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2014.02.27 Thursday

田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点‐科学的な基礎からの再検討を望む‐  山田耕作

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    2014年2月


     以下のような田崎晴明氏の本「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」についての意見を「物性研究」に投稿し、議論を行おうとしましたが、田崎氏が議論に応じず、掲載されないことになりました。
     同書は放射線被曝を過小に評価しており、政府が帰還して被曝させようとする政策を推し進めようとしている現在、被曝被害を拡大してしまうことが心配です。私の小論が皆さんの参考になれば幸いです。


    全文のPDFファイルもありますので、ダウンロードください。
    山田耕作-田崎本批判 (18ページ 435KB)




    田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点
      ‐科学的な基礎からの再検討を望む‐

                   山田耕作 (kosakuyamadaアットマークyahoo.co.jp)

    目次

    はじめに
    1. 放射線被曝をめぐる争点
    2. 子供の甲状腺がんの多発という事実は田崎氏の楽観論を打ち砕いた
    3. 田崎氏の著書は時代遅れのICRP勧告を基礎としている
    4. 予防原則の無視
    5. 最終判断は個々の住民にゆだねる無責任な態度
    6. リスク・ベネフィット論は強者の論理‐「やっかいな」放射線という題名について
    7. 田崎本は疑問点や間違いの多い本である
    7-1. 公平と真理
    7-2. 閾値と集団線量
    7-3. 疫学の軽視や無視
    7-4. 低線量被曝における重大な誤解
    7-5. 予防原則を無視し、被害への警告に対する牽制
    7-6. 楽観的予想
    7-7. 放射性セシウムをカリウム40のベクレル数まで許容する重大な誤り
    7-8. 気にしない自由
    おわりに
    参考文献
    付録A. 物性研究「ひろば」田崎本についての討論
    付録B. 追記 ブログ「東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌−Googleトレンドは嘘をつかない−」

    はじめに
     日本物理学会誌2013年3月号に掲載された泉雅子氏による解説「放射線の人体への影響」は放射線被曝の被害を過小評価しているとして、私は会誌の「会員の声」欄で批判した。4月に投稿してやっと、10月号に掲載された。1) その報告と同時に、私の別の「会員の声」「福島原発事故研究の要望に対する理事会の回答に思う」(2月3日掲載決定)の原稿を友人の皆さんにお送りした。様々な意見をいただいた中に、私のこれらの「会員の声」に対する批判とともに、正しい見解として田崎晴明氏の「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」(朝日出版社、2012年10月、以下田崎本と呼ぶ)を推薦された。2) 早速期待して読んだが、これは予防原則に反するなど根本的なところで原則的な誤りを犯しているように感じた。その誤りの結果として、同書の目に見える被害を生じるような被曝はないとする記述に反して、現実に子どもの甲状腺がんが異常発生し、同書の信頼性が厳しく問われていると考える。この本を世の中に広めるとすれば、田崎本が基礎としている国際放射線防護委員会ICRPの評価が信頼できるかどうかの視点から、批判的に読むべき本であると思う。
     しかも、ことは子どもをはじめ人命にかかわることである。総体として事故を招来した責任のある物理学者の一員が被曝の被害の過小評価や軽視で子どもや市民に被害を拡大してしまうならばその責任は一層重大である。
     もう一点、指摘しておかなければならないことは被曝の問題に留まらず、この本の与える科学と教育に対する影響である。子どもをも対象とする田崎本は、表現は柔らかではあるが、非論理的な考察や推測が散見され、科学的な態度とは相容れない本である。これが優れた業績を持つ物理学者によって書かれたことから影響は無視できず、教育的観点からも疑問のある本である。
     一言、誤解の無いようにお断りしておきたい。この文章は田崎氏の著書に対する危惧を述べたものである。田崎氏本人に対しては若い時代から、能力に優れ、親しみやすい人柄の研究者であると考えてきた。それ故、田崎氏個人を批判したものでなく、同書に書かれた放射線被曝の見解に対する疑問を述べたものである。文中にあるようにチェルノブイリ事故の被害をめぐって国際論争となっており、それは福島事故をめぐる重要な論点でもある。私としては田崎本の見解が広く流布している常識的な見解の代表であると考え、議論の対象としたものである。田崎氏個人が批判されていると取られるとすると、私の記述の不足のためであり、私の意図ではないことを断っておく。もっと、厳しく批判されるべき人もあるのであるが、私としては田崎氏のような良心的な人でも間違うという被曝問題の難しさを理解していただきたいと思う。それだけに、田崎本には、被曝をめぐる論点、私から見ると誤りのほとんどすべてが持ち前の率直さで表現されており、同書は誤解を説明するための最適の書と考えたからである。
     私はこの投稿を契機として、「物性研究」誌上で、読者間で建設的な議論が活発に継続することを期待したい。それ故、出版後にも折に触れ、田崎氏はもちろん、多数の意見が寄せられることを期待している。事故は未だ収束せず、被害も進行中である。

    1.放射線被曝をめぐる争点
     田崎本に入る前に、世界における放射線被曝をめぐる対立の現状を説明すべきであると思う。それは、田崎氏の無邪気な子供向けの本をわざわざとりあげて、私が議論すべきであると考えた理由を理解していただくためである。前述の泉雅子氏は、私の「会員の声」へのコメントで、「国際放射線防護委員会」ICRPこそ「学界の科学的合意に基づくもの」であるから、それを紹介したのであると述べている。しかし、歴史が示しているように、被曝評価をめぐる論争はICRP創設の1950年以来続けられている。この年、放射線被曝の職業病防止の科学者の組織「国際X線及びラジウム防護諮問委員会」IXRPCから、核兵器開発のマンハッタン計画に参加したアメリカ、イギリス、カナダなどの原子力開発推進者を中心とする国際的協調組織であるICRPに変えられた。この設立経緯から推測されるように、ICRPは原子力開発が前提となっており、人類の安寧から見た原発そのものの是非はその検討課題に含まれていない。国連の安全保障理事会の下にあって強い権限を持っている国際原子力機関IAEAは、このようなICRPの勧告を原子力利用における安全基準として採用している。
     しかし最近では、このICRP勧告のみに基づく考え方と、それは時代遅れであるとしてチェルノブイリ事故で発見された新しい内容を加える考え方とが鋭く対立している。国際原子力機関IAEAやICRPがチェルノブイリ事故の被害として甲状腺がんのみを認め、他の健康の破壊を一切無視している姿勢が批判されているのである。さらに,IAEAが世界保健機関WHOと協定を結び、IAEAの同意なしにWHOが情報を開示できないことになっている。(「国際原子力機関と世界保健機関は、提供された情報の守秘性を保つために、ある種の制限措置を取らざるを得ない場合があることを認める」WHA 12−40」)。最近の新聞報道によれば福島県と福井県の両県とIAEAの間にも情報の公開に関して同意が必要との協定が結ばれたとのことである。なぜ、IAEAは情報の公開を恐れるのか。なぜ、世界の人々がIAEAから独立したWHOを求めているのか。
     A.V.ヤブロコフらの「チェルノブイリ被害の全貌」のまえがきでディミトロ・M・グロジンスキー教授(ウクライナ国立放射線防護委員会委員長)は次のように述べている。3)
    「立場が両極端に分かれてしまったために、低線量被曝が引き起こす放射線学・放射生物学的現象について、客観的かつ包括的な研究を系統立てて行い、それによって起こりうる悪影響を予測し、その悪影響から可能な限り住民を守るための適切な対策を取る代わりに、原子力推進派は実際の放射性物質の放出量や放射線量、被害を受けた人々の罹病率に関するデータを統制し始めた。放射線に関連する疾患が増加して隠し切れなくなると、国を挙げて怖がった結果こうなったと説明して片付けようとした。と同時に、現代の放射線生物学の概念のいくつかが突然変更された。例えば電離放射線と細胞分子構造との間の主な相互作用の性質に関する基礎的な知見に反し、『閾値のない直線的効果モデル』を否定するキャンペーンが始まった。」
    「この二極化は、チェルノブイリのメルトダウンから20年を迎えた2006年に頂点に達した。このころには、何百万人もの人々の健康状態が悪化し、生活の質も低下していた。2006年4月、ウクライナのキエフで、2つの国際会議があまり離れていない会場で開催された。一方の主催者は原子力推進派、もう一方の主催者は、チェルノブイリ大惨事の被害者が現実にどのような健康状態にあるかに危機感をつのらせる多くの国際組織だった。前者の会議は、その恐ろしく楽観的な立場に、当事者であるウクライナが異を唱え、今日まで公式な成果文書の作成に至っていない。後者の会議は、広大な地域の放射能汚染が住民に明かに悪影響を及ぼしているという点で一致し、ヨーロッパ諸国では、この先何年にもわたって放射線による疾患のリスクは増大したまま減少することはないと予測した。」
     このような原発推進派の動きを世界的な「原発マフィア」の活動として警告する人が多い(例えばコリン・コバヤシ著「国際原子力ロビーの犯罪」以文社、2013年)。そしてヨーロッパの緑の党を中心として、欧州放射線リスク委員会ECRRが組織されたのである。初代議長は故アリス・スチュワートであり、故ロザリー・バーテルもメンバーとして参加していた。
     現在、政府や福島県は20ミリシーベルト以下の被曝なら容認できるとして、個人の測定値に基づき自己責任として帰還を促進しようとしている。これはチェルノブイリ事故で警告されている汚染地における長期被曝を容認し、拡大することになる。この動きは不幸にも、田崎氏の著書の福島の被曝に対する見解、例えば、「目に見えて健康を害する人が増えることはない」と一致しているのである。同書が被曝による被害の拡大に協力してしまうことが懸念される。

    2.子供の甲状腺がんの多発という事実は田崎氏の楽観論を打ち砕いた
     p39 「2011年3月末に行われたスクリーニング効果の結果を見る限り、福島でのヨウ素131による内部被曝は、チェルノブイリ周辺に比べると桁違いに小さい。」
     福島では3基の原発が炉心溶融し、放出されたヨウ素やセシウムの量を比べてもこのようなことはとても言えないはずである。IAEAをはじめ「国際原子力マフィア」は福島事故以後チェルノブイリ事故の放出量を大きくした。4) これは福島事故を小さく見せるためであると思われる。
     p114 「これから先、放射線被曝のために健康を害する人が目に見えて増えるということもないだろうと思っている。・・・チェルノブイリの子供たちが受けたような大量の被曝は、今回の福島で起きなかったことは(かなり)はっきりした。ともかく、チェルノブイリよりずっと良かったのだ。・・・今のところ、ICRPの実効線量の立場から見て心配がないのはもちろん、より厳しく、体内のカリウム量と比較しても、あるいは、さらに厳しく、1960年代の被曝量と比較しても心配がない結果が出ている」。
     これは事実で否定されている。新聞で福島県の子どもの甲状腺がんの調査結果が報道され、東京まで含めて心配が拡大しているからである。この事実一つをもってしても田崎本の楽観的な見方は否定されているのである。
     2013年11月13日付朝日新聞によれば事故時18歳以下の約22.6万人のうち、58人で甲状腺がんおよびその疑いが発見された。これは10万人に26人の割合である。ベラルーシのピーク時の発症率が10万人当たり約10人であるから、26人は3倍近い発症率である。しかも福島はピーク時ではなく3年以内で発生している。福島は始まったばかりである。
     2013年11月12日発表の結果は、同年8月時点より検査人数は3.3万人増、患者は疑いも含めて15人増えた。これは10万人当たり45人の割合である。この発症率は最大のゴメリの10万人当たり198人に次ぐ、ウクライナのジトミールやロシアのプリヤンスクなどの汚染地に相当する。一方、宮城県などの事故前2007年の統計では15歳から19歳の甲状腺がん発症率は10万人に1.7人であった。「目に見えて」多い。まだ福島県の調査は2次検査を終了していないのでさらに増加する可能性が高い。大人の甲状腺がんをはじめ、他の放射線被曝の被害が危惧される。
     2014年2月7日の発表では新たに2.8万人の調査で16人に癌およびその疑いが発見された。これは10万人あたり57人である。検査地域は異なるものの事故から期間が長いほど増えているように見える。これまでの検査をまとめて福島県は25.4万人の調査で74人のがん及びがんの疑いで、0.03%、つまり10万人に30人と発表している。疫学の立場からも津田敏秀氏は有病期間を考えてもブレイク・アウト(異常多発)としている。年齢構成や遺伝子検査などより詳しい検査を進めるとともに、放射線被曝の影響をより明確にしなければならない。

    3.田崎氏の著書は時代遅れのICRP勧告を基礎としている 
     田崎本は、欧州放射線リスク委員会ECRRなどICRPに批判的な見解は、ICRPが受け入れないので、科学者の一致を見ていないという口実の下に一切採用しない。これでは必然的にICRPの姿勢を踏襲したものにならざるを得ない。科学者は意見が分かれるとき、いずれが正しいかを判断しなければならない。古い見解が新しい真理に置き換えられて科学は進歩するのである。
     最近、明らかになった放射線による被害として、放射線による活性酸素の発生によって細胞膜が破壊され、さらに細胞の連鎖的な破壊によって心臓や腎臓など内臓が破壊されることがわかってきた(後述のペトカウ効果)。臓器に取り込まれ、蓄積し、継続的に放射線を放出する人工の放射性物質は極めて危険であることが明らかになってきた。それ故、人工の放射性セシウムと臓器に蓄積されないでスルスル全身を移動する自然の放射性物質カリウム40とをベクレル数のみで比較して安全性を論じることは誤りである。これは「新・環境論」の中で故市川定夫氏が繰り返し強調されてきたことである。5) その郡のp173を見ると、自然放射線のうち「その大部分がカリウム40によるものである。カリウム40は、天然に存在するカリウムのうちの1万分の1強を占めており、この元素が環境中に多量に存在し、生物にとって重要な元素であるから、カリウム40が否応なしに体内に入ってくる。しかし、カリウムの代謝は早く、どんな生物もその濃度をほぼ一定に保つ機能をもつため、カリウム40が体内に蓄積することはない。このような生物の機能は、カリウム40が少量ながら存在したこの地球上で、生物が、その進化の過程で獲得してきた適応の結果なのである。カリウムを蓄積するような生物が仮に現れたとしても、蓄積部位の体内被曝が大きくなり、そのような生物は大きな不利を負うことになるから、進化の過程で淘汰されたであろう」。鷲谷いずみ氏も同様のことを書かれている。最近はカリウムだけが細胞膜を通過できるK-チャネルの存在が注目されている。
     また、ビキニ水爆実験後の海洋調査の結果として、三宅泰雄氏達が魚類を調査して放射性物質が集中的に脾臓、肝臓などの内臓に蓄積されることを報告している。6) 後述するがバンダジェフスキー達はチェルノブイリ事故により被曝し、死に至った100人を超える子供や大人を病理解剖し、セシウム137が臓器に蓄積していること、その1キロ当たりのベクレル数を求め報告した。また、被曝地の住民を調べ、体重1kg当たりセシウム137が20ベクレル位を超えると心電図に異常が出ることや、心臓発作による突然死につながることを警告している。さらに同じような汚染したエサをラットやハムスターなどに与えて、臓器への蓄積と症状を動物実験で確かめている。7) 膀胱がんの研究によれば1リットルの尿中約50ベクレルの濃度のカリウム40ではなく6ベクレルや数ベクレルのセシウム137の濃度によって膀胱がんの発生率が左右される。それ故、もっとも重要な、臓器への取り込み効果を無視する田崎本の「安全」は根拠がない。8) この点に関する田崎本の記述は次のようになっている。
     p41 「放射性セシウムの場合は、水に溶けて吸収され筋肉などにほぼ均等に分布してから排出されると考えられているので、外部被曝と大きく異なる健康被害は起こさないというのが主流の考えだ」
     p42 「まとめれば、内部被曝だからと言って異常に恐ろしいと考えるべきではないが、外部被曝よりは複雑で理解し切れていないことがある」
     ここで次の誤りがある。筋肉などに「ほぼ均等に分布」である。バンダジェフスキーたちの病理解剖の結果によると、臓器に取り込まれたセシウムは臓器の一部分に偏在しているので均等ではない。7) また、高温で放出されたセシウムの微粒子が観測されている。それ故、肺などの体内に微粒子としても存在する場合もある。細胞膜のK−チャネルは特異的にカリウムを通過させる構造を持ち、大きさの異なるナトリウムやセシウムは通過しにくい構造になっている。生物進化の結果であると考えられる。このようにセシウムは多様な場所に様々な形で存在する。 この点はICRPが個々の臓器を一様均質物体として内部被曝を評価していることにより、内部被曝が過小に評価されているので、特に重要である。継続的で、局所的な被曝は修復中のDNAをさらに攻撃するなど、2重らせんを破壊しやすいことでも危険であると考えられる。
     田崎本は注を付けp42「もちろん、体内のセシウムの振舞が完璧に理解されているわけではない。少し先の脚注を見よ」と書く。その少し先の脚注では p48 「実効線量の評価では、放射性物質が臓器全体に分布して、均一のダメージを与えると仮定しているが、それが不適切だという指摘もある。体の中の生体分子は,きわめて複雑にふるまうから、そこに放射性物質が紛れ込むことで、予期せぬ「悪さ」をする可能性があるかもしれない(ぼくにはよくわからないし専門に近い人に聞いても、あまり意見は一致していないようだ。毎度のことだが、「すさまじい被害がある」可能性はないものの、「すべてが完全にわかっている」わけではないということだ)。」
     このような注を付けながら「内部被曝だからと言って異常に恐ろしいと考えるべきではない」というまとめがどうして出てくるのだろうか。体内の個々の人工の放射性物質の振舞はヘレン・カルディコット博士の言うようにほとんど理解されていない。膀胱がんの研究によれば多様な過程が絡み合って発生するようである。膀胱表皮に取り込まれた放射性セシウムの放射線によって生じた活性酸素が重要な役割を果たす。8) 田崎本は完全にはわかっていないといいながら、どうしてすさまじい被害がないと言えるのだろうか。
     田崎本は定量的なことは一切言わず、「すさまじい」とか「目に見える」、「異常に恐ろしい」とか、形容詞であいまいにしているように見える。科学的には定性的より定量的な方がすぐれた記述であることは明らかであろう。子どもたちにもそう教えるべきである。

    4.予防原則の無視
     ICRPの権威を利用している田崎本はバンダジェフスキーやウクライナ政府の発表による「長寿命放射性元素体内取り込み症候群」を無視している。7) それは専門家の間で一致を見ていないからというのであろう。それ故、田崎本の言う被曝被害はDNAの損傷に限られる。これは多数の死体を克明に調べ、血のにじむような苦労の結果ベラルーシやウクライナ、ロシアで明らかにされた医学的知見を切り捨てるものである。
     しかも、田崎本のこのような態度は明らかに「予防原則」に反している。科学的に新しい知見が提出されたとき、完全な因果関係の証明がなされるまで待つと取り返しのつかない被害の拡大の可能性があるとき、「賢明なる回避」という公害問題の原則が提出され、「予防原則」と呼ばれる国際的な合意となっている。なぜか田崎本はこのよく知られた原則を一貫して無視している。ベラルーシでは年間1mSv以上の被曝の心配のあるところでは避難の権利が認められている。
     予防原則(Precautionary Principle):ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがある時には、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても、予防的措置(precautionary measures)がとられなくてはならない。
     しかもバンダジェフスキーの名づけた「長寿命放射性元素体内取り込み症候群」はウクライナやロシアでも報告され、さらに生殖系を介して未来世代への影響も報告されている重要な問題である。9) チェルノブイリ事故の被害者の尊い犠牲によって得られたものである。7) 今は亡き綿貫礼子さんは肝臓がんに苦しみながらも、自らの生命の危険も顧みず、吉田由布子さんたちの協力を得て、警告の書「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」を出版された10)

    5.最終判断は個々の住民にゆだねる無責任な態度
     田崎本のほとんど被害はないという言葉を信じれば帰還して暮らしてよいはずである。避難は無駄な行為と判断される。もし、帰還によって被害を受ける人が増大すれば、田崎本にも責任があるのは当然である。同書はp114で「心配しなくてよいという結果が出ている」といっているからである。
     田崎本は食品基準としていくらを限度とすべきか、いくらの汚染までは居住してよいのかなど定量的なことは一切言及しない。子どもを含め個人の判断にゆだねるのである。個人の選択の問題であるというのである。これは科学とは無縁の態度である。科学者は如何に冷酷であろうとも、科学的な結論を述べるべきではないだろうか。もちろん、伝える方法は細心の注意を必要とするが、より大切なことは間違って安心を与えていないかどうかである。予防原則に従って避難したが、実際は避難する必要がなかったときは経済的損失が主であるが、逆に避難せず、被曝した場合は人命が損なわれるかもしれないからこそ、予防原則が適用されているのである。

    6.リスク・ベネフィット論は強者の論理‐「やっかいな」放射線という題名について
     田崎本が立脚しているのがICRPのALARA(As Low As Reasonably Achievable)と呼ばれる立場である。田崎本は「経済的社会的に合理的に達成できる範囲で低く」というリスク・ベネフィット論の立場を「公式の考え」として紹介している(p69)。しかし、それ以前はALAP「できる限り低く」であった。
     p69 「放射線被曝によって生じうる害と、その他の利益を秤にかけて、上手にバランスさせながら、被曝量をできる限り低くしていこうとしているのである。」
     核実験や原発による被曝のリスクが科学的に明らかになり、それに対抗するためにICRPが打ち出したのが、リスク‐ベネフィット論である。しかし、核実験や原発から一般人は利益を受けないので、ICRPは苦慮の末、「社会的・経済的利益」としたのである。原発における「その他の利益」とは何か。田崎本があいまいにしている電力会社の利益と、その利益にあずかるどころか高い電気料金を支払う一般市民・住民の被曝リスクとのバランスを取ることが可能であろうか。
     放射線被曝の歴史を克明に調べた故中川保雄氏は次のように結論している。ICRPの言う「今日の放射線被曝防護の基準とは核・原子力を開発するためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである」。11) この言葉の通り、一般市民や子供たちには原子力利用から利益はなく、放射線の被害を受けるだけである。特に農業、漁業にとっても一方的にリスクのみである。遺伝的被害も考えるとどんなに微量でも危険であり、強者が弱者にヒバクを強制しているのである。田崎本は強者の立場に立ち、「やっかい」というあいまいな言葉で、危険性をあいまいにし、子供たちをだましていることになりはしないだろうか。なぜ田崎本は普通に使われる「危険な」放射線といわないのだろうか。それは正しく恐れるならば被曝は不当ではなく、合理的だという立場にあるからと思われる。それ故、私には田崎本は子供たちや妊婦、大人の被曝を容認する「危険な書物」であると思われる。総体として、原子力の平和利用を提唱したことで加害者といわれかねない物理学者の一人が、このような被害の拡大に手を貸すのは許せないことである。

    7.田崎本は疑問点や間違いの多い本である
     特記すべき疑問点や間違いを以下に列挙しておこう。

     7−1 公平と真理
     p3 「ただし、この本は「原発廃止」を訴えて書いた物ではない。それは誤解しないでほしい。この本では、そういう意見や立場とは関係なく、わかっていることをできるだけ公平に解説したつもりだ。」
     公平な立場とは何か。これこそ問題の鍵であり、争点である。田崎本の公平とは「大多数の意見」とか、「主流の考え」である。結局、それはICRPが容認するものでなければならず、 田崎本の「公平な立場」とはICRPの立場であり、「公式の考え」として田崎本の基礎となっている。
     国連科学委員会やICRPは英語の論文が中心である。しかし、ヤブロコフたちはスラブ系言語で書かれたものを中心に5000以上の文献を調べたとして甲状腺がん以外の多くの病気や被害者を明らかにしたのである。3) なぜ、ICRPに対抗してECRRができたのか。両者の相違点に触れず、後者を無視してICRPの見解が正しいとする根拠はどこにあるのか。科学者は本来、如何に不公平であっても真理を語るべきである。それが未来も含めた人類に対して誠実であり、正しい態度なのである。ガリレオ・ガリレイは真理を基準とし、公平を指導原理としなかった。

     7−2 閾値と集団線量
     p61 (広島・長崎の調査について)「この調査だけからでは,100mSv よりも少ない被曝で癌が増えるのか増えないのかわからないというのが多くの人が支持する結論である。」
     ここで「100mSvよりも少ない被曝で癌が増えない」ということは閾値があるということであり、この表現は不正確である。広島・長崎の結果は100mSv以下で「統計的に有意でない」ということであって、癌が発生しないということではない。危険率(偶然に起こる可能性の確率)Pが信頼度の基準とされる0.05より大きいということであって、100mSv以下の被曝量でも癌死数が被曝ゼロとされる対照群(この人たちも内部被曝していた)より増加しているのである。被曝量の値の5〜100mSvでは危険率P=0.15で、5〜50mSvでP=0.3であり(Brenner et al PNAS 100、p13761)、信頼度が落ちるということである。
     津田敏秀氏は「福島について100mSvを持ち出すことは、単に『統計的な有意差がない』事と『影響がないこと』を混同している。」、「福島では有意差が出る可能性が十分ある」としている。14)(津田著p96)。閾値をめぐる問題は被曝をめぐる本質的な問題であり、広島・長崎だけでなく調査を広げる必要があるのである。広島・長崎の被爆者調査でも若い時に低線量被曝した被爆者の死が最近多くなり、低線量被曝域が線形に近くなってきた(K.Ozasa et al Radi.Res.177,229、2012)。まだ、統計的に有意ではないが、小笹氏達も線形が最もふさわしいとしている。古くからあるJ.M.Gouldたちの研究を調べれば100mSv以下でも被害が生じることは統計的に明らかであるにもかかわらず、田崎本はそれにも言及していない。12,13) スチュワート(Alice Stewart)の妊婦のレントゲン検査による被害の結果や遺伝的影響を考えれば単純な外部被曝による被曝線量に対するがん発生の線形依存性は明確ではないだろうか。1)ICRRP2007年勧告も「約100mSv以下の線量においては不確実性が伴うものの、癌の場合、疫学研究および実験的研究が放射線リスクの証拠を提供している。」としているのである。  
     p65 「線形閾値なし仮説」は文字通り仮説であり、科学的に確立している事実ではない。」
     p67 「また、福島第一発電所で起きたような事故の際には、「公式の考え」を使って、一般の人々への危険がどの程度ありうるかを見積り、(たとえば、避難するかしないといった)判断のよりどころとすることだ。「公式の考え」は、癌による死亡者の増加を科学的に予測するための「計算式」ではないし、まして、個々人ががんで死亡する危険性を見積もるためのものでもない」
     p68 「標準人の考えを用いず、個々の人たちの被ばく状況を適切に把握すべきであるとしている。」
     田崎本は私が批判した泉氏と全く同じように集団線量という考え方をICRPに従って否定しようとしている。10)多数の人が低線量で被曝し被害が被曝線量に線形で生じる時、人数と被曝線量の積、集団線量、人・シーベルトは被害の予測として重要な概念である。田崎氏、泉氏やICRPはなぜかくも熱心に集団線量を否定しようとするのか。
     一方、田崎本がp65で引用しているD.J.ブレンナー達の論文(PNAS 100,p13761,2003)はそのまとめで50mSv‐100mSvでの長期被曝で癌の増加の証拠があるとした後で、「10mSv以下の実証は難しい。しかし、実証が困難であるということは被曝が社会的に無視できることを意味しない。非常に小さいリスクでも大人数に適用されると重大な社会的健康問題になる」と集団線量の考えを述べている。

     7−3 疫学の軽視や無視
     p71 「広島・長崎での調査よりも大規模な被曝事例の調査はないし、理論や動物実験だけでは、低線量被曝の人の健康への影響は完全にはわからない。」
     p71 「低線量被曝での癌のリスクについての「公式の考え」は、あくまで、そのようにして作った社会的な「目安」であって、癌による死亡率を予測するための科学的な理論でないということを忘れてはいけない。」
     『医学的根拠とは何か』によれば津田敏秀氏は「数量化の知識なき専門家」(p95)と題して次のように記している。14)
    「実は広島と長崎のデータを併せて、100mSv以下の被爆者は全年齢層併せても68470人しかいない(5mSv以下38509人、5mSv以上100mSv以下29961人、100mSv以上18141人、K.Ozasaら、Radiation Research,2012)」
    以上のように広島・長崎のデータが68470人である。しかし田崎氏の上述の「長崎・広島以上の大規模な調査はない」という記述は、以下に見るように間違いである。 
     たとえばWHOのIARC(国際がん研究機関)は15ヵ国の原発核施設労働者60万人から1年未満の労働者など特殊な人を除いた40万人に対して調査した。(E.Cardis et.al. Radia.Res.167(2007)396-The 15 Country Collaborative Study of Cancer Risk among Radiation Workers in the Nuclear Industry)。 一人当たりの累積被曝量の平均は19.4mSvであった。がん死者と被曝線量の直線関係は統計的に有意であり、白血病を除くがん死の過剰相対リスクは1Sv当たり0.97であった。田崎本は「目安」であって「予測」に使ってはいけないという。IARCの疫学調査は科学であり、被曝労働の被害の予測にも使えるのである。
     福島では子どもの甲状腺がんの調査がなされているが、すでに2013年11月12日に22.6万人の結果が発表されている。この調査人数はすでに広島・長崎よりずっと多い。正確を期し、わかっていることを正しく記述したはずの田崎本の記述が信頼できないのである。統計学の結果である疫学の結論を被害の予測に使えないとするなど田崎本の誤りはどこから来るのか知りたいところである。
     さらにスウェーデンの汚染地域でがんが増えていることを報告したトンデル論文がある。(M.Tondel et al J.Epidemiol Community Health ,58.1011,2004) 114万人の住民を調査対象とした。観測されたがん発生の過剰相対リスクは土地の汚染度1平方メートル当たり100キロベクレルに対して0.11であった。今中哲二氏の見積もりによると1シーベルト当たりの相対過剰リスクとして5~10となった15)。広島・長崎データの場合0.5なので、トンデルらが観測した発がんリスクはその10から20倍に相当するという。
     がんの発生率に関して、私は次の点が重要であると思う。一般に放射性物質や化学物質による汚染は独立にあるのではなく複合的な汚染である。これは核実験による放射性降下物による汚染が進んでいた時代には、レイチェル・カーソンによって化学物質による複合汚染が警告された。現在は原発事故と化学物質との複合的な汚染効果も重要である。J.Mグールドたちのアメリカの原発周辺の乳がんの死亡率調査によると、両方に汚染された地域が放射線の影響を強く受けた。12,13) 喫煙と放射線との複合効果は良く知られている。その意味で我が国のように農薬を大量に使用する場合は、放射線被曝が一層危険である可能性がある。

     7−4 低線量被曝における重大な誤解
     p72 「低線量の被曝の健康への影響が「わからない」という説明を聞いて、「わからない」ということは、「想像を絶するすさまじい被害があるかもしれない」と感じてしまう人がいるようだ。ここまで読んできた読者には説明するまでもないだろうが、もちろん、そんな心配は無用だ。」
     P72 「そもそも低線量被曝の影響が「わからない」のは、広島・長崎で影響が見えないからだ。被害があるにしても、理屈で考えられる限り最大でも「調査でぎりぎり見えないくらいの規模の被害」ということになる。「人がバタバタとがんで倒れる」ということはあり得ない。 また、いくら放射線に常識が通用しないといっても、被曝した線量が小さいほど健康への影響が小さくなっていくことに疑いはないと思う。ICRPの「公式の考え」は絶対に正しいわけではないが、ある程度の不確かさのあることを知ってさえいれば、低線量被曝の影響を考えるための「目安」として役に立つはずだ。」
     広島・長崎で影響が「見えない」のは内部被曝など重大な被曝が隠されたからである。熱線ではなく内部被曝で「バタバタ倒れた」人たちは広島・長崎で多数あった(例えば、「僕は満員電車で原爆を浴びた」米澤鉄志語り、小学館2013年、矢ケ崎克馬著、「隠された被曝」新日本出版、2010年)。この隠された被曝を田崎本は被害が見えないくらい小さかったと重大な誤解をしている。前述のようにチェルノブイリでも被害は隠されている。3)
     また、低線量域の方が、線量効果が高いとするペトカウ効果をどう考えるか。これはペトカウが発見した実験事実であり、放射線で発生した活性酸素が高線量であると互いに相殺し、効果が小さくなるので、低線量の方が、活性酸素が長く生き残り、細胞膜の破壊効果が大きいという説明がなされている。また、活性酸素は細胞の中の脆弱な部分であるミトコンドリアを破壊し、免疫力や体力を失わせることが明らかになってきた。
     p79 「ただし、そういった胎児への影響は、被曝線量がおおよそ100mSvを上回るあたりから有意に発生するというのが一般的な見解だ。福島第一発電所事故の際に妊娠していた人が、短い期間にそれだけの線量を被曝することは考えられないだろう。…ICRPも胎児についても小さな子供と同様標準人の3倍を提案している。」
     チェルノブイリ事故以後ベラルーシやウクライナで研究が進み、生殖系への低線量被曝がホルモン作用を通じて胎児に影響することが明らかになってきた。9) 胎盤や子宮にセシウム137が取り込まれることによる生殖系の被害のみならず、妊婦の脳に取り込まれたセシウム137に依って、母親の脳神経活動が乱され、胎児との脳神経活動の連携が混乱させられるといった報告もある。9) 田崎本が、影響は有意でないとする100mSvよりずっと低線量である。また、後の世代にまで影響が続く。田崎本の言う「公式の考え」は出生率の低下が憂慮されているチェルノブイリの被害を十分検討した結果とは思われない。単にがんが3倍増としているようである。ぜひ、綿貫さんたちやバンダジェフスキーの著書を読んでほしい。ベラルーシやウクライナは出生率の低下に苦しんでいる。異常出産が増加しているから、子どもを持つ意欲の低下ではなく、放射性物質による生殖系の機能の低下が問題とされている。9) 以上から田崎本の100mSv以下では胎児に被害がないかのような記述は福島事故に苦しむ胎児と母体の健康にとって重大な被害をもたらすことになりはしないかと危惧される。

     7−5 予防原則を無視し、被害への警告に対する牽制
     p116 「研究者が必要以上に危険を強調したり、マスコミがセンセーショナルに報道したりといった『行き過ぎ』だけはぜひとも避けてほしいと今から願っている。」
     これは国際的な合意である予防原則を否定する見解である。予防原則はむしろ、因果関係や機構の完全なる証明がなくても人類を守るために、行き過ぎの可能性があっても「賢明なる回避」を薦めているのである。これは水俣病はじめ多くの公害の深い反省に基づくものである。あまりにも歴史において、対応処置が遅れてきた反省からである。福島の甲状腺がんもヨウ素剤の投与が見送られたことが危惧される。それなのに田崎本は「行き過ぎだけは」と強調する。普通は人命を尊重し、「逃げ遅れだけは避けてほしい」であり、その真意が私には理解できない。放射線による甲状腺がんは悪性で転移しやすく治りにくいというのは山下俊一氏達の論文の教えるところである。ウクライナの低線量汚染地に暮らす子供たちの健康の悪化をNHKは緊急出版している。16)

     7−6 楽観的予想
     p116 「これから先、福島でがんと診断される人が増えていくだろうと僕は考えている。これは、放射線の影響で癌が増えるからではない。おそらく癌はほとんど増えないが、多くの人が定期的にがんの検診を受けるようになり、早期発見が進み、見かけ上のがんの患者が増えるということだ。その結果として、初期の段階で治療する人が増えて、最終的にはがんによる死亡率は減っていく可能性が高いと思う。」
     まさに、驚くほど楽観的な予想であり、言葉である。ただし、田崎本の言うスクリーニング効果(調べすぎの効果)はチェルノブイリでも言われたが、2002年にゴメリで15歳以下の甲状腺がんがゼロとなるなどの事実から、発症は原発事故によるものであったことが確認され、スクリーニング効果は否定されている。田崎本の楽観的な予想に反して、原発事故以後、ウクライナ、ベラルーシでは死亡率が増大し続け、20年後にやっと増加が止まりつつある。これもウクライナでは1997年に飲み水の基準を2ベクレル/kgに引き下げて以後であった。
     この間、この両国の人口は、チェルノブイリ事故以後のピークから、合計で748万人も減少した(それぞれ670万人減、78万人減)。とくにウクライナでの人口減は激烈なもので12.8パーセントだった。およそ8人に1人が減ったという割合になる。ベラルーシでも7.6パーセントの減少率であった。さらに、ロシアでも2008年まで約580万人の人口減が記録された。この3国での人口減少は合計1327万人に上り、減少率は6.3パーセントであった。たしかに人口動態には、社会主義崩壊に伴う経済混乱が影響した部分があることは疑いない。しかし、混乱が収束して経済が回復しても人口の減少は続いてきたという事実が示すように、チェルノブイリ事故の長期的影響がそこに反映していることは疑いえない。ヤブロコフらは、チェルノブイリ事故による犠牲者数を約100万人と見積もっているが、この急激な人口減少と対比するならば、この数字が決して法外な数字ではなく慎重に評価された数字であり、また数字の示している事態が極度に深刻であることを感じないわけにはいかないであろう(『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店)。3)
     p117 「要するに,いつまで経っても、ぼくは確信をもって何かを言えるようにはならなかったということだ。…そういう「確信をもってものが言えない状態」のままで書いた。だから、これまでの研究・調査の結果、ほぼ確実にわかっていると思える事柄については「わかっている」とちゃんと書き、そうでない事柄については「わからない」と正直に書いた。」
     しかし、私には「わからない」事柄でも、田崎本は「わかっている」としてICRPの見解を信じて述べている箇所が多くある。例えば、通常いわれるように、ICRP の内部被曝の評価に関しての疑問である。アルファ線やベータ線による被曝は体内では射程距離が短い(夫々およそ0.04ミリ, 5ミリ)ので、極めて局所的な被曝である。それをICRPは係数を大きくするものの、生体内の機構を無視した一様物体に置き換えて被曝を評価しているのである。しかし、田崎本は疑問も述べるのであるが、結局ICRPに基づき、それを目安として、内部被曝はことさら恐れる必要がないというのである。

     7−7 放射性セシウムをカリウム40のベクレル数まで許容する重大な誤り
     p110 「1日の放射性セシウムの摂取量が30Bqなら、体内のカリウムとセシウムの量はだいたい等しくなる。後は、どこまで内部被曝が増えるのを許すかで、これは個人の考え方だろう。もともとあるものが数倍に増えても気にしないというなら、結局1日に200Bq程度のセシウムを摂っていいことになり、最初の厚生労働省の基準に戻る。もともとある物と同じくらいなら許そうという人は、放射性セシウムの摂取を1日30Bqに抑えることを目指せばいい。」
     これはとんでもない主張である。バンダジェフスキーたちの研究によれば体重1キロ当たり20Bq/kgでも心電図に異常が出る。それは心臓疾患につながり、心臓発作による突然死に至ることもある。これはカリウムと異なり、心臓に取り込まれた放射性セシウムによる健康破壊である。その点を理解しない田崎本はカリウム40の数倍として、毎日200ベクレルまでも許容する。そして厚生労働省の古い基準まで正当化する。一方、バンダジェフスキーは基本的にはゼロであるべきだという。それは脆弱な生殖系や脳、心臓など血管系への被害も考慮してのことである。それ故、この田崎本の記述を信じて毎日30〜200ベクレルを摂取することは極めて危険なことである。カリウムとセシウムは臓器に取り込まれ方が異なり危険度が全く異なる。毎日200ベクレル摂取すると100〜200日くらいで2〜3万ベクレルが蓄積する。体重60kgの人なら、体重1キロ当たり300〜500ベクレル以上となり、心電図や生殖系の異常の起こる濃度20Bq/kgの10倍以上を容認しているのである。たとえ毎日30Bqの放射性セシウムを摂取したとしても、約3000Bqが体内に蓄積し、体重60kgなら1キロ当たり50Bq/kgであり、心臓病や生殖異常の危険領域の値である。この記述だけでも田崎本は危険な書物になってしまう。ドイツ放射線防護協会は、こどもは4Bq/kg、大人は8Bq/kgを食品基準とすることを提案しているが、生殖系などの被害を考えるとこれでも高すぎるようである。

     7−8 気にしない自由
     p120 「気にしない自由」
     科学者なら科学に基づいて発言し,危険な時は避難も勧告すべきである。未来世代にも関わることである。事故時にも気にしない自由を認めるのか。低線量被曝の危険性、内部被曝の危険性も「気にしない自由」を認めるのか。被害が出たときはいったいだれが責任を取るのか。
     最終的な決断は市民一人一人がすべきであることは当然である。しかし、一人一人が正しく、適切な判断を行うためには被曝に関する正しい情報や知識が与えられなければならない。放射性セシウムとカリウム40とを単にベクレル数で比較して安全とする誤った知識を根拠に、「気にしない」のは看過できないことである。

    おわりに
     田崎氏は自分で「確信をもってものが言えない状態」と告白するくらいなら、このような本を、しかも子供向けに、書くべきではなかったのである。
     現在、政府と原発推進勢力は「国民にヒバクを強要する政策」を推し進めている。彼がこの本を書いた目的は、この政策に進んで協力することであると言われても仕方がない。なぜなら、彼の主観的意図がどうであろうと、客観的には、彼の本はICRPに基づき被曝を過小に評価することで、この危険で破滅的な政策に荷担することになる。それ故、田崎本の罪は、この政策がもたらすかもしれない「静かな大量虐殺」や全国民的な規模での健康破壊などあらゆる破局的な結果に対する責任の一端を負わなければならないほど重大なものではないだろうか。

    参考文献
    1) 山田耕作:日本物理学会誌、会員の声、2013年10月号
    2) 田崎晴明:「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」 朝日出版社、2012年
    3) A.V.ヤブロコフ、V.B.ネステレンコ、N.E.プレオブラジェンスカヤ:「チェルノブイリ被害の全貌」、岩波書店、2013年
    4) クリス・バズビー著 飯塚真紀子訳 「封印された『放射能』の恐怖」 講談社 2012年、p107
    5) 市川定夫:「新・環境論III」、藤原書店、2008年,p173
    6) 三宅泰雄:「死の灰と戦う科学者」岩波新書 1972年
    7) ユーリ・I・バンダジェフスキー:「放射性セシウムが人体に与える医学的生理学的影響」合同出版 2011年
    8) 大和田幸嗣他著:「原発問題の争点‐内部被曝・地震・東電」 緑風出版、2012年
    9) ユーリ・I・バンダジェフスキー、N・F・ドウボバヤ:「放射性セシウムが生殖系に及ぼす医学的社会的影響」合同出版 2013年
    10) 綿貫礼子編:「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」新評論 2012年
    11) 中川保雄:「放射線被曝の歴史」技術と人間、1991年、同増補版、明石書店、2011年
    12) ジェイ M・グールド:「低線量内部被曝の脅威」緑風出版、2011年、
    13) ジェイ M・グールド、ベンジャミン A.ゴールドマン:「低線量放射線の脅威」、鳥影社、2013年
    14) 津田敏秀:「医学的根拠とは何か」、岩波新書、2013年
    15) 今中哲二:「低線量放射線被曝」岩波書店、2012年
    16) 馬場朝子、山内太郎:「低線量汚染地域からの報告」NHK出版、2012年

    付録A.
    物性研究「ひろば」田崎本についての討論
    (途中で不掲載が決まり議論は残念ながら中断しました)

    編集委員A  ネットで見た朝日新聞および東京新聞の記事では 「福島県は7日、東京電力福島第一原発の事故当時に18歳以下だった子どもの 甲状腺検査で、結果がまとまった25万4千人のうち75人が甲状腺がんやがんの疑いがあると診断されたと発表した。昨年11月より検査人数は約2万8千人、がんは疑いも含めて16人増えた。県は『被曝(ひばく)の 影響とは考え にくい』としている。」
    「東京電力福島第一原発事故による放射線の影響を調べている福島県の『県民健 康管理調査』の検討委員会が七日、福島市で開かれ、甲状腺 がんと診断が「確 定」した子どもは前回(昨年十一月)の二十六人から七人増え三十三人になった。「がんの疑い」は四十一人(前回は三十二 人)。 しこりの大きさなどを調べる一次検査で約二十五万四千人の結果が判明し、千七百九十六人が二次検査の対象となった。」
    とあります。 2章の修正原稿の赤字追加部分と少し内容が違うように思いました。 山田先生に検討してもらった方がよいのではないかと思いメールしました。

    山田 私の修正部分は2月7日に明かになった追加部分について書いたものです。これまでの調査も加えると25万4千人で74人のがん及びその疑いとなります。これは10万人当たり29.6人となります。県の委員はこれを0.03%といっています。数字の違いを問題にされているなら、「がん」と県が発表している人は甲状腺がんの手術を終わった人です。「がんの疑い」というのは細胞での検査で癌と判定され手術を待っている人です。2月7日の発表ではがんが手術で確定が33人、疑い(細胞診で判定)が41人で計74人です。新聞によっては疑いが42人(そのうち1名は良性でした)として75名としています。私は良性の1名はがんではないので除きました。「疑い」はほぼがんに近いようです。
     「県は被曝の影響とは考えにくい」としている点ですが、確かに議論になっている問題です。県の主張は日本では初めての自覚症状なしでの調査なのでスクリーニング効果だとしています。記者会見では0.03%は想定内ギリギリではないかという見解です。事故の影響とは考えられないとする理由はチェルノブイリでは事故から4,5年経ってから増加したので、早すぎるということです。もう一つは年齢がチェルノブイリより高年齢に見られるということです。この点は検討の必要があり、修正部分に書きました。記者会見ではロシアの一部に0.03%のスクリーニング効果がみられると鈴木真一氏の説明がありました。私は次のように考えています。チェルノブイリの事故後2002年にはゴメリで14歳未満(福島より低年齢)よりではゼロになりました。調査人数は 25,446人です。もし0.03%のスクリーニング効果があるとすると7人くらいは発見されないといけないと思います。他にもチェルノブイリ事故の汚染地帯で0.03%より低いところは多く、ベラルーシでも国全体ではピークでも0.01%より低い。ほぼ福島の調査と年齢が等しい被曝時18歳未満では、2001年から2005年で女性が10万人あたり約12人、男性が10万人当たり4人です。福島県の検討委員会の主張のように被曝の影響がなしで、老年で発生する甲状腺がんを早く発見しているとすると事故の1986年と無関係に0.03%(10万人当たり30人)が、毎年発見されるはずですが、そうはなっていません。
     この点で津田敏秀氏と異常発生でないとする鈴木真一氏の間で討論が行われ、津田氏は疫学の立場から、鈴木氏は医者の立場から議論しました。新聞報道では平行線でした。
     以下に疫学的評価を示します。
     有病期間は病気になってから手術するまでの期間で発見率を有病期間で割ると発生率になる。100万人に11人が平常時の発生率とすると有病期間が6年でも3.56倍の異常発生となる。
     以上のように医者と疫学者との意見の違いがある問題です。この点補足しておくべきでした。コメントに感謝します。

    20140226_yamadakosaku_fig01
    (津田敏秀:科学、岩波書店2013年5月号、10月号、12月号)


    付録B.
    追記
     私は編集委員の方に、講演後あるお母さんから被害者たちの詳細な症状のリストを受け取ったと書きました。それは単に気のせいといわれるかもしれません。それに対する独創的な試みが次のブログです。これは私山田の研究ではありません。詳細は次のブログをご覧ください。営利以外は自由に使用してくださいとのことです。このような研究が物性研究の議論を通じて発展すれば素晴らしいことであると思います。
    http://ishtarist.blogspot.jp/2013/10/google.html#more 理論編
    http://ishtarist.blogspot.jp/2013/11/google.html#more データ編 
     タイトルは「東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌−Googleトレンドは嘘をつかない−」です。
    2部から成っていて、理論編(pdf file 2.5M)とデータ編(pdf file 1.6M)でそれぞれ50 ページ、43ページあります。
     データ編からお読みになった方が著者の立ち位置とGoogleトレンドのメリットとデメリットを理解できて、健康被害‐自覚症状として‐の時系列での統計データが示す事実が放射能によるものであることが視覚的にわかってもらえるのではと思います。
     例えば、次の図で膀胱炎、口内炎、動悸、生理不順が2011年3月から増加していることが見えます。これは東京都での検索数ですが、大阪ではこのような傾向はみられません。学問的にも新しく、興味ある試みだと思います。

    20140226_yamadakosaku_fig02

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