の言う通りであれば、福島県民自身が、また障害者とその親たちが、「遺伝的影響があると信じている」という原因から、差別されても「全く反論できない」「否定できない」という結果になるということである。これは「遺伝的影響の存在を信じる」なら差別されても仕方がないという見解であり、障害者に対して差別を行う者あるいは差別を生み出す社会制度の側にではなく、差別を受けている障害者とその家族の側に、その考え方や心理の方に、差別が生まれる原因があるという主張である。つまり、差別者の側ではなく被差別者の側に「落ち度」があるというのであり、「障害者差別だ」と批判されて当然の発言である。
                   この批判は厳しかったのか、清水氏は次のように言い訳をする。「私は、障害をもって生まれること、あるいは障害者を子に持つことが不幸だとは言っていません。それを自分の落ち度だと思い込んだり、人を恨み続けたりすることが不幸だと言っているのです」(135ページ)。
                   この発言は、その通りに読めば、「不幸」の原因は、障害をもって生まれてきたという客観的な事実ではなく、「(避難しなかった)自分の落ち度を責めたり」「(事故を起こした)人を恨み続ける」と考えている、障害を持って生まれた人とその親たちの心の持ち方と精神的な態度にある、言い換えれば、「不幸」の責任は障害者本人と親たちの側にあるということになる。「(事故を起こした)東京電力や政府に対する怨念や憤怒」をもって「恨み続ける」から「不幸」になるなのだということである。自分の「不幸」を自分でつくり出しているのだというのである。ただ清水氏には、この議論をさらに突き詰めて、住民が「東京電力や政府に対する怨念や憤怒」を捨てれば「幸福になれる」、「遺伝的影響はないと信じる」ようになれば「差別を受けることはない」と、はっきり言い切るだけの自信も勇気も根拠もない。これによって議論は分かりにくくなっているが、要するにそう言いたいのである。
                   清水氏は続けて「自らの、あるいは家族の一員の障害と向き合い、受け入れるのは大変なことですが、天から与えられた試練と厳粛に受け止めるしかありません」(135ページ)という。つまり、障害者が生まれることは、事故を起こし被曝を引き起こした「人」の責任ではなく、人を超越した「天」すなわち神の意思なのだから、神の与えた「試練」として「厳粛に」「受け入れよ」、要するに「堪え忍べ」というのである。
                   言い訳できなくなった清水氏は、最後には、「反原発のために奇形児の誕生を待ち望むような傾向こそが、私には障害者差別にほかならないと思えます」と述べ、自分への差別主義という批判を露骨なデマによって反原発運動に転嫁しようと試みている(135ページ)。ここでは、清水氏は「ネトウヨ」的「トンデモ」発言と区別できないまでの悪質な水準に転落している。
                   これらの発言は、明らかに障害者とその親たちを、またこれから子供を持とうとする人々を、さらには反原発運動を闘っている広範な人々を愚弄し、誹謗し、中傷し、人間としての尊厳を冒涜するとしか言いようのない暴言である。これは驚くべき転倒した心理主義、倒錯した主観主義であって、かの山下俊一氏の「笑う人には放射線の影響は来ない」という発言と同一の性格である。ここまで来れば、清水氏の発言がいったい誰を救済しようとし、何を正当化しているかは明らかである。このような発言をめぐって「障害者差別だ」という非難が巻き起こり、「ネットで炎上」した(132ページ)としても当然である。
                   以上から明らかなように、同書を読めば、我々は福島県住民の「東京電力や政府に対する怨念や憤怒」を感じ、本書のような屈服的傾向に対する住民の強い批判と抵抗と闘いを感じとることができる。我々もまたそこから勇気をくみ出すべきであろう。

                  5-4.『理科・社会』的傾向の政治的社会的性格

                   著者たちが、「美味しんぼ」攻撃で、安倍首相や政府・環境省と事実上の「共闘」関係に入ったことは、今では「目に見える」事実である。それと並んで、著者たちのうち2人は、行政側に選ばれて原子力行政内部の一定の重要ポスト(1人は「福島県民健康調査検討委員会」の「副座長」であり、他の1人は事故後に「福島大学客員教授」「福島県本宮市放射能健康リスク管理アドバイザー」)を与えられたこともまた、「目に見える」事実である。著者たちは、客観的に、自分たちもまた被曝被害の隠蔽に荷担し有責となったといわれても仕方のない立場となった。
                   著者たちが『理科・社会』において展開している見解は、原発をめぐる新しい情勢と著者たちをめぐる政治的社会的諸関係の変化の結果、著者たちの基本的立場そのものが、政府・環境省・行政側へと移行しつつあり、原発事故と放出放射能の結果として現実に被害を受けている広範囲の住民の利益から、また脱原発を願う大多数の国民の利害から、「かけ離れて」行っているのではないか、という重大な疑念を広範な人々の間に生じさせても何の不思議もない内容となっている(133ページで「最悪の御用学者だ、大学から追放せよ」という書き込みもあったと書かれているが、象徴的である)。
                   もしも、著者たちにそのような疑念を払拭できる道がまだ残されているとすれば、著者たちが上記のようなポストにありながら「再稼働反対」を掲げて闘うかどうかということだけであろう。

                     6.おわりに

                   『理科・社会』を通じてくりかえされる言葉がある。それは「目に見える被害はない」という主張である。これは田崎晴明氏の本にも繰り返される言葉である。私たちが不思議に思うのはなぜ「被害はない」と言わずに「目に見える」という修飾語が共通に繰り返されるのだろうか。物理学会誌上でも閾値があるとして山田を批判した稲村卓氏は低線量の遺伝子損傷は他の効果で見えないから閾値があるといった。しかし、「見えない」は「存在しない」とは全く異なることである。他の効果で観測が難しくても存在するものは観測と関係なく存在するのである。本論を通じて議論したように、被害を見るためには不断の努力が必要である。少人数の調査では低線量の被曝被害は見えない。田崎氏の言うように「バタバタと倒れる」ことはないからである。しかし、このような「目に見える」という基準で被害の有無を判定することは、客観的な法則を観測の有無にすり替えることである。ガリレオのように「それでも地球は回っている」というのが科学の精神である。福島原発事故の被害も、誠実な調査が行われなければ「目に見える被害はない」ことになる。見ようとしなければ「目に見える」ことはない。現実に、チェルノブイリ原発事故の被害をめぐる2つの陣営の国際的対立では、「正式の」科学雑誌に「査読」という事前検閲を経て掲載された英語の論文以外は見ない人や信用しない人があり、それらの人には被害は「見えない」のである。科学の進歩のためには「見る」ための必死の努力が必要なのである。野口氏の「10ミリシーベルト以下の被害が明らかになることはないだろう」という言葉は不可知論であり、あくまで真理を探究するという科学の精神に根本的に反する。それ故「目に見える」という実証主義的な言葉は真実をごまかすために用いられていると我々は思う。目を閉じれば福島の悲劇は消えるというわけではない。どんなにつらくても我々は真実を追求しなくてはならない。それが過去、現在、未来の人類に対する我々に課された責務ではないだろうか。真理は長く永遠に人類に貢献するのである。これはまさに「美味しんぼ」の作者、雁屋哲氏の信念であると思う。




                    参考文献

                  1)児玉一八、清水修二、野口邦和:『放射線被曝の理科・社会』かもがわ出版、2014年
                  2)澤田昭二他:『福島への帰還を進める日本政府の4つの誤り』旬報社、2014年
                  3)Mathews J Cancer risk in 680000people to computed tomography scans in childhood or ado D et al. lescence data linkage study of 11 million Australians BMJ.346:f2360(2013)
                  4)Kendal GM.et al.A record-based case-control study of natural background radiatin and the incidence of childhood leukemia and other cancers in Great Britain during 1980-2006.Leukemia.27:3-9(2013)
                  5)石丸小四郎他:『福島原発と被曝労働』明石書店232ページ(2013年)
                  6)Eisenberg.M.J.et al.:Canser risk related to low-dose ionizing radiation from cardiac imaging in patients after acute myocardial infarction. CMAJ.183,430-6,2011
                  7)J.M.Gould 著、肥田舜太郎他訳、『低線量内部被曝の脅威』原題「The Enemy Within」緑風出版(2011)
                  8)原子力資料情報室(CNIC)、澤井正子氏紹介:「原子力発電所周辺で小児白血病が高率で発症―ドイツ・連邦放射線防護庁の疫学調査報告―」
                  9)Carl J Johnson et.al: Plutonium Hazard in Respirable Dust on the Surface, Science193, 488-490(1976)
                  10)大和田幸嗣、橋本眞佐男、山田耕作、渡辺悦司著:『原発問題の争点』緑風出版、2012年
                  11)雁屋 哲:『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』遊幻舎 2015年
                  12)「東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌」http://ishtarist.blogspot.jp/)
                  13)ラルフ・グロイブ、アーネスト・スターングラス:『人間と環境への低レベル放射線の脅威』肥田、竹野内訳、あけび書房、2011年;The Petkau Effect.
                  14)ユーリ・I・バンダジェフスキー著、久保田護訳:『放射性セシウムが人体に与える医学的生理学的影響』合同出版2011年
                  15)ユーリ・I・バンダジェフスキー、N・F・ドウボバヤ著、久保田護訳『放射性セシウムが生殖系に及ぼす医学的社会的影響』合同出版 2013年
                  16)綿貫礼子編『放射能汚染が未来世代に及ぼすもの』新評論、2012年
                  17)Pavel P. Povinec, Katsumi Hirose, Michio Aoyama; Fukushima Accident ― Radioactivity Impact on the Environment; Elsevier (2013)
                  18)西原健司ほか著「福島原子力発電所の滞留水への放射性核種放出」日本原子力学会和文論文誌(2012).
                  19)津旨大輔、坪野考樹、青山道夫、廣瀬勝巳「福島原子力発電所から漏洩した137CSの海洋拡散シミュレーション」(2011年11月)、電力中央研究所・研究報告:V11002
                  20)ここではストールの改訂版の数字を使用したが、初版の数字と大きな違いはない:A. Stohl et al.; Xenon-133 and caesium-137 releases into the atmosphere from the Fukushima Dai-ichi nuclear power plant: determination of the source term, atmospheric dispersion, and deposition; Atmospheric Chemistry and Physics; 2012;
                  http://www.atmos-chem-phys.net/12/2313/2012/acp-12-2313-2012.pdf
                  21)Charles Lester et al.; State of California Natural Resource Agency California Coastal Commission; 2014;
                  22)UNSCEAR; ANNEX J Exposures and effects of Chernobyl accident
                  http://www.unscear.org/docs/reports/2000/Volume%20II_Effects/AnnexJ_pages%20451-566.pdf
                  23)クリス・バズビー著、飯塚真紀子訳、『封印された放射能の恐怖』講談社(2012年)
                  24)津田敏秀;月刊『科学』岩波書店2014年7月号
                  25)福島老朽原発を考える会:『政府は被爆者の健康管理体制の抜本的強化を』2015年
                  26)白石 草:『ルポ チェルノブイリ28年目の子供たち』岩波書店2014年12月 
                  27)A.Romanenko et al.: Urinary bladder carcinogenesis induced by chronic exposure to persistent low-dose radiation after Chernobyl accident.Carcinogenesis 30 1821-1831(2009)
                  28)落合栄一郎:『原爆と原発』鹿砦社、2012年 106ページ
                  29)落合栄一郎:『放射能と人体』講談社、2014年
                  30)津田敏秀:「2014年12月25日福島県『県民健康調査』検討委員会発表の甲状腺がんデータの分析結果」『科学』2015年3月号、0126, 岩波書店、および「2015年2っ月12日第18回福島県『県民調査』検討委員会発表の甲状腺がんデータの分析結果」2015年4月号、0334.
                  31)山本英彦:『医問研ニュース』 第467号2014年7月発行,





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                  2015.04.10 Friday

                  『放射線被曝の理科・社会』の問題点 (1〜4章) 山田耕作・渡辺悦司

                  0
                    『放射線被曝の理科・社会』の問題点
                    (1〜4章)


                    山田耕作、渡辺悦司
                    2015年4月3日(5月15日改訂)

                    〖ここからダウンロードできます〗
                    『放射線被曝の理科・社会』の問題点(全体) (89ページ,1200KB,pdf)

                    〖参照〗
                    『放射線被曝の理科・社会』の問題点 (5〜6章・付表・資料)



                       はじめに

                     児玉一八、清水修二、野口邦和の3氏による『放射線被曝の理科・社会―4年目の「福島の真実」』という本(以下『理科・社会』と略す)が2014年12月に出版された1)。この本の主張は、福島原発事故では「目に見える被害は起らない」という点を中心にしている。つまり、「目に見える被害」は、これまでも、いまも起こっていないし、今後も起こることはない、というのである。そして、「被害が起こる」という人たちは科学的根拠のない風評被害をまき散らしているとして批判している。「美味しんぼ」の鼻血問題などは当然この批判の的となる。
                     しかし、この本の記述上の特徴は、一貫して自分が批判する対象の文章をそのまま引用せず、自分が少し極端化したり、ゆがめて紹介し、それを批判することである。例えば、内部被曝の強さが距離の2乗に反比例するという議論である。内部被曝を強調する人は「距離ゼロまでそれを用いて無限大の強度としている」と批判するのである。極限として例を示すとしても、誰も原子や細胞の大きさより小さい距離をまじめに議論することはないと思われる。全体にフェアで紳士的な批判ではない点が多く、後味が悪く、読みたくなくなる点が残念である。いわゆる揚げ足取りが多いが、一方、本質的な自らの誤りに無知である点が大変問題であると思う。
                     この本には、ICRP(国際放射線防護委員会)の体系の誤りが、反原発の立場と称して展開され、論理が複雑であるが、ほとんどそのすべてが示されていて、批判の対象としてふさわしいといえるかもしれない。「目に見える被害が起こらない」という本書の主張が科学的かどうかを検証しよう。それによって、このような主張が、現在の情勢の下で、どのような社会的・政治的意味を持つかを考えていこう。
                     本論に入る前に著者集団の性格について触れておこう。著者プロフィールによると、3名とも「日本科学者会議原子力問題委員会」の委員および委員長である。とくに児玉氏は「原発問題住民運動全国連絡センター」の代表委員とされており、野口氏は「原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会」の代表とされている。同時に、清水氏は「福島県民健康調査検討委員会」の副座長であり、野口氏は事故後に「福島大学客員教授」に就任するとともに「福島県本宮市放射能健康リスク管理アドバイザー」を務めているとされている。その意味では、同書の著者集団は、一般的には脱原発の内部に位置するものと解されると同時に、多数(少なくとも2人)は、被曝問題において基本的には行政側の当事者でありインサイダーでもある。このように著者集団は、客観的に見て、二重のあるいは二面的な社会的性格をもっており、この点にとくに注意を払うことが必要である。
                     なお著者たちは「内容に関する責任は各執筆者が負う」(10ページ)としているが、ここでは、一つの傾向を表す一体となった見解および主張として扱うことにする。
                     我々は、『理科・社会』の見解に、放射線医学総合研究所(以下放医研と略記)編著『虎の巻 低線量放射線と健康影響 先生、放射線を浴びても大丈夫?と聞かれたら』医療科学社(2007年、改訂版2012年、引用ページは後者による)の見解を対置し、それに我々の見解を提起しながら、検討して行くことにする。放医研の同書は、政府傘下の研究機関が発行した文献に避けられない制約や矛盾にもかかわらず、すなわち「100mSv以下の放射線なら発がんリスクはかなり小さい」(42ページ)とする基本的立場に立ち放射性微粒子による内部被曝をほとんど無視しているなどの本質的欠陥をもつにもかかわらず、低線量被曝の健康影響に関して最新の国際的研究成果を包括的に記述している点で「有用な情報が満載の本」である(肥田舜太・竹野内真理氏のグロイブ、スターングラス著『人間と環境への低レベル放射能の脅威』あけび書房(2011年)への「訳者あとがき」318ページ)。この2つの文書を比較することによって、『理科・社会』がどれほど国際的な研究の発展から取り残されてしまったかが、明らかになる。

                     

                       目 次      
                                                                   ページ
                    はじめに     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   1
                    1.第1章「低線量被曝をめぐる論争を検証する」     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  5
                     1-1.「LNT(線形閾値なし)仮説は真実というより公衆衛生上の慎重な判断」(16ページ)・・・・  5
                     1-2.「ベータ線はガンマ線より危険なのか」(38ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・  7
                     1-3.放射性物質によるイオンチャンネルの阻害・損傷の重要性    ・・・・・・・・・・・・・  9
                     1-4.「ホットパーティクルは危険なのか」(42ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・ 17
                     1-5.「放射線被曝のリスクを考える」(47ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19
                    2.第2章「『福島は住めない』のか」     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
                     2-1.「美味しんぼ問題が浮き彫りにしたもの」――「福島県民の被曝線量で、
                        被曝が原因の鼻血は出ない」という主張について       ・・・・・・・・・・・・・・・ 23
                     2-2.「『分かっていること』と『分かっていないこと』」という論議(69〜70ページ)の本質
                        ――「確率的影響」全体を否定すること     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27
                     2-3.「『美味しんぼ』の最大の問題は福島には住めないの扇動」(70ページ)     ・・・・・ 29
                     2-4.「どんな放射能がどれだけ出たのか」(71ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・ 29
                      2-4-1.「放射性物質の種類と量」(72ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30
                      2-4-2.気象研究所の青山道夫氏(論文執筆当時)らが明らかにしたもの     ・・・・・・・ 30
                      2-4-3.青山氏らの結果を補正した総放出量     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32
                      2-4-4.海洋汚染は「不幸中の幸い」「長期間にわたって私たちの生活環境に
                         汚染が残ることはない」という驚くべき見解     ・・・・・・・・・・・・・・・・ 32
                      2-4-5.放射性ヨウ素の放出量について     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
                     2-5.「『福島の真実』編の主題は何か」(84ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
                    3.第3章「『福島の食品は危ない』のか」     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 35
                     3-1.「福島の食品検査体制と検査結果――食品の基準値をめぐって」(102ページ)     ・・ 36
                     3-2.「安全な食のための方策」(118ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37
                     3-3.胎内被爆者のがん発生率(放影研ホームページより)     ・・・・・・・・・・・・・・ 38
                    4.第4章「福島の今とこれから」(131ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 39
                     4-1.被曝線量はチェルノブイリに比べて「はるかに少ない」という主張     ・・・・・・・・ 39
                     4-2.モニタリングポストやガラスバッチの過小検出はないという主張     ・・・・・・・・・ 39
                     4-3.「県民健康調査で何がわかったか」(151ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・ 40
                     4-4.『理科・社会』は政府・環境省も専門家会議『中間取りまとめ』と
                        基本的に同じ立場に立っている     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43
                     4-5.健康影響は現実に「目に見える」形ですでに現れている     ・・・・・・・・・・・・・ 44
                     4-6.健康被害の事実を調査することは住民の「恐怖を過度にあおる」ことになるか、
                       本当の「恐怖」とは何か ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 49 
                     4-7.避難は本当に「健康被害を生む」だけで何の効果もないのか?     ・・・・・・・・・・ 52
                     4-8.支配層中枢は本当に「健康被害は出ない」と信じているのだろうか?
                       著者たちのよく使う言葉「覚悟を決めて」の意味について     ・・・・・・・・・・・・ 53
                    5.第5章「原発住民運動と放射線問題」(162ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・ 54
                     5-1.被曝の問題では原発推進勢力と「科学的見解を共有する」という見解     ・・・・・・・ 54
                     5-2.脱原発運動をめぐる現下の根本問題     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56
                     5-3.福島県住民による『理科・社会』的見解への厳しい批判     ・・・・・・・・・・・・・ 57
                     5-4.『理科・社会』的傾向の政治的社会的性格     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 59
                    6.おわりに     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 60
                    参考文献      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  62
                    付表  福島県立医科大学付属病院の診療実績統計(DPC包括医療費支払制度統計データより集計)
                        に見る原発事故後のがんを含む疾病の全般的な増加傾向 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 64
                    資料1 市民と科学者の内部被曝問題研究会会員の皆さまへの呼びかけ  ・・・・・・・・・・・・・ 78
                    資料2 ジョン・D・マシューズほか「小児期および成育期にCTスキャンを受けて被曝した
                        68万人におけるがんリスク:1100万人のオーストラリア人のデータリンケージ研究」
                        ――「概要」および「考察」の部分の訳   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 86


                       1.第1章「低線量被曝をめぐる論争を検証する」

                    1-1.「LNT(線形閾値なし)仮説は真実というより公衆衛生上の慎重な判断」(16ページ)

                     『理科・社会』20ページ「ICRPは、LNT仮説は生物学的真実として世界的に受け入れられているのではなく、むしろ、我々が極低線量の被曝にどの程度のリスクを伴うかを実際に知らないため、被曝による不必要なリスクを避けることを目的とした公衆衛生上の慎重な判断である、という趣旨のことを述べています。この点で私もICRPの考えに賛成です。」
                     この短い言葉の中に著者たちの本質が集中的に現れている。「生物学的真実として世界的に受け入れられているのではなく」という著者たちの評価は、もしこれが全否定(「世界全体が受け入れていない」)を意味しているのであれば虚偽であり、部分否定(「世界であまねく受け入れられているわけではない」)であるならば、LNTを「真実として」肯定する見解が世界には存在していることに触れないことによって事実上の全否定を示唆し、人々を欺く表現ということになる。放医研の前掲書は、米国科学アカデミーの「電離放射線による生物学的影響に関する委員会」BEIR司鷙霆颪砲弔い銅,里茲Δ暴颪い討い襦「(BEIRは)LNTモデルについてICRPよりも踏み込んだ見解を示しており、『LNTという考え方は、もはや仮説ではなく実際の疫学的結果によって裏付けられた科学的事実である』という見解を示している」(106ページ)と。世界的には、LNTは「実際の疫学的結果によって裏付けられた科学的事実」であるとする有力な見解が現実に存在するのである。『理科・社会』の著者たちはこの事実を隠している。
                     これに対して我々は、LNTは、①閾値(たとえば100mSvなど)ありモデルよりは前進であるが、②放射性微粒子による内部被曝、バイスタンダー効果、ペトカウ効果、逆線量率効果などを考慮しておらず、③線形性を認めながらその後に低線量・低線量率ではDDREF(線量・線量率効果係数)を導入して下方に補正するなど、④低線量被曝のリスクを明らかに過小評価しており、⑤実際のリスクはリニアな線ではなく上方に向かって凸な曲線となる、と考える。
                     著者たちの上記の文は、文字通りに読めば、ICRPが「被曝による不必要なリスクを避けることを目的として公衆衛生上の慎重な判断をしている」と評価していると解するほかない。このような著者たちの見解については、矢ヶ崎克馬氏の評価を引用しておこう。「ICRPの被曝防護3原則は」「被曝被害の受忍を強制することにより原子力発電に伴う被曝の必要性を受け入れさせてきたのである。(ICRPの3原則は)もちろん思想として人格権を真っ向から否定している」「(ICRPの見解)を『もっともである』と説いている野口氏の人権感覚は民主運動と相いれられるのであろうか」「私が驚愕したことは『原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会』の代表、『原発問題住民運動全国連絡センター』の代表委員の『自身ははっきりと原発には反対の立場』に立つ人々が被曝問題・原発問題にかかわる人格権を尊重する考え方に触れたことが無いのではないか、否それらを全面否定しているのではないか、と疑わざるを得なかったことだ」と鋭く指摘している(矢ヶ崎克馬「『放射線 被曝の理科・社会』を批判する――ICRPを信奉する著者らの考え方と人格権――」http://blog.acsir.org/?eid=40を参照のこと)。我々もまったく同感である。  
                     野口氏らの本に戻ろう。17ページ「信頼性の高い人のデータがなければ実験を行ってデータを出せばよいと思うかもしれませんが、人を使った照射実験などできるはずがなく、低線量領域における発がんや遺伝的影響に関する信頼性の高い人のデータは、50から100mSv当たりならともかく10mSv以下の極低線量域では出てこないと思っています。」
                     科学的に解明することを目的とした本で、最近の疫学調査の結果を無視することは、真実を正しく伝えていないことになる。以下の文献は、10mSv以下でも被害があることを示している。今や仮説ではないのである2)

                    • 2014年D.J.BrennerはReviewで5〜100mSvの被曝のがんリスクは証拠が十分あるとし、それ以下は分からないとしている(D.J.Brenner:What we know and what we don't know about cancer risks associated with radiation doses from radiological imaging,Br J Radiol 2014;87:20130629)。
                    • 2013年、MathewらのBMJへの発表で、がんの疑い以外でCTスキャンを受けたオーストラリアの小児68万人の調査で「CT4.5mSv毎に、小児癌発症が24%増加」していたという報告3)(同論文の「概要」と「考察」の部分の日本語訳を本論文末尾の参考資料2に記載)。
                    • 2010年、Kendallらの報告で、イギリス小児について自然放射線5mSv以上で1mSv毎に白血病12%増という報告4)
                    • 2011年2月、日本の原発労働者の労災認定、骨髄性白血病(累積被曝線量5.2mSv)5)
                    • 同、カナダのマギー大学でのレントゲン検査で心筋梗塞の患者に対する血管造影検査やCTによる医療被曝で10mSvごとにがんが3%増えた6)
                     さらにこれら以前においても、
                    • 原発周辺での定常運転による乳がんの増加を示したJ.M.Gouldらの研究7)
                    • 最近ドイツでも同様に原発周辺で小児がんや白血病が増加しているとの報告(KiKK研究)がある8)

                     例えばKiKK研究(1980年から2003年の間に小児がん登録に登録された5歳の誕生日以前に小児がんを発症した子供全てについて調査された)の結論は次のようになっている。
                     「原発から5kmで、全小児がん、小児白血病とも他の地域と比べて高い発症率を示している。全小児がんの発症数は77例、オッズ比は1.61(95%信頼区間下限値:1.26)だった。小児白血病は発症数が37例、オッズ比は2.19(95%信頼区間下限値:1.51)となった。これはそれぞれ発症率が1.61倍、2.19倍であることを意味する。
                     それ故、野口氏の「信頼性の高い人のデータは…10mSv以下の極低線量域では出てこないと思っています」というのは真実に反するのはもちろん、科学を信頼せず、あくまで真理を追究しようという科学者としての姿勢に欠ける態度ではないだろうか。

                    1-2.「ベータ線はガンマ線より危険なのか」(38ページ)

                     著者たちは「内部被曝を外部被曝より危険視する意見」を次のように要約している。「ベータ線はガンマ線より透過力が弱い代わりに電離能力が高く、人体内にベータ線を放出する放射性物質が取り込まれると臓器・組織内の狭い範囲にエネルギーを集中的に与えるため、広い範囲に薄くエネルギーを与えるガンマ線より危険である、とする主張です」(38ページ)
                     同40ページ「ガンマ線による電離・励起の99.9%以上は、実はこうした二次電子が引き起こしています。この過程は、高エネルギー電子の流れであるベータ線が臓器・組織内の狭い範囲にエネルギーを集中的に与えるというのであれば、ガンマ線と物質との相互作用により生成した電子も臓器・組織内の狭い範囲にエネルギーを集中的に与えるのです。」「ベータ線による被曝もガンマ線による被曝も、結果として高エネルギーの電子による被曝であって作用の仕方に何らかわりはない。」
                     この野口氏の見解は、ベータ線による被曝とガンマ線による被曝のそれぞれ質的に異なる危険性を無視し、一面的に単純化し同一視して「電子による被曝」一般に還元している。野口氏は、細字の注記の中で、批判の多いICRPの「放射線荷重係数:ベータ線=ガンマ線=1」を導入している(41ページの注)。野口氏はこの点を「すでに何十年も前に解決済みの問題」(同ページ)であると強調しているが、これは氏が数十年間の放射線医学と分子細胞生物学の研究の進歩を頭から無視するためである。
                     上記の野口氏の記述では大切なことが忘れられている。我々は、天然に存在するカリウム40と人工の放射性セシウムとは内部被曝では同じとする誤りについて繰り返し説明してきた(例えば『原発問題の争点』10)125ページ)。カリウムKは生体のあらゆる場所で必要とされている(それはKの化学的性質による)ので、チャンネルその他で自由に動ける仕組みが必要で、進化によってそのような構造ができたのである。Kがかなり均等に生体中に分散するので、局所のK-40由来の被曝量が非常に小さくなる。それでK-40の影響が、60Bq/kgと大きくとも、ほとんど問題がない。結果として、カリウムチャンネルが放射能の影響を過小にする役目を担っているように見える。このことは、カリウムイオンのチャンネル通過速度が極めて高速である(1チャンネル当たりでカリウムイオンを1秒間に10個オーダーで透過させる)ことからも示唆される(小澤瀞司、福田康二郎監修『標準生理学 第8版』医学書院2014年77ページ)。
                     このようにして、カリウム40は体内のカリウム濃度に従って一様に分布し、ベータ線を出す。約60兆の数の全身の細胞が年に1回程度の被曝(1回のベータ線の放出で500個の細胞が被曝するとして)を受ける。それに対してセシウム137は微粒子として臓器に取り込まれ、局所的(数mmの範囲内)に集中的・継続的にベータ線を放出する。人工の放射性セシウムは、カリウムチャンネルを通過するのが原子の大きさの違いにより困難であるので、臓器に蓄積したり、通路を塞いだりする。
                     一方、微粒子から放出されたガンマ線は、電子を励起するが、微粒子の周辺数mmではない。全身から体外まで遠くに分散している。これはカリウム40の場合に近いのである。セシウム微粒子から放出されるベータ線は、数ミリ程度の距離でエネルギーを失い、狭い領域の細胞や分子を集中的、継続的に破壊する。この点が、ガンマ線が放出される場合とは異なるのである。著者の野口氏は、セシウム137を含む微粒子によるこの集中的な被曝を考慮していない。これでは、微粒子からのベータ線による内部被曝の本質的な危険性が無視されてしまう。自分が間違っているのに他人が科学的根拠もなく内部被曝を怖がると非難する。バンダジェフスキーが、なぜセシウム137が臓器に非一様に取り込まれることを繰り返し強調するかを理解していないのである。野口氏はチェルノブイリから出される警告を真摯に受け止めるべきではないだろうか。
                     ここで次の疑問にも触れておきたい。放射性セシウムが溶解して、微粒子でなく、イオンになったときはカリウム40と同じかということである。われわれは次のように考える。
                     カリウムはカリウムチャンネルを通じ自由に全身をほぼ一様に高速で移動するが、セシウム等他の放射性元素は偏在することである。これは一般に合金や金属において不純物原子が集積し、析出するのに対応する。生体内においても安定な場所に移動したイオンはそこに留まり、集積し偏在する。こうしてあたかも微粒子が形成されたと同様の集中した局所的・継続的被曝を与えると考えられる。これがA.Romanenko氏達の膀胱がんの論文において、キログラム当たり50ベクレルのカリウム40ではなく、数ベクレルのセシウム137で膀胱がんが発生する理由であると考えられる。バンダジェフスキーも解剖し、病理検査から、心臓などの臓器の一部にセシウム137が偏在するといっている。偏在するのが一般的であり、偏在しないカリウム40が特殊である。これはカリウムチャンネルのおかげである。これが市川定夫氏(『新・環境学Ⅲ』、藤原書店、2008年)や鷲谷いづみ氏(『震災後の自然とどう付き合うか』、岩波書店、2012年)が生物進化の上でカリウムチャンネルの重要性を繰り返し述べている理由である。

                    1-3.放射性物質によるイオンチャンネルの阻害・損傷の重要性

                     最近、生体内の電気信号の伝達経路として、また細胞と細胞外の生体環境とを結びつけ細胞と細胞とを連携させる経路として、さらには生体内の情報伝達システムとして、各種イオンチャンネル(ナトリウムチャンネル、カリウムチャンネル、カルシウムチャンネル、ナトリウム・カリウム・ATPポンプ、塩素イオンチャンネル、炭酸チャンネル、水チャンネル、各種のトランスポーターなど)の機能が解明されてきている(小澤瀞司、福田康二郎監修『標準生理学 第8版』医学書院2014年、リチャード・A・ハーベイ著鯉渕典之ら訳『イラストレイテッド生理学』丸善出版2014年など参照)。各種チャンネルの体系は、生体内の代謝、体液の調整、感覚・運動神経系、脳・高次神経系、筋肉、心臓、血管系、呼吸器系、腎臓と尿生成、消化器系、内分泌系、骨の形成・吸収、生殖機能など極めて広範な機能において重要な役割を果たしている。「生理学の全体像を最新の知見を含めて的確に伝えることのできる教科書」を目指しているとされる上記『標準生理学』を見れば、人体の生理学的機能においてイオンチャンネルとその体系が役割を果たしていないような機能はほとんどないと言っても過言ではない。これらチャンネルの精巧な体系は、放射性物質に対してとくに脆弱であると考えられ、放射性物質(とくにカリウムに似た性質を持つセシウムとカルシウムに似た性質を持つストロンチウム)がチャンネルの極めて広範囲の機能を阻害し攪乱し破損するメカニズムを具体的かつ全面的に解明していくことが必要不可欠である。
                     この点では、先駆的で貴重な研究が医学者の大山敏郎氏によってなされている。次のサイトを参照されたい(http://blogs.yahoo.co.jp/geruman_bingo)。また、同ブログの内容の要約と解説が以下のサイトにあり、大いに参考になる(http://m-epoch.com/benkyoukai/mainbenkyoukai.html)。
                     医学者の井手禎昭氏も、近著(『放射線とがん』本の泉社2014年)の中で、同じ問題を提起している。氏もまた、セシウムの放出する放射線による直接間接の損傷だけでなく、セシウムが放射線を照射しない場合でさえも、自然界にはほとんど存在しないセシウム原子が多数体内に侵入してくること自体により生じる、その金属イオンとしての「負の作用」にも注目すべきであると指摘している。セシウムはカリウムと同族であるので、細胞膜にあるカリウムチャンネルを通過しようとするが、直径がカリウムより幾分大きいため(K+イオン径0.266nm、カリウムチャンネルの穴径0.3nm、Cs+イオン径0.338nm)途中で詰まってしまうか、通過に長い時間がかかる事態が生じる。こうして「カリウムチャンネルに詰まったセシウムが正常なカリウムチャンネルの電気伝導を阻害する」ことになり、心臓の電気伝導経路に障害が生じ、「心室性不整脈」を引き起こし、「ひどい場合にはQT延長症候群と呼ばれる病態と同じになって心室細動で突然死する」可能性がある、と指摘している(前掲書226〜227ページ)。井手氏は、バンダジェフスキー氏のセシウムが「少量でも心電図異常がみられる」という点に注目し、その原因を追及する中で、また自然界に存在する放射性カリウム40との比較で、同じく放射性のセシウムイオンの特異性を認識し、この見解に到達したという。イオンチャンネルによる電気信号の伝達を分かりやすく説明した図を下に引用しておく(図1)

                    図1 イオンチャンネルによる電気信号の伝達の説明

                    カリウムチャンネルが阻害・損傷を受けると、③の回復が起こらなくなり、
                    電位が②の興奮時のままとどまり、元に戻らなくなってしまうことが分かる。
                    出典:長野敬、牛木辰夫監修『サイエンスビュー 生物総合資料』実教出版(2013年)209ページ

                     これらは非常に重要な指摘である。この点に関して内部被曝問題研究会内部で議論していただいた(重要な論点をご指摘いただいた田島直樹氏、落合栄一郎氏、岡山博氏、生井兵治氏に感謝します)。その議論を我々なりに要約すれば、大山・井手氏の指摘するセシウムイオン自体のカリウム類似性によるチャンネル阻害作用およびその状態での放射線の照射によるチャンネルの損傷という機序は、イオンチャンネルが障害され破壊される1つの可能なシナリオではあるが、それ以外の別の可能性も含めて、障害と破損のメカニズムはもっと広く考えなければならない、ということである。
                     大山氏の指摘するようにセシウムイオンがイオンチャンネルに詰まった状態になるか、あるいはチャンネル通過に時間がかかれば、その間にセシウムが放射線を照射し、それによってチャンネルが破壊される確率も大きく高まるのは確かであろうが、この確率は我々の計算では、重要なチャンネル傷害を引き起こすほど大きくないように思われる。我々の見解では、放射性物質によるチャンネルの阻害・損傷は、①カリウムチャンネルだけではなく、あらゆるチャンネルについて考えられ、②チャンネル通過時にのみ生じると限定して考えるべきではなく、あらゆる状況下の被曝で生じうると考えるべきであろう。以下論点を整理してみよう。
                     第1に、大山・井手説の画期的な点である(両氏の見解には相違もあるがここでは一系列のものと考える)。大山・井手両氏は、放射線の健康影響を考えていく上で、今まで考えられてきたDNA鎖の切断や損傷、ミトコンドリアの損傷、細胞膜脂質の破損などのメカニズムと並んで、①放射線と放射性物質(我々の見解ではさらに放射性微粒子)が破壊する標的としての各種のイオンチャンネルおよびそのシステムの重要性を、分子細胞生物学的・医学的にはっきりと指摘し、②チャンネルの阻害・損傷と具体的な疾患(両氏が指摘したのは心疾患だが我々の見解ではそれだけにとどまらない)との関連性を明確に問題提起した。これは、我々の知る限りでは、初めての指摘である。この功績は不変であり今後も高く評価されるであろう。放射性物質によるイオンチャンネル破壊という両氏の考え方は、現在の段階では1つの仮説であるが、将来研究が進んでいけば、イオンチャンネル系に対する放射性物質の阻害・破損作用の全体を「イオンチャンネル効果」と呼ぶことになるかもしれないほど重要な発見であると思われる。
                     第2に、しかし、阻害・損傷が生じる機序については、両氏の説明にはやや一面化があり狭く限定しすぎているように思われる。破壊はイオンチャンネル通過時だけにとどまらず、さらに広くいろいろな状況を考えるべきであろう。たとえば、放射性セシウムが放出するベータ線は飛程が数ミリほどあるので、細胞の大きさを10ミクロン程度とすると1000個程度の細胞がチャンネル部位を含めて継続的に被曝する可能性がある。チャンネルの通過時に(その内部あるいは直近で)照射されなくとも、数ミリ程度離れたチャンネルが、放射性セシウムによる放射線により破壊される場合が多いと考える方が自然であろう。ガンマ線の場合は外部被曝も含めてさらに広い様々なケースが考えられる。
                     第3に、放射性物質の、原子レベルでの作用だけでなく、微粒子形態での作用も考えなけばならないであろう。これもメカニカルな阻害と放射線による損傷とを分けて考えよう。自然界に存在する非放射性のセシウムは僅少ではあるが体内に存在し、しかも大きな健康障害を引き起こさない。だから、チャンネルにメカニカルに詰まるか、通過速度が顕著に低下し、健康被害を引き起こすとすると、セシウムは原子ではなく、放射性セシウムを含む放射性微粒子であろう。表面に放射性セシウムを含む放射性微粒子(おそらくナノレベルの極微小な形のもの)が、チャンネルに吸い寄せられ、チャンネルにいわば蓋をしてブロックすることは十分考えられる。微粒子表面にカリウムやカルシウムがある放射性微粒子も引きつけられるかもしれない。チャンネルをブロックする形でチャンネルの機能を阻害する医薬品はすでに開発されて広く使われている(たとえば浦部晶夫ほか編集『今日の治療薬2015年』「抗不整脈薬」の項参照605〜606ページ)。ふぐ毒など各種の毒物がチャンネルの機能を阻害することもすでに明らかになっている。ブロックしたその状態で微粒子が集中的にベータ線を照射すれば、また、微粒子が通過しようとしなくても、チャンネル近傍で集中的に放射線を照射すれば、チャンネルを損傷する可能性が高まると考えるべきであろう。
                     第4に、カリウムチャンネルをもっぱら放射性セシウムが(あわせて言えばカルシウムチャンネルをもっぱら放射性ストロンチウムが)破壊すると考える必要はないであろう。放射性セシウムがカリウムチャンネル以外の各種のチャンネルをも破壊する可能性があると考えるべきであろうし、さらにセシウム以外の放射性物質もまた同じようにいろいろなチャンネルに損傷を引き起こすと考えるべきであろう。また破壊される対象もカリウムチャンネルだけに限定して考えるべきではない。体内で情報の伝達に関与しているのは、カリウムチャンネルだけではない。カリウムチャンネルは、同じく細胞膜にあるナトリウムチャンネル、ナトリウム・カリウム・ATPポンプ、カルシウムチャンネルなど(これらもまた多数の種類がある)とのペアとして働いている。これらすべてに対する放射線の破壊的影響を考えるべきであろう。
                     第5に、チャンネルの損傷には、放射線によって生み出されるフリーラジカルの作用が重要な役割を果たすものと思われる。放射線による直接の破壊作用に加えて、放射線によって生み出される活性酸素・活性窒素・フリーラジカルが、イオンチャンネルに対して(とくにイオンを選択的に捉える部分、受容体、センサー、サブユニット、フィルターなどのパーツ)に、数倍ものより深刻な破損作用をもたらすことが十分に考えられる。
                     第6に、体内の電気信号・情報伝達系が放射線によって傷害されうるのは、チャンネルの障害・損傷だけではない。損傷は、その系路のどこかの細胞自体(DNAやミトコンドリアなど)の損傷であってもよいし、また細胞間質(細胞間基質ECMなど)でもよい。チャンネル系路は、多数がネットワークとなって機能しており、どこか重要な箇所が切れれば、シグナルは伝わらなくらなくなる。チャンネル系路の長いパスの一部が壊れれば、全体に影響が及ぶというのがチャンネルによる体内の情報伝達系の阻害・損傷の特徴である。
                     第7に、セシウムやストロンチウムなど放射性物質が特定の臓器に偏在して蓄積される傾向(セシウムの心臓への、ストロンチウムの骨や神経組織への、ヨウ素の甲状腺へのなど)である。これによって、蓄積された臓器内部での照射はいっそう強いものになり、チャンネル破壊の確率も高まるであろう。
                     第8に、注意点であるが、放射線のイオンチャンネル系への影響を、従来から知られ解明されてきた放射線の健康影響に対置したり対立させて考えてはならない。チャンネルへの傷害は、放射線の極めて広い影響の「一部分」であって、決して「全部」であるわけではない。たとえば、チャンネルへの作用によってQT延長症や急性心筋梗塞が「100パーセント」説明できる必要はないのである。それは、今までに解明されてきた放射線のいろいろな影響の上に「相加」され、おそらくは「相乗的」に働くものであると考えるべきである。
                     最後に、大山・井手両氏の重要な貢献は、放射線のイオンチャンネル系への影響を解明することによって、放射線の健康影響がさらに広範なものであり、ほとんどあらゆる病気や障害を引き起こすことがいっそう明らかになるという点である。この点は少し詳しく検討しよう。
                     まず、遺伝や薬剤の結果生じるイオンチャンネルの障害・損傷は、心臓病だけでなく筋肉病、脳疾患、腎疾患、代謝性疾患などさまざまな一連の疾患(「チャンネル病」と呼ばれている)を引き起こすことがすでに知られている。これらのチャンネル病のうち少なくとも一部の疾患が、遺伝や薬剤によってだけでなく、人工放射性核種によるイオンチャンネル阻害・損傷によってもまた起きる可能性があると考えるのが自然であろう。
                     また、イオンチャンネルは、大山・井手両氏が取り上げている心筋だけでなく、ニューロンやシナプス・受容体においても重要な役割を果たしている(下図2および3)。我々にはこの点がとくに重要であると思われる。たとえば下図によれば、神経細胞には、いろいろな種類のカリウムチャンネルが全体に散らばって、極めてたくさんあることが分かる。これらのうちのどれかにあるいは複数に障害が起これば、その部位によっては、神経情報の伝達が阻害されることになる。また、カルシウムチャンネルが阻害・損傷されれば、カルシウムイオンが流入しなくなり、神経伝達物質の放出が阻害され、神経情報が伝達されなくなることが分かる。放射線によるイオンチャンネルの阻害・損傷は、神経系に深刻な影響を及ぼす可能性があると考えなければならない。

                    図2 神経細胞内の各種の電位依存性カリウムチャンネルの位置

                    出典:インターネット「脳科学辞典」の「カリウムチャンネル」の項
                    http://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:KCh_fig5.png


                    図3 神経伝達物質の放出におけるカルシウムチャンネルの役割

                    出典:長野敬、牛木辰夫監修『サイエンスビュー 生物総合資料』実教出版(2013年)209ページ

                     さらに、これらのイオンチャンネル阻害・損傷作用は、チャンネル系がニューロンやシナプスにおいて重要な役割を果たしていることから考え、脳や神経系(中枢および末梢神経、感覚神経、運動神経、自律神経など)の信号伝達にも広く影響すると考えるべきであろう。さらに、チャンネル損傷によって脳内の神経伝達物質の不足が生じるならば、うつをはじめ一連の精神障害を引き起こす可能性があると考えられる。それらの症状は、福島や周辺地域だけではなく、トモダチ作戦で被曝した米軍兵士にも現れている、彼らは実にさまざまな症状を訴えているが、とくに感覚器官障害(難聴、耳鳴り、視力低下・失明、めまいなど)、運動機能障害(筋力低下、運動失調、歩行困難、けいれん、筋肉痛、四肢麻痺など)、精神障害(不安、不眠、うつ)などに注目すべきである。放射性物質と放射線によるチャンネル傷害が解明されるならば、被曝がこれら疾患や障害の原因の1つとなっている可能性は十分あると考えなければならない。参考までに以下に米軍被曝兵士が訴えている主な症状を挙げておこう(表1)。

                    表1 トモダチ作戦で被曝した米軍兵士に現れた多様な症状(2014年11月3日付)

                    出典:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4009.html

                     野口氏らは、原発事故による被災者の「ストレス」を健康被害の原因としてあげ、あたかも脱原発の側が「放射線の危険を誇大に言い立てている」ことがその原因であるかに主張しているが、生理学の最新の成果によれば、この「ストレス」そのものが、イオンチャンネルの障害と損傷によって、放射線被曝の結果生じている可能性が示されているのである。

                    1-4.「ホットパーティクルは危険なのか」(42ページ)

                     『理科・社会』43ページ「25人の作業者の肺がんの発生に関する調査が行われましたが、肺がんの増加は確認されませんでした。同施設の約1200人のプルトニウム作業者の疫学調査も別の研究者により行われましたが各種の発がんの増加は確認されておらず、総じてホットパーティクルによる被曝と発がんとの因果関係に否定的な結論が下されています。…ホットパーティクル説は疫学調査により否定されたと思います。」
                     この本を通じて野口氏の論法は注意すべき点がある。100ミリシーベルト以下の閾値の問題もそうであるが、疫学調査には調査対象の規模が大切であり、精度に関係するのである。25人を短期間観測して発生しなかったとしても安全の証明にはならない。野口氏は、無知か故意かはわからないが、ロッキーフラッツ核兵器工場による作業員の被曝に言及しながら、住民約60万人の疫学調査を無視している(Carl J. Johnson et.al: Plutonium Hazard in Respirable Dust on the Surface Science193, 488-490)9)。1993年の被曝反対東京実行委員会による『プルトニウムの危険性』という小冊子から引用させていただこう(表2)。

                    表2 放出プルトニウムによる過剰ながんの発生率

                    Carl J. Johnson et.al: Plutonium Hazard in Respirable Dust on the Surface Science193, 488-490(1993年)、
                    さらに高木仁三郎著:『プルトニウムの恐怖』岩波新書1981年、120ページ。
                    ただし、(50-0.8)mCi/km2=(1850-29.6)Bq/m2,(0.8-0.2)mCi/km2=(29.6-1.4)Bq/m2,(0.2-0.1)mCi/km2=(1.4-0.37)Bq/m2

                     種類別では1969年から1971年の3年間で直腸・結腸がんが22%、肺がん24%、舌・咽頭食道がんが49%、白血病が14%、リンパ腫・骨髄腫が11%、卵巣がんが24%、睾丸がんが135%、肝臓がんが135%、甲状腺がん28%、膵臓がん7%、胃がん22%、脳腫瘍7%等の増加であった。
                     野口氏は調査規模を問題にせず、他の人が恣意的なデータを用いていると批判するが、それは野口氏自身のことではないだろうか。           
                     『理科・社会』46ページ「粒子状であるから特段に危険になる理屈はないと思っています。」
                     ロッキーフラッツ核兵器工場によるコロラド州の住民の被曝は、火災事故によるプルトニウムの放出や廃棄物貯蔵ドラム缶からのプルトニウム放出によって生じたものであり、プルトニウムのホットパーティクルの危険性を証明したものである。数百グラムから1kgというプルトニウムの放出によって生じた被害をコロラド州ジェファーソン郡の厚生局長カール・ジョンソンらによって行われた100万人を超える大規模な疫学調査である。実に501人、全体の9%が過剰にがん死している。上記小冊子の著者たちは、以上の結果を基に100%の確率で1人の人間が肺がん死する量、すなわち、プルトニウムの肺癌吸入量を計算し、ゴフマンの米国25歳喫煙男性の肺がん吸入量0.225μgに近いとしている。ICRPは10432μgとしており、1万から、10万倍も過小評価していると批判している。 
                     このように野口氏の「微粒子は危険でない」という主張は、疫学的に否定されている。このことは、野口氏が44ページで「ホットパーティクルを作らないで臓器・組織内で均等分布する場合の方が多くの細胞を無駄なく被曝させるはずです。つまり臓器・組織内でアルファ放射体が不均等分布する場合よりも均等分布する場合の方が、生物影響は大きいのではないでしょうか。ホットパーティクルについての疫学研究が総じて否定的な結論を示しているのも、こうした事情が影響しているのではないかと思います」と述べているのは、事実で持って否定されたことになる。ICRPの国内委員も同様の見解を述べている(『原発問題の争点』126ページ参照)10)。科学は厳しいものである。いい加減な類推や推測を許すほど甘くはないのである。その他の論点については放射性微粒子に関する我々の論文http://blog.acsir.org/?eid=31を参照されたい。
                     この点に関しても放医研の前掲書を見ておこう。同書は、はっきりと次のように書いている。「酸化プルトニウム粒子のように難溶性のものを吸入した場合、肺に長期間沈着するため肺に繊維化や肺がんのリスクを招く可能性が出てくる」と(141ページ)。このように放医研の同書は、野口氏らとは違って、放射性微粒子の危険性を明確に認めている。福島原発事故では、プルトニウムだけでなく、放射性セシウムを含む不溶性の放射性微粒子が発見されており、「ホットパーティクル」による被曝は「現実の危険」となっていると言わなければならない。

                    1-5.「放射線被曝のリスクを考える」(47ページ)

                     『理科・社会』55ページ「そういった線量域で細胞の中で起こることを踏まえると、放射線被曝によってがんになる人が目に見えて増えることはないだろうと私は考えています。」これは、田崎晴明氏と全く同じ主張である(『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』朝日出版2012年刊、我々の一人山田耕作による同書の批判論文http://blog.acsir.org/?eid=25も参照のこと)が、ホットパーティクルやペトカウ効果など多くの重要な危険性を無視してこのような無責任な予測をすることは許されない。国際的な合意である「予防原則」にも反している。被害が生じたとき如何に責任をとるのか。
                     これに関して著者たちは「生物進化の歴史」を強調している。「地球がつくられてから、天然のさまざまな放射性物質は崩壊して減少していますから、歴史をさかのぼればさかのぼるほど、放射線量は高かったことになります。そうした環境の中で生き物は進化してきたのです。DNA修復系もまた、そういった環境の中で進化していったのです。放射線被曝のリスクを考える上で、生物がこのようにして環境に適応して進化してきたことをぜひおさえていただきたい」と述べる。だから「DNAの損傷は効率よく修復されている」、福島程度の被曝量程度で不安になるには及ばないというのである。
                     しかしここには2つの問題がある。1つは単純な論理矛盾である。著者の書いている内容は、地球史において環境中の放射線レベルの低下が、原始生物から高等生物への進化の自然的前提のひとつになったという自然史上の事実を確認しているにすぎず、再び環境中の放射線レベルが上昇しても人間と高等生物が十分対応できるという証明にはならない、むしろ反対であるという点である。そこからは、現在の地球史的に低い放射線量が維持されなければ、たとえば人類が地球的規模の放射線量を人工的に高めるというようなことが生じるならば、人類と現在の高等生物種全体の生存が脅かされるであろうという結論が出てくる。著者らの議論からは、現在の地球史的に低い環境放射能レベルを守っていくことが人類の自然に対する義務であるという結論が出てくるはずである。ここから反対の結論を導くなら、それは自然と進化の全歴史に対する「奢り」であり「冒涜」であると言われても当然であろう(ローマ法王の警告――「原発は現代の『バベルの塔』であり『神への冒涜』である」――を想起するだけで十分であろう)。
                     もう1つは放射能の性質である。著者たちが取り上げている放射能はもちろん自然放射能のことであるが、いま福島事故で問題になっているのは、生物進化史上にはまったく存在しなかった人工放射性物質であるという点である。人間が第2次世界大戦中以降につくり出した人工放射性物質に対する生物の対応機構は、生物進化の過程では形成されていないし、されるはずもないことは、明らかである。地球史に存在しなかった放射性物質による被曝に対して、地球史と生物進化を持ち出しても無意味であり、事情のよく分からない一般の人々を混乱させ欺く欺瞞にしかならない。
                     ここでも放医研の前掲書によって最近の研究を見てみよう。同書では、電子の作用で生じるDNA損傷のなかでとくに「クラスター損傷」(DNA損傷が数nm以内に近接して複数個生じたタイプの損傷で修復が困難になる)の重要性が強調されている(本文だけでなくICRP2007勧告の要約、BEIRⅦの要約でも触れられている)。この場合、電子のエネルギーが低くなるほどクラスター損傷の割合が大きくなる傾向があり、X線やガンマ線照射による100keV程度の電子では全2本鎖切断の20%、1keV程度の電子では30%程度、アルファ線では70%程度がクラスター損傷であるという(134ページ)。「DNAの損傷は効率よく修復されている」としか言わない『理科・社会』の著者たちは、この問題を無視している。
                     また、同書で指摘されている重要な現象の1つは、「逆線量率効果」である。つまり、「放射線による細胞の損傷が一定以上になると間違いの少ない修復系が主になり、線量率が低いと修復系が不完全でエラーが発生しやすくなるために、(突然)変異頻度が上がる」という(85ページ)。つまり低い線量率で長時間被曝した方が突然変異の頻度が逆に高まるのである。これは「ペトカウ効果」そのものであるが、この現象もまた野口氏らによって無視されている。
                     放射線の間接的作用すなわちフリーラジカルと活性酸素の作用についても、著者たちは「生物進化」を強調する。著者たちは地球の歴史で石炭紀における「大気中の酸素濃度の上昇」を指摘した後、「生物はこうした高酸素濃度環境の中で、酸素毒性に抵抗する能力を進化させながら生きてきたし、現在もまた生きているのです」(50ページ)という。ここには、大気中の酸素活性と体内のフリーラジカル・活性酸素とを混同するという極めて初歩的な誤りがあることは言うまでもない。
                     著者たちは、「生物は活性酸素などの酸素毒性への抵抗性を持っている」として、体内の解毒酵素、スーパーオキシドディスムターゼ(SOD)の役割を強調している。同書は、またしても典拠を挙げずに、SODは「・O2を分解し、・O2と・O2に由来する他の活性酸素、特に・OHによる損傷を防いでいます」と書いている(48ページ)。だがこれはSODに対する過大評価であって、SODには放射線によって生じる強力な・OH(ヒドロキシラジカル)を分解したり分解を促す作用は確認されていない。・OHを抑制するとすれば、むしろ著者たちが挙げているグルタチオンペルオキシターゼの方であろう(図4参照)。

                    図4 活性酸素の産生と解毒システム

                    出典:リチャード・A・ハーベイ著、鯉渕典之ほか訳『イラストレイテッド生理学』丸善出版(2014年)569ページ

                     しかも、グルタチオンペルオキシターゼは、名前の通りペルオキシド(過酸化物)タイプの化合物を分解する酵素で、ヒドロキシ(水酸化)ラジカルを直接分解するものではない。もちろん、含まれるイオウ部分がラジカルと反応するので、同ラジカルについてもその攻撃性を抑えることはできる(Eiichiro Ochiai; Bioinorganic Chemistry, a Survey; Elsevier, 2008にあるGlutathione peroxidaseの項を参照のこと)。また、放射線によって生じるヒドロキシラジカルは、過酸化水素からではなく水から直接生じ、また決して同図のように生体内で産生される場合の教科書的な機序に沿って処理されるものではない。この事情も放射線によって生み出されるフリーラジカルに対する生体の反応に重要な影響を及ぼす可能性がある。(この項の内容について落合栄一郎氏のご指摘に感謝します)。
                     放射線が体内で生み出すフリーラジカルと活性酸素の影響(我々の放射性微粒子論文32〜35ページ http://blog.acsir.org/?eid=31参照)についても、著者たちの根拠なき楽観論は変わらない。著者たちは、一方では、ガンマ線とベータ線について、放射線のこの「間接的作用」が「直接的作用」よりも3倍も強力であることを認めている(48ページ)。しかし、著者たちはそれによって生じる「酸化ストレス」を認めず、それはまたしても根拠なき楽観論に変わる。「放射線で活性酸素が作られてDNAに修復できない傷がつくことを心配する声をときおりうかがいます。私たちの身体の中ではいまの瞬間も大量の活性酸素やフリーラジカルが生成しており、私たち生物はその毒性から身を守る巧妙な仕組みを持っているからこそ生きていることを、ぜひ知っていただきたいと思います」(50ページ)と書いている。
                     『理科・社会』のフリーラジカルの叙述はここで突然止まっている。著者たちは、これに続けてどうして次のように書かないのであろうか。…しかし、体内に入った放射線は、このようなフリーラジカルや活性酸素をめぐる生体の微妙なバランスを崩してしまう。内部被曝による放射線は、常にフリーラジカルと活性酸素を生みだし、生体がその解毒メカニズムを酷使せざるをえない状況を作り出し、その機能を疲れさせ萎縮させ、体内に深刻な「酸化ストレス」を引き起こす(表3)。

                    表3 真核生物が受ける酸化ストレス

                    出典:山内脩ほか『生物無機化学』朝倉書店(2012年)252ページ

                     その結果、著者たちの挙げている「DNAの損傷」だけでなく、細胞に対し広範囲の影響を及ぼすことが考えられる。その中には、上でセシウム・ストロンチウムによるイオンチャンネルの阻害・損傷との関連で述べた「シグナル伝達物質の抑制」も含まれる(小澤瀞司、福田康二郎監修『標準生理学』720ページ)。これらにより、がんだけではなく、動脈硬化、腎不全、気管支喘息、心不全や心筋梗塞、花粉症や口内炎、ドライアイや白内障、関節リウマチや膠原病、胃潰瘍や逆流性食道炎、炎症性腸疾患、脳梗塞、アルツハイマー病やパーキンソン病、老化の促進など極めて多様な疾患や障害を引き起こす要因になる、と(吉川敏一氏(元京都府立医科大学教授)「フリーラジカルの医学」『京都府立大学雑誌』126(6) 2011年を参照のこと。関係する病名一覧は386ページにある。
                    http://www.f.kpu-m.ac.jp/k/jkpum/pdf/120/120-6/yoshikawa06.pdf)。
                     ここでも放医研の前掲書を見てみよう。放射線が活性酸素・フリーラジカルを発生させ健康影響を与える点以外にも、国際的に認められている放射線の影響として「非標的効果」(DNA損傷を受けていない部位において突然変異が生じる)と「遅延効果」(照射された細胞のみでなくその子孫細胞に染色体異常が生じる)があることは、よく知られている。具体的には「バイスタンダー効果」(照射された細胞の周辺の細胞に突然変異が生じたりがん化が生じる)、「ゲノムの不安定性誘導」(遅延突然変異頻度が長期にわたって蓄積する)などの作用がある。放医研の前掲書は、これらについて指摘した後、さらに踏み込んで「以上、概観してきたような非標的影響は、放射線照射の標的となった細胞DNAに直接的な突然変異が生じて放射線発がんのイニシエータになるという図式の変更を迫っている」(88ページ)と書いている。
                     さらに放医研前掲書は、「バイスタンダー効果」の1つの説明として、放射線照射によって細胞に炎症が長期的に生じ、その細胞炎症によって産生される物質と周囲の細胞における発がん性突然変異の誘発に「密接な関係がある可能性」を指摘している(81ページ)。同書はこのような物質として「さまざまなサイトカインと活性酸素」を挙げている(79ページ)。サイトカインは、免疫細胞に情報を伝えるタンパク質で、体内の免疫バランスを越えて産生されるとアレルギーや自己免疫疾患を促す可能性があると考えられるので、このメカニズムは、放射線被曝によって各種の自己免疫疾患が生じる可能性を示唆している。また、動物実験においては、「低線量放射線照射が個体の免疫応答を亢進する可能性」が示されているという(125ページ)。このように放射線は免疫機構に対して二面的で矛盾した作用を及ぼし、一方では白血球などの造血機能を障害し免疫機能を弱める場合もあれば、他方では免疫機能を一方的に亢進させ自己免疫疾患など免疫異常を引き起こす場合もある、と考えなければならない。
                     また放射線が体内で生み出すフリーラジカルは活性酸素だけではない。活性窒素もまた重要な破壊的作用を及ぼす。この点に関しては我々の『原発問題の争点』所収の大和田幸嗣著第1章の第4節を参照されたい。
                    これらについて、野口氏はまったく触れていない。このことからも、著者たちがどれほど国際的な研究の発展を無視しているかは、明らかであろう。

                     
                       2.第2章「『福島は住めない』のか」

                    2-1.「美味しんぼ問題が浮き彫りにしたもの」
                      ――「福島県民の被曝線量で、被曝が原因の鼻血は出ない」という主張について


                     『理科・社会』58ページ「被曝によって鼻血が出るということは明確に否定できます。」
                     同63ページ「血小板がほとんどなくなるのは、かなり大量に放射線を浴びたときです。どのくらいの被曝かというと、2Sv以上と言われています。」
                     これはすでに雁屋氏によって正しい反論がなされている。雁屋哲著『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』を参照していただきたい11)。例えば2012年11月に、岡山大学、熊本学園大学、広島大学の合同プロジェクト班が疫学調査を行い、2013年9月6日に報告書を発表している。調査は福島県双葉町、宮城県丸森町筆甫地区、滋賀県長浜市市木之本町の3地区を対象として行われ、木之本町と比べて双葉町と丸森町では、「体がだるい、頭痛、めまい、目のかすみ、鼻血、吐き気、疲れやすいなどの症状」が有意に多く、「鼻血に関して両地区とも高いオッズ比を示した」という事実。報告書によれば、この福島県における放射線と鼻血についてのオッズ比は3を超えている。明らかに鼻血が出たことを示している。疫学結果を過去の高線量被曝の経験で否定することはできない。過去の事実に合致しない事実とすれば、別の機構を考慮するのが科学的態度であり、『理科・社会』のように、新しい事実を古い理論で否定するのは本末転倒である。にもかかわらず、鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てるのはなぜなのだろうか。
                     『理科・社会』65ページ「放射性セシウムを含む微粒子から毎秒1000個のガンマ線が出ているとします。この線源にどれだけ近づいたとしても、被曝するガンマ線の量は頭打ちになり、無限に増えていくことにはなりません。なお、1000ベクレルのセシウム137から体が受ける最大の被曝量は、体重50kgの人で0.007μSv/時になります。」と菊池誠氏の計算を用いている。
                     しかし、繰り返しになるが、被曝の影響が問題なのは生体としての反応であり、全身で被曝するとして評価した0.007μSv/時は局所的集中的被曝を過小評価している。ICRP に基づく田崎氏、菊池氏、野口氏はガンマ線とベータ線を区別せず、全身が均一に被曝するとして計算している。ベータ線の局所的な被曝(ベータ線は数mmの距離でエネルギーを失う)では50kgは関係がないはずであるが、彼らは体重で割っている。内部被曝が危険とする人たちの本質的な論点が理解できていないのである。雁屋氏が、西尾正道氏などの微粒子によるベータ線によるイオン化作用に基づく説明を用いるのは、正しく当然である。菊池氏のガンマ線1000ベクレルを用いた議論では、集中的な被曝でないから内部被曝が小さいのは当然である。これは前述の問題で「ガンマ線も電子を励起するから同じ」という誤解にも基づいている。先に述べたようにガンマ線は全身や外部に拡がるので被曝の集中度が異なる。このように『理科・社会』全体が誤りの積み重ねとなっている。
                     『理科・社会』64ページで児玉氏は「『美味しんぼ』23回に登場する『専門家』もそうですが、放射線被曝で鼻血が出るメカニズムを無理やり考え出そうとする人がいるようです。しかし、そこには被曝量が全く見積もられていません。被曝量がどのくらいかを度外視して、放射線被曝の健康影響を論ずることはできません」と述べている。いくら線量といってもガンマ線とベータ線は区別しなければメカニズムが議論できないのは当然である。かって、食品基準の説明会で厚生労働省の人がバンダジェフスキーの「放射性元素臓器取り込み症候群」を否定するのに線量が記されていないからと述べた。論文には病理解剖によって、取り込まれた微粒子の影響が明確に写真で示されており、さらに体重と各臓器1kg当たりのベクレル数が示されているのにも関わらずこの否定である。ここでの鼻血の問題では、体全体のガンマ線の線量がSvで示されても無意味で、鼻が受けるベータ線の局所的な強さが必要なのである。元々内部被曝を人体や各臓器を一様な物体(ファントムという)で置き換えたICRPの実効線量シーベルトで評価するのは正しくないのである10)
                     『理科・社会』46ページの注記で著者たちは、「2ミクロンぐらいのセシウムボール」は「大部分が鼻腔粘膜にはほとんど付着することなく」したがって「鼻血が起こることはない」と断定している。典拠は何も示されていない。しかし「鼻腔粘膜にはほとんど付着しない」という点は、明らかに事実と異なる。
                     我々は、すでに放射性微粒子に関する論文でこの点を検討している。ここでは、論文で引用した日本政府の「原子力委員会決定 昭和44年(1969年)11月13日 プルトニウムに関するめやす線量について」より、別図だけを引用しておこう(図5-1)。それを見れば、2ミクロン程度の粒径では、鼻咽喉への沈着率は7割程度でかなり高いことが分かる。さらに、環境研究所が行ったディーゼルエンジンの排気ガスに含まれる粒子(DEP)による最近の研究成果も掲げておこう(下図5-2)。鼻腔・咽頭・喉頭への沈着率は、2µmあたりできわめて高くなっており(対数目盛であることに注意)、著者たちの主張が明らかに間違っていることを示している。重要なことは、ナノ粒子の鼻腔も含む呼吸器系各部位への総沈着率が、ミクロンレベルの粒子の総沈着率よりもさらに高くなることである。鼻腔などへの沈着率は1nm付近で最大となり、粒径の大きい方の5μm付近のピークをさらに越えている。ナノサイズの放射性微粒子は、直接体内および血液中に取り込まれ、また数ナノの微粒子は体内のあらゆる関門を通り抜けて脳内にも胎児にも侵入するため、危険性は桁違いに大きいと考えるべきである。

                    図5-1 日本政府原子力委員会の1969年の決定より

                    [注意:図の横軸左下の2箇所のミクロンの表記(0.1と0.5)は、
                    明らかに誤植で0.01と0.05としなければならないと思われる]
                    出典:『原子力委員会月報』14(12)で、以下の政府サイトにある。
                    http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/ugoki/geppou/V14/N12/196901V14N12.html

                    図5-2 ディーゼルエンジン排気粒子(DEP)の呼吸器系各部位への沈着率

                    出典:国立環境研究所「微小粒子の健康影響」『環境儀』No.22(2006年10月)
                    http://www.nies.go.jp/kanko/kankyogi/22/04-09.html
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