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2015.08.30 Sunday

核兵器を廃絶して歪められた放射線被曝の研究体制を正そう  沢田昭二

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    2015年8月

    核兵器を廃絶して歪められた放射線被曝の研究体制を正そう

    2015年8月
    沢田 昭二


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    核兵器を廃絶して歪められた放射線被曝の研究体制を正そう(pdf,16ページ,1531KB)

     
     
    1.原爆被害隠蔽政策に歪められた放射線防護の研究体制
     
     多くの原爆被爆者が放射線による急性症状で悶え苦しんでいた1945年9月6日、マンハッタン計画医学部門の責任者であったトーマス・ファーレル准将は東京で記者会見した。原爆被害の惨状を目の当たりにした海外特派員たちが悲惨な状況について報道を始めたが、ファーレルは、報道によって原爆投下に対する国際非難が強まることを怖れた。彼は「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在、原爆放射能のために苦しんでいる者は皆無だ」と発表した(1)。放射線による影響を認めると、原爆による障害が広範囲に及ぶだけでなく、長期に継続して被爆者を苦しめていることで、核兵器使用の国際人道法上の違反が明白になる。ファーレルは、すでにマンハッタン計画の中の事故や人体実験を通して放射線被曝による人体影響について内部被曝も含めてかなりの知識を持っていたはずで、この記者会見が原爆被害、とりわけこれから取り上げる放射線による人体影響隠蔽の始まりとなった。さらに占領軍は原爆被害に関する報道規制を発令した。この米国の原爆被害隠蔽政策が、放射線被曝影響の全面的解明、とりわけ放射性降下物による内部被曝の影響研究の遅滞につながった。
     米国は1946年、全米X線ラジウム防護委員会に代って全米放射線防護委員会(NCRP)を設置した。NCRPの第二委員会は放射線内部被曝リスクに関する審議を担当したが、内部被曝に関する研究結果の発表は許されず、審議は1951年に打ち切られた。国際的に合意された放射線障害のリスクの基準を示すために、1950年に国際X線およびラジウム委員会の名称を変更して国際放射線防護委員会(ICRP)が発足した。ICRPの各委員会の議長をNCRPの対応した議長が兼ねたので、ICRPは米国の核兵器政策によって大きな制約を受けた。オークリッジ研究所の保健物理部長でICRPとNCRPの内部被曝委員会委員長を20年間務めたカール・モーガン博士は委員会は政治的圧力を受け続けたと著書で述懐している(2)
     1942年1月1日に結成された連合国は、日独伊枢軸国の軍事力を解体すれば第二次世界大戦後は武力行使のない平和な世界が実現できると構想し、勝利が確実になった1945年6月に武力行使を原則禁止する国際連合憲章を制定した。その一方、米国は第二次大戦後の世界では、力をつけてきたソ連を含め核兵器で脅して従属させる方策を立て、原子爆弾を急いで完成させ、日本の降伏直前に広島と長崎に相次いで投下した。核兵器による脅しに対抗してソ連も核兵器を開発し、核軍拡競争を背景にした米ソ冷戦の時代が始まった。この核脅迫政策はソ連崩壊後も続き、70年後の今も国連憲章に反する武力行使が続いている。核兵器による脅迫は最大のテロであり、テロ組織を非人道的だと非難するなら、核兵器を廃絶すべきである。
     核脅迫政策に対して、1950年のストックホルム・アピールの署名運動に始まって核兵器禁止と平和を求める世界世論は大きく発展し、核兵器独占を狙った核不拡散条約の再検討会議を核兵器禁止条約の交渉開始を求める足場に変え、国連事務総長と軍縮担当者、世界の圧倒的多数の国、世界中の自治体と市民の運動が連携して核兵器使用の非人道性に焦点を当てて、核脅迫政策にしがみつく勢力を追い詰めている。核兵器のない世界は放射線影響の全人類的視点に立つ科学的研究体制の基盤となる。


    2.ABCC-放射線影響研究所の疫学研究の欠陥
     
     米国政府は原爆放射線による被曝影響の隠蔽政策をとる一方、米ソ冷戦の中で、核兵器を使用した場合の放射線影響を知る必要に迫られ、トルーマン大統領の指示によって1947年に原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)を広島市と長崎市に設置した。大統領指示の背後には「原爆の効果によって生じた死傷者の研究について、日本で使用された二つの原爆の効果についての研究は、わが国にとってきわめて重要である。このユニークな機会は次の世界大戦まで再び得ることはできないであろう」と書いた軍医科学者の手紙がある。日本政府は1950年国勢調査の付帯調査によって原爆被爆者リストを作りABCCに渡した。ABCCは、広島市と長崎市に在籍する被爆者で寿命調査(Life-Span-Study、LSS)集団を設定し、死亡原因などの疫学調査を始め、さらに成人健康調査(Adult-Health-Study、AHS)集団を設定して健康調査も始めた。
     ABCCの調査と研究は、主として原爆爆発後1分以内に放出された初期放射線による外部被曝に重点を置き、原爆爆発1分以後に放出された残留放射線と呼ばれる放射線による影響は無視ないし軽視している。残留放射線には、初期放射線の中性子の吸収によって誘導放射化された物質から放出されたものと原子雲から降下した放射性降下物から放出されたものがある。前者は、大量に中性子線が照射した爆心地から一km以内に原爆の爆発後に入った被爆者にも影響を与え、後者は遠距離被爆者を含む原子雲に覆われた広い範囲に被曝影響を与えた。
     放射線影響の疫学研究には被曝線量の評価が必要になる。米国は核実験場に日本家屋を建てて初期放射線の遮蔽効果を調べ、爆心地からの距離ごとの被曝線量を求めて、暫定1957年線量評価(T57D)や暫定1965年線量評価(T65D)を作成した。これを用いてABCCは被爆者を初期放射線の被曝線量ごとに区分し、がんなどの死亡率や発症率の疫学研究を進めた。1975年、ABCCが閉鎖され、日米共同運営の放射線影響研究所(放影研、Radiation Effects Research Foundation、RERF)が発足したが、スタッフと初期放射線影響に重点を置く研究計画はそのまま引き継がれた。
     T65Dは長崎型プルトニウム原爆だけを用いた核実験に依存したため、ウランの広島原爆の被曝線量評価に大きな食違いがあることが判明した。大型計算機の登場によって原爆放出の放射線の伝搬計算が可能になり、原爆放射線被曝線量1986年評価体系(DS86)がつくられ、疫学研究の線量評価に用いられるようになった。
     被爆者の被曝影響に関する疫学研究では、本来全く原爆放射線に被曝していない非被爆者集団を比較対照群に設定して被爆者と比較すべきである(3)。ところがABCCとこれを引き継いだ放影研の疫学研究は、初期放射線被曝が無視できる遠距離被爆者と、原爆の爆発後に市内に入った入市被爆者を比較対照群としてきた。これは初期放射線だけの被曝影響を求めるABCCの設立方針に即している。ABCC-放影研が被爆者同士を比較している問題は、市民と科学者が協力して開催された1977年NGO被爆問題国際シンポジウムでも指摘された。このシンポジウムは被爆者の問題を自然科学、医学、人文・社会科学などの科学者が協力して全面的・総合的に解明し、核兵器使用の非人道性を世界的に明らかにすることにつながった。
     放影研の疫学研究における比較対照群の問題を1983年最初に科学的に明らかにしたのがブレーメン大学のインゲ・シュミッツフォイエルヘーケ教授である。彼女は、NGO国際シンポジウムの報告を聞いたことをきっかけに、放影研のLSS集団の比較対照群とされていたT65Dの初期放射線被曝90ミリグレイ(4)以下の遠距離被爆者集団と入市被爆者集団の各種障害の発症率と死亡率を日本人平均と比較して、図1に示す相対リスクを求めた(5)。破線の左側が死亡の相対リスク、右側が発症の相対リスクで、黒丸の0-9 radグループが遠距離被爆者(初期放射線被曝9ラド=90ミリグレイ以下)、白丸の市内非滞在グループが入市被爆者の相対リスクである。全死亡や全疾病の相対リスクが一より小さいことは遠距離被爆者も入市被爆者も日本人平均より総じて健康であることを示している(6)。ところが呼吸器系のがん死亡の相対リスクや女性の乳がん、甲状腺がん、白血病の発症の相対リスクは1よりかなり大きい。このことは遠距離被爆者が放射性降下物による被曝影響、入市被爆者が誘導放射化物質からの被曝を示している。入市被爆者の白血病死亡の相対リスクが1より小さいが、放影研は1950年10月1日までに広島市と長崎市に転入した人たちを入市被爆者としており、シュミッツフォイエルヘーケ教授は原爆投下後30日以内に入市した人だけの白血病死亡を調べて、図1の早期入市者とした白丸のように2倍以上の相対リスクとなることを確かめた。彼女は放影研の比較対照群もかなり被曝していることを初めて科学的に明らかにした。しかし、彼女の論文は専門誌の審査によって掲載を拒否されたので、Health Physics誌のLetterとして発表された(5)


    図1 放影研の比較対照群の全国に対する相対リスク(シュミッツフォイエルハーケによる(5)


    3.DS86の原爆残留放射線の線量評価
     
     DS86は広島と長崎の爆心地からの距離ごとの初期放射線のガンマ線と中性子線の線量評価を与えるとともに、残留放射線に関する第6章が設けられている。この章は、放射性降雨によってもたらされ、土壌に浸透して、被曝後の火災雨や台風の洪水などで流失しなかった放射性物質が放出した放射線の測定結果を紹介している。こうした放射性物質が、その後の雨などで流出した可能性を述べる一方で、測定結果に基づいて被爆直後から将来にわたって放射性降下物から受ける累積被曝線量を計算して、その結果も記載している。これを放影研も日本政府も放射性降下物による最大の被曝線量であるとして、広島では爆心地から西方3〜4 キロメートルの高須地域の6ミリグレイ〜20ミリグレイ、長崎では爆心地から東方約3キロメートルの西山地域の240ミリグレイが放射性降下物による主な被曝線量で、その他の地域での被曝は無視できるとしてきた。この結果を、厚生省は「科学的」であるとして、被爆者の原爆症認定審査の基準における放射性降下物による被曝線量としてきた。2003年に始まった原爆症認定集団訴訟の判決において誤りを指摘されて連敗しても、厚生労働省と裁判において国側の証人や意見書を書く科学者は、今なおこのDS86の記述にとらわれ続けている。さらに第6章には、長崎の西山地域の被爆者から放出されるセシウム137由来のガンマ線を1969年と1981年にホールボディカウンターによって測定した結果を記述している。セシウム137の物理学的半減期は約30年であるが、体内に摂取したセシウムは新陳代謝によって排泄されるので生物学的半減期は約80日になり、放射性降下物の直接摂取による内部被曝線量は被爆24年後には何十桁も落ち、測定したのは測定1年以内にこの地域の作物などを通じて摂取したもので、被爆直後の放射性降下物からの被曝と無関係である。しかし、放影研も厚労省も放射性降下物による被曝影響を隠蔽する材料として利用し続けている。
     広島原爆では原子雲の中央部からの強い放射性降雨の降雨域は、爆心地から北西方向であることが被爆者からの聞き取り調査によって明らかにされている。図2は様々な調査の中で、最近の調査によっても裏付けられている増田善信による降雨域を示している。この強い放射性降雨域の主要部分は、被爆後に発生した爆心地から半径約2キロメートルにわたる広島市全域の大火災に伴って生じた激しい火災雨の降雨域と重なっており、放射性物質の大部分は火災雨によって流失した。川や池で魚や蛙が死んで浮いてきたという被爆者の証言は、火災雨の前の強い放射性降雨の影響を伝えている。また、9月と10月に台風が広島を直撃し、大洪水によって多くの橋が流失するなどの大災害を起こしたが、放射性物質の大部分も押し流した。己斐・高須地域は弱い放射性降雨域に相当し、火災雨があまり降らず、洪水の影響も小さかった地域である。
     仁科芳雄博士らが日本政府の命令で、原爆であることの確認のため八月九日に広島の28カ所の土壌を採取した。瓶に保存されていたこの土壌からの放射線を静間清博士らが測定した結果を、図2に1から28の資料番号を囲んだ円の大きさで示した(7)。日本政府や放影研が最大の降下物の線量であると主張するのは高須地域(図2の資料番号12地点)である。ところが、図2の資料番号7の地点(西大橋東詰め。放射線の強さを表す円は20分の1に縮小して示されている)は、資料番号12の地点の19倍の放射線を放出した。この地点では、その後の台風の洪水の後には強い放射線は測定されず、洪水後の測定では放射性降下物の線量推定ができないことを示している。


    図2 広島原爆の放射性降雨域(増田雨域)と仁科資料の放射線測定結果(7)

     長崎原爆はプルトニウム原爆であったため地中に残留したプルトニウムの測定によって放射性降雨域が明確にできる。その結果図3に示したように、爆心地から東約3キロメートルの西山地域に大量に放射性降雨が降り、西山地域から東に幅3?5キロメートルで伸びた帯状の地域が放射性降雨域になっている。広島と異なって、長崎では爆心地が長崎市の中心部よりかなり北にずれ、火災域は広島の4分の1以下で、放射性降雨によってもたらされた西山地域の放射性物質の火災雨による流失は避けられ、西山地域の測定値が広島原爆の10倍以上となったと考えられる。


    図3 プルトニウム測定による長崎原爆の放射線降雨域


    4.放射性降下物による被曝影響
     
     初期放射線に被曝した岩石や建造物の1990年頃からの物理学者たちの測定結果を統計学的に総合するとDS86の初期放射線の線量評価は広島も長崎も爆心地から1.5キロメートル付近より遠方では実測値に較べて系統的に過小評価になっていることが分かった。私はこの結果を日米合同ワークショップや放射線影響学会で報告するとともに、原爆症認定裁判に意見書として提出し、証言をおこなった。この裁判で勝利した原告は長崎の爆心地から南方2.45キロメートルの屋内で被爆して脱毛を発症しており、裁判で証言した被爆者たちも爆心地から南方2.8キロメートル前後で脱毛を発症していた。初期放射線の過小評価を実測値に即して是正しても、脱毛などの急性症状が発症していることは説明できない。長崎の爆心地から南方地域には強い放射性降雨が認められていないので、この地域の被曝影響は、放射性降下物の降雨以外の影響を考えざるを得ない。
     原爆の核分裂の連鎖反応で生成された放射性物質は、連鎖反応が終わる100万分の1秒以内では、まだ飛び散っていない原爆容器の中に閉じ込められていた。連鎖反応で放出された大量のガンマ線を吸収した周辺大気はプラズマ状態の火球となり、火球の急上昇に伴って火球の中央部にあった放射性物質も急上昇して急冷却し、放射性微粒子になった。この放射性微粒子が大気中の水分を吸着して水滴の核になり、原子雲をつくった。原子雲の中央部は上昇する勢いが強く、地上約1万メートルの対流圏と成層圏の境界の圏界面を突き破って成層圏に達したが、雨滴の密度も濃く合体して雨滴は一層大きくなって放射性降雨として地表に降下した。他方原子雲の周辺部の雨滴は小さく圏界面に達すると上昇力が得られないので、下からの上昇気流に押されて水平方向に広がった。小さい雨滴の大部分は降下中に水分を蒸発させて元の放射性微粒子になり、広がった原子雲の下に充満した。この放射性微粒子が原子雲の下の広い範囲の被爆者に内部被曝をもたらした。火球の膨張で火球表面に生成した高圧の衝撃波が伝搬して爆心地の地表に達し、地表に反射した衝撃波の圧力と合体して、爆心地から外向きにマッハ軸と呼ばれる強い衝撃波がつくられ、その衝撃波の圧力と大気圧の圧力差によって原爆の爆風が形成された。従って放射性物質は原爆の爆発では飛び散らなかった。
     放影研は2012年12月に「黒い雨」に逢ったかの質問にNoと答えたLSS集団とYesと答えた集団(回答総数8万6671人)の固形がんと白血病の死亡率を比較して、両集団の間に差が認められなかったので「黒い雨」の被曝影響がなかったと発表した。しかし、これは被爆者同士の比較で、広島では放射性降雨地域と放射性微粒子による被曝地域に差がないことを示しているにすぎない。LSSには、長崎の「黒い雨」地域は旧長崎市内の爆心地からほぼ東側の地域(爆心地から北東1.5 kmの本原町、2.5 kmの三川町、東3 kmの西山地域など)に限られており、ここでは有意に固形がん過剰死亡リスクが30パーセント高くなっていることは、この地域に降下した大量の放射性微粒子の摂取とともに地上に蓄積した放射性降下物を継続的に摂取した影響を示している。
     LSSの初期放射線被曝線量五ミリグレイ以下の広島の遠距離被爆者49人の臼歯が放射性降下物からのガンマ線によって外部被曝した線量を電子スピン共鳴法で測定した結果が2011年放影研の平井裕子らの論文として発表された(8)。爆心地から西南西から北にかけての北西方向の2.826から3.491キロメートルの「黒い雨」地域の4人の臼歯の被曝線量が最高295ミリグレイ、平均で127ミリグレイだったのに対し、「黒い雨」が降らなかった爆心地の南から東の方向の2.75キロメートル以遠で300ミリグレイないし550ミリグレイまでの被曝をした人が5人いた。これは「黒い雨」の降った地域よりも降らなかった地域の放射性降下物による被曝が大きかったことを示している。これは遠距離被爆者の周りに放射性微粒子がかなり漂っていて、こうした微粒子を体内に摂取すると、透過力の弱いベータ線などの放出による深刻な内部被曝が予想され、後に述べる急性症状の発症率から求めた遠距離被爆者の内部被曝を裏付ている。

    表1 1963年?2003年の固形がん死亡数、死亡率および超過相対死亡リスク(放影研)

    No:「黒い雨」に逢わなかった、Yes:「黒い雨」に逢った、 Unk.(Unknown):不明。

     ABCCは1950年前後にLSS調査集団について急性症状発症の調査をしている。図4に示したように、他の多くの調査と同様に、初期放射線がほとんど到達しない爆心地から2キロメートル以遠においても脱毛の発症を示している。ところで、放影研も厚労省も、初期放射線の到達しない遠距離における急性症状は、原爆放射線以外の原因であり、脱毛は精神的ショック、下痢は当時の悪い衛生状態によるとしている。しかし、当時日本各地の都市は米軍の空襲で焼け野原になり、精神的な衝撃を受けたにもかかわらず、1000人・100人規模での脱毛や下痢の発症は広島・長崎以外では見られず、精神的影響による円形脱毛は放射線被曝による脱毛とは明らかに異なり、発症率が爆心地からの距離に応じて系統的に減少していることは放射性降下物による被曝影響以外に説明できない。


    図4  広島の爆心地からの距離による全脱毛発症率

     2012年6月、訪日したシュミッツ・フォイエルハーケ教授らと「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の役員と共に放影研を訪問し、副理事長と疫学部門の代表と2時間余り懇談した。その時私は放影研がABCCの各種の急性症状を含む詳細な調査資料が、まだ十分精査されないまま保管されていることを確認した。こうした資料を、問題意識を持って詳細に研究すれば内部被曝を含む放射線による人体影響についてのさまざまな知見を見出すことが出来るであろうと伝えた。
     動物実験によって放射線による急性症状の発症率は被曝線量に関する正規分布をしていることが知られている。私は実際の被爆者の脱毛発症率調査として、放影研のD. O. ストラムとS.水野が、重度脱毛(3分の2以上の脱毛)発症率は原爆の初期放射線被曝によると仮定して、ABCC調査の重度脱毛発症率とDS86の初期放射線被曝線量との図5の黒丸●で示した関係を検討した。重度脱毛発症率は被曝線量3グレイまではほぼ正規分布を示していたが、3グレイ以上では70%程度から横這いになって増加せず、5グレイ以上では減少している。これはLSSが、1950年10月1日の国勢調査の付帯調査の全国の被爆者調査の中で広島市と長崎市に戸籍のある被爆者を選んで設定したために、被爆後5年以上の間に死亡した人が含まれていないというバイアスが脱毛発症率にも現れたと考えられる。ストラムと水野はDS86の初期放射線量を用いているので、遮蔽効果を無視して、DS86を用いてストラム水野の重度脱毛発症率を爆心地からの距離による変化になおして図6に示した。


    図5 ストラム・水野の重度脱毛発症率と食放射線被曝線量の関係(●)と
    京泉らのX線被曝と脱毛率()および全脱毛発症率と全被曝線量(


     またストラムと水野は重度脱毛は初期放射線被曝だけで起こると仮定したが、図5に示されているように、正規分布に較べて1グレイ以下の立ち上がりが早いという不自然な振る舞いをしている。これは、放射性降下物による1グレイに近い被曝影響を考慮すべきことを示している。こうしたことを考慮して、初期放射線被曝と放射性降下物による被曝の両方を考慮して、軽度と中程度の脱毛も加えた全脱毛発症率を考えると図6の□印と◆印の開きがほぼ放射性降下物による被曝であることを考慮して、図5において黒丸印●で示したストラム・水野の重度脱毛は赤いに移動すると推定される。


    図6 ABCC調査によるLSSの脱毛発症率(印)とストラム・水野による重度脱毛発症率(◆印)。

     放影研の京泉誠之らが免疫機能を除去したマウス22匹に死亡した5人の胎児の頭皮を移植してX線を照射して被曝線量と脱毛率(脱毛した頭髪の本数の割合)の関係を求めた結果を図5の赤い印で示す。胎児数は5人と少なかったが、脱毛率は被曝線量についてほぼ正規分布を示しており、全脱毛発症率と全被曝線量の関係を示す赤い印と3グレイ以下ではよく一致している。脱毛率がゼロであれば多人数の調査による脱毛発症率もゼロであり、発症率が正規分布であれば、脱毛率が100%に近づけば調査した発症率も100%に近づくと考えられる。そこで放射性降下物による被曝を考慮して、重度から軽度までを含む全脱毛発症率を京泉らの求めた脱毛率とX線被曝線量の関係を表す正規分布を求めて、これを用いてABCCの求めた全脱毛発症率を解析することにした。
     マウスを用いて京泉らが求めた被曝線量と脱毛率の関係を表す正規分布は平均値2.751 グレイ、標準偏差0.794 グレイのN(2.751グレイ,0.794グレイ) であるこことになり、これを用いてABCCの調査した全脱毛発症率を解析して広島原爆の初期放射線による被曝線量と放射性降下物による被曝線量を求めた。その結果が図7である(9)


    図7 ABCCのLSS脱毛発症率に基づく広島原爆による被曝線量

     初期放射線による被曝線量は爆心地からの距離とともに急激に減少し、爆心地から1.2キロメートルの地点で放射性降下物による被曝線量と交差し、それより遠距離では放射性降下物による被曝線量が圧倒的になり、爆心地から5?6キロメートルでは放射性降下物による平均的被曝線量は約 800ミリグレイの一定値となることがわかった。日本政府や放影研が主張する高須地域の放射性降下物による被曝線量の40倍ないし130倍である。
     2012年10月に広島大学原爆放射線医科学研究所(原医研)の大瀧慈教授らは、広島県居住の被爆者を広島県民の非被爆者を比較対照群にした研究において、爆心地から1.2〜2.0キロメートルの距離に亘って被爆者の固形がん過剰死亡リスクが約20%と、ほぼ一定値となった。これは、この被爆距離で約20分の1に減少する初期放射線被曝では説明できず、大瀧教授らは70%以上の確率で初期放射線以外によるとした。この結果は、脱毛発症率など急性症状の発症率に基づいて、爆心地から1.2キロメートル以遠では放射性降下物による被曝影響が初期放射線を上回っているという結果と一致している。
     放射性降下物による被曝影響が主に内部被曝によることは、下痢の発症率と脱毛や紫斑の発症率と比較すると明らかになる。図8は、於保源作医師の調査結果の中で、屋内被爆者で三ヶ月以内に爆心地から1キロメートル以内に出入りしなかった被爆者の脱毛、紫斑(皮下出血)、および下痢の爆心地からの被爆距離ごとの発症率である。初期放射線による被曝線量が大きい爆心地から一キロメートル以内では、下痢の発症率が脱毛や紫斑の発症率より小さく、放射性降下物による被曝が主になった1.5 キロメートル以遠では脱毛や紫斑の発症率の3〜4倍である。これは、まばらな電離作用のため透過力の強い初期放射線による外部被曝では薄い腸壁細胞に損傷を与えて下痢を発症させるためには高線量でなければならないのに対し、遠距離では放射性降下物を呼吸や飲食で体内に摂取し、集中した電離作用のため透過力の弱い放射線が腸壁細胞に接して集中して電離作用を起こす内部被曝によって腸壁細胞が容易に損傷することによって説明できる。さらに被曝線量と発症率の関係を与える正規分布を用いて、図8の脱毛(□印)、紫斑(○印)および下痢(△印)の3種の急性症状の発症率の爆心地からの距離による変化にフィットする曲線を与える初期放射線量と放射性降下物の被曝線量を求めると、3種の急性症状共にABCCの脱毛発症率から求めた図7の被曝線量とほぼ一致する被曝線量が求まった。このことは脱毛も紫斑も放射性降下物による遠距離被曝が主に内部被曝であることを示している。
     このようにして急性症状の発症率にもとづいた英文論文を専門誌に投稿したところ、政治的とか、掲載すると放射線影響の研究分野に大混乱が起こると掲載を拒否された。ようやく英文論文は専門誌『社会医学研究』に掲載された(9)


    図8 於保調査による広島の屋内、爆心地出入りなしの被爆者の脱毛、紫斑、下痢の発症率

     長崎の爆心地から5キロメートル以内を被爆直後の長崎医大調査、5キロメートル以遠を長崎市と長崎県が1999年に行った爆心地から12キロメートル以内の原爆手帳未支給地域で被爆した人々の調査から、広島と同様の被曝線量と急性症状の脱毛、紫斑、下痢の発症率の関係を表す正規分布を用いて長崎原爆の被曝線量を求め図9に示した。広島と同様、爆心地から1.2キロメートル以遠では放射性降下物による内部被曝線量が初期放射線による外部被曝線量を上回った。爆心地から5?12キロメートルの放射性降下物による平均的被曝線量はほぼ一定値の約1200ミリグレイとなった。これは広島原爆の放射性降下物による被曝線量の約1.5倍で、長崎原爆の爆発威力が広島原爆の1.4倍、爆弾容器の誘導放射化物質の量が長崎原爆の方が多いこと、核分裂しないで残されたプルトニウム239の方がウラン235より放射能が強いことで説明できる。


    図9 急性症状発症率から求めた長崎原爆による放射線被曝線量

     このような放射性降下物による被曝影響を無視して遠距離被爆者を実質上比較対照群にiしている放影研の疫学研究の結果に依拠したICRPの放射線防護基準を内部被曝が主要な被曝影響である原発事故の被曝影響の評価に適用すると大きな疑問が生まれるのは当然である。福島原発事故による被曝は、原爆の放射性降下物による被曝と類似性があるが、原子雲の下にいた被爆者は爆心地から10キロメートル程度の距離でも、原子雲の雨滴に運ばれた放射能がまだ強い時間内に放射性降下物を摂取して、放射線感受性の強い1%程度の被爆者に脱毛などの急性症状を発症させた。これに対し、福島原発事故によって放出された放射性物質の量は原爆が放出した放射性物質の数100倍であったが、大量に放射性物質を放出した2号炉の事故が連鎖反応停止後4日を経過して放射能が弱くなって放出されたためと、原爆の場合より遥かに広い地域に飛散したので、急性症状の脱毛を発症するほどの被曝をした住民はきわめて限られてい る。そこで福島原発事故による被曝影響は、急性症状よりも晩発性障害の発症が懸念の中心となる。放射性降下物の被曝影響を無視した研究によって内部被曝の研究が大幅に遅れているが、これをカバーした原発事故からの放射線防護体制を準備しなければならない。しかし、福島原発事故以来、政府の放射線防護に拘わっている科学者は、100ミリグレイ以下では晩発性のがんなどの発症は確認されていないので、心配ないという発言をくり返している。しかし、これは専門科学者として不勉強である。10ミリグレイ程度の被曝でがんの発症の増加を示す論文は最近急速に増えている。例えばカナダのマギル大学の心筋梗塞患者8万2861人に対するCTなどX線照射によるがん発症の過剰相対リスクは10ミリグレイで2.8%でそれ以上では直線的に増加することを明確に示している。


    おわりに
     
     原爆被爆者に関する多くの調査があり、科学者はこれら被爆実態を示す貴重な資料から、近年急速に発展している分子レベルでの医学的・生物学的研究と合わせ、内部被曝の機構を含む科学的な研究を発展させることが求められている。しかし、今なお真面目に被曝影響の研究をしている多くの医学者や科学者は、ICRPや原子放射線の影響に関する科学委員会(UNSCAER)の放射線防護基準の欠陥に気づいていない。
     世界世論の高揚が、今日では核兵器禁止条約の交渉開始を求める大きな潮流になって、核兵器保有国を追いつめている。核兵器禁止条約が実現すれば、核不拡散条約の下で、世界中に放射線被曝の危険性をばらまくIAEAの原発推進政策の矛盾が浮かび上がる。こうして科学者が放射線被曝の実相、とりわけ内部被曝の危険性について科学的解明を進め、市民との共同によって、人類社会が核兵器も原発もない、放射線被曝に脅かされない世界への展望が開けると期待している。


    1) 高橋博子著『封印されたヒロシマ・ナガサキ』凱風社、(2008)。
    2) カール・モーガン、ケン・ピーターソン著、松井、片桐訳『原子力開発の光と影』昭和堂(2003)。
    3) 放射線被曝の疫学研究において被爆者の被曝に起因する障害の発症率や死亡率を被曝していない集団を比較対照群としてその発症率や死亡率との比をとって相対リスクを求めたり、これから1を引いて過剰相対リスクを求める。比較対照群として遠距離被爆者と入市被爆者を選ぶならば、過剰相対リスクの計算では、残留放射線による被曝影響は差し引かれて、初期放射線による被曝影響だけが残る。それだけでなく相対リスクの分母の比較対照群の発症率や死亡率が大きくなるので相対リスクや過剰相対リスクの過小評価をもたらす。
    4) 放射線の強さはグレイ(Gy)という吸収線量で表す。これは1 ?の組織が放射線から吸収するエネルギーが1ジュールのとき1 グレイとする物理学的単位である。約4グレイを半致死線量と呼び、この線量を浴びるた半数が60日以内に死亡する。1ミリグレイは1グレイの1000分の一である。福島原発事故後はシーベルト(Sv)という線量当量で表すことが多いが、これは放射線の種類や被曝組織など人体影響の影響の違いを修正係数で表してグレイの値に乗じて求め、被曝影響をX線被曝による被曝線量に対応させる。内部被曝にたいしてはシーベルトは未確立と考えられる。
    5) Inge Schmitz-Feuerhake、 Health Physics、 44、 693-695 (1983)
    6)被爆者のがん発症の相対リスクは大きいが、死亡の相対リスクが1より小さいのは、被爆者健康手帳を支給され、無料の被爆者検診を定期的に行ってきたことによる。
    7)Kiyoshi Shizuma, et. al., 137Cs Concentration in Soil Samples from Early Survay of Hiroshima Atomic Bomb and Cumulative Dose Estimation from the Fallout, Health Physics, 71, 340-346(1996).
    8)Yuko Hirai, et. al., Electron Spin Resonance Analysis of Tooyh Enamel Does Not Indicate Exposures to Large Radiation Doses in a Large Proportion of Distally-exposed A-bomb Survivors, J. Radiat. Res., 52, 600-608(2011).
    9) Shoji Sawada、Estimation of Residual Nuclear Radiation Effects on Survivors of Hiroshima Atomic Bombing、 from Incidence of Acute Radiation Disease 『社会医学研究』29巻1号47-62、 (2011)。
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