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2015.04.27 Monday

『放射線被曝の理科・社会』の問題点 (5〜6章・付表・資料)  山田耕作・渡辺悦司

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    2015年4月

    『放射線被曝の理科・社会』の問題点
    (5〜6章・付表・資料)


    山田耕作、渡辺悦司
    2015年4月3日(5月15日改訂)

    〖ここからダウンロードできます〗
    『放射線被曝の理科・社会』の問題点(全体) (89ページ,1200KB,pdf)

    〖参照〗 (1〜4章)
    『放射線被曝の理科・社会』の問題点(1〜4章)



    以下は 『放射線被曝の理科・社会』の問題点(1〜4章) のつづきです


       5.第5章「原発住民運動と放射線問題」(162ページ)

    5-1.被曝の問題では原発推進勢力と「科学的見解を共有する」という見解

     『理科・社会』177ページ「私自身ははっきり原発には反対の立場なわけですが、放射線の問題については、原発賛成の立場の人とも科学的な見解を共有することがあっても何ら問題はないと考えます。」
     同177ページ「原発に賛成する人たちも反対する人たちも同じテーブルについて肝を据えた議論を行う必要があると思います。このことを行う上で大きな壁になっているのが、『放射線影響が大きければ大きいほど脱原発にとって都合がいい』という心理です。これを乗り越えて、原発そのものの是非と放射線の健康問題の有無・大小は別の問題で、一緒くたに論じてはならないという一致点を作ることが、原発をどうするのかという日本の将来に関する重要な課題に国民全体が向き合っていくための、重要な第一歩になると考えます。」
     ここでも『理科・社会』の著者たちの歪んだ心理が表現されている。人々は原発に反対するために被曝の危険を探しているのではなく、核の歴史とくに核兵器と原子力発電の歴史の中で被曝の危険性が現実に明らかになり、人類的課題として核の利用の停止が客観的に提起されたのである。あたかも「核の危険性を棚上げにして核の廃絶を議論する」がごとき提案がベテラン科学者からなされることは信じられないことである。「放射線影響が大きければ大きいほど脱原発にとって都合がいい」などと考えている人がいるだろうか。これは失礼ながら『理科・社会』の著者のように内部被曝をはじめ被曝の被害を誤って過小に評価している人に限って、そのように見えることではないだろうか。我々はむしろ、チェルノブイリや福島で次々と明らかにされる事実を驚きと恐怖を持って受け止めている。しかもまだそれが十分に明らかにされていないと考えている。そのため汚染地からの避難を訴えているのである。まず、チェルノブイリ法に見習い、年に1mSv以上被曝の恐れのある地域の避難を選択した家族や人には、経済的にも避難を可能にする避難の権利が保障されなければならない。年に5mSv以上被曝する地域は政府が避難させる義務があるところとしなければならない。現在のように年間20mSv以下であるとして帰還させるのはとんでもないことである。
     これまで検討してきたように『理科・社会』は内部被曝をはじめいつも過小評価の方向に間違っているのは偶然であろうか。著者たちこそが、危険な放射線被曝の真実を明らかにすることを「恐れている」ように見える。自らが過小評価しているので、真実を暴く科学的見解が根拠のないデマのように見えるのではないだろうか。鼻血問題がその例である。我々は淡々と被曝の科学を進歩させればよいのである。著者たちはなぜ原発に対する立場を先に問うのであろうか。被曝の科学が正しくなければ判断ができないのではないだろうか。原発をどうするかは世の人々がその科学的な結果を見て正しく判断するであろう。『理科・社会』の内部被曝は外部被曝ほど危険でないという見解は、本当に正しいのか。これが誤りであることこそ肝心かなめのことである。
     結局、『理科・社会』の出版は反原発運動の武装解除を説得するための出版であったのである。これではICRPなど原発に賛成する人とも共同行動ができるのは当然である。原発が生み出す放射能の危険性、放射線被曝による健康破壊を抜きにして原発停止を説得することが正しいことであろうか。ほとんど大部分の人たちは、子どもたちをはじめ未来の人類の命と健康を守るために原発廃止を要求しているのである。それはICRPの歴史が裏返しの形で証明していることである。歴史的にICRPによって、内部被曝は核の推進のために隠蔽されてきたのである。『理科・社会』のベテランの科学者がこの歴史を知らないはずがない。にも関わらず、「原発に反対する」彼らが今まで見たようにICRPの見解を支持するのはなぜなのか。本書を読むものには理解できない。
     中川保雄氏の言葉を最後に引用する。
     「今日の放射線防護の基準とは、原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクをやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである。」(中川保雄「放射線被曝の歴史」))

    5-2.脱原発運動をめぐる現下の根本問題

     結局、『理科・社会』に関連して、現在の状況の下で提起されているのは、以下の3つの根本的な問題である。
     1.住民の健康被害を引き起こし住民のストレスを高めている元凶はいったい誰なのか?
     2.「目に見える被害は出ない」という主張はいったい誰の役に立つか?
     3.なぜいまこのような主張をするのか?
     これについて我々は次のように考える。
     第1の問題。原発事故を引き起こし大量の放射能を放出させた東京電力・政府・原発推進勢力こそが、住民の健康被害を引き起こし住民に強力なストレスを与えている元凶である。東京電力・政府・原発推進勢力こそが有責であり、生じた事態に対してすべての責任を取らなければならない。彼らは、本来、訴追されなければならない刑事被告人であり、民事上のすべての賠償義務を負うべき被告である。『理科・社会』が、「放射線の恐怖をあおる」脱原発派という虚偽の図式を持ち出すことによって、曖昧にしぼかし隠そうとしているのは、この基本的な対立関係である。それを常に明確にし、一時も忘れてはならない。
     第2の問題。「「目に見える被害は出ない」という主張は、重大事故を引き起こし福島と日本全土と世界を汚染した張本人を救済しようとする論理である。彼らが用いる論理――現に被害が出ている事実があるという主張は「風評」であり無用に「人々の恐怖をあおる」ものであるとする論理――もまた、同じように犯人の救済論である。それらは、表裏一体となって、事故を引き起こし放射能をまき散らした張本人が、晩発性の放射性障害を含め長期にわたって賠償し償うべき責任を逃れるのを助ける弁護論である。端的に言えば、このような犯人と責任者の免罪を脱原発運動が行うべきであるというのが、この本の著者たちの主張である。
     第3の問題。「なぜいまなのか」は明らかである。政府・電力会社・原発メーカー・原発推進勢力、これらの福島原発事故を引き起こした張本人は、一体となって、この夏から原発を一挙に再稼働しようとしている。もっと言えば、福島事故のような重大事故がおよそ10余年から30年程度に1回の確率で起こることをいわば前提にして、全国で40基程度を、40年以上経た老朽原発も含めて再稼働しようとしている(つまり廃炉決定5基以外は数基を除いてほぼ全ての原発を再稼働し、原発依存度は事故前2010年の29%から2030年の22%に下げるだけである)。さらに、核燃料サイクルも推進し続け、高速増殖炉もんじゅも動かし、原発の新増設も続け、独自核武装の準備も進めようとしている。問題は国内だけでない。事故で危険性が明らかになった原発を、世界に、とくに途上諸国に、大々的に輸出しようとしている。「事故が起こっても何の問題もない」「被曝しても何の健康影響も出ない」「被害が出ているというのは『風評』すなわち嘘やデマである」「放射線への恐怖こそが被害を生み出している」という主張は、大規模再稼働と原発推進と原発輸出と独自核武装準備を進めるための原発推進勢力の共通のスローガンである。また原発を世界に売りこむための国際的な宣伝競争のキャッチフレーズである。(事故確率については、経済産業省原子力委員会原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会「核燃料コスト、事故リスクコストの試算について」2011年11月10日の表3の注記を参照。
    http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/kettei/seimei/111110.pdf 我々の微粒子論文の注73も参照のこと)。
     この第3の問題には、もうひとつの重要な側面がある。政府・東電による賠償の打ち切りと原発周辺地域の「核のゴミ捨て場」化に対して、福島県の住民の反発が、極めて強くなってきていることである。「被害は出ない」という主張は、抵抗する住民を宥め反発を和らげるための策略だと取られても仕方がないし、著者たちの意図はどうであれ、客観的にその役割を果たしている。

    5-3.福島県住民による『理科・社会』的見解への厳しい批判

     『理科・社会』が図らずも明らかにしている重要な点は、福島県の住民の多くが、被曝による住民の健康被害を認めず福島を「核のゴミ捨て場」に変えようとする政府・東電また県や行政当局に対して不満や怒りを露わにし、その怒りは行政側の当事者でもある著者たちにも実際に向けられているという事実である。著者たちは、住民から「加害者を免罪するのか」「反原発運動に水を差す」「裁判を不利にする」「障害者差別だ」などと厳しく批判されていることを自ら告白している(133〜136ページ)。これらはまさに正当な批判である。
     とくにこの最後の批判は、清水氏の次の発言に対するものであり、氏の見解の本質を鋭く突いたものである。清水氏は、県のアンケート調査で避難区域住民を中心とした成人の約6割が「現在の放射線被曝の次世代以降の人への健康影響の可能性」が「非常に高い」あるいは「やや高い」と回答していることに関連して、次のように述べる。「(広島・長崎の原爆被爆者と同様に福島事故においても)被曝による遺伝的な影響は確認されない」「先天奇形・異常は通常からある程度の確率で発生する。福島でそうした子供を出産した親の気持ちを考えてみてほしい。『あのとき避難しなかったのがよくなかったのではないか』という悔恨、そして東京電力や政府に対する怨念や憤怒を、一生かかえながら生きることになるかもしれない。これは悲劇だ」「被災者である県民自身が遺伝的影響の存在を信じているようだと、『福島の者とは結婚するな』と言われても全く反論できないし、子供たちから『私たち結婚できないの』と問われて、はっきり否定することもできない」(132〜133ページ)と。
     清水氏の言う通りであれば、福島県民自身が、また障害者とその親たちが、「遺伝的影響があると信じている」という原因から、差別されても「全く反論できない」「否定できない」という結果になるということである。これは「遺伝的影響の存在を信じる」なら差別されても仕方がないという見解であり、障害者に対して差別を行う者あるいは差別を生み出す社会制度の側にではなく、差別を受けている障害者とその家族の側に、その考え方や心理の方に、差別が生まれる原因があるという主張である。つまり、差別者の側ではなく被差別者の側に「落ち度」があるというのであり、「障害者差別だ」と批判されて当然の発言である。
     この批判は厳しかったのか、清水氏は次のように言い訳をする。「私は、障害をもって生まれること、あるいは障害者を子に持つことが不幸だとは言っていません。それを自分の落ち度だと思い込んだり、人を恨み続けたりすることが不幸だと言っているのです」(135ページ)。
     この発言は、その通りに読めば、「不幸」の原因は、障害をもって生まれてきたという客観的な事実ではなく、「(避難しなかった)自分の落ち度を責めたり」「(事故を起こした)人を恨み続ける」と考えている、障害を持って生まれた人とその親たちの心の持ち方と精神的な態度にある、言い換えれば、「不幸」の責任は障害者本人と親たちの側にあるということになる。「(事故を起こした)東京電力や政府に対する怨念や憤怒」をもって「恨み続ける」から「不幸」になるなのだということである。自分の「不幸」を自分でつくり出しているのだというのである。ただ清水氏には、この議論をさらに突き詰めて、住民が「東京電力や政府に対する怨念や憤怒」を捨てれば「幸福になれる」、「遺伝的影響はないと信じる」ようになれば「差別を受けることはない」と、はっきり言い切るだけの自信も勇気も根拠もない。これによって議論は分かりにくくなっているが、要するにそう言いたいのである。
     清水氏は続けて「自らの、あるいは家族の一員の障害と向き合い、受け入れるのは大変なことですが、天から与えられた試練と厳粛に受け止めるしかありません」(135ページ)という。つまり、障害者が生まれることは、事故を起こし被曝を引き起こした「人」の責任ではなく、人を超越した「天」すなわち神の意思なのだから、神の与えた「試練」として「厳粛に」「受け入れよ」、要するに「堪え忍べ」というのである。
     言い訳できなくなった清水氏は、最後には、「反原発のために奇形児の誕生を待ち望むような傾向こそが、私には障害者差別にほかならないと思えます」と述べ、自分への差別主義という批判を露骨なデマによって反原発運動に転嫁しようと試みている(135ページ)。ここでは、清水氏は「ネトウヨ」的「トンデモ」発言と区別できないまでの悪質な水準に転落している。
     これらの発言は、明らかに障害者とその親たちを、またこれから子供を持とうとする人々を、さらには反原発運動を闘っている広範な人々を愚弄し、誹謗し、中傷し、人間としての尊厳を冒涜するとしか言いようのない暴言である。これは驚くべき転倒した心理主義、倒錯した主観主義であって、かの山下俊一氏の「笑う人には放射線の影響は来ない」という発言と同一の性格である。ここまで来れば、清水氏の発言がいったい誰を救済しようとし、何を正当化しているかは明らかである。このような発言をめぐって「障害者差別だ」という非難が巻き起こり、「ネットで炎上」した(132ページ)としても当然である。
     以上から明らかなように、同書を読めば、我々は福島県住民の「東京電力や政府に対する怨念や憤怒」を感じ、本書のような屈服的傾向に対する住民の強い批判と抵抗と闘いを感じとることができる。我々もまたそこから勇気をくみ出すべきであろう。

    5-4.『理科・社会』的傾向の政治的社会的性格

     著者たちが、「美味しんぼ」攻撃で、安倍首相や政府・環境省と事実上の「共闘」関係に入ったことは、今では「目に見える」事実である。それと並んで、著者たちのうち2人は、行政側に選ばれて原子力行政内部の一定の重要ポスト(1人は「福島県民健康調査検討委員会」の「副座長」であり、他の1人は事故後に「福島大学客員教授」「福島県本宮市放射能健康リスク管理アドバイザー」)を与えられたこともまた、「目に見える」事実である。著者たちは、客観的に、自分たちもまた被曝被害の隠蔽に荷担し有責となったといわれても仕方のない立場となった。
     著者たちが『理科・社会』において展開している見解は、原発をめぐる新しい情勢と著者たちをめぐる政治的社会的諸関係の変化の結果、著者たちの基本的立場そのものが、政府・環境省・行政側へと移行しつつあり、原発事故と放出放射能の結果として現実に被害を受けている広範囲の住民の利益から、また脱原発を願う大多数の国民の利害から、「かけ離れて」行っているのではないか、という重大な疑念を広範な人々の間に生じさせても何の不思議もない内容となっている(133ページで「最悪の御用学者だ、大学から追放せよ」という書き込みもあったと書かれているが、象徴的である)。
     もしも、著者たちにそのような疑念を払拭できる道がまだ残されているとすれば、著者たちが上記のようなポストにありながら「再稼働反対」を掲げて闘うかどうかということだけであろう。

       6.おわりに

     『理科・社会』を通じてくりかえされる言葉がある。それは「目に見える被害はない」という主張である。これは田崎晴明氏の本にも繰り返される言葉である。私たちが不思議に思うのはなぜ「被害はない」と言わずに「目に見える」という修飾語が共通に繰り返されるのだろうか。物理学会誌上でも閾値があるとして山田を批判した稲村卓氏は低線量の遺伝子損傷は他の効果で見えないから閾値があるといった。しかし、「見えない」は「存在しない」とは全く異なることである。他の効果で観測が難しくても存在するものは観測と関係なく存在するのである。本論を通じて議論したように、被害を見るためには不断の努力が必要である。少人数の調査では低線量の被曝被害は見えない。田崎氏の言うように「バタバタと倒れる」ことはないからである。しかし、このような「目に見える」という基準で被害の有無を判定することは、客観的な法則を観測の有無にすり替えることである。ガリレオのように「それでも地球は回っている」というのが科学の精神である。福島原発事故の被害も、誠実な調査が行われなければ「目に見える被害はない」ことになる。見ようとしなければ「目に見える」ことはない。現実に、チェルノブイリ原発事故の被害をめぐる2つの陣営の国際的対立では、「正式の」科学雑誌に「査読」という事前検閲を経て掲載された英語の論文以外は見ない人や信用しない人があり、それらの人には被害は「見えない」のである。科学の進歩のためには「見る」ための必死の努力が必要なのである。野口氏の「10ミリシーベルト以下の被害が明らかになることはないだろう」という言葉は不可知論であり、あくまで真理を探究するという科学の精神に根本的に反する。それ故「目に見える」という実証主義的な言葉は真実をごまかすために用いられていると我々は思う。目を閉じれば福島の悲劇は消えるというわけではない。どんなにつらくても我々は真実を追求しなくてはならない。それが過去、現在、未来の人類に対する我々に課された責務ではないだろうか。真理は長く永遠に人類に貢献するのである。これはまさに「美味しんぼ」の作者、雁屋哲氏の信念であると思う。




      参考文献

    1)児玉一八、清水修二、野口邦和:『放射線被曝の理科・社会』かもがわ出版、2014年
    2)澤田昭二他:『福島への帰還を進める日本政府の4つの誤り』旬報社、2014年
    3)Mathews J Cancer risk in 680000people to computed tomography scans in childhood or ado D et al. lescence data linkage study of 11 million Australians BMJ.346:f2360(2013)
    4)Kendal GM.et al.A record-based case-control study of natural background radiatin and the incidence of childhood leukemia and other cancers in Great Britain during 1980-2006.Leukemia.27:3-9(2013)
    5)石丸小四郎他:『福島原発と被曝労働』明石書店232ページ(2013年)
    6)Eisenberg.M.J.et al.:Canser risk related to low-dose ionizing radiation from cardiac imaging in patients after acute myocardial infarction. CMAJ.183,430-6,2011
    7)J.M.Gould 著、肥田舜太郎他訳、『低線量内部被曝の脅威』原題「The Enemy Within」緑風出版(2011)
    8)原子力資料情報室(CNIC)、澤井正子氏紹介:「原子力発電所周辺で小児白血病が高率で発症―ドイツ・連邦放射線防護庁の疫学調査報告―」
    9)Carl J Johnson et.al: Plutonium Hazard in Respirable Dust on the Surface, Science193, 488-490(1976)
    10)大和田幸嗣、橋本眞佐男、山田耕作、渡辺悦司著:『原発問題の争点』緑風出版、2012年
    11)雁屋 哲:『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』遊幻舎 2015年
    12)「東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌」http://ishtarist.blogspot.jp/)
    13)ラルフ・グロイブ、アーネスト・スターングラス:『人間と環境への低レベル放射線の脅威』肥田、竹野内訳、あけび書房、2011年;The Petkau Effect.
    14)ユーリ・I・バンダジェフスキー著、久保田護訳:『放射性セシウムが人体に与える医学的生理学的影響』合同出版2011年
    15)ユーリ・I・バンダジェフスキー、N・F・ドウボバヤ著、久保田護訳『放射性セシウムが生殖系に及ぼす医学的社会的影響』合同出版 2013年
    16)綿貫礼子編『放射能汚染が未来世代に及ぼすもの』新評論、2012年
    17)Pavel P. Povinec, Katsumi Hirose, Michio Aoyama; Fukushima Accident ― Radioactivity Impact on the Environment; Elsevier (2013)
    18)西原健司ほか著「福島原子力発電所の滞留水への放射性核種放出」日本原子力学会和文論文誌(2012).
    19)津旨大輔、坪野考樹、青山道夫、廣瀬勝巳「福島原子力発電所から漏洩した137CSの海洋拡散シミュレーション」(2011年11月)、電力中央研究所・研究報告:V11002
    20)ここではストールの改訂版の数字を使用したが、初版の数字と大きな違いはない:A. Stohl et al.; Xenon-133 and caesium-137 releases into the atmosphere from the Fukushima Dai-ichi nuclear power plant: determination of the source term, atmospheric dispersion, and deposition; Atmospheric Chemistry and Physics; 2012;
    http://www.atmos-chem-phys.net/12/2313/2012/acp-12-2313-2012.pdf
    21)Charles Lester et al.; State of California Natural Resource Agency California Coastal Commission; 2014;
    22)UNSCEAR; ANNEX J Exposures and effects of Chernobyl accident
    http://www.unscear.org/docs/reports/2000/Volume%20II_Effects/AnnexJ_pages%20451-566.pdf
    23)クリス・バズビー著、飯塚真紀子訳、『封印された放射能の恐怖』講談社(2012年)
    24)津田敏秀;月刊『科学』岩波書店2014年7月号
    25)福島老朽原発を考える会:『政府は被爆者の健康管理体制の抜本的強化を』2015年
    26)白石 草:『ルポ チェルノブイリ28年目の子供たち』岩波書店2014年12月 
    27)A.Romanenko et al.: Urinary bladder carcinogenesis induced by chronic exposure to persistent low-dose radiation after Chernobyl accident.Carcinogenesis 30 1821-1831(2009)
    28)落合栄一郎:『原爆と原発』鹿砦社、2012年 106ページ
    29)落合栄一郎:『放射能と人体』講談社、2014年
    30)津田敏秀:「2014年12月25日福島県『県民健康調査』検討委員会発表の甲状腺がんデータの分析結果」『科学』2015年3月号、0126, 岩波書店、および「2015年2っ月12日第18回福島県『県民調査』検討委員会発表の甲状腺がんデータの分析結果」2015年4月号、0334.
    31)山本英彦:『医問研ニュース』 第467号2014年7月発行,





    [付表]福島県立医科大学付属病院の診療実績統計(DPC包括医療費支払制度統計データより集計)に見る原発事故後のがんを含む疾病の全般的な増加傾向について
                                          2015年4月22日

     付表1は、「『専門医』ナビ」というウェッブサイトに掲載された福島県立医科大学付属病院の2010年度から2012年度までの診療実績統計(原資料は厚労省DPC統計)に基づいて(情報を提供いただいた遠坂俊一氏に感謝いたします)、各病名ごとの増加率を我々が計算したものである。付表2はそこから腫瘍(悪性および良性)だけを抜き出したものであり、それを国立がん研究センターの「院内がん登録」統計における福島県立医大附属病院の数字と比較したものである。
     同サイトに記載されているDPC統計は、事故前と考えてよい2010年度、事故後と考えてよいを2011年度および2012年度だけである。2013年度の数字はまだ公表されていない。この2つのデータの比較分析から、以下の諸点が明らかになる。

    1.福島県におけるがんを含むいろいろな病気や健康障害の全般的な増加傾向

     掲載されている(外傷などを除く)131病名中、事故以前の2010年度よりも事故後2011年度あるいは2012年度に増加した病気は118種類(全体の90%)、変化なしが3種類、事故後に事故以前の水準を超えなかったものが10種類である。ほぼすべての病名について圧倒的な増加傾向にあると評価できる。
     『理科社会』の見解では、福島原発事故によって「目に見える被害は出ない(出ていない)」「健康被害が出る(出ている)という主張は住民の恐怖をあおるものだ」ということである。しかし、我々は、「現実に」目に見える健康被害が出ている事実を、まだその一端だけであるが、この統計によって確認できる。
     我々の見解では、放射線影響の分子生物学的・医学的分析からは「放射線被曝がほとんどあらゆる疾病・健康障害を増加させる」という結論が出てくる。この福島医大の統計からは、「ほとんどあらゆる病気や健康障害の増加」の傾向が福島において現実にはっきり現れていることを確認できる。
     もちろん、このような増加が単に1病院だけの特殊な現象である可能性、福島県立医大病院への患者の集中によって生じている可能性はある。しかし、少なくともがんについては、福島県全体における新規登録患者数に占める福島県立医大病院のシェアーがかなり大きく(20%)、しかもこの間に基本的に変化していない(0.2ポイントの減少)ことから、排除されていると考えられる。

    2.がん・腫瘍の急速な増加・多発

     がん・腫瘍の急速な増加(診療件数で事故前の53.4%増)は明らかである。しかもほとんどの部位について顕著である。
     血液がん・小児がんについては最短潜伏期が短く(それぞれおよそ半年と1年)、ここに見られる増加と放射線との影響は、直接的である可能性が高い。
     最短潜伏期間が4年間と長い固形がんについても、放射線が、がんの細胞レベルでの発生(イニシエーション)をもたらすだけではなく、潜伏期のがんの進行(プロモ―ション)を促し、発症を促進するという見解(ロザリー・バーテル氏、米国科学アカデミーBEIR擦覆鼻砲提起されており、今回の統計はその正しさを示唆しているといえる。
    甲状腺がんは1.7〜2倍に増えているが、これに県民調査による小児がんが含まれているかどうかは、不明である。

    3.2つの統計の比較、「院内がん登録」統計が「操作」されている疑惑

     他方、国立がんセンターの「院内がん登録」統計では、福島県立大学附属病院においても、福島県全体においても、このような、ほぼ全般的ということのできるがんの急増傾向は記録されていない。同統計では、がん患者数は 2011年には減少(5%減)し、2012年には対2010年比で多少増加している(6%増)。
     おそらくDPC統計の方が、健康保険の支払いに関連するので、相対的に実態に近く確実性が高いであろうと考えられる。しかし2つの統計の傾向があまりにも違うので、「院内がん登録」統計の方は、少なくとも福島県立医大病院について(おそらくは福島県全体について)何らかの形で「操作されている」可能性が疑惑として否定できないと考えるほかない。

    4.心臓疾患の急増が明らかに

     福島県立医科大学付属病院の診療実績(DPC)統計には、福島県における心臓疾患(心不全と急性心筋梗塞合計で約3倍)、白内障(約2.3倍)などの急速な増加もまたはっきり示されている。これらも何らかの形での放射線被曝の影響としか考えられない。

    5.先天性奇形の増加など「放射線の遺伝的影響」の可能性もはっきりと現れている

     またDPC統計では、新生児疾患や先天性奇形(1.5〜3倍以上)の増加の一端もはっきりと示されている。これらは福島原発事故による放射線の影響である可能性が十分考えられ、「放射線の遺伝的影響はない」と頭から決めてかかる『理科・社会』の見解の虚偽を暴くものとなっている。

    6.今後の検討課題と共同した研究の呼びかけ

     地震や津波の影響および震災ストレスなど社会的要因との交絡あるいは複合効果、福島県下の他の病院統計との比較、避難者の健康統計および低汚染地域の病院などとの比較は、これからの課題である。
     皆さまがぜひこのDPC統計に注意を払われるよう訴えたい。同統計は、厚労省のホームページに記載されている。
    http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000049343.html

    付表1 福島県立医科大学付属病院の診療実績(DPC)統計とその増加率


    注記:外傷を省略した以外は原表のままである。増加率は筆者の計算である。減少の場合には倍率に下線を引いてある。(11/10)と書いてある数字は2011年度の2010年度に対する倍率である。2011年(度)に2010年度より増加したが2012年(度)に2011年(度)よりも減少した場合に記載してある。原表で数字の記載のない「―」は0〜9の表記であり、ここでは「9以下」と記載した。明らかに病名の分類の変更があったと思われる箇所には、その可能性を記載をしてある。
    出典:「『専門医』ナビ」のウェッブサイトにある「福島県立医科大学附属病院」のページより。
    「DPC(包括医療費支払制度)統計データより集計」と記載されている。
    http://www.senmon-i.com/detail/0701907_9.html


    付表2 主要ながん・腫瘍の動向――AはDPCによる診療実績統計(年度)、Bは「院内がん登録」統計(暦年)

    ・AとBとでは病名分類が異なるので直接に数を比較することは困難な場合があるが、増加倍率(右端の列)は比較可能である(下線は減少を表す)。
    ・DPC統計では悪性腫瘍(がん)と良性腫瘍を合体させた病名分類(腎腫瘍、膀胱腫瘍など)があるので、両方を記載した。またこれによって、この両者間の配分によりがん発症数が人為的に操作されている場合、不自然な数字になることが明らかになる。
    ・Aは付表1より作成。注記も付表1を参照のこと。
    ・Bは「院内がん登録」統計より作成。国立がん研究センターのホームページにある。
    http://ganjoho.jp/professional/statistics/hosp_c_registry.html
     
    [分析]
    両統計で増減率が比較可能な21種類のうちで2010年〜2012年に
    1.DPC統計(A)、「院内がん登録」統計(B)ともに増加しているがん
     増加率がA>Bのがん:肺、胃、結腸、直腸、胆嚢・胆管、膵臓、骨・軟部、皮膚、甲状腺、膀胱、前立腺、
     増加率がA<Bのがん:なし
    2.DPC統計(A)で増加、「院内がん登録」統計(B)で減少しているがん
                :口腔・咽頭・喉頭、食道、肝臓、腎臓、子宮、リンパ
    3.DPC統計(A)で減少、「院内がん登録」統計(B)で増加しているがん
                :なし
    4.DPC統計(A)、「院内がん登録」統計(B)ともに減少しているがん
     減少率がA>Bのがん:なし
     減少率がA=Bのがん:脳、白血病
     減少率がA<Bのがん:乳房、その他

    以上、「院内がん登録」統計について、増加率を小さくする方向で何らかの統計外のバイアスがかかっていると疑わざるを得ない数字になっている。少なくとも、操作の可能性を示唆するか、その疑惑を否定しがたい数字になっていると言わざるをえない。

     



    [資料1]
    児玉一八、清水修二、野口邦和著『放射線被曝の理科・社会 四年目の「福島の現実」』
    かもがわ出版(2014年12月刊行)について

    ――市民と科学者の内部被曝問題研究会会員の皆さまへの呼びかけ

    山田耕作 渡辺悦司
    2015年3月25日


     私たちは、原発と被曝に反対して闘っておられる皆さまに、上記の書籍について最大限の注意を払うように呼びかけます。
     この本は、福島原発事故の結果としてがん、鼻血、下痢、遺伝障害など「目に見える」健康被害は出ないと評価し、それに対して脱原発の側が被害を「誇大に言い立て」ていると主張し、さらにそのような「被害が大きければ大きいほどよい」という脱原発側の傾向こそが被害者の「不安をあおり」「多大なストレスを与え」て「放射線以上に」「福島の人々を苦しめている」とまで述べています。同書は、政治的性格が極めて強く、危険で深刻な内容を含んでおり、著者たちが真意をいかに説明しようとも、原発と原発事故によって生じた放射線被曝とくに低線量・内部被曝の危険性を指摘し訴える人々全体に対する、最も控えめに表現しても虚偽の言説によるいわれなき不当な攻撃であると言わざるをえません。現在、政府と原発推進勢力は、福島原発事故によって放出された放射性物質による健康被害を全面的に否定し、重大事故が生じて被曝しても何の被害も問題もない、健康影響が生じているとしても原発事故とは何の関連も確認できないと強弁し、将来の重大事故の発生をいわば前提にして、この夏から原発を次々再稼働し、もんじゅや核燃料サイクルさらには最終処分場建設や原発新増設も含めて、原発を強行的に推進しようとしています。このような切迫した情勢の下で、政府・原発推進勢力と真正面から闘うべきまさにその時に、このような本がしかも脱原発の内部から出版されたことは、衝撃であり、極めて遺憾であるのみならず、事態を深く憂慮せざるをえません。いま、脱原発を望み被曝の危険性に注目するすべての人々が、同書の内容を共同して検討し、批判し、それに反論する必要があると考えます。皆さまが、ぜひともこの点にご配慮いただくよう要請いたしたいと存じます。
     同書の内容の簡単な紹介に入る前に、著者集団について言及しておきます。著者たちは、3名とも日本科学者会議原子力問題委員会の委員および委員長と記されています。そのうちの1人(清水氏)は「福島県民健康調査検討委員会」の「副座長」であり、他の1人(野口氏)は事故後に「福島大学客員教授」に就任するとともに「福島県本宮市放射能健康リスク管理アドバイザー」を務めているとされています。その意味で、同著者集団(少なくとも2人)は、被曝問題において基本的には行政側の当事者でありインサイダーでもある点を指摘しておきたいと思います。
     同書の社会的・政治的性格(著書の題名によれば「社会」の側面)に関わる基本的主張の概略は以下のとおりです。煩雑にはなりますが、できるだけ原文を引用することにし、私たちのコメント([ ]内に記載)はできるだけ少なくします。科学的な(「理科」の側面の)検討は別項に譲ることといたします。

    1.福島原発事故によってがんや病気が目に見えて増えることはないという主張
     「福島原発事故では、放射線被曝による病気が生じるかどうかは『これからの問題』です」が「将来、被曝による病気が生じない可能性があると私は思っています」(6ページ)。「福島第一原発事故によって福島県民の皆さんがあびた放射線量と、そういった線量域で細胞の中で起こることをふまえると、放射線被曝によってがんになる人が目に見えて増えることはないだろうと私は考えています」(55ページ)。「私は福島原発事故に起因する放射線被曝によってがんになる人が目に見えて増えることはないだろうと考えています」(173ページ、この主張はそのほか176ページなど、何度も繰り返されている)。

    [この点で同書は、国連科学委員会および日本政府の見解と同一である。これらはICRPの集団線量の概念さえも否定している。「目に見えて」という限定詞の具体的な意味は説明されていない。このことから、がんは、被曝によっては「目に見えないほどわずかに」増えるだけであって、現実にがんが「目に見えて大きく」増えた場合には、それは放射線被曝によるものではないとする回避的論理が示唆されているのかもしれない。]



    2.福島原発事故の規模はチェルノブイリ事故に比較して極めて小さい(70分の1から数千分の1を示唆)という主張
     同書は「国連科学委員会2013年報告書」を引用して「チェルノブイリ原発事故の大気放出量と比較すると、福島原発事故ではヨウ素131は10分の1、セシウム137は5分の1と推定されています。これから、福島原発事故ではチェルノブイリ原発事故の10分の1または5分の1の放射性物質の放射能が放出されたと考えるとすれば間違いであり、チェルノブイリ事故を著しく過小評価することになります。あるいは福島原発事故を著しく過大評価することになります」と述べる。具体的には、「ストロンチウム90はチェルノブイリ原発事故の70分の1、プルトニウムは数千分の1と推定されています」として、日本政府や国連科学委員会のようにセシウムとヨウ素を中心としたスケール(INES)ではなく、ストロンチウムやプルトニウムの放出量をベースにすべきであり、福島事故はチェルノブイリの70分の1から数千分の1の規模と評価すべきであると示唆している(73〜74ページ)。「福島第一原発のごく近傍を除けば、ストロンチウム90沈着量は過去の大気圏内核実験のフォールアウト由来のストロンチウム90沈着量と大きな違いはなく問題にならないと考えてよいでしょう」(79ページ)。「福島原発事故によりプルトニウムが放出されたことは間違いのないことですが、その沈着量は同原発近傍であっても過去の大気圏核実験由来のプルトニウム沈着量と大きな違いはなく、すでに述べたストロンチウム90の場合と同様に決して問題になるものではありません」(81ページ、ほかに44ページも)。

    [著者たちは、こうしてセシウム137・134の危険性を無視しており、セシウムによって促される心臓疾患の増加についても、とくに福島における心筋梗塞による死亡率の急速な上昇(日本で最高である)についても、まったく取り上げていない。また甲状腺がんの議論においても、ヨウ素131放出量(同書に引用されているデータによっても福島事故は最大でチェルノブイリの約3割になる)にまったく触れていない。福島の放出量を低く印象づけるために、恣意的に放出量の少ない核種を選んだ可能性が否定できない。しかも、プルトニウムとストロンチウムについても過去の核実験由来の残存沈着量と同程度の降下量が「問題になるものではない」というのだから、福島だけでなく核実験の残存放射能も「問題になるものはない」というのである。「問題になるものではない」という表現も曖昧であるが、結局、「被害が出ない」という意味付与をしているようである。著者たちは福島原発事故によって放出された放射性物質が全体として「問題になるものではない」すなわち「被害は出ない」と評価している、と考えざるをえない。また、汚染水中に流出した、あるいは海水中に直接流出した、放出量も無視されている。福島原発事故による放射性物質の放出量およびヨウ素131の放出量については、私たちの論文を参照いただきたい。論文は http://blog.acsir.org/?eid=29http://blog.acsir.org/?eid=35 から見ることができる。]



    3.内部被曝は問題にならないという主張
     「内部被曝は、事故直後から食品の放射能監視体制を整備して検査にあたってきた日本ではほとんど問題になりません」(83ページ)。「福島県内といえども、避難指示地域を除く居住地域においては食品の摂取に起因する内部被曝は問題にならないといってよいのではないでしょうか」(123ページなど)。呼気による放射性微粒子の吸入についても、「ホットパーティクルによる(内部)被曝と発がんとの因果関係に否定的な結論が下されています」「ホットパーティクル説は疫学調査により否定されたと思います」(いずれも43ページ)。「粒子状であるから特段に危険になる理屈はないと思っています」(46ページ)。

    [放射性微粒子とその健康影響の問題については、以下のサイトにある私たちの論文を参照のこと。http://blog.acsir.org/?eid=31



    4.福島の被曝量では鼻血は出ないという主張
     「鼻血が出た人はいるだろうし、もしかしたら増えていたのかもしれません。問題は『被曝によって鼻血が出た』のかということです」(61ページ)。「どれくらいの放射線をあびると、血小板の減少にともなって鼻血が出るなどの症状がでるようになるのでしょうか。… 血小板がほとんどなくなるのは、かなり大量に放射線を浴びた時です。どのくらいの被曝かというと、2Sv(2000mSv)以上と言われています」(63ページ)。下痢については「7〜10Svという大量被曝です」(68ページ)と述べた後に、「福島原発事故による被曝で鼻血も下痢も起こらないことは明らかです」(69ページ)。

    [致死量に近いほど大量の放射線を浴びるのでなければ、鼻血も下痢も起こらないというのである。]



    5.福島原発事故により遺伝的障害は生じないという主張
     山下俊一氏や今中哲二氏ら「50人の専門家」による広島・長崎の被曝二世の調査結果では「親の放射線被曝の影響は確認されなかった」となっており、「50人の研究者が共謀して真実を隠蔽していると考えるような政治的ないし党派的な見方をしない限り、この調査結果の信憑性を否定すべき理由はありません。瞬間的に高い被曝線量を浴びた被曝者のケースにあってさえそうであるならば、長期間にわたって低線量放射線を被曝している福島の被災地ではなおさら、遺伝的障害を心配する根拠は希薄だと言うべきです」(134ページ)。

    [(ここにはコメントはついていなかったが、それは、「『ミスター100ミリシーベルト』こと山下氏の報告書を信じて遺伝的障害はないと考えろ」という見解の危険性は指摘するまでもないという趣旨であった。質問があったので再録に当たり追加したい。)]



    6.低線量の確率的影響は「分かっていない」、だから「分かっている」高線量の確定
    的影響だけを認めるべきだという主張

     「高線量の放射線被曝が急性障害を引き起こすケースにあっては議論の生じる余地はほとんどありません。しかし低線量被曝の影響となると…なかなか見解の一致を見ることができません。…マスコミなどでは、この件(放射線の影響)については『分かっていない』という扱いにするのが一般的です。…ジャーナリズムで『分かっていない』という言葉が好んで使われる理由は、ひとつにはそう言っておけば何の責任も生じないからでしょう。もうひとつの理由は『分かっていない以上、リスクを大きく見込んで対処するのが正しい』という主張が、そこに成立するからだと思います」(8ページ)。「住民が迫られているのは、大きなマイナスと小さなマイナスとの(放射線被曝のリスクと住民避難にともなうリスクとの[どちらが大でどちらが小かははっきりしない])間の選択です。…そのときに頼みの専門家が『分かりません』では困るのです。『分かっていない』で済まされるんだったら世の中に学者なんかいりません。学者の仕事は『どこまで分かっていて、どこからが分かっていないか』を明瞭に示すことです」(9ページ)。「まだ分かっていなくて論争が続いているのは、低線量領域での確率的影響についてです。…すでに分かっていることまで無視して、『分かっていない』と片づけるのは、科学の冒涜であり、福島原発事故の被災者の不安を煽るものでしかありません」(69〜70ページ)。

    [この議論は、「(すべてが)分かっていない」とするジャーナリズムの見解を批判する形で展開されており、極めて曖昧で分かりにくいが、要するに、高線量被曝による確定的影響だけを「分かっている」として認め、低線量被曝による確率的影響は「分かっていない」のだから提起してはならない、それにもかかわらず低線量被曝による確率的影響を提起する者は、「分かっていないこと」をことさらに論じて「被害を誇大に言い立てている」のであるという主張であるようにしか読めない。また「予防原則」もこの議論の中でジャーナリズムの無責任な態度として「福島原発事故の被災者の不安を煽るもの」として否定されている。結局、被曝の問題はすべて、「分かっていない」低線量被曝を排して「分かっている」高線量被曝による確定的影響に還元すべきであるということになるのだが、さらに同書では、この「分かっていない」がいつの間にか「影響がない」ということにされる。文面では「閾値なし直線(LNT)モデル」を認めているが、実際には高線量と低線量の境界で「閾値」が設定されていることになる。また著者たちは、避難中に死亡した「関連死」と被曝との関連を認めておらず、それを主に避難にともなうストレスによって説明し、ジャーナリズムと脱原発派が低線量放射線の危険性を強調し住民の避難を求めていることも「関連死」の一因だと示唆している(159ページ)。]



    7.福島でいま生じている小児甲状腺がんは放射線被曝に起因するものではないという主張、
      および被曝による小児甲状腺がんは事故後10年間は出ないという主張

     「(小児甲状腺がんが)ベラルーシでは…小さな子供に集中して発症していることが見てとれます。…(これに対し)福島では5歳以下の患者は1人も出ていないのです。このことを持ってすれば、いま福島で見つかっている小児甲状腺がんは放射線被曝に起因するものではないと言ってまず間違いない、と私は判断します」(156ページ)。「被曝が原因で甲状腺がんが発症に至るまでに要する期間に関しては…平生からヨウ素の摂取量の多い日本人であればおよそ10年を要するということです」(157ページ)。「事故から10年後に、事故当時幼かった子供たちの甲状腺がんも当然ふえるでしょう。それが被曝の結果なのかそれとも無関係なのか…福島事故では被曝量が小さいぶん、その判断が難しくなるでしょう」(157ページ)「数千人の子どもが甲状腺がんになるということは、日本ではあり得ないと予想して差し支えないと思います」(158ページ)。

    [著者たちによれば、小児甲状腺がんの潜伏期間は10年であるが、「10年後に」小児甲状腺がんが増えたとしても被曝が原因かどうかはおそらく判断できないであろうというのである。ちなみに、アメリカ疾病予防管理センターによると小児甲状腺がんの潜伏期間は1年である。この点についても私たちの放射性微粒子に関する論文を参照のこと。http://blog.acsir.org/?eid=31 同書が採用しているヨウ素131放出量とLNTモデルからは、同書の引用している放出量をベースにしても、チェルノブイリのおよそ2割から3割程度のがんが発生する可能性があることは容易に推測されるが、この点はまったく伏せられている。]



    8.県民調査の信頼を落としたのはマスコミの罪だという主張
     「(県民健康調査について)マスコミの批判の『罪』のほうは、専門家に対する信頼を回復不能なまでに失墜させてしまったことです。調査の内容や結果を冷静にどう見るかという以前に、調査そのものに対する不信感が、一種の先入観として社会に根を張ってしまいました」(152ページ)。「概して危険を重視するサイドにマスコミや世間の同情は集まり、リスクを甘受せざるを得ないと判断して生活しているサイドはまるで加害者であるかのような視線を浴びることさえあります」(185ページ)。

    [県民調査の信頼が失墜したのは、あくまで放射線の影響を認めない「専門家」の方ではなく、マスコミが批判したことに責任があるというのである。]



    9.被曝問題では原発賛成の人々の見解が科学的であるという主張
     「(私たちは)原子力発電に対して明確に批判的な立場に立っている」(5ページなど)が、「健康被害の有無・大小の問題は、原発の是非の問題とは切り離して客観的・科学的に論じなければならない」と言う。「私(同書著者)自身ははっきりと原発には反対の立場なわけですが、放射線の問題については、原発賛成の立場の人とも科学的な見解を共有することがあっても何ら問題ないと考えています」(177ページ)。

    [これも曖昧である。この表現は、原発賛成の立場の人の主張にも「科学的な見解」が一面的あるいは断片的にではあれ含まれている場合がありうるという内容とも解されるが、そのような自明の理をわざわざ一般的に確認しているだけであるとは考えられない。また、「原発賛成の立場の人」には、当然、安倍首相も自民・公明政権も経産省も環境省も電力会社や原発メーカーも含まれることになる。したがって、著者の述べている通りだとすると、放射線被曝の問題については、著者たちが「見解を共有」しているのは、安倍政権と原発推進勢力とであり、政府と原発推進勢力の見解こそが「科学的」であると認めて「何ら問題ない」と考えていることになる。また次に見るように、実際に、国連科学委員会の健康被害は「ない」という福島事故評価(したがって日本政府の評価)を高く評価している。]



    10.脱原発派が、被害が「なかった」と言ってほしいと願う被害者の「心情」からかけ離れ、
      放射線被曝の影響を「誇大に言い立てている」という主張

     「原発の再稼働に反対しそこからの撤退を求める人たちの中に、放射線被曝の影響を誇大に言い立てる傾向が顕著です。…それ(こうした傾向)は被害者の心情からかけ離れています。低レベル放射能の汚染地域に多くの人々が現に居住しています。それらの人々は、放射線の健康被害については『なかった』という形で決着することを心から願っています。それは当たり前のことです。ですから、たとえば世界保健機関(WHO)や国連科学委員会(UNSCEAR)が福島事故の放射線影響に関して比較的楽観的な観測をしているといった報道は、福島に居住している多くの人々にとって朗報です」(7ページ)。「国連(科学委員会)イコール推進派という政治主義的な公式だけで一刀両断にするような行為は正しくありません。あまりそういうことばかり言っていると『反原発派は福島の被害が大きいことを望んでいるのか』と被害者の反発を買うのは必至です」(7ページ)。「脱原発を実現するために放射能被害は大きくなければならないという歪んだ発想を、捨てるべきだということです。そのことをはっきりしない限り、『反原発』はいつまでたっても被災者の心からの支持を得られないでしょう」(136ページ)。「原発に賛成する人たちも反対する人たちも、同じテーブルについて肝を据えた議論を行う必要があると思います。このことを行う上で大きな壁になっているのが、(反原発の人々にある)「『放射線影響が大きければ大きいほど脱原発にとって都合がいい』という心理です」(177ページ)。

    [脱原発の立場に立つ人々は、福島事故による被害が「現実として」大きいということを主張しているのであって、決して「被害が大きいことを望んでいる」とか「被害が大きければ大きいほど都合がよい」と主張しているのではないことは明白である。著者たちの主張は、明らかに脱原発・反被曝の運動に対する虚偽の非難であり、誹謗中傷と言っても過言ではないであろう。他方では、著者たちは、願望と真実とを取り違え、真実であってほしいと願っていることを真実そのものと思い込みあるいは人々に思い込ませようとし、欺瞞と自己欺瞞に陥り、それによって真に責任を問われるべき東電・政府・原発推進勢力を免責し、賠償や裁判その他における被害者の真の利害に背反し、かえって被害者の素朴な心情をもてあそぶ結果をもたらしていると批判されても仕方がないであろう(135ページで著者たち自身がこれらの批判に直面していることを認めている)。]



    11.福島の健康被害の主因が脱原発運動側にあるという主張
     「いま福島の人々を苦しめているのは、事故による放射線そのものである以上に、放射能の影響に関する見方の差から生まれるさまざまな対立や摩擦です」(185ページ)。「チェルノブイリ事故にともなう健康被害や死亡の原因を、放射線被曝よりも『放射線への恐怖』に求める見解があります。放射線への恐怖が過度にあおられたせいで、あたら落とさなくてもいい命を落としたり、生活が荒れて病気になったりした人がいっぱいいるという『情報災害』への警告です。これがどの程度あたっているか明確には判断できませんが、福島の経験からしても、十分にあり得た話というべきでしょう」(159ページ)。

    [すなわち、著者らは、「福島の経験」では、脱原発運動による反被曝の主張こそ被災者の健康被害や死亡の主因であるとする見解が「あたっている」というわけである。その通り読めば、福島事故による健康被害や死亡は、放射線被曝「よりも」、放射線被曝の危険性を指摘する人々が主要な原因であるという主張になっている。また上記の内容と合わせると、著者たちのいう「原発賛成の立場の人」には当然安倍首相も自民・公明政権も経産省も環境省も電力会社や原発メーカーも含まれるのであるから、放射線被曝の問題については、著者たちは、安倍政権と原発推進勢力と「見解を共有」し、それに基づいて健康被害の主因であるところの、脱原発の内部にある「放射線被曝の影響を誇大に言い立て」「放射線への恐怖を過度にあおる」傾向に対し、政府や原発推進勢力と共同して対抗するとしても「何ら問題がない」と読まれても仕方のない表現になっている点に、とくに読者の注意を喚起したい。しかし、このような虚偽の論理によっては、「美味しんぼ」批判の際にはっきり現れたような、著者たちと安倍政権との間の、「風評被害防止」を名目とする、脱原発運動とそれに近いジャーナリズムを攻撃するための協力関係を正当化することはできない。]



    12.国民的議論の結論であれば原発推進の容認もあり得るという主張
     同書は、「原発をどうするのか、…エネルギーや電力をどうするのか、国民が肝を据えて議論しなければならない」「原発に賛成する人も反対する人も、腹を割って真剣に議論して、もう十分にものは言った、だから結論は自分の最初の思いとは若干違っているかもしれないが、みんなで議論して決めたのだから最終的にはその結論を尊重する」「最終的に出た結論で手を握れる」(176ページ)と述べている。

    [つまり自分たちは「原発に反対だ」と言いながら、条件によれば(つまり国民的な議論の結果原発推進が決まるならば)原発推進での協力もありうると示唆しているのである。]



     以上が同書のざっと見た概略ですが、どうか原著にあたってご確認いただき、ご検討くださるようお願いいたします。
     ただ、お読みになる際の注意点として、同書の記述上の特徴が、一貫して、概念を明確に規定せず、あいまいなままに議論し、自分の依拠する典拠をはっきり明示せず、さらに他者を批判する際には、自分が批判する対象の文章をそのまま引用せず、自分が少し極端化したり、ゆがめて紹介し、それを批判する傾向にあることなどに留意していただければよいかと思います。たとえば、概念の曖昧さについては「目に見えて増えることはない」「問題になるものではない」「分かっていない」などのところですでに述べました。典拠の不備の一例としては、何の典拠も示さずに「2ミクロンぐらいのセシウムボール」は「大部分が鼻腔粘膜にはほとんど付着することなく」したがって「鼻血が起こることはない」と断定している箇所(46ページ)があります。「鼻腔粘膜にはほとんど付着しない」という点は明らかに事実と異なります(私たちの放射性微粒子に関する前掲論文をご参照ください)。また、歪曲の例としては、内部被曝の強さが距離の2乗に反比例するという議論があります。著者らは、内部被曝を強調する人は「距離ゼロまでそれを用いて無限大の強度としている」と批判しています(41ページ)。しかし極限として例を示すとしても、誰も原子や細胞の大きさより小さい距離をまじめに議論することはないと思われるにもかかわらず、一面化して戯画化してみせるのです。
     お読みいただきご検討いただければ、この本の持つ危険性はおのずと明らかになると思います。ご検討や議論の結果など、ぜひお知らせいただければ幸いです。

     


     
    [資料2]
    ジョン・D・マシューズほか「小児期および成育期にCTスキャンを受けて被曝した68万人におけるがんリスク:1100万人のオーストラリア人のデータリンケージ研究」――「概要」および「考察」の部分の訳

    原著名:John D Mathews, et. al.;Cancer risk in 680 000 people exposed to computed tomography scans in childhood or adolescence:data linkage study of 11 million Australians;BMJ 2013; 346
    出典:http://www.bmj.com/content/346/bmj.f2360

       概 要

    研究目的:診察においてCTスキャン(コンピューター断層撮影)を受けたことによる低線量イオン化放射線被曝が小児および若年層にもたらすがんリスクを評価すること。

    研究デザイン:オーストラリアにおける住民ベースのコーホート・データリンケージ研究。

    コーホートの構成員:1985年1月1日に0〜19歳であったか1985年1月1日と2005年12月31日の間で生まれた1090万人の人々を、オーストラリア国民健康保険(メディケア)の記録から特定した。さらに、このコーホートに対する、1985〜2005年の期間にメディケアの保険金支給により行われたCTスキャンによる被曝事例(exposures)をすべて特定した。2007年12月31日までにコーホートの構成員が受けたがん診断は、国民がん登録へのリンケージを通じて得られた。

    主要な帰結:CTスキャンによって被曝し、その1年超後に何らかのがんと診断された個人のがん発生率を、被曝していない個人のがん発生率と比較した。

    結果:6万674人のがんが登録されていたが、その中にはCTスキャンを受けて被曝した68万211人のうち、何らかのがんと診断される1年以上前にCTスキャンを受けていた人が3150人含まれていた。被曝後のフォローアップの平均継続期間は、9.5年であった。全ガン発生率は、年齢・性別・出生年調整後で、被曝していない人々の発生率よりも24%大きかった(発生率比IRRは1.24、95%の信頼区間では1.20〜1.29、P<0.001)。線量反応関係を見ると、IRRは1回のCTスキャンが追加されるごとに0.16(0.13〜0.19)増加していた。IRRは、被曝時の年齢が若ければ若いほど大きかった(トレンドに対してP<0.001)。最初の被曝からの経過年数が1〜4年、5〜9年、10〜14年、15年以上について、それぞれ、IRRは1.35(1.25〜1.45)、1.25(1.17〜1.34)、1.14(1.06〜1.22)、1.24(1.14〜1.34)であった。IRRは、多くの種類の固形がん(消化器、メラノーマ、軟部組織、女性生殖器、尿路、脳、甲状腺)について、また白血病、脊髄形成異常、若干の他のリンパがんについても有意に増加した。608件のがんがCTスキャンに被曝した人々に過剰に生じた(脳腫瘍147件、その他の固形がん356件、白血病・脊髄形成異常・その他リンパ腫48件など)。すべてのがんについての絶対的過剰発生率(absolute excess incidence rate)は、10万人あたり9.38であった(2007年12月31日現在)。1回のCTスキャンにつき被曝する平均実効線量(average effective radiation dose per scan)は、4.5mSvと推定された。

    結論:このコーホートにおけるCTスキャン被曝後のがん発生率の増加は主として被曝によるものである。がんの過剰発生はフォローアップ時期の終わりの時点でまだ続いており、CTスキャンによる最終的な生涯リスクはまだ確定することができない。現在のCTスキャンからの被曝線量は1985年〜2005年当時のレベルより低い可能性が高いが、そのようなCTスキャンであってもがんリスクの一定程度の上昇(some increase in cancer risk)がある可能性が高い。今後CTスキャンは、それぞれのスキャンを最適化(optimised)して可能な限り低い被曝線量で診断に必要なCT画像を提供できるようにするとともに、明確な臨床症状(definite clinical indication)がある場合に限定するべきである(should be limited)。

       考 察 

     本研究は、現在までのところ最も大規模な住民ベースの医療診断放射線被曝(diagnostic medical radiation exposure)の研究である。本研究はまた、低線量被曝に関して、原爆被爆者の研究から得られたよりもさらに多くの情報を与えるものである。本研究が示しているのは、幼児期および成育期に受けたCTスキャンが、その後、全がん合計についておよび多く個々の種類のがんについて、がん発生率の上昇を結果としてもたらすということである。ただし、現在までのフォローアップ期間に見られた過剰ながんの全部がCTスキャン起因のものであったかというと、必ずしもそうと決めてかかることはできない(We cannot, however, necessarily assume that all the excess cancers seen during the current period of follow-up were caused by CT scans)。なぜなら、CTスキャンをおこなうという判断は、医学的に根拠となる症状に基づいており、無作為に行われたとはいえないからである(because scanning decisions are based on medical indications and are not allocated at random)。したがって、われわれは、因果関係が逆である(reverse causation)可能性を排除できない。すなわち、(遺伝的条件を含めて)前ガン症状があるか、もしくはがんそのものの初期症状があり、それによってCTスキャンが行われることになった可能性もある。このような逆の因果関係が存在した可能性の最も高いがんは、脳のCTスキャン後に生じた脳腫瘍であろう。この場合、低悪性度のがん(low grade cancers)があり結果として(がんの)徴候がすでにあって、それによりCTスキャンによる検査が行われ、その数年後に最終的にがんという診断が下されたのかもしれない。したがって、われわれは、脳のCTスキャンの後に生じた脳腫瘍を除外して、主要な分析を再度行ったが、これによって全体的な結果が実質的に変わることはなかった(this did not change the overall results substantially)(表4、5、7、ウェブ上の図E)。若年層においては、脳腫瘍以外のほとんどのがんについて、診断前段階(prediagnostic phase[がんがあってもがんと診断されるまでには至らない局面])が1年以上続く可能性はほとんどなく、まして10年以上続くことは極めてまれである。したがって、本研究において観察された過剰がん発生がすべて逆因果関係によるものであるという説明は成り立たない(reverse causation cannot explain all the cancer excess observed in this study)。
     CTスキャンがそれにより被曝した人々の過剰ながん発生のほとんど(most of the excess cancer)を引き起こした原因であるとする推論は、完全には証明することができない(cannot be conclusively proven)とはいえ、この推論を支持するいくつかの観察結果がある(is supported by several observations)。
     ――脳のCTスキャンの後に生じた脳腫瘍を除外した後でも、CTスキャン回数の増加に伴ってIRRが増加していること(図2[この図のみ以下に記載してある])。



    ――被曝の年齢が低くなればなるほど被曝後の発生率(IRR)がそれに比例して増加していること(表7)。このことはまた原爆被爆者の寿命調査研究(LSS)においても、またより大きな平均線量での被曝後のがんについての他の研究においても確認されている。
    ――固形がんについて、男性患者よりも女性患者の方が絶対的な過剰発生率(EIR)が大きいこと(ウェブページの表D)。このことは他の研究でも確認されている。
    ――CTスキャン部位とがん部位との間に相関関係があること。白血病および脊髄形成異常の発生率(IRR)が、腹部または骨盤のCTスキャンから生じた赤色骨髄の被曝の後、被曝量に比例して大きく増加している。
    ――CTスキャン1回あたり、およびCTスキャンによる被曝線量1単位あたり、全がん(脳CTスキャン後の脳腫瘍を除く)のリスクが、5および10年の遅延期間(潜伏期)を考慮する場合でも、増加していること(表8)。

    注記:同論文のアブストラクトの日本語訳および紹介記事は
    http://trustrad.sixcore.jp/ct_australians.html
    https://www.carenet.com/news/journal/carenet/35058
    などにある。



     
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