2015.11.30 Monday

福島原発事故に対する物理学者の責任を問う 山田耕作

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    2015年11月

    福島原発事故に対する物理学者の責任を問う

    2015年6月
    山田 耕作


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    福島原発事故に対する物理学者の責任を問う(pdf,24ページ,511KB)


     目次
    1節 私の3.11福島原発事故前後の対応
       1.福島原発事故まで 
       2.突然の大震災と福島原発事故
    2節 物理学者の社会的責任
    3節 人格権は何事にも優先して護られるべきである
    4節 科学は何のために必要なのか
    5節 福島原発事故に対する責任を認めない日本物理学会
    6節 おわりに

    参考資料1 会誌掲載論考「福島原発事故研究の要望に対する理事会の回答に思う」
    参考資料2 会誌掲載拒否論考「福島原発事故で放出された放射性微粒子の危険性」
    参考資料3 参考資料2の掲載拒否までの経緯
    追記1 弱いものを締め出す社会は弱くてもろい社会である

    1節 はじめに−私の3.11福島原発事故前後の対応

    1.福島原発事故まで
     私は2006年に京都大学を定年退職した。1961年に大阪大学の物理学科に入学して以来、45年間物理学を専門としてきた。その退職の際、最も強く思ったことは、学生を不幸にしたり、社会に迷惑をかけることなしにどうにか無事定年を迎えたという安堵の気持ちであった。ただ、原発や環境ホルモンなど科学技術のもたらした危険性に対していっそう不安になり、最終講義でそのことをお話し、理学の使命は、諸科学を総合して、このような人類的な課題に答えることにあることを訴えた。この最終講義は物性研究の「講義ノート」に2回に分けて掲載されている。(物性研究 (2005), 84(5): 703-710、URL http://hdl.handle.net/2433/110263)(物性研究 (2005), 85(1):1-19,URL http://hdl.handle.net/2433/110360
     この最終講義で述べたように、私が在職中、職業としての理論物理学における研究・教育と同時に、社会における科学者の果たすべき社会的責任の問題が気がかりであった。
     物理学会では、「物理学者の社会的責任」という特別の分科の世話人を川野真治氏や澤田昭二氏と務めてきた。佐藤一男氏、近藤駿介氏、久米三四郎氏、高木仁三郎氏、槌田敦氏を学会に呼んで、シンポジウムを開き、原発問題を議論してきた。このころは学会の正式分科として「物理学者の社会的責任」は扱われ、学会のプログラム会議にも出席した。
     日本物理学会誌にも原発は「阪神・淡路地震」にも耐えうるという井上進一氏の原発の耐震設計の解説に対する批判を談話室の欄に投稿した。耐震設計の基礎である大崎順彦氏の方法の欠陥を指摘した(日本物理学会誌51、1996年、359ページ)。
     京大では井村総長の時代から少人数ゼミと称して、全学から新入生を10人ずつ研究室に呼んでゼミを行うことが制度化された。これは新入の学生に研究の先端に触れさせ学習意欲を高めるためのものであった。私は1999年から2005年まで「社会における自然科学」というテーマでこのゼミを開講し、原発問題や環境問題を議論してきた。最初の年、学生の意欲は高く、ティア・コルボーンらの「奪われし未来」を読んだ。中西準子氏の「環境ホルモンから騒ぎ」を批判する小冊子をゼミで作り、中西氏へも送付した。
     このような原発や環境ホルモンはいずれ被害が顕在化し、徐々に人々はその危険性を理解するだろうと考えてきた。定年後まもなく、世界大恐慌の時代となり、飢餓と貧困を救う経済学を勉強したいと思い、資本論を読み始めた。

    2.突然の大震災と福島原発事故
     その最中の2011年3月11日、マグニチュード9の大地震と大津波を受け、福島原発が炉心溶融を伴う破局的事故となった。すでにこれまで、女川、志賀、柏崎と耐震設計を超える地震動が現実に観測され、原発の耐震性が破綻していた。耐震設計のもとになっていた大崎の方法に正当性がないことが誰の眼にも明らかになり、耐震設計審査指針の改定が2006年に行われたばかりであった。スマトラ地震や貞観地震などから、津波の心配も出されていた。この一連の地震からの警告も無視して、電力各社、政府、原子力安全・保安院は原発の運転を認め、運転を継続してきたのである。今回の原発震災は、明らかな原発の耐震性の欠如を無視して、地震動の過小評価を用いて安全性を捏造してきた原発推進派の犯罪といってもよい過失の結果である。これはまぎれもなく人災である。
     福島原発事故は私にとって一生の中で最大の衝撃であった。事故の直後の3月20日ごろ、大阪で原発事故についての講演を頼まれたが途中で涙が出て困った。原発は危険だとは言ってきたが本当に起こるという現実感がこれまでなく、私自身原発を甘く見ていたのである。いざ、福島原発事故の被害を心配する多くの市民を前にすると、真っ先に、物理学者はなぜこのような危険な原発を造ってしまったのか。これから起こる被害の大きさを考えると責任の重さに耐えられない気がして声が出なかった。
     現実に福島原発事故のような過酷事故が起こってみると、私の原発事故に対する危険性の規模や現実性・緊急性に対する認識が甘く不十分であったことが明らかであった。この事故で私のささやかな物理学での研究成果も吹き飛び、私が人々に与えたものは負の効果の方が大きいと思った。私の一生は事故とともに無に帰したのである。むしろ物理学者全体としての責任を考えると大きなマイナスである。物理学者が原子力の平和利用を認めなければ福島原発事故はなかったのである。人々は、事故で故郷を追われ、健康や生命を失うことはなかったのである。被害の大きさが底なしの大きさで、長期にわたって、福島はじめ世界を襲うと思うといたたまれない気がした。定年退職後、のんびり経済学を勉強したいと思ったのは福島事故5年前であった。まさに原発に危険が迫っていたのであり、全力で原発の停止に没頭すべき時期であったのである。このころ、耐震設計の欠陥が明らかになり、一方、ウランの資源としての枯渇からいずれ縮小に向かうと考えていた。おそらく大事故がない内に原発廃棄になるだろう。我々は警告を続ければよい。油断があったのである。人は体力の衰えとともに、自分で楽な方向をとり、言い訳をして正当化するようになりがちである。しかし、現実は情け容赦なく襲い掛かるものである。
     さらに私の予想と全く違ったのは物理学者はじめ科学者の事故後の態度であった。この大事故を前にして、安全神話を信じた科学者は後悔し、謝罪し、原発は放棄するするだろうと思っていた。驚いたことは謝罪どころか、被害を否定し、原発の再稼働さえ容認しようとしていることである。正常な判断とは思われない。これは信じがたいことである。さらに田崎晴明氏や菊池誠氏など中堅の物理学者が公平な第三者のような顔をして、放射線被曝を過小に評価し、被曝被害を拡大する危険性にも平然としていることである。これは大変なことであり、福島や東北・関東の子供や妊婦が心配である。物理学者が自分で犯した犯罪による被害を過小に評価し、被害はほとんどないと被害者に言い聞かせている行為である。後述するように、日本物理学会誌で被曝被害の危険性を物理学会員に訴えようにも「風評被害」を煽るとして掲載を拒否される。せめて阪大金森研の同窓会メールで友人たちに広めようとするとメール管理者から通常でさえメールが多いのに迷惑だと使用禁止が宣告される。ことは人命や人権に関わることである。
     雑誌「物性研究」も私の田崎氏の著書(田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあっていくための基礎知識」朝日出版社、2012年)批判に対しては不当な取扱いであった。以前中西準子氏のリスク論を批判した原稿を投稿した。その原稿を中西氏に編集部から送付し、反論等を期待したが応答はなかった。その結果、この事実を付して私の投稿のみが掲載された。ところが今回は田崎氏が反論しないという理由で掲載されなかったのである。反論しないのは田崎氏の自由であるが、批判した私の論考は掲載して読者の議論に付すのが当然であろう。なぜなら私は田崎氏の著書の被曝被害の過小評価や、その危険性を放置することは物理学者の責任として許されないことを読者に訴えていたからである。
     ところが、私の投稿が掲載されなかったことを逆利用して、菊池誠氏は私の田崎批判が「掲載拒否」された論文として間違いや不当性があるかのように宣伝している。菊池氏も物性研究で反論できる立場にあるのであるから,具体的内容で反論すべきである。菊池氏は小峰公子氏との共著「いちから聞きたい放射線のほんとう」(筑摩書房、2014年)の中で、「妊娠中に被曝すると、子供が何かの障害を持って生まれるかどうかだけど、原爆の被爆者の調査でわかっていて、妊娠中に100ミリシーベルト以上被曝しなければ、リスクは上がらない。がんのリスクと違って、低い線量ではリスクは上がらないんだ。」と154ページに書いている。さらに「数値から見ると今回の原発事故に限っては心配ないと」「そう言い切っていいよ」155ページ。ところが、現実に自然死産率は事故から9か月過ぎた2011年12月、福島近県の4県で12.9%増加し、11県で死産率と生後1年以内の乳児死亡率と合わせたものが5.2%増加した(2014年2月6日発行ドイツの放射線防護専門誌「放射線テレックス(Strahlentelex)」650-651号に掲載された論文:Folgen von Fukushima, Totgeburten und Säuglingssterblichkeit in Japan:ふくもとまさお氏訳: http://yahoo.jp/box/fQknBG または http://www.strahlentelex.de/strahlentelex022014_kiji_JP_fukumoto.pdf からダウンロードできる。)この論文の著者たちは「以上の解析結果は、チェルノブイリ原発事故後にヨーロッパで観察できたように、日本でも放射線被曝による遺伝子障害の影響が発生していることを示唆している。この解析結果からすると、今後日本において自然死産と乳児死亡、先天異常、出生時の出生性比の動向を注意深く観察する必要がある。」と記している。.
     このような死産や乳児死亡の増加は放射線の影響で胎児の正常な発育が損傷された結果と考えられる。これまで広島・長崎や他の調査で明らかにされている小児がんの増加なども含め総合的に検討すべきであり、現在放射線医学総合研究所も慎重な姿勢をとっている。菊池氏らの本の帯に「中学校の教科書に」と書かれているがそれでよいのだろうか。
     なぜ、みんなこのような重大事を正々堂々と公表し、議論しないのか。個人や物理学者だけの問題ではなく、社会に対する科学者の責任の問題である。

    2節 物理学者の社会的責任
     前回「原発問題の争点」(緑風出版、2012年)において、原子核物理学者をはじめ専門家の立場から、原子力の平和利用を推進してきた物理学者の原発事故に対する責任について議論した。学術会議をはじめ科学者たちは核の軍事利用には反対してきたが、平和利用の推進には積極的に協力してきた。物理学者をはじめとして日本の科学者たちは、核の軍事利用の歯止めとして、同時に平和利用の自主開発を目指して、平和利用三原則「自主、民主.公開」を主張した。中曽根康弘氏などの自民党と社会党は共同提案で、平和利用三原則を掲げた原子力基本法を1955年に制定させた。これは結果的には、当時のアイゼンハワー米大統領の、核実験反対などの核の軍事利用に反対する国際世論をそらせ、沈静化させるための宣伝政策「平和のための原子力(Atoms for Peace)」(1953年国連演説)に協力する役割を果たした。こうして、我が国の科学者たちは、核の「平和利用」として原子力の自主開発を目指した。しかし、産業界が政界と一体になって海外原発の技術導入によって原子力推進に乗り出してから、「自主・民主・公開」の三原則は政財界の原子力推進に対する外からの条件闘争とならざるを得なかった。そして、科学者としては主導権を産業界・政界に奪われてしまった。こうして科学者は総体としては、平和利用と称する原子力利用に積極的に協力することになった。「自主・民主・公開」の三原則は企業秘密と国家機密のもとにないがしろにされる結果となった。それどころか、原子力に反対するものは科学に反対するものであり、「反科学」とさえ呼ばれた。このように物理学者を中心として科学者は平和利用に積極的に加担し、組み込まれてきたのである。一方、政府・支配層は平和利用を隠れ蓑とし、核燃料サイクルを通じて核武装にも対応できる体制を構築してきた。
     本来、核技術は他の技術と同様に軍事と民事の区別が困難である。このことも平和利用を求める科学者・市民が軽視し、誤った点であった。
     その平和利用の結果、福島原発事故が発生した。それ故、以上の経緯からしても、物理学者に事故の被害に対する加害責任があるのは当然である。主導したとは言わなくても、少なくとも積極的に反対しなかったのは事実である。ここで改めて科学者は原点に返り、原子力の「平和利用」は正しい選択であったかを問わねばならない。私は平和利用として原子力をエネルギー産業とすることは間違いであると考える。
     物理学者を含め科学者が核の「平和利用」において、間違えたことは、第一に原子力の持つ巨大なエネルギーが制御不可能であり、原子力エネルギーの利用は本質的に危険であることであった。第二の重大な誤りは、地震をはじめ天災の危険性とその対策が科学技術的・経済的に不可能に近いことであった。第三に放射線被曝の生命体に対する危険性がすでに明らかであったにもかかわらず、その隠蔽を見抜けず、過小評価したという誤りであった。そしてその危険性が通常運転を通じて日常的に、更に使用済み燃料を通じてほぼ永久に、遠い未来の世代にまで続くことであった。
     原子力発電の危険性に物理学者は気が付かなかったから責任は問えないと考える人もあるかもしれない。しかし、私はこのような言い訳は許されないと思う。内外の物理学者の一部が原子力の危険性を隠蔽して、積極的に協力してきたことは事実であり、それを知らない人はいないであろう。人類にとってこれほど重大な社会問題に傍観者でいることは学者としての責任を放棄するものであり、怠慢であると思う。他にも重要な問題があり、自分は自分の分野で輝かしい成果を生んだからよいではないかと考える人もあろう。しかし、後述するように、人類の平等から由来する民主主義の歴史は、「人類の健康や生命にかかわる人格権は何事にも優先して擁護されなければならない」ことを教えている。高等教育を受け、またそれを後の世代に伝える教育を担う学者集団が率先して、人格権や基本的人権を守り発展させなければならない。
     私は科学者としては、特に集団として総合的な判断は科学者としての使命を果たす上で不可欠であると思う。そうでなければ科学の進歩が人類の幸福に生かされる保証がないからである。
     我々科学者は漫然と研究しているわけではない。研究の成果が真理であればいつかは人類の幸福に貢献することを信じ、それを目的に研究しているのである。それ故、科学の成果の利用には常に関心を持ち、厳しく監視することが使命である。それは現在の科学が組織的社会的な作業となり、国民の血税によって支えられていることからも理解できる。老人医療や生活保護など社会福祉のための予算が圧縮されている中で、研究費が支給されているのである。
     現在の資本主義社会においては私企業や産業界の科学技術に対する介入が強まり、研究の援助、寄付講座まで大学にも浸透した。表1に東大と京大の2014年度の主な収入を示した。文部科学省からの運営交付金が削られる一方で、産学連携等研究収入( 国や民間等からの受託研究や共同研究等に係る収入)の割合が高くなっていることがわかる。それぞれの大学の報告では2015年現在、東京大学寄付講座数74講座、京都大学31講座である。
     このように文部科学省からの運営交付金が厳しく削減される中で、電力独占体や企業の様々な補助や資金は科学者の重要な財源の一つとなった。その結果、政府予算の獲得や産学協同と引き換えに、原発反対を保留し、あるいは原子力推進に協力することはなかっただろうか。 いずれにせよ、この平和利用の持つ危険性を明確に警告できなかったことは我が国物理学者の過去、および現在、未来の人類に対する取り返しのつかない過ちであり、物理学者に加害責任が存在することは物事を真摯に考えれば当然のことである。第2次世界大戦において近隣諸国を侵略し、多くの犠牲を負わせることになった。この犠牲に対する謝罪も我が国及び国民の責任の問題としてよく議論される。同じ意味で物理学者の国民に対する加害責任は放置してよいことではない。物理学者の先人たちの犯した過ちは若い世代が引き継ぎ謝罪し、2度と被害を与えることの無いよう誠心誠意努力すべきことなのである。それ故、現在、起こってしまった福島原発事故の被害を最小限に留め、再び原発事故を起こすことのないようにすることは私たち物理学者の最低限の義務である。

    表1 大学の主な収入(平成26年度)両大学のホームページより引用


    3節 人格権は何事にも優先して護られるべきである
     不平等をなくし平等を拡大することによって民主主義は進歩する。人類の歴史において富の蓄積とともに階級が発生し、不平等が発生した。奴隷制社会や封建制社会のもとでの神の前の平等から、近代ブルジョア社会の法の前での平等へと民主主義は進歩してきた。現在まだ拡大しつつ存在する、経済的不平等は民主主義に対する大きな障害となっている。このような民主主義の拡大とともに人類平等の普遍的原理として人格権や基本的人権が確立してきた。
     民主主義に関しては、哲学者森信成氏はその著『唯物論哲学入門』(新泉社、1972年)で次のように述べている(108ページ)。「民主主義は人類共同の利害が目的となっており、人類の平等が原則である。我々すべてのものが生まれながらにして平等であり、自分の良心に従って生きる権利がある。そしてこの権利を表現する自由を持っている。つまり、思想、言論、出版、集会、結社の自由というものは万人が共通に持っている権利である。これらの権利は、人類平等というところから必然的に導きだされてくるものである。自分はこれだけいう権利を持っているがお前はこれだけいう権利を持っていないといったような差別はない。自分が自分の権利を保障されれば、他人にも同じだけのものを認めるということは、人類平等の原則から必然的に出てくるものである。このように人類平等の原則から必然的に出てくる原則が基本的人権であり、民主主義である」。
     全ての人が健康で文化的な生活を送る権利や働く権利を持つ(人格権)。そして人間としての基本的な権利、表現、出版、学問の自由、集会・結社の自由、健康で文化的な生活など基本的人権が保証されるべきことが人類の歴史上の結論として確立してきたのである。
     この人間としての権利は人格権としてすべてに優先して尊重されるべき権利なのである。この観点から、人類の生命、健康を護り発展させることは他のあらゆる活動の利害に優先するのである。例えば国際放射線防護委員会ICRPの「リスク・ベネフィット論」の言う「経済的・社会的利益を考慮した上で合理的に達成できる限り低く」という被曝基準の考え方は企業の経済的利害を人類の生命・健康の上位に置くものであり、人格権を侵害するものである。この正当な判断を大飯原発運転差し止め判決と高浜3,4号機再稼動差し止め仮処分判決は示したのである。この人格権は世界中のすべての人に保障された権利である。私企業や個々人の私的利益活動よりも、人類の一員であるひとりひとりの生命・健康の擁護が優先するのである。この人類の人格権を守ることは被曝の問題でも科学研究の場においても貫徹されなければならない原理・原則である。この点は特に、大飯原発の差し止め判決やアナンド・グローバー氏の国連特別報告にも「健康に生きる権利」を人格権として優先されるべき原則として主張され、広範な支持を得ている。そして差し止め判決では私企業の電力の生産という利益は人格権より低いものであり、原発が住民の健康・生命という人格権を侵害する恐れがある以上運転差し止めは当然としたのである。福井地裁判決は言う。「個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり、(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、わが国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。」
     これはまた、科学研究といえども人格権の下にあり、研究者である前に人間として、すべての人と同様に、それ以上に、他者の人格権を尊重し、守り発展させる義務があるのである。現在、一般社会において民主主義が蹂躙され、貧富の差が拡大し歴史が逆転している。この中で、大学間の格差が拡大し、外部資金による差別化の下で、科学者は競争で社会的連帯を失い、個人中心主義的になったと思う。
     本論考の最後に人権と全ての人の共生ということに感銘を受けた言葉を追加した。人権ということは社会的弱者とともに生きるということであり、傲慢な勝者の横暴を協力して阻止することである。(追記1参照)

    4節 科学は何のために必要なのか
     科学の発展の初期においては科学が貴族の個人的な趣味として存在した時期もあった。科学が技術と結びつき、産業に貢献するようになってから科学技術は生産力を支える重要な要素となった。科学の進歩は生産技術の進歩として豊かな生活をもたらすはずのものである。生産技術の発達とともに、科学研究は社会的・組織的な労働となった。研究機関は社会的にその研究活動を支えられることになった。研究成果は普遍的であり、人類共通の財産となった。それ故、研究の自由、学問の自由が保障されているのである。ただ、現在社会が、社会的生産手段の私的所有を基礎とする資本主義社会であるために、社会の利益に背くゆがんだ形で科学研究が実現するという制約を持つ。この科学にとって不幸な私的利害からの介入・干渉、制約、私物化という事態は人類の進歩と幸福に反することであり、科学に携わる研究労働者は人類のために尽くすというその社会的責任を片時も忘れてはならない。一方でその科学の破壊力も増大し、ダイナマイトのように生産の進歩にも軍事力の増大にも貢献するものから、ついに科学は核という無限の破壊力を持つに至った。このことは一層科学者の責任を大きくする。
     科学の持つ本来の普遍的な価値のゆえに、物理学者は働く国民の税金である国家予算でその大部分の研究が支えられている。物理学者は、物理に関連する諸問題に対して、的確に判断し、国民の健康、幸福のために学問が利用されるよう行動する義務がある。これが先ほど述べた全ての人が守るべき人格権に基づいているからである。

    5節 福島原発事故に対する責任を認めない日本物理学会
     ところが日本物理学会は福島原発事故直後の2011年6月10日、田中俊一氏、有馬朗人氏、柴田徳思氏などを講師とする「原子力利用とエネルギー問題」というシンポジウムを開き、反省よりも被害の過小評価と再稼動への意志を再構築しようとしたのである。私はこの点に関して「原発問題の争点」第3章で取り上げ、批判した。
     それ以後も日本物理学会は原発事故に対する自己の責任は認めておらず、むしろ物理学会誌上でもオープンな議論を避けているように思われる。大変、遺憾なことである。このような問題点を示す実際の例として、この論考の最後に私の物理学会誌への投稿原稿や会誌編集委員会との議論を資料として再録する。
     まず、日本物理学会は上記の原発推進のシンポジウムを開いた。つづいて物理学会としての責任を認めず、福島原発事故に対する学会としての研究活動を拒否した。私はそれに対する批判を会員の声に投稿した(参考資料1参照)。さらに、私は福島事故での放出放射性物質量に関して、文献調査の結果を会員の声に投稿した。「福島原発事故の放射性物質放出量はチェルノブイリの2倍以上」というものであるが、査読が必要な問題なので掲載できないという編集委員会の回答であった。しかし、本投稿は国際的に権威のある気象学などの掲載論文に基づく総説的考察であり、すでに査読はそれぞれの雑誌でなされているのである。政府やマスコミの福島原発事故はチェルノブイリ原発事故より放出規模が一桁小さいという誤解についてコメントしたものである。会員の感想や意見を述べるべき「会員の声」欄で査読を必要とするという判断も異常なことである。さらに、私が「福島原発事故で放出された放射性微粒子に対する危険性」を会員の声に投稿すると(参考資料2参照)、本来必要のない閲読や「風評被害」を理由に掲載を拒否した(参考資料3参照)。
     まさに福島原発事故の被害を予防原則に基づいて、その危険性を広め、警告し、被害を回避し少なくすることよりも、事故の被害の公開を恐れ、隠蔽しようとする態度である。これは政府や東京電力の責任をあいまいにし、彼らの賠償における立場を有利にし、被害者を切り捨てるものである。
     これは人格権を侵害し、被害者を見捨てるものであるが、同時に物理学会にとっても深刻な事態である。このように、自由闊達な議論が抑圧され、萎縮したような雰囲気の中では、これからの困難な社会的責任を伴う時代をリードする研究者は育たないということである。
     後の資料に示すように、会誌編集委員長はじめ編集委員は話題の枠を狭め、オープンな議論を恐れ、萎縮している。会員諸氏に積極的に訴え、考える機会を与え、活発に討論しようという気迫が全くない。学者に「風評被害」などとまるで過保護な子どもの教育である。このような精神で教育された若者はいわゆる官僚主義的官僚にはふさわしいかもしれないが、我が国や世界の未来を担う科学者や教育者、政治家に育つとは思われない。このことと原発事故が我が国で発生したこととは偶然でないかもしれない。自分で判断し、積極的に行動できる人が少なくなっており、我が国の科学研究や政治に責任を持つ人が少なくなっているからである。高度成長の夢に酔っているうちに、我々は自分で考える判断力を失ったのである。福島原発事故を見て何の教訓も導き出せないとすれば、切り捨てられる事故被害者を見て責任を感じないとすれば、人間として正常な感受性をなくしてしまったのである。残念なことであるが、同時に我が国の未来にとって恐ろしいことである。
     おわりに当たり物理学会が少なくとも基本的人権や民主主義を尊重し、誠実に実践する人たちによって運営されることを期待する。そうでなければ、物理学者は社会から尊敬されず、社会から遊離し、若い研究者が育たず、学問的にも後退し続けるのではないかと危惧する。
     広河隆一氏によればチェルノブイリ事故の時、「ICRPやIAEAと結びついた医学会は、原発のすぐ横のプリピャチ市からの住民の避難に反対した。…しかし、彼らは、チェルノブイリでは思う通りには行かなかった。市民、政府、軍隊、共産党支部、物理学会などの抵抗にあったからである。」(Days Japan2015年7月号27ページ)物理学会は住民の避難に反対するICRPに反対し、住民の避難に協力しているのである。

    6節 おわりに
     以上に述べたように、核の平和利用を含め「核は人類とは共存できない」ものである。核は人類のみならず、地球上のあらゆる生物にとって脅威である。私たちは過去、現在、未来にわたって、人類すべての人に等しく与えられた健康で幸せに生きる権利をすべてに優先して護らなければならない。一切の戦争はこれに反することである。核の平和利用も被曝の被害を避けることができない以上、健康と人命の犠牲なしには不可能である。
     これまで物理学者をはじめ、科学者はこの人類の平等の権利、人格権をあいまいにしてきた。例えば、政府は原発の事故を理由に、被曝の基準を高め、一般人に通常の年間被曝限度1ミリシーベルトより高い20ミリシーベルトまでの被曝を強制して、その健康や生命を犠牲にしてきた。労働者には緊急時被ばく限度を250ミリシーベルトに引き上げようとしている。
     現在さらに、政府は年間被ばく限度20ミリシーベルトの地域に対して、住民の帰還を強制する政策を強化している。「帰還困難区域」を除く「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の避難指示を解除し、5.5万人にも上る避難者を帰還させようとしている。同時に並行して汚染地からの避難者への援助を期限を定めて廃止し、賠償の打ち切りで脅迫し、汚染地への帰還を強制している。例えば、福島県は県外に避難した県民全てに、災害救助法を適用し、応急仮設住宅を無償で提供してきた。しかし、災害救助法による住宅提供は2年という制限があるため、その後毎年更新手続きが必要であり、避難者は将来が不安でその改善を強く求めていたものである。2015年の今年、その要望を署名を持って各地から要請した直後の6月15日、福島県は国の指示のもとに、逆に応急仮設住宅の供与を2017年3月で打ち切ると発表したのである。そして支援が具体化しているのは福島への帰還の片道の交通費だけという。苦しい生活の中から要請した避難者に対して何と冷たい仕打ちであろうか。
     これは「子ども・被災者支援法」に違反し、人権に対する重大な侵害である。原発を推し進めてきた加害者である政府や東京電力が、本来被害者の救済と賠償を行うべき義務が自らにあるのに、避難区域を勝手に縮小し、避難者の住宅援助を打ち切り、避難者を切り捨てようとしている。「自主避難」というがいずれも年間被曝線量1ミリシーベルト以上の汚染地であり、チェルノブイリ法では避難の権利ゾーンである。それ故、住民が様々な困難の中で子供たちのために避難するのは人権の上で当然のことであり、親の義務である。チェルノブイリ法では年間被ばく線量5ミリシーベルト以上は政府の義務で避難させなければならない地域である。正しくは内部被曝2ミリシーベルトを加えているので外部線量では3ミリシーベルトである。我が国ではこのような汚染地への帰還を強制するという非人道的なことが公然と行われているのである。それを知りながら、物理学者は黙認している。中には「目に見える被害はない」と政府の帰還政策に協力している学者もいる。
     我々物理学者は福島原発事故によって、福島、関東、東北、日本中、世界中に被曝を強制してきた。未来の子供を含めて我々はこのような被曝被害の間接的、直接的加害者である。極端に見えるかもしれないが、被曝によって死産となった子供たちには本来、無限の輝かしい未来があったはずである。このような犠牲者をなくしていくことこそ人類の進歩ではないのか。逆にこのような犠牲のもとに我々は何を得ようとしてきたのか。福島原発事故は「現在が科学のあり方を根本から反省するべき時代である」ことを示していないだろうか。




    参考資料1
    「福島原発事故研究の要望に対する理事会の回答に思う」
                             山田耕作 日本物理学会誌 2014年⒌月号335ページ
    1.はじめに
     会誌2013 年10 月号によれば,槌田敦氏ら14 名は次の要望書を物理学会理事会に提出している.1) その要望書では福島原発事故の「深刻な災害のそもそもの原因は物理学者にある.戦後,一部の日本の物理学者は,安全は科学技術で確保できるとして原子力の平和利用を提起した.そして,多くの物理学者は,自主・民主・公開を条件にこの原子力の研究開発を容認した.しかし,安全の確保に失敗してしまった」として,次の2 項目を理事会に要望している.「①福島原発事故の詳細を研究するグループを結成し,その研究結果を発表する.②物理学会誌を福島原発事故に関する会員の意見交換の場としても活用し,上記研究グループの研究に寄与する」.これに対して理事会は会長名で「個別の問題に関して理事会が主導して研究グループを作るということはせず,研究グループを作る仕事は会員の自発的な活動に任せるというのが物理学会のスタンスです」と回答して実質的に要望を拒否している.1)
    2.理事会回答への疑問
    1) 個別でないテーマなどあり得ない
     理事会のスタンスは「個別」でなく一般の問題なら研究グループを組織しうるというようにも理解される.しかし,真理は常に具体的である.「個別の問題」でない「一般の問題」の研究とはなんであろうか.「研究テーマはいつも具体的であり,個別である」.それ故,理事会回答は一切研究グループを組織しないという「スタンス」になる.しかし,これまで,物理学会として重要な課題は個別にワーキンググループ等で検討してきたのであり,問題はその研究の重要性である.理事会は福島原発事故の研究の必要性を認めなかったとしか理解できない.
    2) 「物理学会のスタンス」は今期の理事会で新たに決めたのか
     これまで例えばオーバードクターの問題や女性研究者の「個別の問題」で理事会や会長が主導して検討グループやワーキンググループが結成された.また,原子力の問題は従来から,物理学会をはじめ学術会議の重要な検討課題であった.物理学会が主導して原発問題を5 回のシンポジウムのテーマとして議論し,その報告を物理学会が1988 年に『原子力発電の諸問題』として出版している.2) 日本物理学会編集の『原子力発電の諸問題』の219 ページのあとがきで編集委員会は次のように述べている.「1981 年頃より日本物理学会委員会において,会員の原子力諸問題に対する理解を深めるとともに率直な意見の交換ができる機会を設ける必要があるという提案をめぐって,数回にわたって熱心な討論が行われた.それをうけて日本物理学会理事会において可能性と具体的方式について検討が重ねられ,最終的には,物理学会の開催期間中に分科講演発表と並列に「原子力シンポジウム」を開催することとなった.原子力シンポジウム企画委員会が組織され,1982 年秋,北海道大学での第1 回原子力シンポジウムを皮切りとして,毎回主題を慎重に選びながら1986 年秋まで計5 回のシンポジウムが行われた.シンポジウムにおいては,原子力の諸問題の現状を賛否双方の立場から対立的に浮き彫りにすることを狙いとし,意見あるいは立場を異にする複数の講師の講演を聴き,その後にシンポジウム参加者から質疑に答えてもらうことにした.原子力シンポジウム企画委員会が企画に責任を持つことは当然であるが,個々の講師の講演内容及び意見については,講師自身が責任を持つべきものとした」.
     このように日本物理学会は理事会が主導してシンポジウムを開き,原子力の問題を議論し,検討し,公に出版している.さらに,物理学会主催で2011 年6 月にはシンポジウム「物理学者から見た原子力利用とエネルギー問題」を田中俊一,有馬朗人,北澤宏一,柴田徳思氏などの講師で開催し,その報告が会誌でなされている.3,4)しかし,今期理事会は要望書の「福島原発事故の詳細の研究」が「個別」のテーマであるから物理学会の「スタンス」に反するというのである.この「スタンス」は,会員間の議論もなく従来の物理学会の方針を変更するものではないか.今期理事会の「スタンス」の根拠は示されていないと思う.
    3.福島原発事故の真の原因を明らかにするために
     理事会は,要望書が提起している原子力の平和利用の容認を「個別の問題」としている.これは物理学会として原発事故に対する責任はないというスタンスに通じる.しかし,我々の先輩たちの大部分は今回の事故につながる原子力の平和利用を提案したり,容認したのである.その人類に対する責任は,故人だけのものだろうか.まして,これまで可能性の問題として議論されてきた原発重大事故が起き,現実に甚大な被害が発生している.事故は終息せず,泥沼であることは誰の目にも明らかである.原発を原子力の平和利用として容認してきた物理学会として,福島原発事故の原因を研究し,それを社会に明らかにする義務と責任があると私は思う.我々物理学者は原発重大事故の心配もせず,研究に埋没していたのではないか.本当はもっと明確に,地震国日本での原発の危険性を,物理学者は総力を挙げて国民に警告すべきではなかったのか.5) 福島原発事故が津波による電源喪失が原因なのか,地震による配管の破断や送電鉄塔の倒壊など機器の損傷が原因なのか.今後の耐震性の議論に不可欠の研究課題である.世界でも有数の地震国日本で耐震性は保証できるのか.メルトダウンした核燃料と地下水とが一体となった汚染水と溶融核燃料は如何に処理すべきなのか.余震で燃料プールや建屋が倒壊する危険もある.物理学会は解決に向けて,他分野の人たちとともに努力すべき責任があると思う.それ故,今回なぜ事故の詳細の研究や検討を組織的に行わないかについて理事会の説明が必要であると思う.「スタンスです」という結論だけでは説明になっていない.
    4.おわりに
     私は過去の経緯を踏まえて,原発の安全はなぜ破綻したのか.安全であるとして原子力を容認ないし推進してきた日本の物理学者のどこが間違っていたのか.これらの疑問の解明なしには原発の再稼働はあり得ないと思う.これはすべての事故に普遍的に通じる鉄則である.原因が明らかでなければ,同じ事故を繰り返さないという保証がないからである.津波が原因でなく地震が原因なら,いくら防潮堤を高くしても無力である.現在から過去のシンポジウムの報告2)を見ると地震や津波の議論もなく極めて未熟な理解であったことなど反省点が多くあることがわかる.広大なアメリカに比べても,震度5 以上の地震数で十倍以上も多い日本で米国の原発をほぼそのまま導入しているなど多くの誤りが見いだせる.
     このように福島原発事故の原因の問題は個々の物理学者だけの問題ではなく,平和利用を提唱し,容認してきた物理学会全体の問題でもある.理事会回答は拒否の理由を説明しない官僚的な回答に感じる.なぜ物理学会理事会はJ-PARC 事故や,原発事故を正面から取り上げないのか.物理学会は少なくとも意見交換の場を提供する立場にあると考える.
    参考文献
    1) 槌田 敦:日本物理学会誌68(2013)693.
    2) 日本物理学会編:『原子力発電の諸問題』(東海大学出版会,1988).
    3) 山田耕作:日本物理学会誌66(2011)790.
    4) 相原博昭,北本俊二:日本物理学会誌66(2011)783.
    5) 山田耕作:日本物理学会誌 51(1996)359.




    参考資料2 
    会誌掲載拒否論考 「福島原発事故で放出された放射性微粒子の危険性」
                                  山田耕作     2015年1月17日投稿
    はじめに
     福島原発事故によって大量の放射性物質が放出された。その放出量も重要な問題であるがその放出形態も被曝被害の予測にとって重要である。最近、球形の放射性微粒子が観測され注目されている。その微粒子はミクロンからナノサイズまで様々な大きさを持ち、水溶性あるいは不溶性の様々な放射性微粒子が放出されている。渡辺、遠藤、山田の3名はその微粒子がもたらす危険性について多くの人たちと議論した1)。私たちは、福島事故による被曝の危険性について学際的な議論を続けている。事故原発からは被曝として極めて危険だとされるホットパーティクルが放出されており、ことは重大である。これまでの検討結果を簡単に紹介し、予防原則からしても、会員諸氏に被曝の危険性について問題を提起すべきであると考える。これは私たち物理を専門とする者の社会に対する一つの責任の果たし方であると私は思う2)。特に放射線被曝の影響を解明していく上での、物理学者と医学者・医師との協力・連携を訴えたい。
    観測結果
     筑波の気象研究所の足立光司氏らによれば、2011年3月15日までの間で2ないし2.6μmの直径を持つ球形の微粒子が観測され、その中にはセシウムをはじめ様々な元素が含まれ一様に分布していた3)。これは粒子形成後、高温の状態にとどまり焼きなまされたと考えられる。水には不溶性で、大部分はミクロン以下の微粒子であった。3月16日以降のものは水溶性であった。これは主に硫酸塩コロイドにセシウムなど放射性元素が付着したものである。これら微粒子の生成の機構と事故の経過との関連は重要な物理学のテーマである3)。プラント工学、化学、生物学、気象学、海洋学、土壌学、農学などと物理学との共同作業が必要であると思う。
    微粒子の体内での振る舞い
     酸化プルトニウムのホットパーティクルの危険性についてはタンプリン・コクランの115,000倍危険とする指摘がよく知られている。それ以前の1969年にすでに我が国原子力委員会が的確な報告をしている4)。大きい粒子は鼻腔に、小さくなるにつれて気管支、肺胞に沈着し、さらにサブミクロンからナノサイズに近づくと血管壁や細胞壁を通りぬけて血管、リンパ系を通じて全身に移動することが指摘されている。このような粒子の大きさによる気管支・肺胞への沈着の問題は薬学でも、アスベスト被害などの内科学でも研究され微粒子の体内での挙動が明らかになっている。
     一方、イラク戦争などで劣化ウラン弾の使用とその被害が問題とされてきた。2006年に広島で開かれた国際会議でロザリー・バーテルさんは100ナノサイズ以下の放射性微粒子は血液を介して体内をガスのように自由に動くとして、大きい粒子と異なる危険性を強調した。ナノサイズの粒子は脳にも子宮にも入るのである。
     このように福島原発から放出される放射性微粒子はホットパーティクルとして両方の危険性を持ち厳しく警戒すべきである。プルトニウムはα線を放出するがセシウムやストロンチウムはβ線を放出する。これらの微粒子は体内では局所的・集中的な被曝をもたらし、自然の放射性元素カリウム40に比べて格段に危険である。なぜならカリウムはカリウムチャネルを通じて原子として体内に一様に分布するからである5)
    放射性微粒子の危険性
     放射性微粒子は気管支・肺胞に沈着して肺がんや白血病、リンパ腫を引き起こす直接的な作用と共に、活性酸素・フリーラジカルを発生し、その作用で細胞膜やミトコンドリアの破壊を通じて間接的に生体に被害を及ぼすことが知られている。微粒子に依る被曝の危険性は個々の原子による被曝とは異なり、局所的・集中的な被曝が継続することである。ミクロン単位の微粒子には億単位の放射性原子を含んでいるからである。そして、体内の臓器に長く留まる。
    放射線によって発生したフリーラジカルの危険性
     放射線によるイオン化作用によって活性酸素・フリーラジカルが発生する。もともと生体はこのような活性酸素を用いて病原菌を殺し、生体を守ってきた。しかし、過剰な活性酸素は生体にとって有害である。放射線によって発生する、作用が強力なヒドロキシラジカル・OHは体内に解毒する酵素がなく特に危険である5)。放射性微粒子によって発生したフリーラジカルは細胞膜脂質などを連鎖的に破壊する。ペトカウ効果と呼ばれ低線量での長期被曝によって、心臓など心血管系を含む広範な病気が引き起こされるようである。
    東京圏における様々な病気の増加
     福島における心筋梗塞や突然死が異常に高いことの指摘に留まらず、東京圏にも病気の増加が見られる。例えば血液がん患者数の増加を「院内がん登録」を用いて確認できる1)。物流の中心である東京は、他の県に比べ高い残留放射線量を示している。我が国のがん患者数は諸外国で減少しているにもかかわらず、増加している。2010年と2012年では血液がんは全国で14.3%増加している。しかし、東京は21.1%増であり6.8%高い増加率である。「院内がん登録」統計は、東京の全がんについて、事故前の2010 年から2012 年までの2 年間に、患者数が5 2,090 人から58,662人(調査病院により補正)へと12.6%増加したことを示している。全国では調査病院数の補正値544,067 人から590,856 人へと8.6%の増加であり、東京がやはり4%高い。
     同じような傾向は順天堂大附属病院の血液内科の各疾患の患者数6)や首都圏の4病院、NTT東日本関東病院、千葉大学医学部付属病院、武蔵野赤十字病院、東京逓信病院における骨髄異形成症候群による入院患者数の増加にも見られる1)
    おわりに
     福島原発からナノからミクロンサイズの多様な微粒子が放出された。その結果、ホットパーティクルとしての内部被曝の危険が、今回さらにセシウム、ストロンチウムなどの元素でも生じることがわかった。福島だけでなく、東京圏における放射性物質による汚染の現状に対応して、すでに在京の一部病院で放射性微粒子による被曝に起因する疾患とされる血液系疾患や白内障の増加が見られ、詳しい調査が必要である。
     物理学会員の皆さんには放射性微粒子の物理とその危険性について周りの医学者・工学者など異分野の人と総合的な検討をしていただくことを訴える。
    参考文献
    1)詳しくは yahoo.boxのURL http://yahoo.jp/box/dzEJilを参照
    2)山田耕作:日本物理学会誌:2014年⒌月号、69、335ページ
    3)KoujAdachi:http://www.nature.com/srep/2013/130830/srep02554/full/srep02554.html
    4)http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/ugoki/geppou/V14/N12/196901V14N12.html 
    5)落合栄一郎『放射能と人体 』講談社(2014年)
    6)順天堂大学医学部附属順天堂医院 血液内科
    http://www.juntendo.ac.jp/hospital/clinic/ketsuekinaika/kanja03.html




    参考資料3 
    参考資料2の掲載拒否までの経緯

      編集委員長回答 2月26日

    山田耕作様
     再投稿ありがとうございました。前回は、字数制限による門前払い的な対応になり申し訳ありません。指摘されている点は物理学者と医学者・医師との協力・連携の提言と理解しました。
     会員の声は内容に関しては著者の責任で、閲読的なことは行わないとしていますが、学会誌への掲載の妥当性に関しては編集委員会で検討、決定しています。今回の記事は、「ホットパーティクル」や「東京での院内がん登録と福島事故の関連」など、必ずしも確定していない事実に関して論理の展開があり、編集委員会では主張されている内容の論理的関係が読み取れない(たとえば、がん増加と福島事故の因果関係を主張しようとしているのかどうか、など。)との議論となりました。このような論理の展開は、会員の声の範疇を超えていると判断しました。また、上記の議論はすでにブログなどでも発表されているものであり、その周知活動と見なされる要素もあります。
     これらの観点が議論され、編集委員会において本記事の掲載を差し控えるとの結論になりました。もし、事実関係の論理の展開をされる場合、論理を整理し、専門誌に投稿を勧めます。
    日本物理学会誌編集委員長
    宮下精二

      著者の回答 2015年3月2日

    会誌編集委員会のみなさんへ
    編集委員会に、誤解に基づく掲載拒否の撤回を要求します
    2015 年3 月2 日 山田耕作

    掲載拒否の撤回要求と質問

     2月26日に編集長から掲載拒否の回答を受け取りました。しかし、回答を全く理解できません。以下に述べますように編集委員会の全くの誤解に基づく決定であり、掲載拒否を撤回されるよう要求します。そうでない場合は私の疑問①〜④に納得のいく回答をください。
    編集委員会の決定 念のため編集長の回答を記します。
    山田耕作様
    再投稿ありがとうございました。…上述2月26日付編集委員会回答。…。
    日本物理学会誌編集委員長
    宮下精二

    決定に対する反論と質問
     以下に私の反論と質問を述べます。
    1.拒否理由「論理の展開が会員の声の範疇を超える」とは?
     会誌の投稿規定では
    1) 広く会員にとって関心があると思われる話題についての個人的な意見や感想を述べた投書を掲載する.
    2) 採否は編集委員会での議論を踏まえ,委員長が判断する.その内容に関する責任は投稿者が負う.
    となっており、被曝の危険性について注意を促すことは物理学者の責任としても重要な投書であると思います。2)は個人の責任の範囲を超える間違いなどに適用するものと思います。今回の理由「論理の展開は、会員の声の範疇を超えている」かどうかまで判断するのは越権です。なぜなら、会員の声の範疇が定義されていませんが1)から、「個人的な感想や意見」の範疇であるはずです。この際論理の展開の仕方は投稿者の裁量の範囲内であると思います。個人の感想や意見を述べるのに、投稿者が最も適切な論理の運び方を選ぶ自由はあるでしょう。相応しくなければ編集長がアドバイスすべきですが、いきなり掲載拒否は異常です。
    ①「会員の声の範疇は何ですか」、②「論理の展開が会員の声の範疇を超える」とはどういう意味ですか。
    2.予防原則の無理解による誤解
     編集委員長の回答は私の投稿の主旨を正しく理解していません。私は「初めに」の終わりで投稿の主旨を」次のように述べています。
     「予防原則からしても、会員諸氏に被曝の危険性について問題を提起すべきであると考える。これは私たち物理を専門とする者の社会に対する一つの責任の果たし方であると私は思う2)。特に放射線被曝の影響を解明していく上での、物理学者と医学者・医師との協力・連携を訴えたい。」
     予防原則とは「ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがあるときには、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分立証されていなくても、予防的措置(precautionary measures)が取られなくてはならない」というもので国際的な合意となっている原則です。
     その観点、つまり、危険性の回避の観点から、ホットパーティクルが福島原発から放出されたという重要な事実とその危険性に関する定説を紹介しました。それに関連する病気が福島だけでなく、東京など広く増大している事実を紹介しました。これらは重要な事実と考えるが故に、詳しい調査と検討のために物理学者と医者・医学者の連携を訴えたのです。
     ところが編集長は
    「今回の記事は、「ホットパーティクル」や「東京での院内がん登録と福島事故の関連」など、必ずしも確定していない事実に関して論理の展開があり、編集委員会では主張されている内容の論理的関係が読み取れない(たとえば、がん増加と福島事故の因果関係を主張しようとしているのかどうか、など。)との議論となりました。このような論理の展開は、会員の声の範疇を超えていると判断しました。」
    と述べています。投稿の主旨で述べた「予防原則」で因果関係に関する議論は明白です。私は因果関係そのものを問題にしているわけでなく、投稿の目的は予防原則に基づく被害の防止です。そのためのホットパーティクルに対する警告であり、問題提起であることは編集長が「医者と物理学者の連携」を理解され、その直前の文章ですから当然理解されているはずです。私が予防原則を主張していることは因果関係より被害の回避と救済の必要を主張していることは明らかです。引用している文献2も「物理学者の社会的責任と原発事故の研究」の会誌での積極的議論を訴えたものです。私は因果関係を論じて学術論文を書くために投稿しているわけではありません。それが明らかなのに「専門誌に投稿を薦めます」とは投稿の主旨をゆがめ,自らまじめに投稿文や予防原則を検討もせず、編集委員長は「会員の声」に掲載するための努力を放棄しているようにさえ感じました。「因果関係を主張しているのかどうか」編集委員会で議論されたということですが私が予防原則に基づいて議論していることは明らかであり、因果関係を主題にしていないことは明白です。
    3.私の投稿は論理の展開ではなく、ホットパーティクルに関する事実の報告
     私は病気の増大の事実を上げ、(因果関係の議論ではなく)より詳しい調査を訴えています。それは明白だと思います。それゆえ、「論理の展開が会員の声の範疇を超える」という意味が全く分かりません。なぜなら、私は学説や事実の紹介にとどめ、さらに調査が必要とし、因果関係はもとより、ほとんど論理を展開していないからです。賢明な会員諸氏は私の示した諸事実から自ら総合的に判断されるものだと思うからです。何よりもまず、放射性微粒子の放出などの事実が会員諸氏に周知され、警告がなされるということが重要です。
    4.物理学者は被害の低減に努力を
     わたしの文章は次のようになって終わっています。「福島だけでなく、東京圏における放射性物質による汚染の現状に対応して、すでに在京の一部病院で放射性微粒子による被曝に起因する疾患とされる血液系疾患や白内障の増加が見られ、詳しい調査が必要である。物理学会員の皆さんには放射性微粒子の物理とその危険性について周りの医学者・工学者など異分野の人と総合的な検討をしていただくことを訴える。」
     以上を見て分かるように私は因果関係の論証については重視していません。むしろそのための一層広範な調査の必要を訴えるものです。これは予防原則からしても必要なことです。予防原則は因果関係が証明されるまで待つのではなく「慎重なる回避」を原則としています。私はその観点から事実の提示に努めました。
     私は前書きに「予防原則からしても、会員諸氏に被曝の危険性について問題を提起すべきであると考える。これは私たち物理を専門とする者の社会に対する一つの責任の果たし方であると私は思う2)。特に放射線被曝の影響を解明していく上での、物理学者と医学者・医師との協力・連携を訴えたい。」と書いており、因果関係より被害への警告と救済にあることは明らかです。私が「問題提起」であると述べていることをあえて「因果関係」にまで編集委員会は勝手に拡げ、掲載できないとしているのです。編集長も自分で問題を因果関係まで広め、「会員の声の範疇を超える」としているのです。私にとってはとんでもない濡れ衣です。ただし、念のために言いますが、編集委員会とは異なり、私は意見として一般に因果関係を議論することが「会員の声」の範疇を超えるとは思いません。
     これらの予防原則に基づく作業は放射線被曝の被害をできるだけ早く発見し、警告し、被害を可能な限り小さくするという我々物理学者の現在および未来の人類に対する責任であると私は考えており、その意見を述べるための投稿です。物理学会員への意見の提示が投稿の主旨であることは明らかなのに専門誌への投稿を薦めるなど誤解も甚だしいものです。
    5.なぜ修正でなく、いきなり掲載拒否なのか
     万一もし「論理の展開が範疇を超える」としても、修正を促すのが常識的な判断ではないでしょうか。私の投稿の主旨が因果関係の証明にあるような理解はとんでもない誤解です。苦労して投稿しているのも物理学者として原発事故に責任があると私は思うからです。これは個人個人によって異なることでしょうから、私は一人の会員として意見を投稿しているのです。③編集委員会のように常に閲読を持ち出し、会員の自由な意見を封じるのは多様な会員の意見交換と相互討論の場としての「会員の声」を死滅させることになりませんか。編集委員会はむしろ積極的に会員間の議論を活性化すべきではないですか。「掲載の妥当性を検討する」ことは「閲読的なこと」ではないのですか。
    6.なぜ編集委員会は誤読したのか
     優秀な編集委員たちが私の投稿文をなぜ誤読したのか。それは物理学者の社会的責任という人道的な観点と「会員の声」にまで学術的な形式を機械的に適用する編集委員会の姿勢との違いが原因ではないかと思います。「事実の公表」より「論理の展開」を問題にしたり、「人間の救済」より「閲読」や「範疇」を優先する姿勢が誤読を生むのではないでしょうか。普通の市民は編集委員会のような「因果関係を議論しているのかどうか」などとは議論をしませんし、誤解もしません。予防原則の立場、すなわち、被害から子供やすべての人を守るという視点が最優先です。
    7.ホットパーティクルの放出の危険性は広く警告すべき重要問題
     編集長の理解のように、物理学者と医者との協力を提言するためには一般的な内部被曝研のブログでは不十分で会誌で物理学者に周知し、直接訴えることが必要です。④なぜ物理学会員への「周知活動」が掲載拒否の理由になるのですか。市民と科学者の内部被曝問題研究会のブログは内部被曝をめぐる限定された有志による検討会です。私にとっては医者と物理学者の共同研究の実践例を物理学会員に示すもので貴重ですが、主に市民との意見交換の場です。それ故、物理学者全員を対象とする本投稿とは訴えの内容や規模も異なります。特に今回は放射性微粒子の放出問題の重要性を物理学者に知らせ、危険性の解明に協力をお願いしたいと思います。
    8.質問項目を再掲します。
    ①「会員の声」の範疇は何ですか
    ②「論理の展開が会員の声の範疇を超える」とはどういう意味ですか。
    ③ 編集委員会のように常に閲読を持ち出し、会員の自由な意見を封じるのは多様な会員の意見交換と相互討論の場としての「会員の声」を死滅させることになりませんか。編集委員会はむしろ積極的に会員間の議論を活性化すべきではないですか。「掲載の妥当性を検討する」ことは「閲読的なこと」ではないのですか。
    ④ なぜ物理学会員への「周知活動」が掲載拒否の理由になるのですか。

      会誌編集委員長回答 2015年3月28 日

    2015 年3 月28 日
    山田耕作様
     ご連絡ありがとうございました。ご質問に関する編集委員会の考えをお知らせします。
     まず、「会員の声」欄の文責は投稿者にあるため、比較的軽微な改訂をお願いする場合を除き、委員会は強い改訂意見を述べないこととしていることをご了承ください。
     前回の回答に書きましたように、指摘されている主旨は物理学者と医学者・医師との協力・連携の提言と理解しました。その主旨の掲載に大きな問題はないと思いますが、現原稿を掲載不可と判断した理由として以下の点があります。
     回答の『「ホットパーティクル」や「東京での院内がん登録と福島事故の関連」など、必ずしも確定していない事実に関して論理の展開があり、編集委員会では主張されている内容の論理的関係が読み取れない』の部分については、たとえば、がん増加と福島事故の因果関係を主張しようとしているのかどうか、などが理解しにくいためこのように表現しました。つまり、東京での院内がん登録の増加を福島から拡散してきたホットパーティクルに関連づけるかどうかについて、文面では陽には関係が述べられていませんが、文脈からすると明らかに関係づけていると考えられます。たとえ先生の立脚される「予防原則」が因果関係の立証を必要としないものであったとしても、読者のとらえ方によっては風評や風説の流布にもつながりかねない記述のある場合、編集権の範囲として掲載に慎重な姿勢をとっています。それらの関連を科学的に議論することは「会員の声」欄の役割ではなく、より専門的な議論をしっかりと展開できるところですべきであると考え、そのことを「論理の展開が会員の声の範疇を超える」と回答しました。また、ホットパーティクルに関しても、否定的な見解もあるようで物理的根拠が十分なコンセプトではないと判断しています。「会員の声」欄において専門家による閲読を経ないままこの議論を主張することは、読者に無用の誤解を与える恐れがあり、編集委員会としてお知らせいたしましたような判断となりました。これらの判断は「閲読的」と捉えられなくもありませんが、記事中に描かれた事柄や用語に一定の客観性や合理性を求めることは、公的性格の強い物理学会の会誌編集委員会の責務の一つであり、そのための裁量の範囲内であると考えています。この点に関して「会員の声は内容に関しては著者の責任で、閲読的なことは行わないとしていますが、学会誌への掲載の妥当性に関しては編集委員会で検討、決定しています。」と回答させていただきました。
     「周知活動」に関しては判断が難しいところです。編集委員会が各投稿に強い改訂意見を述べない「会員の声」欄では、個々人の研究成果から全く合理性を欠いた物理の新理論の宣伝、あるいは物理と全く関係のない内容の勧誘など、さまざまな周知活動が形式上は可能となります。これら幅広いスペクトルの周知活動による不測の事態を避けるため、掲載可否判断にあたっては一律に抑制的な対応をとっています。(限られた時間の中での編集活動であることをご理解ください)
     繰り返しになりますが、指摘されている主旨は物理学者と医学者・医師との協力・連携の提言と理解しており、その主旨に強い異論はありません。編集方針をご理解の上、改訂再投稿していただくことを拒絶するものではありません。(4月以降の編集についての事務連絡、略)
    日本物理学会誌編集委員長
    宮下精二

      T氏のコメント
     私と編集委員会のやり取りを読んだT氏より、次の感想が寄せられた。
     「改めて驚きました。『論理の展開が会員の声の範疇を超える』に加えて『読者のとらえ方によっては風評や風説の流布にもつながりかねない』などと言われると``物理学会一般会員は読解力なき馬鹿者共だ” と 見下されているような感を抱かざるを得ません。
     また山田さんの投稿内容が『個々人の研究成果から全く合理性を欠いた物理の新理論の宣伝、あるいは物理と全く関係のない内容の勧誘など、さまざまな周知活動』の一種と見なされたとすれば これは甚だしい言いがかりだと思います。」




    追記1 弱いものを締め出す社会は弱くてもろい社会である

     最後に本題から離れるが、人権と民主主義に関する障がい者、老人など社会的弱者と社会の関係について付け加えたい。以下の文章は人権、民主主義がすべての人間にとって何よりも大切であることを示す経験や言葉であると思う。

    ・私は定年退職の最終講義の前日、たまたま『楽団あぶあぶあ』の演奏を聴いた。ダウン症や知的障害の人たちを演奏メンバーとする楽団である。京都コンサートホールいっぱいに集まった同じような聴衆が、演奏がはじまると、歓喜で飛びあがり、駆け回り、感動を表すのである。会場いっぱいの騒がしさである。私の前の席の多動症の子供も騒ぎ走り回るので、その子のお母さんは追いかけ、他の人に謝るのに大変であった。私はいつもおとなしいダウン症の子供たちの、このような生き生きとした表情と爆発的なエネルギーをはじめて知った。「一人の進歩がみんなの喜びに」がこの楽団のモットーであった。多動症の子どもの母親が謝らなくてよい社会に、子供がそのまま受け入れられる社会にしていこう。



    ・「弱いものを締め出す社会は弱くてもろい社会である。みんな仲間なのです。わたしが歩まなければならなかった、この最も悲しみに満ちた行路を歩む間に、私は人の心は全て尊敬に値すると知ったのであります。全ての人は人間として平等であり、そして万人はみな人間としての権利を持っていると教えてくれたのは、ほかならぬ私の娘でありました。…もし私がこれを理解する機会に恵まれなかったとすれば、私は自分より能力のない人に我慢できないあの傲慢な態度を持ち続けていたに違いありません。娘は私に人間とはなんであるかを教えてくれたのであります。」(パールバックさん、知恵おくれの子の母親)

    ・「被害者の苦しみや悲しみを共にしようとしない人々に伝えようとするとき、伝えようとする『環境汚染をなくし、それを生み出す社会を変えていこう』という考え方は『環境汚染によってもたらされる障害や病気は恐ろしいものだから、それを無くしていこう』という風に受け取られることが多い。なぜなら共に生きる、苦しむという視点がない限り、評価のみが一人歩きし、そのイメージのみが伝わることになるからである。」(真野京子、少人数ゼミパンフ1999年)

    ・朝日新聞(2005年5月12日)の投書欄に載った45歳の母親の言葉。
     「『普通じゃないのよ』その声に、熊手を持つ手を止めて数メートル先を見た。潮干狩りに興じている幼児2人を連れた若いお母さんの口から出た言葉だとわかると、振り向いて娘を見た。先月中学生になった娘には、重い知的障害がある。思春期のシンボルも現れ始めたその顔や手は、泥で汚れていた。そうか、子供から『あの人、大きいのに泥まみれで遊んでいるよ』 と質問され、それに答えたのだろう。母親もどう説明したらよいのかわからなかったのだろう。けれど、『普通じゃない』 という言葉は、幼い子供達をぴしやりと黙らせるのには効果があった。休日で天気もよく、おまけに大潮だったので、かなりの人で、にぎわったが、たくさんのアサリを持って帰ることができた。潮をふくアサリは、どれも同じものはない。色も模様も千差万別だ。まるで、他と違って当たり前と自己主張しているようだ。『普通』、『普通じゃない』 と分けられない社会になれば、その時がくれば私も娘を残す不安もなく死ねるかもしれないと思った。」

    ・2015年6月27日に開かれた大飯原発差し止め訴訟原告団総会で福島からの避難者を代表して、鈴木絹江さんは、原発からの避難が障がい者にとって如何に過酷なものであるかを自らの体験をもとに話された。障がい者は事故で真っ先に死ぬ、炭鉱におけるカナリアのようなものだと言われた。社会的な弱者を含めて共生する民主的社会においては、障がい者にとって、その生命と健康を破壊する緊急避難を必要とする原発は避難体制の問題以前に、本来人権と相容れないものであり、存在すべきでないのである。


    2015.04.27 Monday

    『放射線被曝の理科・社会』の問題点 (5〜6章・付表・資料)  山田耕作・渡辺悦司

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      2015年4月

      『放射線被曝の理科・社会』の問題点
      (5〜6章・付表・資料)


      山田耕作、渡辺悦司
      2015年4月3日(5月15日改訂)

      〖ここからダウンロードできます〗
      『放射線被曝の理科・社会』の問題点(全体) (89ページ,1200KB,pdf)

      〖参照〗 (1〜4章)
      『放射線被曝の理科・社会』の問題点(1〜4章)



      以下は 『放射線被曝の理科・社会』の問題点(1〜4章) のつづきです


         5.第5章「原発住民運動と放射線問題」(162ページ)

      5-1.被曝の問題では原発推進勢力と「科学的見解を共有する」という見解

       『理科・社会』177ページ「私自身ははっきり原発には反対の立場なわけですが、放射線の問題については、原発賛成の立場の人とも科学的な見解を共有することがあっても何ら問題はないと考えます。」
       同177ページ「原発に賛成する人たちも反対する人たちも同じテーブルについて肝を据えた議論を行う必要があると思います。このことを行う上で大きな壁になっているのが、『放射線影響が大きければ大きいほど脱原発にとって都合がいい』という心理です。これを乗り越えて、原発そのものの是非と放射線の健康問題の有無・大小は別の問題で、一緒くたに論じてはならないという一致点を作ることが、原発をどうするのかという日本の将来に関する重要な課題に国民全体が向き合っていくための、重要な第一歩になると考えます。」
       ここでも『理科・社会』の著者たちの歪んだ心理が表現されている。人々は原発に反対するために被曝の危険を探しているのではなく、核の歴史とくに核兵器と原子力発電の歴史の中で被曝の危険性が現実に明らかになり、人類的課題として核の利用の停止が客観的に提起されたのである。あたかも「核の危険性を棚上げにして核の廃絶を議論する」がごとき提案がベテラン科学者からなされることは信じられないことである。「放射線影響が大きければ大きいほど脱原発にとって都合がいい」などと考えている人がいるだろうか。これは失礼ながら『理科・社会』の著者のように内部被曝をはじめ被曝の被害を誤って過小に評価している人に限って、そのように見えることではないだろうか。我々はむしろ、チェルノブイリや福島で次々と明らかにされる事実を驚きと恐怖を持って受け止めている。しかもまだそれが十分に明らかにされていないと考えている。そのため汚染地からの避難を訴えているのである。まず、チェルノブイリ法に見習い、年に1mSv以上被曝の恐れのある地域の避難を選択した家族や人には、経済的にも避難を可能にする避難の権利が保障されなければならない。年に5mSv以上被曝する地域は政府が避難させる義務があるところとしなければならない。現在のように年間20mSv以下であるとして帰還させるのはとんでもないことである。
       これまで検討してきたように『理科・社会』は内部被曝をはじめいつも過小評価の方向に間違っているのは偶然であろうか。著者たちこそが、危険な放射線被曝の真実を明らかにすることを「恐れている」ように見える。自らが過小評価しているので、真実を暴く科学的見解が根拠のないデマのように見えるのではないだろうか。鼻血問題がその例である。我々は淡々と被曝の科学を進歩させればよいのである。著者たちはなぜ原発に対する立場を先に問うのであろうか。被曝の科学が正しくなければ判断ができないのではないだろうか。原発をどうするかは世の人々がその科学的な結果を見て正しく判断するであろう。『理科・社会』の内部被曝は外部被曝ほど危険でないという見解は、本当に正しいのか。これが誤りであることこそ肝心かなめのことである。
       結局、『理科・社会』の出版は反原発運動の武装解除を説得するための出版であったのである。これではICRPなど原発に賛成する人とも共同行動ができるのは当然である。原発が生み出す放射能の危険性、放射線被曝による健康破壊を抜きにして原発停止を説得することが正しいことであろうか。ほとんど大部分の人たちは、子どもたちをはじめ未来の人類の命と健康を守るために原発廃止を要求しているのである。それはICRPの歴史が裏返しの形で証明していることである。歴史的にICRPによって、内部被曝は核の推進のために隠蔽されてきたのである。『理科・社会』のベテランの科学者がこの歴史を知らないはずがない。にも関わらず、「原発に反対する」彼らが今まで見たようにICRPの見解を支持するのはなぜなのか。本書を読むものには理解できない。
       中川保雄氏の言葉を最後に引用する。
       「今日の放射線防護の基準とは、原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクをやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである。」(中川保雄「放射線被曝の歴史」))

      5-2.脱原発運動をめぐる現下の根本問題

       結局、『理科・社会』に関連して、現在の状況の下で提起されているのは、以下の3つの根本的な問題である。
       1.住民の健康被害を引き起こし住民のストレスを高めている元凶はいったい誰なのか?
       2.「目に見える被害は出ない」という主張はいったい誰の役に立つか?
       3.なぜいまこのような主張をするのか?
       これについて我々は次のように考える。
       第1の問題。原発事故を引き起こし大量の放射能を放出させた東京電力・政府・原発推進勢力こそが、住民の健康被害を引き起こし住民に強力なストレスを与えている元凶である。東京電力・政府・原発推進勢力こそが有責であり、生じた事態に対してすべての責任を取らなければならない。彼らは、本来、訴追されなければならない刑事被告人であり、民事上のすべての賠償義務を負うべき被告である。『理科・社会』が、「放射線の恐怖をあおる」脱原発派という虚偽の図式を持ち出すことによって、曖昧にしぼかし隠そうとしているのは、この基本的な対立関係である。それを常に明確にし、一時も忘れてはならない。
       第2の問題。「「目に見える被害は出ない」という主張は、重大事故を引き起こし福島と日本全土と世界を汚染した張本人を救済しようとする論理である。彼らが用いる論理――現に被害が出ている事実があるという主張は「風評」であり無用に「人々の恐怖をあおる」ものであるとする論理――もまた、同じように犯人の救済論である。それらは、表裏一体となって、事故を引き起こし放射能をまき散らした張本人が、晩発性の放射性障害を含め長期にわたって賠償し償うべき責任を逃れるのを助ける弁護論である。端的に言えば、このような犯人と責任者の免罪を脱原発運動が行うべきであるというのが、この本の著者たちの主張である。
       第3の問題。「なぜいまなのか」は明らかである。政府・電力会社・原発メーカー・原発推進勢力、これらの福島原発事故を引き起こした張本人は、一体となって、この夏から原発を一挙に再稼働しようとしている。もっと言えば、福島事故のような重大事故がおよそ10余年から30年程度に1回の確率で起こることをいわば前提にして、全国で40基程度を、40年以上経た老朽原発も含めて再稼働しようとしている(つまり廃炉決定5基以外は数基を除いてほぼ全ての原発を再稼働し、原発依存度は事故前2010年の29%から2030年の22%に下げるだけである)。さらに、核燃料サイクルも推進し続け、高速増殖炉もんじゅも動かし、原発の新増設も続け、独自核武装の準備も進めようとしている。問題は国内だけでない。事故で危険性が明らかになった原発を、世界に、とくに途上諸国に、大々的に輸出しようとしている。「事故が起こっても何の問題もない」「被曝しても何の健康影響も出ない」「被害が出ているというのは『風評』すなわち嘘やデマである」「放射線への恐怖こそが被害を生み出している」という主張は、大規模再稼働と原発推進と原発輸出と独自核武装準備を進めるための原発推進勢力の共通のスローガンである。また原発を世界に売りこむための国際的な宣伝競争のキャッチフレーズである。(事故確率については、経済産業省原子力委員会原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会「核燃料コスト、事故リスクコストの試算について」2011年11月10日の表3の注記を参照。
      http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/kettei/seimei/111110.pdf 我々の微粒子論文の注73も参照のこと)。
       この第3の問題には、もうひとつの重要な側面がある。政府・東電による賠償の打ち切りと原発周辺地域の「核のゴミ捨て場」化に対して、福島県の住民の反発が、極めて強くなってきていることである。「被害は出ない」という主張は、抵抗する住民を宥め反発を和らげるための策略だと取られても仕方がないし、著者たちの意図はどうであれ、客観的にその役割を果たしている。

      5-3.福島県住民による『理科・社会』的見解への厳しい批判

       『理科・社会』が図らずも明らかにしている重要な点は、福島県の住民の多くが、被曝による住民の健康被害を認めず福島を「核のゴミ捨て場」に変えようとする政府・東電また県や行政当局に対して不満や怒りを露わにし、その怒りは行政側の当事者でもある著者たちにも実際に向けられているという事実である。著者たちは、住民から「加害者を免罪するのか」「反原発運動に水を差す」「裁判を不利にする」「障害者差別だ」などと厳しく批判されていることを自ら告白している(133〜136ページ)。これらはまさに正当な批判である。
       とくにこの最後の批判は、清水氏の次の発言に対するものであり、氏の見解の本質を鋭く突いたものである。清水氏は、県のアンケート調査で避難区域住民を中心とした成人の約6割が「現在の放射線被曝の次世代以降の人への健康影響の可能性」が「非常に高い」あるいは「やや高い」と回答していることに関連して、次のように述べる。「(広島・長崎の原爆被爆者と同様に福島事故においても)被曝による遺伝的な影響は確認されない」「先天奇形・異常は通常からある程度の確率で発生する。福島でそうした子供を出産した親の気持ちを考えてみてほしい。『あのとき避難しなかったのがよくなかったのではないか』という悔恨、そして東京電力や政府に対する怨念や憤怒を、一生かかえながら生きることになるかもしれない。これは悲劇だ」「被災者である県民自身が遺伝的影響の存在を信じているようだと、『福島の者とは結婚するな』と言われても全く反論できないし、子供たちから『私たち結婚できないの』と問われて、はっきり否定することもできない」(132〜133ページ)と。
       清水氏の言う通りであれば、福島県民自身が、また障害者とその親たちが、「遺伝的影響があると信じている」という原因から、差別されても「全く反論できない」「否定できない」という結果になるということである。これは「遺伝的影響の存在を信じる」なら差別されても仕方がないという見解であり、障害者に対して差別を行う者あるいは差別を生み出す社会制度の側にではなく、差別を受けている障害者とその家族の側に、その考え方や心理の方に、差別が生まれる原因があるという主張である。つまり、差別者の側ではなく被差別者の側に「落ち度」があるというのであり、「障害者差別だ」と批判されて当然の発言である。
       この批判は厳しかったのか、清水氏は次のように言い訳をする。「私は、障害をもって生まれること、あるいは障害者を子に持つことが不幸だとは言っていません。それを自分の落ち度だと思い込んだり、人を恨み続けたりすることが不幸だと言っているのです」(135ページ)。
       この発言は、その通りに読めば、「不幸」の原因は、障害をもって生まれてきたという客観的な事実ではなく、「(避難しなかった)自分の落ち度を責めたり」「(事故を起こした)人を恨み続ける」と考えている、障害を持って生まれた人とその親たちの心の持ち方と精神的な態度にある、言い換えれば、「不幸」の責任は障害者本人と親たちの側にあるということになる。「(事故を起こした)東京電力や政府に対する怨念や憤怒」をもって「恨み続ける」から「不幸」になるなのだということである。自分の「不幸」を自分でつくり出しているのだというのである。ただ清水氏には、この議論をさらに突き詰めて、住民が「東京電力や政府に対する怨念や憤怒」を捨てれば「幸福になれる」、「遺伝的影響はないと信じる」ようになれば「差別を受けることはない」と、はっきり言い切るだけの自信も勇気も根拠もない。これによって議論は分かりにくくなっているが、要するにそう言いたいのである。
       清水氏は続けて「自らの、あるいは家族の一員の障害と向き合い、受け入れるのは大変なことですが、天から与えられた試練と厳粛に受け止めるしかありません」(135ページ)という。つまり、障害者が生まれることは、事故を起こし被曝を引き起こした「人」の責任ではなく、人を超越した「天」すなわち神の意思なのだから、神の与えた「試練」として「厳粛に」「受け入れよ」、要するに「堪え忍べ」というのである。
       言い訳できなくなった清水氏は、最後には、「反原発のために奇形児の誕生を待ち望むような傾向こそが、私には障害者差別にほかならないと思えます」と述べ、自分への差別主義という批判を露骨なデマによって反原発運動に転嫁しようと試みている(135ページ)。ここでは、清水氏は「ネトウヨ」的「トンデモ」発言と区別できないまでの悪質な水準に転落している。
       これらの発言は、明らかに障害者とその親たちを、またこれから子供を持とうとする人々を、さらには反原発運動を闘っている広範な人々を愚弄し、誹謗し、中傷し、人間としての尊厳を冒涜するとしか言いようのない暴言である。これは驚くべき転倒した心理主義、倒錯した主観主義であって、かの山下俊一氏の「笑う人には放射線の影響は来ない」という発言と同一の性格である。ここまで来れば、清水氏の発言がいったい誰を救済しようとし、何を正当化しているかは明らかである。このような発言をめぐって「障害者差別だ」という非難が巻き起こり、「ネットで炎上」した(132ページ)としても当然である。
       以上から明らかなように、同書を読めば、我々は福島県住民の「東京電力や政府に対する怨念や憤怒」を感じ、本書のような屈服的傾向に対する住民の強い批判と抵抗と闘いを感じとることができる。我々もまたそこから勇気をくみ出すべきであろう。

      5-4.『理科・社会』的傾向の政治的社会的性格

       著者たちが、「美味しんぼ」攻撃で、安倍首相や政府・環境省と事実上の「共闘」関係に入ったことは、今では「目に見える」事実である。それと並んで、著者たちのうち2人は、行政側に選ばれて原子力行政内部の一定の重要ポスト(1人は「福島県民健康調査検討委員会」の「副座長」であり、他の1人は事故後に「福島大学客員教授」「福島県本宮市放射能健康リスク管理アドバイザー」)を与えられたこともまた、「目に見える」事実である。著者たちは、客観的に、自分たちもまた被曝被害の隠蔽に荷担し有責となったといわれても仕方のない立場となった。
       著者たちが『理科・社会』において展開している見解は、原発をめぐる新しい情勢と著者たちをめぐる政治的社会的諸関係の変化の結果、著者たちの基本的立場そのものが、政府・環境省・行政側へと移行しつつあり、原発事故と放出放射能の結果として現実に被害を受けている広範囲の住民の利益から、また脱原発を願う大多数の国民の利害から、「かけ離れて」行っているのではないか、という重大な疑念を広範な人々の間に生じさせても何の不思議もない内容となっている(133ページで「最悪の御用学者だ、大学から追放せよ」という書き込みもあったと書かれているが、象徴的である)。
       もしも、著者たちにそのような疑念を払拭できる道がまだ残されているとすれば、著者たちが上記のようなポストにありながら「再稼働反対」を掲げて闘うかどうかということだけであろう。

         6.おわりに

       『理科・社会』を通じてくりかえされる言葉がある。それは「目に見える被害はない」という主張である。これは田崎晴明氏の本にも繰り返される言葉である。私たちが不思議に思うのはなぜ「被害はない」と言わずに「目に見える」という修飾語が共通に繰り返されるのだろうか。物理学会誌上でも閾値があるとして山田を批判した稲村卓氏は低線量の遺伝子損傷は他の効果で見えないから閾値があるといった。しかし、「見えない」は「存在しない」とは全く異なることである。他の効果で観測が難しくても存在するものは観測と関係なく存在するのである。本論を通じて議論したように、被害を見るためには不断の努力が必要である。少人数の調査では低線量の被曝被害は見えない。田崎氏の言うように「バタバタと倒れる」ことはないからである。しかし、このような「目に見える」という基準で被害の有無を判定することは、客観的な法則を観測の有無にすり替えることである。ガリレオのように「それでも地球は回っている」というのが科学の精神である。福島原発事故の被害も、誠実な調査が行われなければ「目に見える被害はない」ことになる。見ようとしなければ「目に見える」ことはない。現実に、チェルノブイリ原発事故の被害をめぐる2つの陣営の国際的対立では、「正式の」科学雑誌に「査読」という事前検閲を経て掲載された英語の論文以外は見ない人や信用しない人があり、それらの人には被害は「見えない」のである。科学の進歩のためには「見る」ための必死の努力が必要なのである。野口氏の「10ミリシーベルト以下の被害が明らかになることはないだろう」という言葉は不可知論であり、あくまで真理を探究するという科学の精神に根本的に反する。それ故「目に見える」という実証主義的な言葉は真実をごまかすために用いられていると我々は思う。目を閉じれば福島の悲劇は消えるというわけではない。どんなにつらくても我々は真実を追求しなくてはならない。それが過去、現在、未来の人類に対する我々に課された責務ではないだろうか。真理は長く永遠に人類に貢献するのである。これはまさに「美味しんぼ」の作者、雁屋哲氏の信念であると思う。




        参考文献

      1)児玉一八、清水修二、野口邦和:『放射線被曝の理科・社会』かもがわ出版、2014年
      2)澤田昭二他:『福島への帰還を進める日本政府の4つの誤り』旬報社、2014年
      3)Mathews J Cancer risk in 680000people to computed tomography scans in childhood or ado D et al. lescence data linkage study of 11 million Australians BMJ.346:f2360(2013)
      4)Kendal GM.et al.A record-based case-control study of natural background radiatin and the incidence of childhood leukemia and other cancers in Great Britain during 1980-2006.Leukemia.27:3-9(2013)
      5)石丸小四郎他:『福島原発と被曝労働』明石書店232ページ(2013年)
      6)Eisenberg.M.J.et al.:Canser risk related to low-dose ionizing radiation from cardiac imaging in patients after acute myocardial infarction. CMAJ.183,430-6,2011
      7)J.M.Gould 著、肥田舜太郎他訳、『低線量内部被曝の脅威』原題「The Enemy Within」緑風出版(2011)
      8)原子力資料情報室(CNIC)、澤井正子氏紹介:「原子力発電所周辺で小児白血病が高率で発症―ドイツ・連邦放射線防護庁の疫学調査報告―」
      9)Carl J Johnson et.al: Plutonium Hazard in Respirable Dust on the Surface, Science193, 488-490(1976)
      10)大和田幸嗣、橋本眞佐男、山田耕作、渡辺悦司著:『原発問題の争点』緑風出版、2012年
      11)雁屋 哲:『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』遊幻舎 2015年
      12)「東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌」http://ishtarist.blogspot.jp/)
      13)ラルフ・グロイブ、アーネスト・スターングラス:『人間と環境への低レベル放射線の脅威』肥田、竹野内訳、あけび書房、2011年;The Petkau Effect.
      14)ユーリ・I・バンダジェフスキー著、久保田護訳:『放射性セシウムが人体に与える医学的生理学的影響』合同出版2011年
      15)ユーリ・I・バンダジェフスキー、N・F・ドウボバヤ著、久保田護訳『放射性セシウムが生殖系に及ぼす医学的社会的影響』合同出版 2013年
      16)綿貫礼子編『放射能汚染が未来世代に及ぼすもの』新評論、2012年
      17)Pavel P. Povinec, Katsumi Hirose, Michio Aoyama; Fukushima Accident ― Radioactivity Impact on the Environment; Elsevier (2013)
      18)西原健司ほか著「福島原子力発電所の滞留水への放射性核種放出」日本原子力学会和文論文誌(2012).
      19)津旨大輔、坪野考樹、青山道夫、廣瀬勝巳「福島原子力発電所から漏洩した137CSの海洋拡散シミュレーション」(2011年11月)、電力中央研究所・研究報告:V11002
      20)ここではストールの改訂版の数字を使用したが、初版の数字と大きな違いはない:A. Stohl et al.; Xenon-133 and caesium-137 releases into the atmosphere from the Fukushima Dai-ichi nuclear power plant: determination of the source term, atmospheric dispersion, and deposition; Atmospheric Chemistry and Physics; 2012;
      http://www.atmos-chem-phys.net/12/2313/2012/acp-12-2313-2012.pdf
      21)Charles Lester et al.; State of California Natural Resource Agency California Coastal Commission; 2014;
      22)UNSCEAR; ANNEX J Exposures and effects of Chernobyl accident
      http://www.unscear.org/docs/reports/2000/Volume%20II_Effects/AnnexJ_pages%20451-566.pdf
      23)クリス・バズビー著、飯塚真紀子訳、『封印された放射能の恐怖』講談社(2012年)
      24)津田敏秀;月刊『科学』岩波書店2014年7月号
      25)福島老朽原発を考える会:『政府は被爆者の健康管理体制の抜本的強化を』2015年
      26)白石 草:『ルポ チェルノブイリ28年目の子供たち』岩波書店2014年12月 
      27)A.Romanenko et al.: Urinary bladder carcinogenesis induced by chronic exposure to persistent low-dose radiation after Chernobyl accident.Carcinogenesis 30 1821-1831(2009)
      28)落合栄一郎:『原爆と原発』鹿砦社、2012年 106ページ
      29)落合栄一郎:『放射能と人体』講談社、2014年
      30)津田敏秀:「2014年12月25日福島県『県民健康調査』検討委員会発表の甲状腺がんデータの分析結果」『科学』2015年3月号、0126, 岩波書店、および「2015年2っ月12日第18回福島県『県民調査』検討委員会発表の甲状腺がんデータの分析結果」2015年4月号、0334.
      31)山本英彦:『医問研ニュース』 第467号2014年7月発行,





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      2015.04.10 Friday

      『放射線被曝の理科・社会』の問題点 (1〜4章) 山田耕作・渡辺悦司

      0
        『放射線被曝の理科・社会』の問題点
        (1〜4章)


        山田耕作、渡辺悦司
        2015年4月3日(5月15日改訂)

        〖ここからダウンロードできます〗
        『放射線被曝の理科・社会』の問題点(全体) (89ページ,1200KB,pdf)

        〖参照〗
        『放射線被曝の理科・社会』の問題点 (5〜6章・付表・資料)



           はじめに

         児玉一八、清水修二、野口邦和の3氏による『放射線被曝の理科・社会―4年目の「福島の真実」』という本(以下『理科・社会』と略す)が2014年12月に出版された1)。この本の主張は、福島原発事故では「目に見える被害は起らない」という点を中心にしている。つまり、「目に見える被害」は、これまでも、いまも起こっていないし、今後も起こることはない、というのである。そして、「被害が起こる」という人たちは科学的根拠のない風評被害をまき散らしているとして批判している。「美味しんぼ」の鼻血問題などは当然この批判の的となる。
         しかし、この本の記述上の特徴は、一貫して自分が批判する対象の文章をそのまま引用せず、自分が少し極端化したり、ゆがめて紹介し、それを批判することである。例えば、内部被曝の強さが距離の2乗に反比例するという議論である。内部被曝を強調する人は「距離ゼロまでそれを用いて無限大の強度としている」と批判するのである。極限として例を示すとしても、誰も原子や細胞の大きさより小さい距離をまじめに議論することはないと思われる。全体にフェアで紳士的な批判ではない点が多く、後味が悪く、読みたくなくなる点が残念である。いわゆる揚げ足取りが多いが、一方、本質的な自らの誤りに無知である点が大変問題であると思う。
         この本には、ICRP(国際放射線防護委員会)の体系の誤りが、反原発の立場と称して展開され、論理が複雑であるが、ほとんどそのすべてが示されていて、批判の対象としてふさわしいといえるかもしれない。「目に見える被害が起こらない」という本書の主張が科学的かどうかを検証しよう。それによって、このような主張が、現在の情勢の下で、どのような社会的・政治的意味を持つかを考えていこう。
         本論に入る前に著者集団の性格について触れておこう。著者プロフィールによると、3名とも「日本科学者会議原子力問題委員会」の委員および委員長である。とくに児玉氏は「原発問題住民運動全国連絡センター」の代表委員とされており、野口氏は「原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会」の代表とされている。同時に、清水氏は「福島県民健康調査検討委員会」の副座長であり、野口氏は事故後に「福島大学客員教授」に就任するとともに「福島県本宮市放射能健康リスク管理アドバイザー」を務めているとされている。その意味では、同書の著者集団は、一般的には脱原発の内部に位置するものと解されると同時に、多数(少なくとも2人)は、被曝問題において基本的には行政側の当事者でありインサイダーでもある。このように著者集団は、客観的に見て、二重のあるいは二面的な社会的性格をもっており、この点にとくに注意を払うことが必要である。
         なお著者たちは「内容に関する責任は各執筆者が負う」(10ページ)としているが、ここでは、一つの傾向を表す一体となった見解および主張として扱うことにする。
         我々は、『理科・社会』の見解に、放射線医学総合研究所(以下放医研と略記)編著『虎の巻 低線量放射線と健康影響 先生、放射線を浴びても大丈夫?と聞かれたら』医療科学社(2007年、改訂版2012年、引用ページは後者による)の見解を対置し、それに我々の見解を提起しながら、検討して行くことにする。放医研の同書は、政府傘下の研究機関が発行した文献に避けられない制約や矛盾にもかかわらず、すなわち「100mSv以下の放射線なら発がんリスクはかなり小さい」(42ページ)とする基本的立場に立ち放射性微粒子による内部被曝をほとんど無視しているなどの本質的欠陥をもつにもかかわらず、低線量被曝の健康影響に関して最新の国際的研究成果を包括的に記述している点で「有用な情報が満載の本」である(肥田舜太・竹野内真理氏のグロイブ、スターングラス著『人間と環境への低レベル放射能の脅威』あけび書房(2011年)への「訳者あとがき」318ページ)。この2つの文書を比較することによって、『理科・社会』がどれほど国際的な研究の発展から取り残されてしまったかが、明らかになる。

         

           目 次      
                                                       ページ
        はじめに     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   1
        1.第1章「低線量被曝をめぐる論争を検証する」     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  5
         1-1.「LNT(線形閾値なし)仮説は真実というより公衆衛生上の慎重な判断」(16ページ)・・・・  5
         1-2.「ベータ線はガンマ線より危険なのか」(38ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・  7
         1-3.放射性物質によるイオンチャンネルの阻害・損傷の重要性    ・・・・・・・・・・・・・  9
         1-4.「ホットパーティクルは危険なのか」(42ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・ 17
         1-5.「放射線被曝のリスクを考える」(47ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19
        2.第2章「『福島は住めない』のか」     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
         2-1.「美味しんぼ問題が浮き彫りにしたもの」――「福島県民の被曝線量で、
            被曝が原因の鼻血は出ない」という主張について       ・・・・・・・・・・・・・・・ 23
         2-2.「『分かっていること』と『分かっていないこと』」という論議(69〜70ページ)の本質
            ――「確率的影響」全体を否定すること     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27
         2-3.「『美味しんぼ』の最大の問題は福島には住めないの扇動」(70ページ)     ・・・・・ 29
         2-4.「どんな放射能がどれだけ出たのか」(71ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・ 29
          2-4-1.「放射性物質の種類と量」(72ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30
          2-4-2.気象研究所の青山道夫氏(論文執筆当時)らが明らかにしたもの     ・・・・・・・ 30
          2-4-3.青山氏らの結果を補正した総放出量     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32
          2-4-4.海洋汚染は「不幸中の幸い」「長期間にわたって私たちの生活環境に
             汚染が残ることはない」という驚くべき見解     ・・・・・・・・・・・・・・・・ 32
          2-4-5.放射性ヨウ素の放出量について     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
         2-5.「『福島の真実』編の主題は何か」(84ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
        3.第3章「『福島の食品は危ない』のか」     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 35
         3-1.「福島の食品検査体制と検査結果――食品の基準値をめぐって」(102ページ)     ・・ 36
         3-2.「安全な食のための方策」(118ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37
         3-3.胎内被爆者のがん発生率(放影研ホームページより)     ・・・・・・・・・・・・・・ 38
        4.第4章「福島の今とこれから」(131ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 39
         4-1.被曝線量はチェルノブイリに比べて「はるかに少ない」という主張     ・・・・・・・・ 39
         4-2.モニタリングポストやガラスバッチの過小検出はないという主張     ・・・・・・・・・ 39
         4-3.「県民健康調査で何がわかったか」(151ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・ 40
         4-4.『理科・社会』は政府・環境省も専門家会議『中間取りまとめ』と
            基本的に同じ立場に立っている     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43
         4-5.健康影響は現実に「目に見える」形ですでに現れている     ・・・・・・・・・・・・・ 44
         4-6.健康被害の事実を調査することは住民の「恐怖を過度にあおる」ことになるか、
           本当の「恐怖」とは何か ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 49 
         4-7.避難は本当に「健康被害を生む」だけで何の効果もないのか?     ・・・・・・・・・・ 52
         4-8.支配層中枢は本当に「健康被害は出ない」と信じているのだろうか?
           著者たちのよく使う言葉「覚悟を決めて」の意味について     ・・・・・・・・・・・・ 53
        5.第5章「原発住民運動と放射線問題」(162ページ)     ・・・・・・・・・・・・・・・・ 54
         5-1.被曝の問題では原発推進勢力と「科学的見解を共有する」という見解     ・・・・・・・ 54
         5-2.脱原発運動をめぐる現下の根本問題     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 56
         5-3.福島県住民による『理科・社会』的見解への厳しい批判     ・・・・・・・・・・・・・ 57
         5-4.『理科・社会』的傾向の政治的社会的性格     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 59
        6.おわりに     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 60
        参考文献      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  62
        付表  福島県立医科大学付属病院の診療実績統計(DPC包括医療費支払制度統計データより集計)
            に見る原発事故後のがんを含む疾病の全般的な増加傾向 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 64
        資料1 市民と科学者の内部被曝問題研究会会員の皆さまへの呼びかけ  ・・・・・・・・・・・・・ 78
        資料2 ジョン・D・マシューズほか「小児期および成育期にCTスキャンを受けて被曝した
            68万人におけるがんリスク:1100万人のオーストラリア人のデータリンケージ研究」
            ――「概要」および「考察」の部分の訳   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 86


           1.第1章「低線量被曝をめぐる論争を検証する」

        1-1.「LNT(線形閾値なし)仮説は真実というより公衆衛生上の慎重な判断」(16ページ)

         『理科・社会』20ページ「ICRPは、LNT仮説は生物学的真実として世界的に受け入れられているのではなく、むしろ、我々が極低線量の被曝にどの程度のリスクを伴うかを実際に知らないため、被曝による不必要なリスクを避けることを目的とした公衆衛生上の慎重な判断である、という趣旨のことを述べています。この点で私もICRPの考えに賛成です。」
         この短い言葉の中に著者たちの本質が集中的に現れている。「生物学的真実として世界的に受け入れられているのではなく」という著者たちの評価は、もしこれが全否定(「世界全体が受け入れていない」)を意味しているのであれば虚偽であり、部分否定(「世界であまねく受け入れられているわけではない」)であるならば、LNTを「真実として」肯定する見解が世界には存在していることに触れないことによって事実上の全否定を示唆し、人々を欺く表現ということになる。放医研の前掲書は、米国科学アカデミーの「電離放射線による生物学的影響に関する委員会」BEIR司鷙霆颪砲弔い銅,里茲Δ暴颪い討い襦「(BEIRは)LNTモデルについてICRPよりも踏み込んだ見解を示しており、『LNTという考え方は、もはや仮説ではなく実際の疫学的結果によって裏付けられた科学的事実である』という見解を示している」(106ページ)と。世界的には、LNTは「実際の疫学的結果によって裏付けられた科学的事実」であるとする有力な見解が現実に存在するのである。『理科・社会』の著者たちはこの事実を隠している。
         これに対して我々は、LNTは、①閾値(たとえば100mSvなど)ありモデルよりは前進であるが、②放射性微粒子による内部被曝、バイスタンダー効果、ペトカウ効果、逆線量率効果などを考慮しておらず、③線形性を認めながらその後に低線量・低線量率ではDDREF(線量・線量率効果係数)を導入して下方に補正するなど、④低線量被曝のリスクを明らかに過小評価しており、⑤実際のリスクはリニアな線ではなく上方に向かって凸な曲線となる、と考える。
         著者たちの上記の文は、文字通りに読めば、ICRPが「被曝による不必要なリスクを避けることを目的として公衆衛生上の慎重な判断をしている」と評価していると解するほかない。このような著者たちの見解については、矢ヶ崎克馬氏の評価を引用しておこう。「ICRPの被曝防護3原則は」「被曝被害の受忍を強制することにより原子力発電に伴う被曝の必要性を受け入れさせてきたのである。(ICRPの3原則は)もちろん思想として人格権を真っ向から否定している」「(ICRPの見解)を『もっともである』と説いている野口氏の人権感覚は民主運動と相いれられるのであろうか」「私が驚愕したことは『原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会』の代表、『原発問題住民運動全国連絡センター』の代表委員の『自身ははっきりと原発には反対の立場』に立つ人々が被曝問題・原発問題にかかわる人格権を尊重する考え方に触れたことが無いのではないか、否それらを全面否定しているのではないか、と疑わざるを得なかったことだ」と鋭く指摘している(矢ヶ崎克馬「『放射線 被曝の理科・社会』を批判する――ICRPを信奉する著者らの考え方と人格権――」http://blog.acsir.org/?eid=40を参照のこと)。我々もまったく同感である。  
         野口氏らの本に戻ろう。17ページ「信頼性の高い人のデータがなければ実験を行ってデータを出せばよいと思うかもしれませんが、人を使った照射実験などできるはずがなく、低線量領域における発がんや遺伝的影響に関する信頼性の高い人のデータは、50から100mSv当たりならともかく10mSv以下の極低線量域では出てこないと思っています。」
         科学的に解明することを目的とした本で、最近の疫学調査の結果を無視することは、真実を正しく伝えていないことになる。以下の文献は、10mSv以下でも被害があることを示している。今や仮説ではないのである2)

        • 2014年D.J.BrennerはReviewで5〜100mSvの被曝のがんリスクは証拠が十分あるとし、それ以下は分からないとしている(D.J.Brenner:What we know and what we don't know about cancer risks associated with radiation doses from radiological imaging,Br J Radiol 2014;87:20130629)。
        • 2013年、MathewらのBMJへの発表で、がんの疑い以外でCTスキャンを受けたオーストラリアの小児68万人の調査で「CT4.5mSv毎に、小児癌発症が24%増加」していたという報告3)(同論文の「概要」と「考察」の部分の日本語訳を本論文末尾の参考資料2に記載)。
        • 2010年、Kendallらの報告で、イギリス小児について自然放射線5mSv以上で1mSv毎に白血病12%増という報告4)
        • 2011年2月、日本の原発労働者の労災認定、骨髄性白血病(累積被曝線量5.2mSv)5)
        • 同、カナダのマギー大学でのレントゲン検査で心筋梗塞の患者に対する血管造影検査やCTによる医療被曝で10mSvごとにがんが3%増えた6)
         さらにこれら以前においても、
        • 原発周辺での定常運転による乳がんの増加を示したJ.M.Gouldらの研究7)
        • 最近ドイツでも同様に原発周辺で小児がんや白血病が増加しているとの報告(KiKK研究)がある8)

         例えばKiKK研究(1980年から2003年の間に小児がん登録に登録された5歳の誕生日以前に小児がんを発症した子供全てについて調査された)の結論は次のようになっている。
         「原発から5kmで、全小児がん、小児白血病とも他の地域と比べて高い発症率を示している。全小児がんの発症数は77例、オッズ比は1.61(95%信頼区間下限値:1.26)だった。小児白血病は発症数が37例、オッズ比は2.19(95%信頼区間下限値:1.51)となった。これはそれぞれ発症率が1.61倍、2.19倍であることを意味する。
         それ故、野口氏の「信頼性の高い人のデータは…10mSv以下の極低線量域では出てこないと思っています」というのは真実に反するのはもちろん、科学を信頼せず、あくまで真理を追究しようという科学者としての姿勢に欠ける態度ではないだろうか。

        1-2.「ベータ線はガンマ線より危険なのか」(38ページ)

         著者たちは「内部被曝を外部被曝より危険視する意見」を次のように要約している。「ベータ線はガンマ線より透過力が弱い代わりに電離能力が高く、人体内にベータ線を放出する放射性物質が取り込まれると臓器・組織内の狭い範囲にエネルギーを集中的に与えるため、広い範囲に薄くエネルギーを与えるガンマ線より危険である、とする主張です」(38ページ)
         同40ページ「ガンマ線による電離・励起の99.9%以上は、実はこうした二次電子が引き起こしています。この過程は、高エネルギー電子の流れであるベータ線が臓器・組織内の狭い範囲にエネルギーを集中的に与えるというのであれば、ガンマ線と物質との相互作用により生成した電子も臓器・組織内の狭い範囲にエネルギーを集中的に与えるのです。」「ベータ線による被曝もガンマ線による被曝も、結果として高エネルギーの電子による被曝であって作用の仕方に何らかわりはない。」
         この野口氏の見解は、ベータ線による被曝とガンマ線による被曝のそれぞれ質的に異なる危険性を無視し、一面的に単純化し同一視して「電子による被曝」一般に還元している。野口氏は、細字の注記の中で、批判の多いICRPの「放射線荷重係数:ベータ線=ガンマ線=1」を導入している(41ページの注)。野口氏はこの点を「すでに何十年も前に解決済みの問題」(同ページ)であると強調しているが、これは氏が数十年間の放射線医学と分子細胞生物学の研究の進歩を頭から無視するためである。
         上記の野口氏の記述では大切なことが忘れられている。我々は、天然に存在するカリウム40と人工の放射性セシウムとは内部被曝では同じとする誤りについて繰り返し説明してきた(例えば『原発問題の争点』10)125ページ)。カリウムKは生体のあらゆる場所で必要とされている(それはKの化学的性質による)ので、チャンネルその他で自由に動ける仕組みが必要で、進化によってそのような構造ができたのである。Kがかなり均等に生体中に分散するので、局所のK-40由来の被曝量が非常に小さくなる。それでK-40の影響が、60Bq/kgと大きくとも、ほとんど問題がない。結果として、カリウムチャンネルが放射能の影響を過小にする役目を担っているように見える。このことは、カリウムイオンのチャンネル通過速度が極めて高速である(1チャンネル当たりでカリウムイオンを1秒間に10個オーダーで透過させる)ことからも示唆される(小澤瀞司、福田康二郎監修『標準生理学 第8版』医学書院2014年77ページ)。
         このようにして、カリウム40は体内のカリウム濃度に従って一様に分布し、ベータ線を出す。約60兆の数の全身の細胞が年に1回程度の被曝(1回のベータ線の放出で500個の細胞が被曝するとして)を受ける。それに対してセシウム137は微粒子として臓器に取り込まれ、局所的(数mmの範囲内)に集中的・継続的にベータ線を放出する。人工の放射性セシウムは、カリウムチャンネルを通過するのが原子の大きさの違いにより困難であるので、臓器に蓄積したり、通路を塞いだりする。
         一方、微粒子から放出されたガンマ線は、電子を励起するが、微粒子の周辺数mmではない。全身から体外まで遠くに分散している。これはカリウム40の場合に近いのである。セシウム微粒子から放出されるベータ線は、数ミリ程度の距離でエネルギーを失い、狭い領域の細胞や分子を集中的、継続的に破壊する。この点が、ガンマ線が放出される場合とは異なるのである。著者の野口氏は、セシウム137を含む微粒子によるこの集中的な被曝を考慮していない。これでは、微粒子からのベータ線による内部被曝の本質的な危険性が無視されてしまう。自分が間違っているのに他人が科学的根拠もなく内部被曝を怖がると非難する。バンダジェフスキーが、なぜセシウム137が臓器に非一様に取り込まれることを繰り返し強調するかを理解していないのである。野口氏はチェルノブイリから出される警告を真摯に受け止めるべきではないだろうか。
         ここで次の疑問にも触れておきたい。放射性セシウムが溶解して、微粒子でなく、イオンになったときはカリウム40と同じかということである。われわれは次のように考える。
         カリウムはカリウムチャンネルを通じ自由に全身をほぼ一様に高速で移動するが、セシウム等他の放射性元素は偏在することである。これは一般に合金や金属において不純物原子が集積し、析出するのに対応する。生体内においても安定な場所に移動したイオンはそこに留まり、集積し偏在する。こうしてあたかも微粒子が形成されたと同様の集中した局所的・継続的被曝を与えると考えられる。これがA.Romanenko氏達の膀胱がんの論文において、キログラム当たり50ベクレルのカリウム40ではなく、数ベクレルのセシウム137で膀胱がんが発生する理由であると考えられる。バンダジェフスキーも解剖し、病理検査から、心臓などの臓器の一部にセシウム137が偏在するといっている。偏在するのが一般的であり、偏在しないカリウム40が特殊である。これはカリウムチャンネルのおかげである。これが市川定夫氏(『新・環境学Ⅲ』、藤原書店、2008年)や鷲谷いづみ氏(『震災後の自然とどう付き合うか』、岩波書店、2012年)が生物進化の上でカリウムチャンネルの重要性を繰り返し述べている理由である。

        1-3.放射性物質によるイオンチャンネルの阻害・損傷の重要性

         最近、生体内の電気信号の伝達経路として、また細胞と細胞外の生体環境とを結びつけ細胞と細胞とを連携させる経路として、さらには生体内の情報伝達システムとして、各種イオンチャンネル(ナトリウムチャンネル、カリウムチャンネル、カルシウムチャンネル、ナトリウム・カリウム・ATPポンプ、塩素イオンチャンネル、炭酸チャンネル、水チャンネル、各種のトランスポーターなど)の機能が解明されてきている(小澤瀞司、福田康二郎監修『標準生理学 第8版』医学書院2014年、リチャード・A・ハーベイ著鯉渕典之ら訳『イラストレイテッド生理学』丸善出版2014年など参照)。各種チャンネルの体系は、生体内の代謝、体液の調整、感覚・運動神経系、脳・高次神経系、筋肉、心臓、血管系、呼吸器系、腎臓と尿生成、消化器系、内分泌系、骨の形成・吸収、生殖機能など極めて広範な機能において重要な役割を果たしている。「生理学の全体像を最新の知見を含めて的確に伝えることのできる教科書」を目指しているとされる上記『標準生理学』を見れば、人体の生理学的機能においてイオンチャンネルとその体系が役割を果たしていないような機能はほとんどないと言っても過言ではない。これらチャンネルの精巧な体系は、放射性物質に対してとくに脆弱であると考えられ、放射性物質(とくにカリウムに似た性質を持つセシウムとカルシウムに似た性質を持つストロンチウム)がチャンネルの極めて広範囲の機能を阻害し攪乱し破損するメカニズムを具体的かつ全面的に解明していくことが必要不可欠である。
         この点では、先駆的で貴重な研究が医学者の大山敏郎氏によってなされている。次のサイトを参照されたい(http://blogs.yahoo.co.jp/geruman_bingo)。また、同ブログの内容の要約と解説が以下のサイトにあり、大いに参考になる(http://m-epoch.com/benkyoukai/mainbenkyoukai.html)。
         医学者の井手禎昭氏も、近著(『放射線とがん』本の泉社2014年)の中で、同じ問題を提起している。氏もまた、セシウムの放出する放射線による直接間接の損傷だけでなく、セシウムが放射線を照射しない場合でさえも、自然界にはほとんど存在しないセシウム原子が多数体内に侵入してくること自体により生じる、その金属イオンとしての「負の作用」にも注目すべきであると指摘している。セシウムはカリウムと同族であるので、細胞膜にあるカリウムチャンネルを通過しようとするが、直径がカリウムより幾分大きいため(K+イオン径0.266nm、カリウムチャンネルの穴径0.3nm、Cs+イオン径0.338nm)途中で詰まってしまうか、通過に長い時間がかかる事態が生じる。こうして「カリウムチャンネルに詰まったセシウムが正常なカリウムチャンネルの電気伝導を阻害する」ことになり、心臓の電気伝導経路に障害が生じ、「心室性不整脈」を引き起こし、「ひどい場合にはQT延長症候群と呼ばれる病態と同じになって心室細動で突然死する」可能性がある、と指摘している(前掲書226〜227ページ)。井手氏は、バンダジェフスキー氏のセシウムが「少量でも心電図異常がみられる」という点に注目し、その原因を追及する中で、また自然界に存在する放射性カリウム40との比較で、同じく放射性のセシウムイオンの特異性を認識し、この見解に到達したという。イオンチャンネルによる電気信号の伝達を分かりやすく説明した図を下に引用しておく(図1)

        図1 イオンチャンネルによる電気信号の伝達の説明

        カリウムチャンネルが阻害・損傷を受けると、③の回復が起こらなくなり、
        電位が②の興奮時のままとどまり、元に戻らなくなってしまうことが分かる。
        出典:長野敬、牛木辰夫監修『サイエンスビュー 生物総合資料』実教出版(2013年)209ページ

         これらは非常に重要な指摘である。この点に関して内部被曝問題研究会内部で議論していただいた(重要な論点をご指摘いただいた田島直樹氏、落合栄一郎氏、岡山博氏、生井兵治氏に感謝します)。その議論を我々なりに要約すれば、大山・井手氏の指摘するセシウムイオン自体のカリウム類似性によるチャンネル阻害作用およびその状態での放射線の照射によるチャンネルの損傷という機序は、イオンチャンネルが障害され破壊される1つの可能なシナリオではあるが、それ以外の別の可能性も含めて、障害と破損のメカニズムはもっと広く考えなければならない、ということである。
         大山氏の指摘するようにセシウムイオンがイオンチャンネルに詰まった状態になるか、あるいはチャンネル通過に時間がかかれば、その間にセシウムが放射線を照射し、それによってチャンネルが破壊される確率も大きく高まるのは確かであろうが、この確率は我々の計算では、重要なチャンネル傷害を引き起こすほど大きくないように思われる。我々の見解では、放射性物質によるチャンネルの阻害・損傷は、①カリウムチャンネルだけではなく、あらゆるチャンネルについて考えられ、②チャンネル通過時にのみ生じると限定して考えるべきではなく、あらゆる状況下の被曝で生じうると考えるべきであろう。以下論点を整理してみよう。
         第1に、大山・井手説の画期的な点である(両氏の見解には相違もあるがここでは一系列のものと考える)。大山・井手両氏は、放射線の健康影響を考えていく上で、今まで考えられてきたDNA鎖の切断や損傷、ミトコンドリアの損傷、細胞膜脂質の破損などのメカニズムと並んで、①放射線と放射性物質(我々の見解ではさらに放射性微粒子)が破壊する標的としての各種のイオンチャンネルおよびそのシステムの重要性を、分子細胞生物学的・医学的にはっきりと指摘し、②チャンネルの阻害・損傷と具体的な疾患(両氏が指摘したのは心疾患だが我々の見解ではそれだけにとどまらない)との関連性を明確に問題提起した。これは、我々の知る限りでは、初めての指摘である。この功績は不変であり今後も高く評価されるであろう。放射性物質によるイオンチャンネル破壊という両氏の考え方は、現在の段階では1つの仮説であるが、将来研究が進んでいけば、イオンチャンネル系に対する放射性物質の阻害・破損作用の全体を「イオンチャンネル効果」と呼ぶことになるかもしれないほど重要な発見であると思われる。
         第2に、しかし、阻害・損傷が生じる機序については、両氏の説明にはやや一面化があり狭く限定しすぎているように思われる。破壊はイオンチャンネル通過時だけにとどまらず、さらに広くいろいろな状況を考えるべきであろう。たとえば、放射性セシウムが放出するベータ線は飛程が数ミリほどあるので、細胞の大きさを10ミクロン程度とすると1000個程度の細胞がチャンネル部位を含めて継続的に被曝する可能性がある。チャンネルの通過時に(その内部あるいは直近で)照射されなくとも、数ミリ程度離れたチャンネルが、放射性セシウムによる放射線により破壊される場合が多いと考える方が自然であろう。ガンマ線の場合は外部被曝も含めてさらに広い様々なケースが考えられる。
         第3に、放射性物質の、原子レベルでの作用だけでなく、微粒子形態での作用も考えなけばならないであろう。これもメカニカルな阻害と放射線による損傷とを分けて考えよう。自然界に存在する非放射性のセシウムは僅少ではあるが体内に存在し、しかも大きな健康障害を引き起こさない。だから、チャンネルにメカニカルに詰まるか、通過速度が顕著に低下し、健康被害を引き起こすとすると、セシウムは原子ではなく、放射性セシウムを含む放射性微粒子であろう。表面に放射性セシウムを含む放射性微粒子(おそらくナノレベルの極微小な形のもの)が、チャンネルに吸い寄せられ、チャンネルにいわば蓋をしてブロックすることは十分考えられる。微粒子表面にカリウムやカルシウムがある放射性微粒子も引きつけられるかもしれない。チャンネルをブロックする形でチャンネルの機能を阻害する医薬品はすでに開発されて広く使われている(たとえば浦部晶夫ほか編集『今日の治療薬2015年』「抗不整脈薬」の項参照605〜606ページ)。ふぐ毒など各種の毒物がチャンネルの機能を阻害することもすでに明らかになっている。ブロックしたその状態で微粒子が集中的にベータ線を照射すれば、また、微粒子が通過しようとしなくても、チャンネル近傍で集中的に放射線を照射すれば、チャンネルを損傷する可能性が高まると考えるべきであろう。
         第4に、カリウムチャンネルをもっぱら放射性セシウムが(あわせて言えばカルシウムチャンネルをもっぱら放射性ストロンチウムが)破壊すると考える必要はないであろう。放射性セシウムがカリウムチャンネル以外の各種のチャンネルをも破壊する可能性があると考えるべきであろうし、さらにセシウム以外の放射性物質もまた同じようにいろいろなチャンネルに損傷を引き起こすと考えるべきであろう。また破壊される対象もカリウムチャンネルだけに限定して考えるべきではない。体内で情報の伝達に関与しているのは、カリウムチャンネルだけではない。カリウムチャンネルは、同じく細胞膜にあるナトリウムチャンネル、ナトリウム・カリウム・ATPポンプ、カルシウムチャンネルなど(これらもまた多数の種類がある)とのペアとして働いている。これらすべてに対する放射線の破壊的影響を考えるべきであろう。
         第5に、チャンネルの損傷には、放射線によって生み出されるフリーラジカルの作用が重要な役割を果たすものと思われる。放射線による直接の破壊作用に加えて、放射線によって生み出される活性酸素・活性窒素・フリーラジカルが、イオンチャンネルに対して(とくにイオンを選択的に捉える部分、受容体、センサー、サブユニット、フィルターなどのパーツ)に、数倍ものより深刻な破損作用をもたらすことが十分に考えられる。
         第6に、体内の電気信号・情報伝達系が放射線によって傷害されうるのは、チャンネルの障害・損傷だけではない。損傷は、その系路のどこかの細胞自体(DNAやミトコンドリアなど)の損傷であってもよいし、また細胞間質(細胞間基質ECMなど)でもよい。チャンネル系路は、多数がネットワークとなって機能しており、どこか重要な箇所が切れれば、シグナルは伝わらなくらなくなる。チャンネル系路の長いパスの一部が壊れれば、全体に影響が及ぶというのがチャンネルによる体内の情報伝達系の阻害・損傷の特徴である。
         第7に、セシウムやストロンチウムなど放射性物質が特定の臓器に偏在して蓄積される傾向(セシウムの心臓への、ストロンチウムの骨や神経組織への、ヨウ素の甲状腺へのなど)である。これによって、蓄積された臓器内部での照射はいっそう強いものになり、チャンネル破壊の確率も高まるであろう。
         第8に、注意点であるが、放射線のイオンチャンネル系への影響を、従来から知られ解明されてきた放射線の健康影響に対置したり対立させて考えてはならない。チャンネルへの傷害は、放射線の極めて広い影響の「一部分」であって、決して「全部」であるわけではない。たとえば、チャンネルへの作用によってQT延長症や急性心筋梗塞が「100パーセント」説明できる必要はないのである。それは、今までに解明されてきた放射線のいろいろな影響の上に「相加」され、おそらくは「相乗的」に働くものであると考えるべきである。
         最後に、大山・井手両氏の重要な貢献は、放射線のイオンチャンネル系への影響を解明することによって、放射線の健康影響がさらに広範なものであり、ほとんどあらゆる病気や障害を引き起こすことがいっそう明らかになるという点である。この点は少し詳しく検討しよう。
         まず、遺伝や薬剤の結果生じるイオンチャンネルの障害・損傷は、心臓病だけでなく筋肉病、脳疾患、腎疾患、代謝性疾患などさまざまな一連の疾患(「チャンネル病」と呼ばれている)を引き起こすことがすでに知られている。これらのチャンネル病のうち少なくとも一部の疾患が、遺伝や薬剤によってだけでなく、人工放射性核種によるイオンチャンネル阻害・損傷によってもまた起きる可能性があると考えるのが自然であろう。
         また、イオンチャンネルは、大山・井手両氏が取り上げている心筋だけでなく、ニューロンやシナプス・受容体においても重要な役割を果たしている(下図2および3)。我々にはこの点がとくに重要であると思われる。たとえば下図によれば、神経細胞には、いろいろな種類のカリウムチャンネルが全体に散らばって、極めてたくさんあることが分かる。これらのうちのどれかにあるいは複数に障害が起これば、その部位によっては、神経情報の伝達が阻害されることになる。また、カルシウムチャンネルが阻害・損傷されれば、カルシウムイオンが流入しなくなり、神経伝達物質の放出が阻害され、神経情報が伝達されなくなることが分かる。放射線によるイオンチャンネルの阻害・損傷は、神経系に深刻な影響を及ぼす可能性があると考えなければならない。

        図2 神経細胞内の各種の電位依存性カリウムチャンネルの位置

        出典:インターネット「脳科学辞典」の「カリウムチャンネル」の項
        http://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:KCh_fig5.png


        図3 神経伝達物質の放出におけるカルシウムチャンネルの役割

        出典:長野敬、牛木辰夫監修『サイエンスビュー 生物総合資料』実教出版(2013年)209ページ

         さらに、これらのイオンチャンネル阻害・損傷作用は、チャンネル系がニューロンやシナプスにおいて重要な役割を果たしていることから考え、脳や神経系(中枢および末梢神経、感覚神経、運動神経、自律神経など)の信号伝達にも広く影響すると考えるべきであろう。さらに、チャンネル損傷によって脳内の神経伝達物質の不足が生じるならば、うつをはじめ一連の精神障害を引き起こす可能性があると考えられる。それらの症状は、福島や周辺地域だけではなく、トモダチ作戦で被曝した米軍兵士にも現れている、彼らは実にさまざまな症状を訴えているが、とくに感覚器官障害(難聴、耳鳴り、視力低下・失明、めまいなど)、運動機能障害(筋力低下、運動失調、歩行困難、けいれん、筋肉痛、四肢麻痺など)、精神障害(不安、不眠、うつ)などに注目すべきである。放射性物質と放射線によるチャンネル傷害が解明されるならば、被曝がこれら疾患や障害の原因の1つとなっている可能性は十分あると考えなければならない。参考までに以下に米軍被曝兵士が訴えている主な症状を挙げておこう(表1)。

        表1 トモダチ作戦で被曝した米軍兵士に現れた多様な症状(2014年11月3日付)

        出典:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4009.html

         野口氏らは、原発事故による被災者の「ストレス」を健康被害の原因としてあげ、あたかも脱原発の側が「放射線の危険を誇大に言い立てている」ことがその原因であるかに主張しているが、生理学の最新の成果によれば、この「ストレス」そのものが、イオンチャンネルの障害と損傷によって、放射線被曝の結果生じている可能性が示されているのである。

        1-4.「ホットパーティクルは危険なのか」(42ページ)

         『理科・社会』43ページ「25人の作業者の肺がんの発生に関する調査が行われましたが、肺がんの増加は確認されませんでした。同施設の約1200人のプルトニウム作業者の疫学調査も別の研究者により行われましたが各種の発がんの増加は確認されておらず、総じてホットパーティクルによる被曝と発がんとの因果関係に否定的な結論が下されています。…ホットパーティクル説は疫学調査により否定されたと思います。」
         この本を通じて野口氏の論法は注意すべき点がある。100ミリシーベルト以下の閾値の問題もそうであるが、疫学調査には調査対象の規模が大切であり、精度に関係するのである。25人を短期間観測して発生しなかったとしても安全の証明にはならない。野口氏は、無知か故意かはわからないが、ロッキーフラッツ核兵器工場による作業員の被曝に言及しながら、住民約60万人の疫学調査を無視している(Carl J. Johnson et.al: Plutonium Hazard in Respirable Dust on the Surface Science193, 488-490)9)。1993年の被曝反対東京実行委員会による『プルトニウムの危険性』という小冊子から引用させていただこう(表2)。

        表2 放出プルトニウムによる過剰ながんの発生率

        Carl J. Johnson et.al: Plutonium Hazard in Respirable Dust on the Surface Science193, 488-490(1993年)、
        さらに高木仁三郎著:『プルトニウムの恐怖』岩波新書1981年、120ページ。
        ただし、(50-0.8)mCi/km2=(1850-29.6)Bq/m2,(0.8-0.2)mCi/km2=(29.6-1.4)Bq/m2,(0.2-0.1)mCi/km2=(1.4-0.37)Bq/m2

         種類別では1969年から1971年の3年間で直腸・結腸がんが22%、肺がん24%、舌・咽頭食道がんが49%、白血病が14%、リンパ腫・骨髄腫が11%、卵巣がんが24%、睾丸がんが135%、肝臓がんが135%、甲状腺がん28%、膵臓がん7%、胃がん22%、脳腫瘍7%等の増加であった。
         野口氏は調査規模を問題にせず、他の人が恣意的なデータを用いていると批判するが、それは野口氏自身のことではないだろうか。           
         『理科・社会』46ページ「粒子状であるから特段に危険になる理屈はないと思っています。」
         ロッキーフラッツ核兵器工場によるコロラド州の住民の被曝は、火災事故によるプルトニウムの放出や廃棄物貯蔵ドラム缶からのプルトニウム放出によって生じたものであり、プルトニウムのホットパーティクルの危険性を証明したものである。数百グラムから1kgというプルトニウムの放出によって生じた被害をコロラド州ジェファーソン郡の厚生局長カール・ジョンソンらによって行われた100万人を超える大規模な疫学調査である。実に501人、全体の9%が過剰にがん死している。上記小冊子の著者たちは、以上の結果を基に100%の確率で1人の人間が肺がん死する量、すなわち、プルトニウムの肺癌吸入量を計算し、ゴフマンの米国25歳喫煙男性の肺がん吸入量0.225μgに近いとしている。ICRPは10432μgとしており、1万から、10万倍も過小評価していると批判している。 
         このように野口氏の「微粒子は危険でない」という主張は、疫学的に否定されている。このことは、野口氏が44ページで「ホットパーティクルを作らないで臓器・組織内で均等分布する場合の方が多くの細胞を無駄なく被曝させるはずです。つまり臓器・組織内でアルファ放射体が不均等分布する場合よりも均等分布する場合の方が、生物影響は大きいのではないでしょうか。ホットパーティクルについての疫学研究が総じて否定的な結論を示しているのも、こうした事情が影響しているのではないかと思います」と述べているのは、事実で持って否定されたことになる。ICRPの国内委員も同様の見解を述べている(『原発問題の争点』126ページ参照)10)。科学は厳しいものである。いい加減な類推や推測を許すほど甘くはないのである。その他の論点については放射性微粒子に関する我々の論文http://blog.acsir.org/?eid=31を参照されたい。
         この点に関しても放医研の前掲書を見ておこう。同書は、はっきりと次のように書いている。「酸化プルトニウム粒子のように難溶性のものを吸入した場合、肺に長期間沈着するため肺に繊維化や肺がんのリスクを招く可能性が出てくる」と(141ページ)。このように放医研の同書は、野口氏らとは違って、放射性微粒子の危険性を明確に認めている。福島原発事故では、プルトニウムだけでなく、放射性セシウムを含む不溶性の放射性微粒子が発見されており、「ホットパーティクル」による被曝は「現実の危険」となっていると言わなければならない。

        1-5.「放射線被曝のリスクを考える」(47ページ)

         『理科・社会』55ページ「そういった線量域で細胞の中で起こることを踏まえると、放射線被曝によってがんになる人が目に見えて増えることはないだろうと私は考えています。」これは、田崎晴明氏と全く同じ主張である(『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』朝日出版2012年刊、我々の一人山田耕作による同書の批判論文http://blog.acsir.org/?eid=25も参照のこと)が、ホットパーティクルやペトカウ効果など多くの重要な危険性を無視してこのような無責任な予測をすることは許されない。国際的な合意である「予防原則」にも反している。被害が生じたとき如何に責任をとるのか。
         これに関して著者たちは「生物進化の歴史」を強調している。「地球がつくられてから、天然のさまざまな放射性物質は崩壊して減少していますから、歴史をさかのぼればさかのぼるほど、放射線量は高かったことになります。そうした環境の中で生き物は進化してきたのです。DNA修復系もまた、そういった環境の中で進化していったのです。放射線被曝のリスクを考える上で、生物がこのようにして環境に適応して進化してきたことをぜひおさえていただきたい」と述べる。だから「DNAの損傷は効率よく修復されている」、福島程度の被曝量程度で不安になるには及ばないというのである。
         しかしここには2つの問題がある。1つは単純な論理矛盾である。著者の書いている内容は、地球史において環境中の放射線レベルの低下が、原始生物から高等生物への進化の自然的前提のひとつになったという自然史上の事実を確認しているにすぎず、再び環境中の放射線レベルが上昇しても人間と高等生物が十分対応できるという証明にはならない、むしろ反対であるという点である。そこからは、現在の地球史的に低い放射線量が維持されなければ、たとえば人類が地球的規模の放射線量を人工的に高めるというようなことが生じるならば、人類と現在の高等生物種全体の生存が脅かされるであろうという結論が出てくる。著者らの議論からは、現在の地球史的に低い環境放射能レベルを守っていくことが人類の自然に対する義務であるという結論が出てくるはずである。ここから反対の結論を導くなら、それは自然と進化の全歴史に対する「奢り」であり「冒涜」であると言われても当然であろう(ローマ法王の警告――「原発は現代の『バベルの塔』であり『神への冒涜』である」――を想起するだけで十分であろう)。
         もう1つは放射能の性質である。著者たちが取り上げている放射能はもちろん自然放射能のことであるが、いま福島事故で問題になっているのは、生物進化史上にはまったく存在しなかった人工放射性物質であるという点である。人間が第2次世界大戦中以降につくり出した人工放射性物質に対する生物の対応機構は、生物進化の過程では形成されていないし、されるはずもないことは、明らかである。地球史に存在しなかった放射性物質による被曝に対して、地球史と生物進化を持ち出しても無意味であり、事情のよく分からない一般の人々を混乱させ欺く欺瞞にしかならない。
         ここでも放医研の前掲書によって最近の研究を見てみよう。同書では、電子の作用で生じるDNA損傷のなかでとくに「クラスター損傷」(DNA損傷が数nm以内に近接して複数個生じたタイプの損傷で修復が困難になる)の重要性が強調されている(本文だけでなくICRP2007勧告の要約、BEIRⅦの要約でも触れられている)。この場合、電子のエネルギーが低くなるほどクラスター損傷の割合が大きくなる傾向があり、X線やガンマ線照射による100keV程度の電子では全2本鎖切断の20%、1keV程度の電子では30%程度、アルファ線では70%程度がクラスター損傷であるという(134ページ)。「DNAの損傷は効率よく修復されている」としか言わない『理科・社会』の著者たちは、この問題を無視している。
         また、同書で指摘されている重要な現象の1つは、「逆線量率効果」である。つまり、「放射線による細胞の損傷が一定以上になると間違いの少ない修復系が主になり、線量率が低いと修復系が不完全でエラーが発生しやすくなるために、(突然)変異頻度が上がる」という(85ページ)。つまり低い線量率で長時間被曝した方が突然変異の頻度が逆に高まるのである。これは「ペトカウ効果」そのものであるが、この現象もまた野口氏らによって無視されている。
         放射線の間接的作用すなわちフリーラジカルと活性酸素の作用についても、著者たちは「生物進化」を強調する。著者たちは地球の歴史で石炭紀における「大気中の酸素濃度の上昇」を指摘した後、「生物はこうした高酸素濃度環境の中で、酸素毒性に抵抗する能力を進化させながら生きてきたし、現在もまた生きているのです」(50ページ)という。ここには、大気中の酸素活性と体内のフリーラジカル・活性酸素とを混同するという極めて初歩的な誤りがあることは言うまでもない。
         著者たちは、「生物は活性酸素などの酸素毒性への抵抗性を持っている」として、体内の解毒酵素、スーパーオキシドディスムターゼ(SOD)の役割を強調している。同書は、またしても典拠を挙げずに、SODは「・O2を分解し、・O2と・O2に由来する他の活性酸素、特に・OHによる損傷を防いでいます」と書いている(48ページ)。だがこれはSODに対する過大評価であって、SODには放射線によって生じる強力な・OH(ヒドロキシラジカル)を分解したり分解を促す作用は確認されていない。・OHを抑制するとすれば、むしろ著者たちが挙げているグルタチオンペルオキシターゼの方であろう(図4参照)。

        図4 活性酸素の産生と解毒システム

        出典:リチャード・A・ハーベイ著、鯉渕典之ほか訳『イラストレイテッド生理学』丸善出版(2014年)569ページ

         しかも、グルタチオンペルオキシターゼは、名前の通りペルオキシド(過酸化物)タイプの化合物を分解する酵素で、ヒドロキシ(水酸化)ラジカルを直接分解するものではない。もちろん、含まれるイオウ部分がラジカルと反応するので、同ラジカルについてもその攻撃性を抑えることはできる(Eiichiro Ochiai; Bioinorganic Chemistry, a Survey; Elsevier, 2008にあるGlutathione peroxidaseの項を参照のこと)。また、放射線によって生じるヒドロキシラジカルは、過酸化水素からではなく水から直接生じ、また決して同図のように生体内で産生される場合の教科書的な機序に沿って処理されるものではない。この事情も放射線によって生み出されるフリーラジカルに対する生体の反応に重要な影響を及ぼす可能性がある。(この項の内容について落合栄一郎氏のご指摘に感謝します)。
         放射線が体内で生み出すフリーラジカルと活性酸素の影響(我々の放射性微粒子論文32〜35ページ http://blog.acsir.org/?eid=31参照)についても、著者たちの根拠なき楽観論は変わらない。著者たちは、一方では、ガンマ線とベータ線について、放射線のこの「間接的作用」が「直接的作用」よりも3倍も強力であることを認めている(48ページ)。しかし、著者たちはそれによって生じる「酸化ストレス」を認めず、それはまたしても根拠なき楽観論に変わる。「放射線で活性酸素が作られてDNAに修復できない傷がつくことを心配する声をときおりうかがいます。私たちの身体の中ではいまの瞬間も大量の活性酸素やフリーラジカルが生成しており、私たち生物はその毒性から身を守る巧妙な仕組みを持っているからこそ生きていることを、ぜひ知っていただきたいと思います」(50ページ)と書いている。
         『理科・社会』のフリーラジカルの叙述はここで突然止まっている。著者たちは、これに続けてどうして次のように書かないのであろうか。…しかし、体内に入った放射線は、このようなフリーラジカルや活性酸素をめぐる生体の微妙なバランスを崩してしまう。内部被曝による放射線は、常にフリーラジカルと活性酸素を生みだし、生体がその解毒メカニズムを酷使せざるをえない状況を作り出し、その機能を疲れさせ萎縮させ、体内に深刻な「酸化ストレス」を引き起こす(表3)。

        表3 真核生物が受ける酸化ストレス

        出典:山内脩ほか『生物無機化学』朝倉書店(2012年)252ページ

         その結果、著者たちの挙げている「DNAの損傷」だけでなく、細胞に対し広範囲の影響を及ぼすことが考えられる。その中には、上でセシウム・ストロンチウムによるイオンチャンネルの阻害・損傷との関連で述べた「シグナル伝達物質の抑制」も含まれる(小澤瀞司、福田康二郎監修『標準生理学』720ページ)。これらにより、がんだけではなく、動脈硬化、腎不全、気管支喘息、心不全や心筋梗塞、花粉症や口内炎、ドライアイや白内障、関節リウマチや膠原病、胃潰瘍や逆流性食道炎、炎症性腸疾患、脳梗塞、アルツハイマー病やパーキンソン病、老化の促進など極めて多様な疾患や障害を引き起こす要因になる、と(吉川敏一氏(元京都府立医科大学教授)「フリーラジカルの医学」『京都府立大学雑誌』126(6) 2011年を参照のこと。関係する病名一覧は386ページにある。
        http://www.f.kpu-m.ac.jp/k/jkpum/pdf/120/120-6/yoshikawa06.pdf)。
         ここでも放医研の前掲書を見てみよう。放射線が活性酸素・フリーラジカルを発生させ健康影響を与える点以外にも、国際的に認められている放射線の影響として「非標的効果」(DNA損傷を受けていない部位において突然変異が生じる)と「遅延効果」(照射された細胞のみでなくその子孫細胞に染色体異常が生じる)があることは、よく知られている。具体的には「バイスタンダー効果」(照射された細胞の周辺の細胞に突然変異が生じたりがん化が生じる)、「ゲノムの不安定性誘導」(遅延突然変異頻度が長期にわたって蓄積する)などの作用がある。放医研の前掲書は、これらについて指摘した後、さらに踏み込んで「以上、概観してきたような非標的影響は、放射線照射の標的となった細胞DNAに直接的な突然変異が生じて放射線発がんのイニシエータになるという図式の変更を迫っている」(88ページ)と書いている。
         さらに放医研前掲書は、「バイスタンダー効果」の1つの説明として、放射線照射によって細胞に炎症が長期的に生じ、その細胞炎症によって産生される物質と周囲の細胞における発がん性突然変異の誘発に「密接な関係がある可能性」を指摘している(81ページ)。同書はこのような物質として「さまざまなサイトカインと活性酸素」を挙げている(79ページ)。サイトカインは、免疫細胞に情報を伝えるタンパク質で、体内の免疫バランスを越えて産生されるとアレルギーや自己免疫疾患を促す可能性があると考えられるので、このメカニズムは、放射線被曝によって各種の自己免疫疾患が生じる可能性を示唆している。また、動物実験においては、「低線量放射線照射が個体の免疫応答を亢進する可能性」が示されているという(125ページ)。このように放射線は免疫機構に対して二面的で矛盾した作用を及ぼし、一方では白血球などの造血機能を障害し免疫機能を弱める場合もあれば、他方では免疫機能を一方的に亢進させ自己免疫疾患など免疫異常を引き起こす場合もある、と考えなければならない。
         また放射線が体内で生み出すフリーラジカルは活性酸素だけではない。活性窒素もまた重要な破壊的作用を及ぼす。この点に関しては我々の『原発問題の争点』所収の大和田幸嗣著第1章の第4節を参照されたい。
        これらについて、野口氏はまったく触れていない。このことからも、著者たちがどれほど国際的な研究の発展を無視しているかは、明らかであろう。

         
           2.第2章「『福島は住めない』のか」

        2-1.「美味しんぼ問題が浮き彫りにしたもの」
          ――「福島県民の被曝線量で、被曝が原因の鼻血は出ない」という主張について


         『理科・社会』58ページ「被曝によって鼻血が出るということは明確に否定できます。」
         同63ページ「血小板がほとんどなくなるのは、かなり大量に放射線を浴びたときです。どのくらいの被曝かというと、2Sv以上と言われています。」
         これはすでに雁屋氏によって正しい反論がなされている。雁屋哲著『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』を参照していただきたい11)。例えば2012年11月に、岡山大学、熊本学園大学、広島大学の合同プロジェクト班が疫学調査を行い、2013年9月6日に報告書を発表している。調査は福島県双葉町、宮城県丸森町筆甫地区、滋賀県長浜市市木之本町の3地区を対象として行われ、木之本町と比べて双葉町と丸森町では、「体がだるい、頭痛、めまい、目のかすみ、鼻血、吐き気、疲れやすいなどの症状」が有意に多く、「鼻血に関して両地区とも高いオッズ比を示した」という事実。報告書によれば、この福島県における放射線と鼻血についてのオッズ比は3を超えている。明らかに鼻血が出たことを示している。疫学結果を過去の高線量被曝の経験で否定することはできない。過去の事実に合致しない事実とすれば、別の機構を考慮するのが科学的態度であり、『理科・社会』のように、新しい事実を古い理論で否定するのは本末転倒である。にもかかわらず、鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てるのはなぜなのだろうか。
         『理科・社会』65ページ「放射性セシウムを含む微粒子から毎秒1000個のガンマ線が出ているとします。この線源にどれだけ近づいたとしても、被曝するガンマ線の量は頭打ちになり、無限に増えていくことにはなりません。なお、1000ベクレルのセシウム137から体が受ける最大の被曝量は、体重50kgの人で0.007μSv/時になります。」と菊池誠氏の計算を用いている。
         しかし、繰り返しになるが、被曝の影響が問題なのは生体としての反応であり、全身で被曝するとして評価した0.007μSv/時は局所的集中的被曝を過小評価している。ICRP に基づく田崎氏、菊池氏、野口氏はガンマ線とベータ線を区別せず、全身が均一に被曝するとして計算している。ベータ線の局所的な被曝(ベータ線は数mmの距離でエネルギーを失う)では50kgは関係がないはずであるが、彼らは体重で割っている。内部被曝が危険とする人たちの本質的な論点が理解できていないのである。雁屋氏が、西尾正道氏などの微粒子によるベータ線によるイオン化作用に基づく説明を用いるのは、正しく当然である。菊池氏のガンマ線1000ベクレルを用いた議論では、集中的な被曝でないから内部被曝が小さいのは当然である。これは前述の問題で「ガンマ線も電子を励起するから同じ」という誤解にも基づいている。先に述べたようにガンマ線は全身や外部に拡がるので被曝の集中度が異なる。このように『理科・社会』全体が誤りの積み重ねとなっている。
         『理科・社会』64ページで児玉氏は「『美味しんぼ』23回に登場する『専門家』もそうですが、放射線被曝で鼻血が出るメカニズムを無理やり考え出そうとする人がいるようです。しかし、そこには被曝量が全く見積もられていません。被曝量がどのくらいかを度外視して、放射線被曝の健康影響を論ずることはできません」と述べている。いくら線量といってもガンマ線とベータ線は区別しなければメカニズムが議論できないのは当然である。かって、食品基準の説明会で厚生労働省の人がバンダジェフスキーの「放射性元素臓器取り込み症候群」を否定するのに線量が記されていないからと述べた。論文には病理解剖によって、取り込まれた微粒子の影響が明確に写真で示されており、さらに体重と各臓器1kg当たりのベクレル数が示されているのにも関わらずこの否定である。ここでの鼻血の問題では、体全体のガンマ線の線量がSvで示されても無意味で、鼻が受けるベータ線の局所的な強さが必要なのである。元々内部被曝を人体や各臓器を一様な物体(ファントムという)で置き換えたICRPの実効線量シーベルトで評価するのは正しくないのである10)
         『理科・社会』46ページの注記で著者たちは、「2ミクロンぐらいのセシウムボール」は「大部分が鼻腔粘膜にはほとんど付着することなく」したがって「鼻血が起こることはない」と断定している。典拠は何も示されていない。しかし「鼻腔粘膜にはほとんど付着しない」という点は、明らかに事実と異なる。
         我々は、すでに放射性微粒子に関する論文でこの点を検討している。ここでは、論文で引用した日本政府の「原子力委員会決定 昭和44年(1969年)11月13日 プルトニウムに関するめやす線量について」より、別図だけを引用しておこう(図5-1)。それを見れば、2ミクロン程度の粒径では、鼻咽喉への沈着率は7割程度でかなり高いことが分かる。さらに、環境研究所が行ったディーゼルエンジンの排気ガスに含まれる粒子(DEP)による最近の研究成果も掲げておこう(下図5-2)。鼻腔・咽頭・喉頭への沈着率は、2µmあたりできわめて高くなっており(対数目盛であることに注意)、著者たちの主張が明らかに間違っていることを示している。重要なことは、ナノ粒子の鼻腔も含む呼吸器系各部位への総沈着率が、ミクロンレベルの粒子の総沈着率よりもさらに高くなることである。鼻腔などへの沈着率は1nm付近で最大となり、粒径の大きい方の5μm付近のピークをさらに越えている。ナノサイズの放射性微粒子は、直接体内および血液中に取り込まれ、また数ナノの微粒子は体内のあらゆる関門を通り抜けて脳内にも胎児にも侵入するため、危険性は桁違いに大きいと考えるべきである。

        図5-1 日本政府原子力委員会の1969年の決定より

        [注意:図の横軸左下の2箇所のミクロンの表記(0.1と0.5)は、
        明らかに誤植で0.01と0.05としなければならないと思われる]
        出典:『原子力委員会月報』14(12)で、以下の政府サイトにある。
        http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/ugoki/geppou/V14/N12/196901V14N12.html

        図5-2 ディーゼルエンジン排気粒子(DEP)の呼吸器系各部位への沈着率

        出典:国立環境研究所「微小粒子の健康影響」『環境儀』No.22(2006年10月)
        http://www.nies.go.jp/kanko/kankyogi/22/04-09.html
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        2014.03.27 Thursday

        政府資料「放射線リスクに関する基礎的情報」の問題点  山田耕作

        0
          2014年3月

          政府資料「放射線リスクに関する基礎的情報」の問題点
          山田耕作(kosakuyamadaアットマークyahoo.co.jp)

          山田耕作_政府資料「放射線リスクに関する基礎的情報」の問題点 (22ページ,425KB,pdf)

          目次
          第1章 はじめに
          第2章 放射線被曝をめぐる争点
          第3章 「基礎情報」の問題点‐住民の健康と命を犠牲にするリスク政策
              (以下「放射線リスクに関する基礎的情報」の節に沿っている)
              0節 本資料の位置づけ
              1節 空間線量の経年変化
              2節 事故直後の外部被曝の状況
              3節 個人線量計における外部被曝の状況
              4節 初期の内部被曝の状況
              5節 甲状腺検査の状況
              6節 現在の内部被曝の状況(ホールボディカウンター検査)
              7節 食品中の放射性物質から受ける内部被曝の推計
              8節 各種環境モニタリングの実施状況
              9節 WHO, UNSCEARの評価
              10節 身の回りの放射線
              11節 日常生活における放射線被曝
              12節 世界の自然放射線の状況と健康影響
              13節 放射線の健康への影響
              14節 放射線防護を講じる際のICRPの基本的考え方
              15節 今回の原子力災害に対する我が国の対応
              (参考2)チェルノブイリ原発事故との比較
              用語解説
                外部被曝と内部被曝
                確定的影響と確率的影響
                放射線によるDNAの損傷と修復
          第4章 「基礎情報」のその他の問題点
           1.予防原則の無視
           2.リスク・ベネフィット論は強者の論理
           3.国際的権威ではなく、被害者の立場で被曝の真実を記述すべきである
           4.閾値と集団線量
           5.疫学の軽視や無視
           6.低線量被曝における重大な被害
           7.低線量被曝の甚大な被害と食品の厳格な管理の必要性
          第5章 おわりに
          参考文献
          追記 ブログ「東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌−Googleトレンドは嘘をつかない−」


          第1章 はじめに
            「放射線リスクに関する基磯的情報」1) (以下「基礎情報」と呼ぶ)は政府の内閣府をはじめ10の関係省庁の協力によって作成されたものである。福島原発事故後3年を経た現在、政府は年間20ミリシーベルト以下の被曝量の汚染地への住民の帰還を進めている。その際、高線量の汚染地でも住民が被曝量を自己管理して被曝を個人の努力で減らすよう指導している。これは政府と東電の責任を住民個人に転嫁し、住民の被曝の犠牲によって帰還を進め、被害の賠償責任を逃れるための政策である。その政策を進めるために、この「基本情報」を住民の被曝の危険性と被害を隠ぺいするための手段として利用しようとしている。
            この「基礎情報」は56名もの放射線に関する学会の権威・有識者の協力のもとに作成された。しかし、その内容はチェルノブイリで見いだされた心血管系や生殖系の被害や免疫力の低下などの広範な被害を無視し、被曝の被害を癌と遺伝的影響に限定し、しかもそれを過小に評価する危険な「情報」である。この「基本情報」の作成者の行為は私には子供や住民をだまして被曝の脅威にさらす危険な行為のように見える。

          第2章 放射線被曝をめぐる争点
            政府の「基礎情報」の議論に入る前に放射線被曝をめぐる国際的な論争の現状を述べておく必要がある。なぜなら被曝の評価は原子力に関する国際問題における重要な争点であるからである。
            歴史が示しているように、被曝評価をめぐる論争は国際放射線防護委員会ICRP創設の1950年以来続けられている。この年、放射線被曝の職業病防止の科学者の組織「国際X線及びラジウム防護諮問委員会」IXRPCから、核兵器開発のマンハッタン計画に参加したアメリカ、イギリス、カナダなどの原子力開発推進者を中心とする国際的協調組織であるICRPに変えられた。この設立経緯から推測されるように、ICRPは原子力開発が前提となっており、人類の幸福と健康から見た原発そのものの是非はその検討課題に含まれていない。国連の安全保障理事会の下にあって強い権限を持っている国際原子力機関IAEAは、このようなICRPの勧告を原子力利用における安全基準として採用している。
            しかし最近では、このICRP勧告のみに基づく考え方と、それは時代遅れであるとしてチェルノブイリ事故などで発見された新しい内容を加える考え方とが鋭く対立している。国際原子力機関IAEAやICRPがチェルノブイリ事故の被害として甲状腺がんのみを認め、低線量被曝を不当に評価し、他の健康の破壊を一切無視している姿勢が批判されているのである。さらに,IAEAが世界保健機関WHOと協定を結び、IAEAの同意なしにWHOが情報を開示できないことになっている。(「国際原子力機関と世界保健機関は、提供された情報の守秘性を保つために、ある種の制限措置を取らざるを得ない場合があることを認める」WHA 12−40」)。最近の新聞報道によれば福島県と福井県の両県とIAEAの間にも情報の公開に関して同意が必要との協定が結ばれたとのことである。なぜ、IAEAは情報の公開を恐れるのか。なぜ、世界の人々がIAEAから独立したWHOを求めているのか。
            A.V.ヤブロコフらの「チェルノブイリ被害の全貌」のまえがきでディミトロ・M・グロジンスキー教授(ウクライナ国立放射線防護委員会委員長)は次のように述べている。2) 
           「立場が両極端に分かれてしまったために、低線量被曝が引き起こす放射線学・放射生物学的現象について、客観的かつ包括的な研究を系統立てて行い、それによって起こりうる悪影響を予測し、その悪影響から可能な限り住民を守るための適切な対策を取る代わりに、原子力推進派は実際の放射性物質の放出量や放射線量、被害を受けた人々の罹病率に関するデータを統制し始めた。放射線に関連する疾患が増加して隠し切れなくなると、国を挙げて怖がった結果こうなったと説明して片付けようとした。と同時に、現代の放射線生物学の概念のいくつかが突然変更された。例えば電離放射線と細胞分子構造との間の主な相互作用の性質に関する基礎的な知見に反し、『閾値のない直線的効果モデル』を否定するキャンペーンが始まった。」
           「この二極化は、チェルノブイリのメルトダウンから20年を迎えた2006年に頂点に達した。このころには、何百万人もの人々の健康状態が悪化し、生活の質も低下していた。2006年4月、ウクライナのキエフで、2つの国際会議があまり離れていない会場で開催された。一方の主催者は原子力推進派、もう一方の主催者は、チェルノブイリ大惨事の被害者が現実にどのような健康状態にあるかに危機感をつのらせる多くの国際組織だった。前者の会議は、その恐ろしく楽観的な立場に、当事者であるウクライナが異を唱え、今日まで公式な成果文書の作成に至っていない。後者の会議は、広大な地域の放射能汚染が住民に明かに悪影響を及ぼしているという点で一致し、ヨーロッパ諸国では、この先何年にもわたって放射線による疾患のリスクは増大したまま減少することはないと予測した。」
            このような原発推進派の動きを世界的な「原発マフィア」とか「原発ロビー」の活動として警告する人が多い(例えばコリン・コバヤシ著「国際原子力ロビーの犯罪」以文社、2013年)。そしてヨーロッパの緑の党を中心として、欧州放射線リスク委員会ECRRが組織されたのである。初代議長は故アリス・スチュワートであり、故ロザリー・バーテルもメンバーとして参加していた。また、2012年6月、本会とともに、広島、京都、東京で講演し、放影研を訪れ討論した、インゲ・シュミッツ=フォイエルハーケ女史は、ECRRの現議長である。
            現在、政府や福島県は20ミリシーベルト以下の被曝なら容認できるとして、個人の測定値に基づき自己責任として放射性物質による汚染地への帰還を促進しようとしている。これはチェルノブイリ事故で警告されている汚染地における長期被曝を容認し、拡大することになる。
            最近、IAEAなど国際的な原子力推進グループは「放射線と甲状腺がんに関する国際ワークショップ」(2014年2月21~23日)を開き、福島県で観測された74人に上る子供の甲状腺がんとその疑いの多発と福島原発事故との関係を否定した。これはこの「基礎情報」の「放射線による健康影響があるとは考えにくい」という主張に一致するがはたして正しい科学的な結論であろうか。私は以下に述べるように重大な誤りと考える。

          第3章「基礎情報」の問題点‐住民の健康と命を犠牲にするリスク政策
            以下日本政府の「基礎情報」の節に沿って批判的に検討する。青色斜体部分が引用である。
                0節 本資料の位置づけ
            本資料は、福島における放射線の状況や、放射線の健康リスクを考えるための知識・科学的知見、被ばく低減にあたっての国際的・専門的な考えなどの基礎的な情報をコンパクトにまとめたものです。
            この「基本情報」の立場はIAEAやICRPなど原子力推進の立場での情報である。予防原則が無視されているなど、被曝者の立場から客観的真理を述べたものではない。
            また、住民の安全上不可欠である事故全体の現状とその原因、さらに事故の収束の見通しが書かれていない。地震による鉄塔や機器の破壊と津波といずれが事故の本当の原因であったのか。メルトした溶融燃料はどのような状態にあり、その処理は可能なのか。溶けた核燃料が地下150メートルの毎日3000トンの地下水流に到達する心配はないのか。3) いつごろ溶融した炉心の処理は完了するのか。4号炉の燃料プールは余震に耐えられるのか。毎時1000万ベクレル放出されていると言われた大気への放出はどうなったのか。汚染水の漏出の現状と対策は大丈夫か。このような基本的な事故原発の状況に関する情報なしに帰還は可能なのか。これらの問題は福島での被曝問題のもっとも基礎的情報でもある。

                1節 空間線量の経年変化
            P1  この期間における放射性セシウムの物理的半減期から計算した減衰は34%であることから、残りの約13%は、風雨などの自然要因等により減少しているものと考えられます。
            この自然要因による減少はセシウムなどが雨水や風と共に飛ばされ川や湖に流れ、最後は海の汚染へとつながるものである。除染の効果がほとんどないことなど、総合的な考察が不十分である。文部科学省によるモニタリングポストは時には実態の5から6割の過小な数値を与えることが報告されている。また、空間線量から地上の汚染度を求める時、通常より小さい地面の汚染度を与えているという指摘がある。

                2節 事故直後の外部被曝の状況
            P2  福島県の県民健康管理調査検討委員会では「放射線による健康影響があるとは考えにくい」と評価しています。
            これは事実で否定されている。福島県の子どもの甲状腺がんの調査結果が発表され、東京を含めて心配が東北・関東に拡大しているからである。この事実一つをもってしても「基礎情報」の楽観的な見方は否定されているのである。
            2014年2月7日の発表によると事故時福島県の子供25.4万人の調査で子どもの甲状腺がんとその疑いを含めて、74人となっている。これは10万人当たり29人に相当し、通常100万人当たり数人とされる子どもの甲状腺がんの発生率に比べ明らかに多発である。発生率も福島県内で地域差があり、それは福島原発事故による汚染地図とよく相関する。このように明らかな放射線による健康影響があるので政府の「基本情報」の評価は間違っている。「基礎情報」の言うスクリーニング効果では5倍にもなる発生率の地域差とその分布を説明できない。疫学の立場からも津田敏秀氏は有病期間を考えてもブレイク・アウト(多発)としている。4) 福島県は0.03%、つまり10万人に30人の発症率と発表している。ベラルーシのピーク時の発症率が10万人当たり約10人であるから、30人は3倍の発症率である。しかも福島はピーク時ではなく3年以内で発生している。福島は始まったばかりである。
            P2に掲載されている第14回検討委員会の県民51.5万人の外部被曝線量調査でも区分の最大値をとると集団線量はおよそ640人・シーベルトになり、ICRPのリスク評価で32人、より正確な評価では64人のがん死が発生する。影響があるのである。

                3節 個人線量計における外部被曝の状況
            P3  年間個人線量(平均)の値は、0.1ミリシーベルトから1.4ミリシーベルトとなっています。   
            県民200万人が1ミリシーベルト被曝すると2000人・シーベルトの集団線量となり、200人のがん死となる。年間であるから少しずつ減衰するとしても毎年これだけのがん死をもたらす被曝は決して少なくはない。

                4節 初期の内部被曝の状況
            P4  小児を対象に甲状腺の簡易測定を行ったところ、調査対象となった1080人が、原子力安全委員会がスクリーニングレベルとしている毎時0.2マイクロシーベルトを下回っていました。
            毎時0.2マイクロシーベルトは1歳児の甲状腺等価線量100ミリシーベルトに相当するということである。この100ミリシーベルトの基準が高すぎるから、これを下回っていても安全ではない。このように内部被曝はシーベルトに換算するとき等価線量係数の不確かさがあり、リスクの過小評価を伴う。そもそも臓器を均質物体で置き換えるICRPの内部被曝の評価は正しくないのである。臓器はそれぞれ重要な機能をもち、臓器を構成する細胞も細胞膜、核、ミトコンドリア等、生きた機能をもち、有機的・統一的な運動をしているのである。このような生体としての機能を破壊する放射線の効果を無視しては正しくその被害を評価できないのである。特に進化の過程を経ない人工の放射性物質は臓器に取り込まれ、局所的に継続的に放射線を浴びせることで外部被曝にない危険性を持つのである。現実に子どもの甲状腺がんが多発している事実は県の簡易測定とそれに基づく解析の信頼性を否定しているのである。一方、甲状腺がんの検査では、同じ程度の精度の装置で、甲状腺がんの発生率の地域差が3倍から5倍もあるからスクリーニング効果では説明できない。この多発の地域差を説明するものとしては、放射線被ばくの地域分布以外に考えられない。4)

                5節 甲状腺検査の状況
            P6  このうち、75人の方が「悪性ないし悪性疑い」と診断され、うち33人ががん、1人が良性結節と診断されました。
            P6  東京電力福島第一原発周辺地域の子供たちの甲状腺被曝は総じて少ないこと、放射線被曝後の小児甲状腺がんの潜伏期間は最短でも4〜5年とされていることなどから考えて、「事故後2年出の現在の症例は、東京電力福島第一原発事故の影響によるとは考えにくい」とされています。
            この評価は間違いである。最短期間が4年というのは正確ではない。チェルノブイリでは事故後の4,5年内は超音波診断装置がなく触診で診察していたとのことである。しかも甲状腺がんが発見されても発生が早すぎるとして否定されたとのことである。しかし、現在、原発事故以外に甲状腺がんの多発と福島県内の地域差を説明できる要因がない。

                6節 現在の内部被曝の状況(ホールボディカウンター検査)
            P7  2013年12月末までに約18万人に対して検査を実施したところ、99.99%の方が預託実効線量で1ミリシーベルト未満と推計された。福島県では、検査を受けた全ての方の内部被曝線量は、「健康に影響が及ぶ数値ではありません。」と説明しています。
            上記のようなICRPに基づく内部被曝の評価方法に疑問がある。内部被曝はシーベルトでなく直接ベクレルで比較すべきである。なぜなら、ベクレルからシーベルトに換算するとき、被曝の局所性を無視し、臓器を一様均質物体として求めた換算係数を用いるため被曝被害が現実的でなく、過小に評価されてしまうのである。内部被曝はどんなに低くても危険であり、1ミリシーベルト未満でも安全ということはない。これは欧州リスク委員会ECRRの言うとおりである。現実に甲状腺がんが発生しているのが何よりの証拠である。政府は自らの責任で「健康に影響が及ばない」と言わず、福島県に言わせ、それを引用している。また放射性セシウムの測定において尿検査の方が精度がよいと言われている。なぜ、信頼性の低いホールボディカウンターのデータのみで議論するのだろうか。

                7節 食品中の放射性物質から受ける内部被曝の推計
            P8  2012年9月から10月にかけて全国15地域で実際に流通している食品を調査した結果、食品中の放射性セシウムから受ける預託実効線量の推計値は年間0.0009〜0.0057ミリシーベルトでありました。…これは、食品中の放射性物質の基準値の設定根拠となった預託実効線量の上限値(年間1ミリシーベルト)や天然由来の放射性カリウムからの預託実効線量の値(年間約0.2ミリシーベルト)と比べ極めて小さい値になっています。
            前述のように、実効線量係数を用いてシーベルトに換算したICRPの内部被曝評価の方法は信頼できない。それ故、低いシーベルト数であっても安全ではない。さらに上の記述は天然のカリウム40と人工の放射性物質セシウムをシーベルトに直して比較したものである。確かにカリウム40のシーベルトがセシウムに比べ30〜200倍くらい大きく見える。しかし、内部被曝に関してはこのような比較は意味がないのである。人工の放射性物質は各臓器に取り込まれ、継続的に局所的な被曝をもたらすので、体内を自由に移動するカリウム40に比べ格段に危険である。個々の元素の生体内における挙動をそれぞれの元素に基づいて議論しなければならない。ここでp27に巧みに入れられた誤解を誘発する註1が重要である。
            P27*1  放射性ヨウ素は甲状腺に、ストロンチウムは骨に蓄積しやすい性質がある。セシウムには特定の臓器に蓄積する性質はない。
            「セシウムは特定の臓器に蓄積する性質はない」というとカリウム40と同様に臓器に蓄積されないとも取れる表現であるが、ほとんどの臓器に蓄積するのである。甲状腺、脾臓、心臓、腎臓、肝臓、脳,骨格筋などそれぞれに差異をもって蓄積する。それ故、「基本情報」は「特定の臓器に蓄積する性質はない」という一般に臓器に蓄積する性質がないかのように誤解されるあいまいな表現を用いているのである。バンダジェフスキーによると放射性セシウムは脾臓や甲状腺には特に取り込まれ、蓄積するとのことである。これはチェルノブイリ事故で内部被曝して死亡した約130名の子供と大人を病理解剖して発見された重要な結論である。以前から、市川定夫氏によって進化の立場から指摘されてきたことが実際に病理解剖によって確認されたのである。5,6) 鷲谷いずみ氏も進化を経たカリウム40と進化を経ていない人工の放射性物質を同列に置くことに警告を発している。生物の発生以来、体内に入るカリウム40を蓄積しないようスルスルと移動させるカリウムチャネルなどの機構を通じて生き残ってきた生物のみが現在生存しているのである。もし臓器に放射性元素を取り込み、絶えず継続的な放射線の被曝にさらされたならその生物は絶滅しただろうと市川氏は主張している。それ故、放射性セシウムを臓器に取り込むことは進化の過程で淘汰・絶滅させられる道なのである。ついでに人類は魚から進化したことを考えると、ビキニの水爆実験で見られたように放射性物質が濃縮されて、特に魚の内臓に蓄積していたことが思い出される。魚なら臓器を取り除いて調理できるが、人間の臓器に蓄積すると大変である。7)
            この臓器への蓄積は先に述べたように、バンダジェフスキーによって被曝被害によって死亡した子供や大人を病理解剖して確認されたことである。彼は死亡原因とセシウムの蓄積部位に相関があることを示している。これらの人工の放射性物質の取り込みによっておこる病気を「長寿命放射性元素取り込み症候群」と名付けて警告を続けている。例えば体重1キロ当たり20ベクレルの蓄積によって心電図に異常がでる。バンダジェフスキーはじめベラルーシやウクライナやロシアの医師たちは、この異常は時には心臓発作や心停止に導き、急死する人が出るといって警告している。このような住民の健康にかかわる重要な知見を政府は意識的に無視している。私は2度も京都での食品基準の説明会で質問した。そのたび厚生労働省の担当者はバンダジェフスキーの文献は被曝線量が不明なので採用しないと回答した。しかし、臓器ごとの1キロ当たりのベクレル数が示されており、臓器に取り込まれていることは病理解剖の写真で示されている明確な事実である。住民の健康を何と考えているのか。
            A.Romanenko達のウクライナにおける膀胱がんの発生の研究において、1リットル当たりの尿に50ベクレル含まれるカリウム40によってではなく、数ベクレルから6ベクレル含まれる放射性セシウムに依って膀胱がんの発生が支配されることが示されている。この事実も政府は無視して住民を被曝の危険にさらしているのである。8)
            ここでついでながら物理学者たちの同じ誤りを指摘しておくのが有用であると思われる。田崎晴明氏と菊池誠氏のそれぞれの著書である。20,21) カリウム40を基準として放射性セシウムの内部被曝を議論して安全としているのである。市川定夫氏の環境論などで繰り返し警告されたことを学ばず、人命にかかわる重要な誤りを主張する解説書を書くことは許されないことである。

                8節 各種環境モニタリングの実施状況
            政府文科省のモニタリングポストは実際の住宅地より4から5割小さい値が出たという報告もある。住民の信頼できる測定が必要である。

                9節 WHO, UNSCEARの評価
            P10  2013年2月WHO公表。被曝線量が最も高かった地域の外側では、福島県においても、癌の罹患のリスクの増加は小さく、がん発生の自然のばらつきを超える発生は予測されない。
            P10  2013年10月の国連総会に提出されたUNSCEARの活動報告において、福島第一原発事故の放射線被曝による急性の健康影響はなく、また一般住民や大多数の原発従事者において、将来にも被曝による健康影響の増加が認められる見込みはない。
            現実に子供の甲状腺がんが多発しているのであるから、WHO、UNSCEARや「基礎情報」の予想は根本的に外れたのである。労働者においても1.5万人が被曝5ミリシーベルトを超えたということである。そのうち173人が100ミリシーベルトを超えた。これらだけでも最低9人のがん死が予想される。東京電力や政府は労働者の被曝のデータを発表しておきながら、「基礎情報」では被曝を否定して、住民をだましているのである。ここでも文章は微妙な書き方であることに注意しよう。「一般住民や大多数の原発従事者において、将来にも被曝による健康影響の増加が認められる見込みはない」と書き、「健康影響の増加がない」とは言っていないのである。「認められる見込みはない」であるから、政府や県が調査しなければ、また発表しなければ市民には認められないことになるのである。政府や県は被害の増加を知っているので、「増加しない」と書くのではなく、注意深く「認められる見込みはない」と書いているのではないだろうか。

                10節 身の回りの放射線
            避けようのない宇宙や地面からの自然放射線や個人の病気治療のための医療放射線と原発という住民には何の利益もない被曝を区別しないで比較している。これはいつもながら被曝を押し付ける手法である。

                11節 日常生活における放射線被曝
            これらの章は放射線に対する理解を深め安心を与えるために記載されているようである。

                12節 世界の自然放射線の状況と健康影響
            P13  インドのケララ地方の疫学調査(長期被曝の例)では、総線量500ミリシーベルトを超える集団があっても、発がんリスクの増加は認められないと報告されています。また、放射線を長期間にわたって継続的に受けた場合は、短時間で同じ線量の放射線を受けた場合よりも健康影響が小さいと推定されており、線量・線量率効果と言います。
            この点について市川定夫氏の環境学第3版p204で次のように記述している。「アメリカのメリクル博士夫妻はコロラド州の自然放射線レベルの高い地点で、インドのナヤール博士らはケララ州の自然放射線レベルの高い地域の土壌を用いて、それぞれムラサキツユクサの実験を行い、ともに突然変異頻度が自然放射線レベルに対応して上昇することを確かめ、それぞれ1965年と70年に報告している。」放射線の影響はあるのである。「基本情報」の記述は線量・線量率効果も一面的で正しく真理を伝えていない。
            「基本情報」の言う線量効果に反する重要な事実として、放射線によって発生した活性酸素によって細胞膜が継続的に破壊されるペトカウ効果が知られている。9) 低線量域の方が、線量効果が高いとするペトカウ効果は、被曝の影響を考える上で無視できない重要な現象である。これはペトカウが発見した実験事実であり、放射線で発生した活性酸素が高線量であると互いに相殺し、効果が小さくなるので、低線量の方が、活性酸素が長く生き残り、細胞膜の破壊効果が大きいという説明がなされている。また、活性酸素は細胞の中の脆弱な部分であるミトコンドリアを破壊し、免疫力や体力を失わせることが明らかになってきた。ICRPや政府は依然として、放斜線によって生じた活性酸素の効果を無視しているので低線量の継続的な被害を正しく考慮できないのである。
            ケララ州では染色体異常が多いという報告もある。このように「基本情報」は古い知識を一面的に繰り返し、新しい知見を取り入れて総合的に判断しようとしないのである。

                13節 放射線の健康への影響
            P14  広島・長崎の原爆被爆者12万人規模の疫学調査では、原爆による放射線の被曝線量が100ないし200ミリシーベルトを超えるあたりから、被曝線量が増えるに従ってがんで死亡するリスクが増えることが知られています。一方、それ以下の領域では、得られたデータの統計的解析からは放射線の被曝によってリスクが増加しているかどうか確認できません。
            P14  100ミリシーベルト以下の被曝線量では、被曝による発がんリスクは生活環境中の他の要因によって隠れてしまうほど小さいため、放射線による発がんリスクの明らかな増加を証明することは難しいということが国際的な認識となっています。
            我が国政府はいつも「100ミリシーベルトよりも少ない被曝で癌が増える」ということは証明がないという主張をしている。これは世界からも、最近の知見からも外れたデマに近い誤りである。少なくとも、この表現は不正確である。広島・長崎の結果は100ミリシーベルト以下で「統計的に有意でない」ということであって、癌が発生しないということではない。危険率(偶然に起こる可能性の確率)Pが信頼度の基準とされる0.05より大きいということであって、100ミリシーベルト以下の被曝量でも癌死数が被曝ゼロとされる対照群(この人たちも内部被曝していた)より増加しているのである。被曝量の値の5〜100ミリシーベルトでは危険率P=0.15で、5〜50ミリシーベルトでP=0.3であり(Brenner et al PNAS 100、p13761)、信頼度が落ちるということである。
            津田敏秀氏は「福島について100ミリシーベルトを持ち出すことは、単に『統計的な有意差がない』事と『影響がないこと』を混同している。」、「福島では有意差が出る可能性が十分ある」としている。16) (津田著p96)。閾値をめぐる問題は被曝をめぐる本質的な問題であり、広島・長崎だけでなく調査を広げる必要があるのである。広島・長崎の被爆者調査でも若い時に低線量被曝した被爆者の死が最近多くなり、低線量被曝域が線形に近くなってきた(K.Ozasa et al Radi.Res.177,229、2012)。まだ、統計的に有意ではないが、小笹氏達も線形が最もふさわしいとしている。古くからあるJ.M.Gouldたちの原発周辺の乳がん死の研究を調べれば100ミリシーベルト以下でも被害が生じることは統計的に明らかであるにもかかわらず、「基礎情報」はそれにも言及していない。12,13) スチュワート(Alice Stewart)の妊婦のレントゲン検査による小児がんの被害の結果や遺伝的影響を考えれば単純な外部被曝による被曝線量に対するがん発生の線形依存性は明確ではないだろうか。ICRP2007年勧告も「約100ミリシーベルト以下の線量においては不確実性が伴うものの、癌の場合、疫学研究および実験的研究が放射線リスクの証拠を提供している。」としているのである。
            アリス・スチュワートは英国で1943年から1965年の間に生まれた1960万人の子供の疫学調査を行った。生まれてきて9歳までに小児がんで亡くなった1万3407人のこどもの母親について、妊娠時にX線照射を受けたかどうかを調べ、受けていない母親と比較した。妊娠中に受けたX線検査の回数から被曝線量を求め、胎児の小児がん死との相関を調べた。13) 2.5ミリシーベルトから統計的に有意な直線関係が得られた。妊婦の被曝は小児がん死をもたらすだけでない。新生児死亡や乳児死亡の危険が高められるのである。 
            2014年2月18日の京都新聞によれば2013年に診断での放射線の影響を過去最大の規模で調べた結果が発表され、注目を集めた。オーストラリアで1985年年頭に0〜19歳だった約1094万人を2007年末まで追跡。コンピューター断層撮影(CT)検査1回の被曝量は推計4.5ミリシーベルト、検査回数は約8割が1回だった。検査を受けた約68万人のうち3150人(9.5年間追跡)、受けなかった約1026万人では5万7524人にがんが発症(17.3年間追跡)。受けた人の発症リスクは受けなかった人の1.24倍だった。がんの可能性があり検査を受けた人は極力除いた(BMJ 2013;346:f2360)
            ここでも田崎氏と菊池氏はそれぞれの著書で妊婦が100ミリシーベルト以下の被曝なら、広島・長崎の調査を根拠に胎児にも被害はないと述べている。20,21) 現在、スチュワートの研究の結果, 妊婦の被曝を避けるよう正しい対応がなされているのを、100ミリシーベルト以下は無害であるかのような混乱を与える危険な解説である。チェルノブイリでは異常出産の増加が報告され、多指症などの増加が目立つようである。福島事故での被害を拡大する恐れのある重大な誤りであり、即修正されるべきである。11)
          20140326_acsir_yamadakosaku_fig01


                14節 放射線防護を講じる際のICRPの基本的考え方
            P15  ICRPでは、これまでの原爆被爆者などの調査結果を基に、LNTモデルを用い、線量・線量率効果係数を2として、線量が低い環境で長時間被曝した場合の生涯においてがんで死亡するリスクの増加分を1シーベルト当たり約5%であると推定しています。
            ICRPは低線量長期被曝のリスクを広島・長崎のリスク係数の半分にしているが、ペトカウ効果は逆に低線量長期被曝の危険性を示している。また、原発労働者の発がん死亡リスクからも1人・シーベルト当たり⒑%を支持している。それ故、ICRPの5%は根拠のない過小評価である。
            P16  回復や復旧の時期(現存被ばく状況)に入ると、公衆被曝を通常と考えられるレベルに近いかあるいは同等のレベルまで引き下げるため、年間1〜20ミリシーベルトの範囲の下方部分から、状況に応じて適当な「参考レベル」を選択し、長期目標として参考レベルを年間1ミリシーベルトとすることとされています。
            これでは子どもや老人を含む住民を帰還させ、住まわせることはできない。なぜなら「現存被曝状況」であり、通常の状態に比べ、線量が高いからである。これを帰還準備区域とすることはともかく、帰還区域とすることは健康で文化的な生活を保障した憲法に反することである。人が住むためには少なくとも通常の年間1ミリシーベルト以下でなければならない。「現存被ばく状況」などと言って政府や東電の都合や県の判断で個人の「健康に生きる」という基本的な人権が侵害されてはならない。さらに未来世代への影響を考えると汚染レベルの高いところに住むべきではない。
            これに関連してヤマトシジミ(蝶)の内部被曝の実験は重要である(Hiyama, A., Nohara, C. et al. The biological impacts of Fukushima nuclear accident on the pale grass blue butterfly. Sci. Rep. 2, 570-579 (2012).。沖縄の琉球大学で飼育されているヤマトシジミに福島市、飯館村、対照群として山口県宇部市を選び、放射性物質による汚染度が異なる各地から採取した餌であるカタバミを与える。汚染度に対応して奇形の子供が生まれる。ヤマトシジミは一年間で5から7回世代交代するが奇形が幾世代も増幅して継承されるという結果である。これは食事を通じての内部被曝による生殖被害を示している。

                15節 今回の原子力災害に対する我が国の対応
            P17  政府は、東京電力福島第一原発事故において、国際放射線防護委員会(ICRP)の緊急時被ばく状況における放射線防護の「参考レベル」のバンド(年間20〜100ミリシーベルト)等を考慮し、このうち最も厳しい値に相当する年間20ミリシーベルトを採用して、避難指示を行いました。
            そもそも誰が緊急被ばく状況を作り出したのか。東電と政府自身がこのような事態を引き起こしておきながら、最も厳しい年間20ミリシーベルトを適用したことを親切でもあるかのように記述している。これは逆に20ミリシーベルト以下には避難指示を出さないこと、20ミリ以下の被曝を容認しているのである。これはとんでもないことである。原発労働者の被曝線量の基準は1年で最大50ミリシーベルト、5年では100ミリシーベルト以下とし、通常年間20ミリシーベルトに制限しているのである。その労働者被曝の基準を子供や妊婦にまで当てはめて年間20ミリ.シーベルトとしているのである。ICRPの緊急時被ばく状況の「参考レベル」という極めて非人道的な基準を用いた議論である。3年もたった今、この緊急時被ばく状況の基準を適用すること自体許されることではない。それを適用して、その最低の被ばく基準と言ってごまかしているのである。従来、白血病などの労災認定の基準の線量が5ミリシーベルトである。住民の健康や命をどう考えているのだろうか。このような線量のところに学校を開校することは子供たちの将来の健康にとって大変心配なことである。
            「緊急被ばく状況」とか「現存被ばく状況」とかを考え、平常時よりも高い被曝を容認する政策は基本的人権に反する行為である。非常時だからと言って決して生命と健康を軽視することは正当化されない。基本的人権は不可侵の権利であり、むしろ、健康で文化的な生活をするという基本的人権の侵害が不可避となる事態なら、避難する権利を認め、国家と東電の責任で避難の物質的・経済的保障をすべて行うべきである。一般に戦争などの非常時を口実に基本的人権が侵害されることがあった。しかし、非常時こそ基本的人権が一層大切にされなければならない。その意味でICRPの非常時の政策は、原発や核兵器が人権の侵害を不可欠とする反動的な政策と不可分であることを示しているのである。
            P17  上記計算式では、‘睇被曝、∧射性物質の物理減衰やウェザリング効果を考慮していない。これは,砲茲訐量増加分と△砲茲訐量減少分が相殺していると仮定しているためである。
            これはとんでもない仮定である。内部被曝の理解が全く誤っている。ウェザリング効果とは風雨による自然減衰のことであり、これと物理減衰を合せたものが内部被曝に等しいというのである。これが人命や子供の将来を預かる国の責任ある立場の人がすることであろうか。メカニズムが全く異なるものを相殺させることができるだろうか。どんぶり勘定にも等しいことを科学者がやっているのである。政府側のリスク論の権威たちの内部被曝に対する無理解と軽視を示している。
            また、屋内での低減効果を考え、被曝量を低くしているが、個々の生活に依るので、安全側に見て24時間屋外にいても、子供のように地面に近くても、1ミリシーベルト以下になる環境にすべきである。
            P17  原子力発電所が冷温停止状態となった2011年12月以降、年間の被曝線量が20ミリシーベルト以下となることが確実であることが確認された地域について、現存被ばく状況に移行したと判断し、「避難指示解除準備区域としました。この区域では当面の間は、引き続き避難指示が継続されますが、除染やインフラ復旧、雇用対策など復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の1日も早い復旧を目指しています。
            これは危険な政策である。帰還の放射線被曝基準が明確でないからである。1ミリシーベルトを明記し、それ以上は避難の権利が認められなければならない。子どもの教育・生活環境にも言及していない。あいまいなまま帰還させられる可能性が高い。後はこどもを含めて個人の責任で線量を下げるべきとされるのである。また、「冷温停止状態」となったといっているが「冷温停止」とは原発の機能は正常で停止し、常圧で温度が100度以下になることである。格納容器や圧力容器が破壊された状態に使うべき言葉でない。しかも、溶融した燃料は依然冷却中であり、どのような状態かもわからない。それ故、余震の絶えない現在、20ミリシーベルト以下が確実というが、その前提の事故現場の安全な処理と解決が問題である。
            P18  原子力規制委員会は、「帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方」を取りまとめ、帰還後の住民の被曝線量の評価は、空間線量率からの推定ではなく、個人線量計を用いて測定する個人ごとの被曝線量を用いることを基本とすべきであるとしています。
            これは被曝の責任を個人に転嫁するものである。そもそも個人の行動によらず、放射線被曝が1ミリシーベルト以下である空間線量であることを国が確認し、保障すべきことである。この直前に「個々の住民の生活や行動によってばらつきがあることが確認されています。」と書いている。幼児まで含めて行動を調整できるはずがない。にもかかわらず、規制委員会は住民の健康を守るという自分の責任を個人に押し付ける無責任な態度をとっているのである。許されないことである。

                (参考2)チェルノブイリ原発事故との比較
            P21  チェルノブイリを福島と比較してヨウ素131が11.3倍、セシウム134が2.4倍、セシウム137が5.7倍、ストロンチウム90が57倍としている。プルトニウムは1万倍としている。
            これは通常の目安である福島事故の放出放射性物質量がチェルノブイリと同等で、福島事故は人口密度が高いので一層深刻であるという評価に比べ、たいへん小さく評価されているように思う。例えばノルウェー大気研究所のストールらはセシウム137に関して、福島事故はチェルノブイリ事故の放出量の約半分に相当するとしている(A.Stohl et.al Nature478.p435‐436、2011年10月27日号)8)。 ストールらが原発事故の再現結果に基づいて推定した放出キセノン133の量は 1.7×1019 ベクレル、セシウム137の量は 3.5×1016 ベクレルで、日本政府の見積もりよりキセノンが約1.5倍、セシウムが約2倍となった。キセノンの放出量はチェルノブイリより多い。ただし、ECRRのクリス・バスビーはストールらの用いたと推測される国連科学委員会のチェルノブイリのセシウム137の放出量の値 8.5x1016 ベクレルは原子炉の残存量の10倍近くであり、大きすぎるとして 3.8x1016 ベクレルを採用して、セシウム137の放出量を福島とチェルノブイリで同程度としている。10) 
            福島では3基の原発が炉心溶融し、放出されたキセノン、ヨウ素やセシウムの量を比べても「基礎情報」のようなことはとても言えないはずである。IAEAをはじめ「国際原子力マフィア」は福島事故以後チェルノブイリ事故の放出量を大きくした。10) これは福島事故を小さく見せるためであると思われる。「基礎情報」のような過小評価がベースにあれば住民を被曝から守るという政策が手抜きになる心配がある。住民も被曝への警戒を怠る心配がある。

          用語解説
               外部被曝と内部被曝
            P27*1  放射性ヨウ素は甲状腺に、ストロンチウムは骨に蓄積しやすい性質がある。セシウムは特定の臓器に蓄積する性質はない。
           これは誤りである。セシウムは様々な臓器に蓄積されるのでカリウム40に比べて危険性が格段に高い。
               確定的影響と確率的影響
            P33  確率的影響は、細胞の遺伝子が変異することで起こる影響で、がんや遺伝性影響といった障害がこれにあたります。
            DNAの損傷のみを問題として、放射線によって生じた活性酸素による細胞膜の破壊や放射線のホルモン作用への影響などを考慮していない。その結果、ペトカウ効果を無視している。これはICRPや「基本情報」による被曝の重大な過小評価である。
            P34  DNAを傷つける原因は…化学物質、活性酸素があります。
            活性酸素に言及しながらDNAの損傷に限定し、放射性物質によって生成される活性酸素による細胞膜などの破壊効果を考慮していない。これは心筋の損傷や様々の健康破壊をもたらす怖い現象である。
               放射線によるDNAの損傷と修復
            「基礎情報」は、欧州放射線リスク委員会ECRRなどICRPに批判的な見解は、ICRPが受け入れないので、科学者の一致を見ていないという口実の下に一切採用しない。これでは必然的に古いICRPの姿勢を踏襲したものにならざるを得ない。
            最近、明らかになった放射線による被害として、放射線による活性酸素の発生によって細胞膜が破壊され、さらに細胞の連鎖的な破壊によって心臓や腎臓など内臓が損傷されることがわかってきた(ペトカウ効果)。臓器に取り込まれ、蓄積し、継続的に放射線を放出する人工の放射性物質は極めて危険であることが明らかになってきた。それ故、先に述べたように、人工の放射性セシウムと臓器に蓄積されないでスルスル全身を移動する自然の放射性物質カリウム40とをベクレル数のみで比較して安全性を論じることは誤りである。
            細胞膜のK−チャネルは特異的にカリウムを通過させる構造を持ち、大きさの異なるナトリウムやセシウムは通過しにくい構造になっている。生物進化の結果であると考えられる。 この点はICRPが個々の臓器を一様均質物体として内部被曝を評価していることにより、内部被曝が過小に評価されているので、特に重要である。継続的で、局所的な被曝は修復中のDNAをさらに攻撃するなど、2重らせんを破壊しやすいことでも危険であると考えられる。直接放射線でDNAが被曝していない細胞の周囲の細胞が損傷されるバイスタンダー効果が見いだされ、警告されている。この効果や放射線被曝の影響で遺伝子の継続性が不安定になるゲノム不安定性も重要な効果であることが指摘されているが、「基礎情報」は無視している。被曝被害を過小評価する不十分な「基礎情報」である。
            体内の個々の人工の放射性物質の振舞はヘレン・カルディコット博士の言うようにほとんど理解されていない。膀胱がんの研究によれば多様な過程が絡み合って発生するようである。膀胱表皮に取り込まれた放射性セシウムの放射線によって生じた活性酸素が重要な役割を果たす。8)

          第4章.「基礎情報」のその他の問題点
           1.予防原則の無視
            ICRPの権威を利用している「基礎情報」はバンダジェフスキーやウクライナ政府の発表による「長寿命放射性元素体内取り込み症候群」を無視している。6,11)。 それ故、「基礎情報」の言う被曝被害はDNAの損傷に限られる。これは多数の死体を克明に調べ、血のにじむような苦労の結果ベラルーシやウクライナ、ロシアで明らかにされた医学的知見を切り捨てるものである。
            しかも、「基礎情報」のこのような態度は明らかに「予防原則」に反している。科学的に新しい知見が提出されたとき、完全な因果関係の証明がなされるまで待つと取り返しのつかない被害の拡大の可能性があるとき、「賢明なる回避」という公害問題の原則が提出され、「予防原則」と呼ばれる国際的な合意となっている。なぜか「基礎情報」はこのよく知られた原則を一貫して無視している。チェルノブイリでは年間1ミリシーベルト以上の被曝の心配のあるところでは避難の権利が認められている。住民が受ける平均実効線量が年間5ミリシーベルトを超える可能性がある地域では、住民は移住すべきとされている。ここに住んでいた住民は被害補償や社会的な支援を受ける権利がある。
            予防原則(Precautionary Principle):ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがある時には、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても、予防的措置(precautionary measures)がとられなくてはならない。
            しかもバンダジェフスキーの名づけた「長寿命放射性元素体内取り込み症候群」はウクライナやロシアでも報告され、さらに生殖系を介して未来世代への影響も報告されている重要な問題である。11) チェルノブイリ事故の被害者の尊い犠牲によって得られたものである。6) 今は亡き綿貫礼子さんは肝臓がんに苦しみながらも、自らの生命の危険も顧みず、吉田由布子さんたちの協力を得て、警告の書「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」を出版された12)

           2.リスク・ベネフィット論は強者の論理
            「基礎情報」が立脚しているのがICRPのALARA(As Low As Reasonably Achievable)と呼ばれる立場である。「基礎情報」は「経済的社会的に合理的に達成できる範囲で低く」というリスク・ベネフィット論の立場を採用している。
            核実験や原発による被曝のリスクが科学的に明らかになり、それに対抗するためにICRPが打ち出したのが、リスク‐ベネフィット論である。しかし、核実験や原発から一般人は利益を受けないので、ICRPは苦慮の末、「社会的・経済的利益」としたのである。原発における利益とは何か。それは電力会社の利益であり、その利益にあずかるどころか高い電気料金を支払う一般市民・住民の被曝リスクとのバランスを取ることが可能であろうか。
            放射線被曝の歴史を克明に調べた故中川保雄氏は次のように結論している。ICRPの言う「今日の放射線被曝防護の基準とは核・原子力を開発するためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである」。13) この言葉の通り、一般市民や子供たちには原子力利用から利益はなく、放射線の被害を受けるだけである。特に農業、漁業にとっても一方的にリスクのみである。遺伝的被害も考えるとどんなに微量でも危険であり、強者が弱者にヒバクを強制しているのである。

           3. 国際的権威ではなく、被害者の立場で被曝の真実を記述すべきである
            国連科学委員会やICRPは英語の論文が中心である。しかし、ヤブロコフたちはスラブ系言語で書かれたものを中心に5000以上の文献を調べたとして甲状腺がん以外の多くの病気や被害者を明らかにしたのである。2) なぜ、ICRPに対抗してECRRができたのか。両者の相違点に触れず、後者を無視してICRPの見解が正しいとする根拠はどこにあるのか。科学者は本来、如何に不公平であっても真理を語るべきである。それが未来も含めた人類に対して誠実であり、正しい態度なのである。

           4. 閾値と集団線量
            「基礎情報」は私が批判した泉氏と全く同じように集団線量という考え方をICRPに従って否定しようとしている。19) 多数の人が低線量で被曝し被害が被曝線量に線形で生じる時、人数と被曝線量の積、集団線量、人・シーベルトは被害の予測として重要な概念である。「基礎情報」田崎氏、泉氏やICRPはなぜかくも熱心に集団線量を否定しようとするのか。
            一方、D.J.ブレンナー達の論文(PNAS 100,p13761,2003)はそのまとめで50ミリシーベルト‐100ミリシーベルトでの長期被曝で癌の増加の証拠があるとした後で、「10ミリシーベルト以下の実証は難しい。しかし、実証が困難であるということは被曝が社会的に無視できることを意味しない。非常に小さいリスクでも大人数に適用されると重大な社会的健康問題になる」と集団線量の考えを述べている。

           5.疫学の軽視や無視
            『医学的根拠とは何か』によれば津田敏秀氏は「数量化の知識なき専門家」(p95)と題して次のように記している。16)
            「実は広島と長崎のデータを併せて、100ミリシーベルト以下の被爆者は全年齢層併せても68470人しかいない(5ミリシーベルト以下38509人、5ミリシーベルト以上100ミリシーベルト以下29961人、100ミリシーベルト以上18141人、K.Ozasaら、Radiation Research,2012)」
            以上のように広島・長崎のデータが68470人である。広島・長崎より大規模な調査はないと思い、それより低線量の疫学調査はないと誤解している人がいる。20,21) しかし、たとえばWHOのIARC(国際がん研究機関)は15ヵ国の原発核施設労働者60万人から1年未満の労働者など特殊な人を除いた40万人に対して調査した。(E.Cardis et.al. Radia.Res.167(2007)396-The 15 Country Collaborative Study of Cancer Risk among Radiation Workers in the Nuclear Industry)。 一人当たりの累積被曝量の平均は19.4ミリシーベルトであった。がん死者と被曝線量の直線関係は統計的に有意であり、白血病を除くがん死の過剰相対リスクは1シーベル当たり0.97であった。IARCの疫学調査は科学であり、被曝労働の被害の予測にも使えるのである。
            さらにスウェーデンの汚染地域でがんが増えていることを報告したトンデル論文がある。(M.Tondel et al J.Epidemiol Community Health ,58.1011,2004) 114万人の住民を調査対象とした。観測されたがん発生の過剰相対リスクは土地の汚染度1平方メートル当たり100キロベクレルに対して0.11であった。今中哲二氏の見積もりによると1シーベルト当たりの相対過剰リスクとして5〜10となった15)。 広島・長崎データの場合0.5なので、トンデルらが観測した発がんリスクはその10から20倍に相当するという。
            がんの発生率に関して、私は次の点が重要であると思う。一般に放射性物質や化学物質による汚染は独立にあるのではなく複合的な汚染である。これは核実験による放射性降下物による汚染が進んでいた時代には、レイチェル・カーソンによって化学物質による複合汚染が警告された。現在は原発事故と化学物質との複合的な汚染効果も重要である。J.Mグールドたちのアメリカの原発周辺の乳がんの死亡率調査によると、両方に汚染された地域が放射線の影響を強く受けた。12,13) 喫煙と放射線との複合効果は良く知られている。その意味で我が国のように農薬を大量に使用する場合は、放射線被曝が一層危険である可能性がある。

           6. 低線量被曝における重大な被害
            熱線ではなく内部被曝で「バタバタ倒れた」人たちは広島・長崎で多数あった(例えば、「僕は満員電車で原爆を浴びた」米澤鉄志語り、小学館2013年、矢ケ崎克馬著、「隠された被曝」新日本出版、2010年)。この隠された被曝を被害が見えないくらい小さかったと重大な誤解をしている人がいる。20) 前述のようにチェルノブイリでも被害は隠されている。2) チェルノブイリ事故以後ベラルーシやウクライナで研究が進み、生殖系への低線量被曝がホルモン作用を通じて胎児に影響することが明らかになってきた。11) 胎盤や子宮にセシウム137が取り込まれることによる生殖系の被害のみならず、妊婦の脳に取り込まれたセシウム137に依って、母親の脳神経活動が乱され、胎児との脳神経活動の連携が混乱させられるといった報告もある。11) 「基本情報」が、影響は有意でないとする100ミリシーベルトよりずっと低線量である。また、後の世代にまで影響が続く。ぜひ、綿貫さんたちやバンダジェフスキーの著書を読んでほしい。ベラルーシやウクライナは出生率の低下に苦しんでいる。異常出産が増加しているから、子どもを持つ意欲の低下ではなく、放射性物質による生殖系の機能の低下が問題とされている。11) 以上から「基本情報」の⒛ミリシーベルト以下で帰還を認め、個人で被曝の管理できるかのような政策は福島事故に苦しむ胎児と母体の健康にとって重大な被害をもたらすことになりはしないかと危惧される。

           7. 低線量被曝の甚大な被害と食品の厳格な管理の必要性
            「基礎情報」は国際的な合意である予防原則を無視している。予防原則はむしろ、因果関係や機構の完全なる証明がなくても人類を守るために、行き過ぎの可能性があっても「賢明なる回避」を薦めているのである。これは水俣病はじめ多くの公害の深い反省に基づくものである。あまりにも歴史において、対応処置が遅れてきた反省からである。福島の甲状腺がんもヨウ素剤の投与が見送られたことが危惧される。放射線による甲状腺がんは悪性で転移しやすく治りにくいというのは山下俊一氏達の論文の教えるところである。ウクライナの低線量汚染地に暮らす子供たちの健康の悪化をNHKは緊急出版している。18)
            スクリーニング効果(調べすぎの効果)はチェルノブイリでも言われたが、2002年にゴメリで15歳以下の甲状腺がんがゼロとなるなどの事実から、発症は原発事故によるものであったことが確認され、スクリーニング効果は否定されている。原発事故以後、ウクライナ、ベラルーシでは死亡率が増大し続け、20年後にやっと増加が止まりつつある。これもウクライナでは1997年に飲み水の基準を2ベクレル/kgに引き下げて以後であった。
            Wikipedia英語版demographics の各国ページにある人口動態の資料22) によれば、この間、この両国の人口は、チェルノブイリ事故以後のピークから、合計で748万人も減少した(それぞれ670万人減、78万人減)。とくにウクライナでの人口減は激烈なもので12.8パーセントだった。およそ8人に1人が減ったという割合になる。ベラルーシでも7.6パーセントの減少率であった。さらに、ロシアでも2008年まで約580万人の人口減が記録された。この3国での人口減少は合計1327万人に上り、減少率は6.3パーセントであった。たしかに人口動態には、社会主義崩壊に伴う経済混乱が影響した部分があることは確かである。しかし、混乱が収束して経済が回復しても人口の減少は続いてきたという事実が示すように、チェルノブイリ事故の長期的影響がそこに反映していることは疑いえない。ヤブロコフらは、チェルノブイリ事故による犠牲者数を約100万人と見積もっているが、この急激な人口減少と対比するならば、この数字が決して法外な数字ではなく慎重に評価された数字であり、また数字の示している事態が極度に深刻であることを感じないわけにはいかないであろう(『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店)。2)
            繰り返しになるが最後に強調すべきことは、ICRP の内部被曝の評価に関しての疑問である。アルファ線やベータ線による被曝は体内では射程距離が短い(夫々およそ0.04ミリ, 5ミリ)ので、極めて局所的な被曝である。それをICRPは係数を大きくするものの、生体内の機構を無視した一様物体に置き換えて被曝を評価しているのである。ドイツ放射線防護協会は、こどもは4Bq/kg, 大人は8Bq/kgを食品基準とすることを提案しているが、生殖系などの被害を考えるとこれでも高すぎるようである。

          第5章 おわりに
            現在、子供の甲状腺がんが多発している。大人の甲状腺がんの増大も推測され、全年齢と福島県外への拡張も含めて健康診断の拡大が必要である。さらに放射線被曝による心疾患系、免疫系、生殖系まで含めた被害の拡大が危惧され、緊急の対策が必要である。
            ところが、 現在、政府と原発推進勢力は「国民にヒバクを強要する政策」を推し進めている。「基礎情報」はICRPに基づき被曝を過小に評価することで、この危険で破滅的な政策を推進する宣伝道具になる。それ故、「基礎情報」は撤回されるべきであると考える。政府と「基礎情報」の作成者は、この政策がもたらす「静かな大量虐殺」や全国民的な規模での健康破壊などあらゆる破局的な結果に対する責任を負わなければならない。
            われわれはこのような被曝被害を過小に評価する「基礎情報」に基づき帰還を推し進めるのでなく、被害者を支援する立場から、少なくとも次の4点が実現されるべきであると考える。
          1.子供・被災者支援法を住民の意志に基づいて、具体化し、充実し、本当に被災者、住民を支援する生きた法律にしなければならない。
          2.放射性物質による被曝から避難した、また避難しようとするすべての住民の避難の権利を認め、移住に必要な費用を政府と東電の責任で保障すべきである。移住できない人にも安全な食料や保養など被ばく低減のための支援が保障されるべきである。すべて事故によって強制された避難であり、「自主避難」という言葉は不適切である。
          3.まず、希望するすべての人に放射能健康診断と治療を国と東京電力の責任において無償で行うべきである。
          4.汚染水をはじめ、廃炉処理など福島原発事故の処理に全力を投入すべきでる。事故原因が明らかでなく、廃炉処理の見通しの立たない現状では住民の安全は確保できない。原発の再稼動や住民の帰還は危険であり、行うべきでない。

          参考文献
          1) 復興庁HP
              帰還に向けた放射線リスクコミュニケーションに関する施策パッケージ [平成26年2月18日]
           http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-1/20140217175933.html
             「放射線リスクに関する基礎的情報」
           http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-1/20140218_basic_information_all.pdf
          2) A.V.ヤブロコフ、V.B.ネステレンコ、N.E.プレオブラジェンスカヤ:「チェルノブイリ被害の全貌」、岩波書店、2013年
          3) 荻野晃也氏による私信
          4) 津田敏秀:「科学」岩波書店 2014年3月号
          5) 市川定夫:「新環境論III」p173 2008
          6) ユーリ・I・バンダジェフスキー:「放射性セシウムが人体に与える医学的生理学的影響」久保田訳、合同出版 2011年
          7) 三宅泰雄:「死の灰と戦う科学者」岩波新書 1972年
          8) 大和田幸嗣他著:「原発問題の争点‐内部被曝・地震・東電」 緑風出版、2012年
             A.Romanenko et.al.:Carcinogenesis 30, 1821, 2009年
          9) ラルフ・グロイブ、アーネスト・スターングラス:「人間と環境への低レベル放射能の脅威」肥田舜太郎、竹野内真理訳 あけび書房、2011年
          10) クリス・バズビー: 飯塚真紀子訳 「封印された『放射能』の恐怖」 講談社 2012年、p107
          11) ユーリ・I・バンダジェフスキー、N・F・ドウボバヤ:「放射性セシウムが生殖系に及ぼす医学的社会的影響」久保田訳、合同出版 2013年
          12) 綿貫礼子編:「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」新評論 2012年
          13) 中川保雄:「放射線被曝の歴史」技術と人間、1991年、同増補版、明石書店、2011年
          14) ジェイ M・グールド:「低線量内部被曝の脅威」緑風出版、2011年、
          15) ジェイ M・グールド、ベンジャミン A.ゴールドマン:「低線量放射線の脅威」、鳥影社、2013年
          16) 津田敏秀:「医学的根拠とは何か」、岩波新書、2013年
          17) 今中哲二:「低線量放射線被曝」岩波書店、2012年
          18) 馬場朝子、山内太郎:「低線量汚染地域からの報告」NHK出版、2012年
          19) 山田耕作:日本物理学会誌、会員の声、2013年10月号
          20) 田崎晴明:「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」 朝日出版社、2012年
          21) 菊池誠、小峰公子:「いちから聞きたい放射線のほんとう」筑摩書房、2014年3月
          22) Wikipedia英語版のアドレスは以下の通り(2013年7月閲覧)
               http://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_Ukraine
               http://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_Belarus
               http://en.wikipedia.org/wiki/Demographics_of_Russia

          追記 
           私はあるお母さんから被害者たちの詳細な症状のリストを受け取ったことがあります。そのリストの症状は単に気のせいといわれるかもしれません。それに対する独創的な試みが次のブログです。これは私の研究ではありません。詳細は次のブログをご覧ください。営利以外は自由に使用してくださいとのことです。このような研究が議論を通じて発展すれば素晴らしいことであると思います。 
           タイトルは「東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌−Googleトレンドは嘘をつかない−」
            http://ishtarist.blogspot.jp/2013/10/google.html#more 〕論編
            http://ishtarist.blogspot.jp/2013/11/google.html#more ▲如璽進
           2部から成っていて、理論編(pdf file 2.5M)とデータ編(pdf file 1.6M)でそれぞれ50 ページ、43ページあります。
           データ編からお読みになった方が著者の立ち位置とGoogleトレンドのメリットとデメリットを理解できて、健康被害‐自覚症状として‐の時系列での統計データが示す事実が放射能によるものであることが視覚的にわかってもらえるのではと思います。
           例えば、次の図で膀胱炎、口内炎、動悸、生理不順が2011年3月から増加していることが見えます。これは東京都での検索数ですが、大阪ではこのような傾向はみられません。学問的にも新しく、興味ある試みだと思います。

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          2014.02.27 Thursday

          田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点‐科学的な基礎からの再検討を望む‐  山田耕作

          0
            2014年2月


             以下のような田崎晴明氏の本「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」についての意見を「物性研究」に投稿し、議論を行おうとしましたが、田崎氏が議論に応じず、掲載されないことになりました。
             同書は放射線被曝を過小に評価しており、政府が帰還して被曝させようとする政策を推し進めようとしている現在、被曝被害を拡大してしまうことが心配です。私の小論が皆さんの参考になれば幸いです。


            全文のPDFファイルもありますので、ダウンロードください。
            山田耕作-田崎本批判 (18ページ 435KB)




            田崎晴明著「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」の問題点
              ‐科学的な基礎からの再検討を望む‐

                           山田耕作 (kosakuyamadaアットマークyahoo.co.jp)

            目次

            はじめに
            1. 放射線被曝をめぐる争点
            2. 子供の甲状腺がんの多発という事実は田崎氏の楽観論を打ち砕いた
            3. 田崎氏の著書は時代遅れのICRP勧告を基礎としている
            4. 予防原則の無視
            5. 最終判断は個々の住民にゆだねる無責任な態度
            6. リスク・ベネフィット論は強者の論理‐「やっかいな」放射線という題名について
            7. 田崎本は疑問点や間違いの多い本である
            7-1. 公平と真理
            7-2. 閾値と集団線量
            7-3. 疫学の軽視や無視
            7-4. 低線量被曝における重大な誤解
            7-5. 予防原則を無視し、被害への警告に対する牽制
            7-6. 楽観的予想
            7-7. 放射性セシウムをカリウム40のベクレル数まで許容する重大な誤り
            7-8. 気にしない自由
            おわりに
            参考文献
            付録A. 物性研究「ひろば」田崎本についての討論
            付録B. 追記 ブログ「東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌−Googleトレンドは嘘をつかない−」

            はじめに
             日本物理学会誌2013年3月号に掲載された泉雅子氏による解説「放射線の人体への影響」は放射線被曝の被害を過小評価しているとして、私は会誌の「会員の声」欄で批判した。4月に投稿してやっと、10月号に掲載された。1) その報告と同時に、私の別の「会員の声」「福島原発事故研究の要望に対する理事会の回答に思う」(2月3日掲載決定)の原稿を友人の皆さんにお送りした。様々な意見をいただいた中に、私のこれらの「会員の声」に対する批判とともに、正しい見解として田崎晴明氏の「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」(朝日出版社、2012年10月、以下田崎本と呼ぶ)を推薦された。2) 早速期待して読んだが、これは予防原則に反するなど根本的なところで原則的な誤りを犯しているように感じた。その誤りの結果として、同書の目に見える被害を生じるような被曝はないとする記述に反して、現実に子どもの甲状腺がんが異常発生し、同書の信頼性が厳しく問われていると考える。この本を世の中に広めるとすれば、田崎本が基礎としている国際放射線防護委員会ICRPの評価が信頼できるかどうかの視点から、批判的に読むべき本であると思う。
             しかも、ことは子どもをはじめ人命にかかわることである。総体として事故を招来した責任のある物理学者の一員が被曝の被害の過小評価や軽視で子どもや市民に被害を拡大してしまうならばその責任は一層重大である。
             もう一点、指摘しておかなければならないことは被曝の問題に留まらず、この本の与える科学と教育に対する影響である。子どもをも対象とする田崎本は、表現は柔らかではあるが、非論理的な考察や推測が散見され、科学的な態度とは相容れない本である。これが優れた業績を持つ物理学者によって書かれたことから影響は無視できず、教育的観点からも疑問のある本である。
             一言、誤解の無いようにお断りしておきたい。この文章は田崎氏の著書に対する危惧を述べたものである。田崎氏本人に対しては若い時代から、能力に優れ、親しみやすい人柄の研究者であると考えてきた。それ故、田崎氏個人を批判したものでなく、同書に書かれた放射線被曝の見解に対する疑問を述べたものである。文中にあるようにチェルノブイリ事故の被害をめぐって国際論争となっており、それは福島事故をめぐる重要な論点でもある。私としては田崎本の見解が広く流布している常識的な見解の代表であると考え、議論の対象としたものである。田崎氏個人が批判されていると取られるとすると、私の記述の不足のためであり、私の意図ではないことを断っておく。もっと、厳しく批判されるべき人もあるのであるが、私としては田崎氏のような良心的な人でも間違うという被曝問題の難しさを理解していただきたいと思う。それだけに、田崎本には、被曝をめぐる論点、私から見ると誤りのほとんどすべてが持ち前の率直さで表現されており、同書は誤解を説明するための最適の書と考えたからである。
             私はこの投稿を契機として、「物性研究」誌上で、読者間で建設的な議論が活発に継続することを期待したい。それ故、出版後にも折に触れ、田崎氏はもちろん、多数の意見が寄せられることを期待している。事故は未だ収束せず、被害も進行中である。

            1.放射線被曝をめぐる争点
             田崎本に入る前に、世界における放射線被曝をめぐる対立の現状を説明すべきであると思う。それは、田崎氏の無邪気な子供向けの本をわざわざとりあげて、私が議論すべきであると考えた理由を理解していただくためである。前述の泉雅子氏は、私の「会員の声」へのコメントで、「国際放射線防護委員会」ICRPこそ「学界の科学的合意に基づくもの」であるから、それを紹介したのであると述べている。しかし、歴史が示しているように、被曝評価をめぐる論争はICRP創設の1950年以来続けられている。この年、放射線被曝の職業病防止の科学者の組織「国際X線及びラジウム防護諮問委員会」IXRPCから、核兵器開発のマンハッタン計画に参加したアメリカ、イギリス、カナダなどの原子力開発推進者を中心とする国際的協調組織であるICRPに変えられた。この設立経緯から推測されるように、ICRPは原子力開発が前提となっており、人類の安寧から見た原発そのものの是非はその検討課題に含まれていない。国連の安全保障理事会の下にあって強い権限を持っている国際原子力機関IAEAは、このようなICRPの勧告を原子力利用における安全基準として採用している。
             しかし最近では、このICRP勧告のみに基づく考え方と、それは時代遅れであるとしてチェルノブイリ事故で発見された新しい内容を加える考え方とが鋭く対立している。国際原子力機関IAEAやICRPがチェルノブイリ事故の被害として甲状腺がんのみを認め、他の健康の破壊を一切無視している姿勢が批判されているのである。さらに,IAEAが世界保健機関WHOと協定を結び、IAEAの同意なしにWHOが情報を開示できないことになっている。(「国際原子力機関と世界保健機関は、提供された情報の守秘性を保つために、ある種の制限措置を取らざるを得ない場合があることを認める」WHA 12−40」)。最近の新聞報道によれば福島県と福井県の両県とIAEAの間にも情報の公開に関して同意が必要との協定が結ばれたとのことである。なぜ、IAEAは情報の公開を恐れるのか。なぜ、世界の人々がIAEAから独立したWHOを求めているのか。
             A.V.ヤブロコフらの「チェルノブイリ被害の全貌」のまえがきでディミトロ・M・グロジンスキー教授(ウクライナ国立放射線防護委員会委員長)は次のように述べている。3)
            「立場が両極端に分かれてしまったために、低線量被曝が引き起こす放射線学・放射生物学的現象について、客観的かつ包括的な研究を系統立てて行い、それによって起こりうる悪影響を予測し、その悪影響から可能な限り住民を守るための適切な対策を取る代わりに、原子力推進派は実際の放射性物質の放出量や放射線量、被害を受けた人々の罹病率に関するデータを統制し始めた。放射線に関連する疾患が増加して隠し切れなくなると、国を挙げて怖がった結果こうなったと説明して片付けようとした。と同時に、現代の放射線生物学の概念のいくつかが突然変更された。例えば電離放射線と細胞分子構造との間の主な相互作用の性質に関する基礎的な知見に反し、『閾値のない直線的効果モデル』を否定するキャンペーンが始まった。」
            「この二極化は、チェルノブイリのメルトダウンから20年を迎えた2006年に頂点に達した。このころには、何百万人もの人々の健康状態が悪化し、生活の質も低下していた。2006年4月、ウクライナのキエフで、2つの国際会議があまり離れていない会場で開催された。一方の主催者は原子力推進派、もう一方の主催者は、チェルノブイリ大惨事の被害者が現実にどのような健康状態にあるかに危機感をつのらせる多くの国際組織だった。前者の会議は、その恐ろしく楽観的な立場に、当事者であるウクライナが異を唱え、今日まで公式な成果文書の作成に至っていない。後者の会議は、広大な地域の放射能汚染が住民に明かに悪影響を及ぼしているという点で一致し、ヨーロッパ諸国では、この先何年にもわたって放射線による疾患のリスクは増大したまま減少することはないと予測した。」
             このような原発推進派の動きを世界的な「原発マフィア」の活動として警告する人が多い(例えばコリン・コバヤシ著「国際原子力ロビーの犯罪」以文社、2013年)。そしてヨーロッパの緑の党を中心として、欧州放射線リスク委員会ECRRが組織されたのである。初代議長は故アリス・スチュワートであり、故ロザリー・バーテルもメンバーとして参加していた。
             現在、政府や福島県は20ミリシーベルト以下の被曝なら容認できるとして、個人の測定値に基づき自己責任として帰還を促進しようとしている。これはチェルノブイリ事故で警告されている汚染地における長期被曝を容認し、拡大することになる。この動きは不幸にも、田崎氏の著書の福島の被曝に対する見解、例えば、「目に見えて健康を害する人が増えることはない」と一致しているのである。同書が被曝による被害の拡大に協力してしまうことが懸念される。

            2.子供の甲状腺がんの多発という事実は田崎氏の楽観論を打ち砕いた
             p39 「2011年3月末に行われたスクリーニング効果の結果を見る限り、福島でのヨウ素131による内部被曝は、チェルノブイリ周辺に比べると桁違いに小さい。」
             福島では3基の原発が炉心溶融し、放出されたヨウ素やセシウムの量を比べてもこのようなことはとても言えないはずである。IAEAをはじめ「国際原子力マフィア」は福島事故以後チェルノブイリ事故の放出量を大きくした。4) これは福島事故を小さく見せるためであると思われる。
             p114 「これから先、放射線被曝のために健康を害する人が目に見えて増えるということもないだろうと思っている。・・・チェルノブイリの子供たちが受けたような大量の被曝は、今回の福島で起きなかったことは(かなり)はっきりした。ともかく、チェルノブイリよりずっと良かったのだ。・・・今のところ、ICRPの実効線量の立場から見て心配がないのはもちろん、より厳しく、体内のカリウム量と比較しても、あるいは、さらに厳しく、1960年代の被曝量と比較しても心配がない結果が出ている」。
             これは事実で否定されている。新聞で福島県の子どもの甲状腺がんの調査結果が報道され、東京まで含めて心配が拡大しているからである。この事実一つをもってしても田崎本の楽観的な見方は否定されているのである。
             2013年11月13日付朝日新聞によれば事故時18歳以下の約22.6万人のうち、58人で甲状腺がんおよびその疑いが発見された。これは10万人に26人の割合である。ベラルーシのピーク時の発症率が10万人当たり約10人であるから、26人は3倍近い発症率である。しかも福島はピーク時ではなく3年以内で発生している。福島は始まったばかりである。
             2013年11月12日発表の結果は、同年8月時点より検査人数は3.3万人増、患者は疑いも含めて15人増えた。これは10万人当たり45人の割合である。この発症率は最大のゴメリの10万人当たり198人に次ぐ、ウクライナのジトミールやロシアのプリヤンスクなどの汚染地に相当する。一方、宮城県などの事故前2007年の統計では15歳から19歳の甲状腺がん発症率は10万人に1.7人であった。「目に見えて」多い。まだ福島県の調査は2次検査を終了していないのでさらに増加する可能性が高い。大人の甲状腺がんをはじめ、他の放射線被曝の被害が危惧される。
             2014年2月7日の発表では新たに2.8万人の調査で16人に癌およびその疑いが発見された。これは10万人あたり57人である。検査地域は異なるものの事故から期間が長いほど増えているように見える。これまでの検査をまとめて福島県は25.4万人の調査で74人のがん及びがんの疑いで、0.03%、つまり10万人に30人と発表している。疫学の立場からも津田敏秀氏は有病期間を考えてもブレイク・アウト(異常多発)としている。年齢構成や遺伝子検査などより詳しい検査を進めるとともに、放射線被曝の影響をより明確にしなければならない。

            3.田崎氏の著書は時代遅れのICRP勧告を基礎としている 
             田崎本は、欧州放射線リスク委員会ECRRなどICRPに批判的な見解は、ICRPが受け入れないので、科学者の一致を見ていないという口実の下に一切採用しない。これでは必然的にICRPの姿勢を踏襲したものにならざるを得ない。科学者は意見が分かれるとき、いずれが正しいかを判断しなければならない。古い見解が新しい真理に置き換えられて科学は進歩するのである。
             最近、明らかになった放射線による被害として、放射線による活性酸素の発生によって細胞膜が破壊され、さらに細胞の連鎖的な破壊によって心臓や腎臓など内臓が破壊されることがわかってきた(後述のペトカウ効果)。臓器に取り込まれ、蓄積し、継続的に放射線を放出する人工の放射性物質は極めて危険であることが明らかになってきた。それ故、人工の放射性セシウムと臓器に蓄積されないでスルスル全身を移動する自然の放射性物質カリウム40とをベクレル数のみで比較して安全性を論じることは誤りである。これは「新・環境論」の中で故市川定夫氏が繰り返し強調されてきたことである。5) その郡のp173を見ると、自然放射線のうち「その大部分がカリウム40によるものである。カリウム40は、天然に存在するカリウムのうちの1万分の1強を占めており、この元素が環境中に多量に存在し、生物にとって重要な元素であるから、カリウム40が否応なしに体内に入ってくる。しかし、カリウムの代謝は早く、どんな生物もその濃度をほぼ一定に保つ機能をもつため、カリウム40が体内に蓄積することはない。このような生物の機能は、カリウム40が少量ながら存在したこの地球上で、生物が、その進化の過程で獲得してきた適応の結果なのである。カリウムを蓄積するような生物が仮に現れたとしても、蓄積部位の体内被曝が大きくなり、そのような生物は大きな不利を負うことになるから、進化の過程で淘汰されたであろう」。鷲谷いずみ氏も同様のことを書かれている。最近はカリウムだけが細胞膜を通過できるK-チャネルの存在が注目されている。
             また、ビキニ水爆実験後の海洋調査の結果として、三宅泰雄氏達が魚類を調査して放射性物質が集中的に脾臓、肝臓などの内臓に蓄積されることを報告している。6) 後述するがバンダジェフスキー達はチェルノブイリ事故により被曝し、死に至った100人を超える子供や大人を病理解剖し、セシウム137が臓器に蓄積していること、その1キロ当たりのベクレル数を求め報告した。また、被曝地の住民を調べ、体重1kg当たりセシウム137が20ベクレル位を超えると心電図に異常が出ることや、心臓発作による突然死につながることを警告している。さらに同じような汚染したエサをラットやハムスターなどに与えて、臓器への蓄積と症状を動物実験で確かめている。7) 膀胱がんの研究によれば1リットルの尿中約50ベクレルの濃度のカリウム40ではなく6ベクレルや数ベクレルのセシウム137の濃度によって膀胱がんの発生率が左右される。それ故、もっとも重要な、臓器への取り込み効果を無視する田崎本の「安全」は根拠がない。8) この点に関する田崎本の記述は次のようになっている。
             p41 「放射性セシウムの場合は、水に溶けて吸収され筋肉などにほぼ均等に分布してから排出されると考えられているので、外部被曝と大きく異なる健康被害は起こさないというのが主流の考えだ」
             p42 「まとめれば、内部被曝だからと言って異常に恐ろしいと考えるべきではないが、外部被曝よりは複雑で理解し切れていないことがある」
             ここで次の誤りがある。筋肉などに「ほぼ均等に分布」である。バンダジェフスキーたちの病理解剖の結果によると、臓器に取り込まれたセシウムは臓器の一部分に偏在しているので均等ではない。7) また、高温で放出されたセシウムの微粒子が観測されている。それ故、肺などの体内に微粒子としても存在する場合もある。細胞膜のK−チャネルは特異的にカリウムを通過させる構造を持ち、大きさの異なるナトリウムやセシウムは通過しにくい構造になっている。生物進化の結果であると考えられる。このようにセシウムは多様な場所に様々な形で存在する。 この点はICRPが個々の臓器を一様均質物体として内部被曝を評価していることにより、内部被曝が過小に評価されているので、特に重要である。継続的で、局所的な被曝は修復中のDNAをさらに攻撃するなど、2重らせんを破壊しやすいことでも危険であると考えられる。
             田崎本は注を付けp42「もちろん、体内のセシウムの振舞が完璧に理解されているわけではない。少し先の脚注を見よ」と書く。その少し先の脚注では p48 「実効線量の評価では、放射性物質が臓器全体に分布して、均一のダメージを与えると仮定しているが、それが不適切だという指摘もある。体の中の生体分子は,きわめて複雑にふるまうから、そこに放射性物質が紛れ込むことで、予期せぬ「悪さ」をする可能性があるかもしれない(ぼくにはよくわからないし専門に近い人に聞いても、あまり意見は一致していないようだ。毎度のことだが、「すさまじい被害がある」可能性はないものの、「すべてが完全にわかっている」わけではないということだ)。」
             このような注を付けながら「内部被曝だからと言って異常に恐ろしいと考えるべきではない」というまとめがどうして出てくるのだろうか。体内の個々の人工の放射性物質の振舞はヘレン・カルディコット博士の言うようにほとんど理解されていない。膀胱がんの研究によれば多様な過程が絡み合って発生するようである。膀胱表皮に取り込まれた放射性セシウムの放射線によって生じた活性酸素が重要な役割を果たす。8) 田崎本は完全にはわかっていないといいながら、どうしてすさまじい被害がないと言えるのだろうか。
             田崎本は定量的なことは一切言わず、「すさまじい」とか「目に見える」、「異常に恐ろしい」とか、形容詞であいまいにしているように見える。科学的には定性的より定量的な方がすぐれた記述であることは明らかであろう。子どもたちにもそう教えるべきである。

            4.予防原則の無視
             ICRPの権威を利用している田崎本はバンダジェフスキーやウクライナ政府の発表による「長寿命放射性元素体内取り込み症候群」を無視している。7) それは専門家の間で一致を見ていないからというのであろう。それ故、田崎本の言う被曝被害はDNAの損傷に限られる。これは多数の死体を克明に調べ、血のにじむような苦労の結果ベラルーシやウクライナ、ロシアで明らかにされた医学的知見を切り捨てるものである。
             しかも、田崎本のこのような態度は明らかに「予防原則」に反している。科学的に新しい知見が提出されたとき、完全な因果関係の証明がなされるまで待つと取り返しのつかない被害の拡大の可能性があるとき、「賢明なる回避」という公害問題の原則が提出され、「予防原則」と呼ばれる国際的な合意となっている。なぜか田崎本はこのよく知られた原則を一貫して無視している。ベラルーシでは年間1mSv以上の被曝の心配のあるところでは避難の権利が認められている。
             予防原則(Precautionary Principle):ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがある時には、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても、予防的措置(precautionary measures)がとられなくてはならない。
             しかもバンダジェフスキーの名づけた「長寿命放射性元素体内取り込み症候群」はウクライナやロシアでも報告され、さらに生殖系を介して未来世代への影響も報告されている重要な問題である。9) チェルノブイリ事故の被害者の尊い犠牲によって得られたものである。7) 今は亡き綿貫礼子さんは肝臓がんに苦しみながらも、自らの生命の危険も顧みず、吉田由布子さんたちの協力を得て、警告の書「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」を出版された10)

            5.最終判断は個々の住民にゆだねる無責任な態度
             田崎本のほとんど被害はないという言葉を信じれば帰還して暮らしてよいはずである。避難は無駄な行為と判断される。もし、帰還によって被害を受ける人が増大すれば、田崎本にも責任があるのは当然である。同書はp114で「心配しなくてよいという結果が出ている」といっているからである。
             田崎本は食品基準としていくらを限度とすべきか、いくらの汚染までは居住してよいのかなど定量的なことは一切言及しない。子どもを含め個人の判断にゆだねるのである。個人の選択の問題であるというのである。これは科学とは無縁の態度である。科学者は如何に冷酷であろうとも、科学的な結論を述べるべきではないだろうか。もちろん、伝える方法は細心の注意を必要とするが、より大切なことは間違って安心を与えていないかどうかである。予防原則に従って避難したが、実際は避難する必要がなかったときは経済的損失が主であるが、逆に避難せず、被曝した場合は人命が損なわれるかもしれないからこそ、予防原則が適用されているのである。

            6.リスク・ベネフィット論は強者の論理‐「やっかいな」放射線という題名について
             田崎本が立脚しているのがICRPのALARA(As Low As Reasonably Achievable)と呼ばれる立場である。田崎本は「経済的社会的に合理的に達成できる範囲で低く」というリスク・ベネフィット論の立場を「公式の考え」として紹介している(p69)。しかし、それ以前はALAP「できる限り低く」であった。
             p69 「放射線被曝によって生じうる害と、その他の利益を秤にかけて、上手にバランスさせながら、被曝量をできる限り低くしていこうとしているのである。」
             核実験や原発による被曝のリスクが科学的に明らかになり、それに対抗するためにICRPが打ち出したのが、リスク‐ベネフィット論である。しかし、核実験や原発から一般人は利益を受けないので、ICRPは苦慮の末、「社会的・経済的利益」としたのである。原発における「その他の利益」とは何か。田崎本があいまいにしている電力会社の利益と、その利益にあずかるどころか高い電気料金を支払う一般市民・住民の被曝リスクとのバランスを取ることが可能であろうか。
             放射線被曝の歴史を克明に調べた故中川保雄氏は次のように結論している。ICRPの言う「今日の放射線被曝防護の基準とは核・原子力を開発するためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむを得ないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである」。11) この言葉の通り、一般市民や子供たちには原子力利用から利益はなく、放射線の被害を受けるだけである。特に農業、漁業にとっても一方的にリスクのみである。遺伝的被害も考えるとどんなに微量でも危険であり、強者が弱者にヒバクを強制しているのである。田崎本は強者の立場に立ち、「やっかい」というあいまいな言葉で、危険性をあいまいにし、子供たちをだましていることになりはしないだろうか。なぜ田崎本は普通に使われる「危険な」放射線といわないのだろうか。それは正しく恐れるならば被曝は不当ではなく、合理的だという立場にあるからと思われる。それ故、私には田崎本は子供たちや妊婦、大人の被曝を容認する「危険な書物」であると思われる。総体として、原子力の平和利用を提唱したことで加害者といわれかねない物理学者の一人が、このような被害の拡大に手を貸すのは許せないことである。

            7.田崎本は疑問点や間違いの多い本である
             特記すべき疑問点や間違いを以下に列挙しておこう。

             7−1 公平と真理
             p3 「ただし、この本は「原発廃止」を訴えて書いた物ではない。それは誤解しないでほしい。この本では、そういう意見や立場とは関係なく、わかっていることをできるだけ公平に解説したつもりだ。」
             公平な立場とは何か。これこそ問題の鍵であり、争点である。田崎本の公平とは「大多数の意見」とか、「主流の考え」である。結局、それはICRPが容認するものでなければならず、 田崎本の「公平な立場」とはICRPの立場であり、「公式の考え」として田崎本の基礎となっている。
             国連科学委員会やICRPは英語の論文が中心である。しかし、ヤブロコフたちはスラブ系言語で書かれたものを中心に5000以上の文献を調べたとして甲状腺がん以外の多くの病気や被害者を明らかにしたのである。3) なぜ、ICRPに対抗してECRRができたのか。両者の相違点に触れず、後者を無視してICRPの見解が正しいとする根拠はどこにあるのか。科学者は本来、如何に不公平であっても真理を語るべきである。それが未来も含めた人類に対して誠実であり、正しい態度なのである。ガリレオ・ガリレイは真理を基準とし、公平を指導原理としなかった。

             7−2 閾値と集団線量
             p61 (広島・長崎の調査について)「この調査だけからでは,100mSv よりも少ない被曝で癌が増えるのか増えないのかわからないというのが多くの人が支持する結論である。」
             ここで「100mSvよりも少ない被曝で癌が増えない」ということは閾値があるということであり、この表現は不正確である。広島・長崎の結果は100mSv以下で「統計的に有意でない」ということであって、癌が発生しないということではない。危険率(偶然に起こる可能性の確率)Pが信頼度の基準とされる0.05より大きいということであって、100mSv以下の被曝量でも癌死数が被曝ゼロとされる対照群(この人たちも内部被曝していた)より増加しているのである。被曝量の値の5〜100mSvでは危険率P=0.15で、5〜50mSvでP=0.3であり(Brenner et al PNAS 100、p13761)、信頼度が落ちるということである。
             津田敏秀氏は「福島について100mSvを持ち出すことは、単に『統計的な有意差がない』事と『影響がないこと』を混同している。」、「福島では有意差が出る可能性が十分ある」としている。14)(津田著p96)。閾値をめぐる問題は被曝をめぐる本質的な問題であり、広島・長崎だけでなく調査を広げる必要があるのである。広島・長崎の被爆者調査でも若い時に低線量被曝した被爆者の死が最近多くなり、低線量被曝域が線形に近くなってきた(K.Ozasa et al Radi.Res.177,229、2012)。まだ、統計的に有意ではないが、小笹氏達も線形が最もふさわしいとしている。古くからあるJ.M.Gouldたちの研究を調べれば100mSv以下でも被害が生じることは統計的に明らかであるにもかかわらず、田崎本はそれにも言及していない。12,13) スチュワート(Alice Stewart)の妊婦のレントゲン検査による被害の結果や遺伝的影響を考えれば単純な外部被曝による被曝線量に対するがん発生の線形依存性は明確ではないだろうか。1)ICRRP2007年勧告も「約100mSv以下の線量においては不確実性が伴うものの、癌の場合、疫学研究および実験的研究が放射線リスクの証拠を提供している。」としているのである。  
             p65 「線形閾値なし仮説」は文字通り仮説であり、科学的に確立している事実ではない。」
             p67 「また、福島第一発電所で起きたような事故の際には、「公式の考え」を使って、一般の人々への危険がどの程度ありうるかを見積り、(たとえば、避難するかしないといった)判断のよりどころとすることだ。「公式の考え」は、癌による死亡者の増加を科学的に予測するための「計算式」ではないし、まして、個々人ががんで死亡する危険性を見積もるためのものでもない」
             p68 「標準人の考えを用いず、個々の人たちの被ばく状況を適切に把握すべきであるとしている。」
             田崎本は私が批判した泉氏と全く同じように集団線量という考え方をICRPに従って否定しようとしている。10)多数の人が低線量で被曝し被害が被曝線量に線形で生じる時、人数と被曝線量の積、集団線量、人・シーベルトは被害の予測として重要な概念である。田崎氏、泉氏やICRPはなぜかくも熱心に集団線量を否定しようとするのか。
             一方、田崎本がp65で引用しているD.J.ブレンナー達の論文(PNAS 100,p13761,2003)はそのまとめで50mSv‐100mSvでの長期被曝で癌の増加の証拠があるとした後で、「10mSv以下の実証は難しい。しかし、実証が困難であるということは被曝が社会的に無視できることを意味しない。非常に小さいリスクでも大人数に適用されると重大な社会的健康問題になる」と集団線量の考えを述べている。

             7−3 疫学の軽視や無視
             p71 「広島・長崎での調査よりも大規模な被曝事例の調査はないし、理論や動物実験だけでは、低線量被曝の人の健康への影響は完全にはわからない。」
             p71 「低線量被曝での癌のリスクについての「公式の考え」は、あくまで、そのようにして作った社会的な「目安」であって、癌による死亡率を予測するための科学的な理論でないということを忘れてはいけない。」
             『医学的根拠とは何か』によれば津田敏秀氏は「数量化の知識なき専門家」(p95)と題して次のように記している。14)
            「実は広島と長崎のデータを併せて、100mSv以下の被爆者は全年齢層併せても68470人しかいない(5mSv以下38509人、5mSv以上100mSv以下29961人、100mSv以上18141人、K.Ozasaら、Radiation Research,2012)」
            以上のように広島・長崎のデータが68470人である。しかし田崎氏の上述の「長崎・広島以上の大規模な調査はない」という記述は、以下に見るように間違いである。 
             たとえばWHOのIARC(国際がん研究機関)は15ヵ国の原発核施設労働者60万人から1年未満の労働者など特殊な人を除いた40万人に対して調査した。(E.Cardis et.al. Radia.Res.167(2007)396-The 15 Country Collaborative Study of Cancer Risk among Radiation Workers in the Nuclear Industry)。 一人当たりの累積被曝量の平均は19.4mSvであった。がん死者と被曝線量の直線関係は統計的に有意であり、白血病を除くがん死の過剰相対リスクは1Sv当たり0.97であった。田崎本は「目安」であって「予測」に使ってはいけないという。IARCの疫学調査は科学であり、被曝労働の被害の予測にも使えるのである。
             福島では子どもの甲状腺がんの調査がなされているが、すでに2013年11月12日に22.6万人の結果が発表されている。この調査人数はすでに広島・長崎よりずっと多い。正確を期し、わかっていることを正しく記述したはずの田崎本の記述が信頼できないのである。統計学の結果である疫学の結論を被害の予測に使えないとするなど田崎本の誤りはどこから来るのか知りたいところである。
             さらにスウェーデンの汚染地域でがんが増えていることを報告したトンデル論文がある。(M.Tondel et al J.Epidemiol Community Health ,58.1011,2004) 114万人の住民を調査対象とした。観測されたがん発生の過剰相対リスクは土地の汚染度1平方メートル当たり100キロベクレルに対して0.11であった。今中哲二氏の見積もりによると1シーベルト当たりの相対過剰リスクとして5~10となった15)。広島・長崎データの場合0.5なので、トンデルらが観測した発がんリスクはその10から20倍に相当するという。
             がんの発生率に関して、私は次の点が重要であると思う。一般に放射性物質や化学物質による汚染は独立にあるのではなく複合的な汚染である。これは核実験による放射性降下物による汚染が進んでいた時代には、レイチェル・カーソンによって化学物質による複合汚染が警告された。現在は原発事故と化学物質との複合的な汚染効果も重要である。J.Mグールドたちのアメリカの原発周辺の乳がんの死亡率調査によると、両方に汚染された地域が放射線の影響を強く受けた。12,13) 喫煙と放射線との複合効果は良く知られている。その意味で我が国のように農薬を大量に使用する場合は、放射線被曝が一層危険である可能性がある。

             7−4 低線量被曝における重大な誤解
             p72 「低線量の被曝の健康への影響が「わからない」という説明を聞いて、「わからない」ということは、「想像を絶するすさまじい被害があるかもしれない」と感じてしまう人がいるようだ。ここまで読んできた読者には説明するまでもないだろうが、もちろん、そんな心配は無用だ。」
             P72 「そもそも低線量被曝の影響が「わからない」のは、広島・長崎で影響が見えないからだ。被害があるにしても、理屈で考えられる限り最大でも「調査でぎりぎり見えないくらいの規模の被害」ということになる。「人がバタバタとがんで倒れる」ということはあり得ない。 また、いくら放射線に常識が通用しないといっても、被曝した線量が小さいほど健康への影響が小さくなっていくことに疑いはないと思う。ICRPの「公式の考え」は絶対に正しいわけではないが、ある程度の不確かさのあることを知ってさえいれば、低線量被曝の影響を考えるための「目安」として役に立つはずだ。」
             広島・長崎で影響が「見えない」のは内部被曝など重大な被曝が隠されたからである。熱線ではなく内部被曝で「バタバタ倒れた」人たちは広島・長崎で多数あった(例えば、「僕は満員電車で原爆を浴びた」米澤鉄志語り、小学館2013年、矢ケ崎克馬著、「隠された被曝」新日本出版、2010年)。この隠された被曝を田崎本は被害が見えないくらい小さかったと重大な誤解をしている。前述のようにチェルノブイリでも被害は隠されている。3)
             また、低線量域の方が、線量効果が高いとするペトカウ効果をどう考えるか。これはペトカウが発見した実験事実であり、放射線で発生した活性酸素が高線量であると互いに相殺し、効果が小さくなるので、低線量の方が、活性酸素が長く生き残り、細胞膜の破壊効果が大きいという説明がなされている。また、活性酸素は細胞の中の脆弱な部分であるミトコンドリアを破壊し、免疫力や体力を失わせることが明らかになってきた。
             p79 「ただし、そういった胎児への影響は、被曝線量がおおよそ100mSvを上回るあたりから有意に発生するというのが一般的な見解だ。福島第一発電所事故の際に妊娠していた人が、短い期間にそれだけの線量を被曝することは考えられないだろう。…ICRPも胎児についても小さな子供と同様標準人の3倍を提案している。」
             チェルノブイリ事故以後ベラルーシやウクライナで研究が進み、生殖系への低線量被曝がホルモン作用を通じて胎児に影響することが明らかになってきた。9) 胎盤や子宮にセシウム137が取り込まれることによる生殖系の被害のみならず、妊婦の脳に取り込まれたセシウム137に依って、母親の脳神経活動が乱され、胎児との脳神経活動の連携が混乱させられるといった報告もある。9) 田崎本が、影響は有意でないとする100mSvよりずっと低線量である。また、後の世代にまで影響が続く。田崎本の言う「公式の考え」は出生率の低下が憂慮されているチェルノブイリの被害を十分検討した結果とは思われない。単にがんが3倍増としているようである。ぜひ、綿貫さんたちやバンダジェフスキーの著書を読んでほしい。ベラルーシやウクライナは出生率の低下に苦しんでいる。異常出産が増加しているから、子どもを持つ意欲の低下ではなく、放射性物質による生殖系の機能の低下が問題とされている。9) 以上から田崎本の100mSv以下では胎児に被害がないかのような記述は福島事故に苦しむ胎児と母体の健康にとって重大な被害をもたらすことになりはしないかと危惧される。

             7−5 予防原則を無視し、被害への警告に対する牽制
             p116 「研究者が必要以上に危険を強調したり、マスコミがセンセーショナルに報道したりといった『行き過ぎ』だけはぜひとも避けてほしいと今から願っている。」
             これは国際的な合意である予防原則を否定する見解である。予防原則はむしろ、因果関係や機構の完全なる証明がなくても人類を守るために、行き過ぎの可能性があっても「賢明なる回避」を薦めているのである。これは水俣病はじめ多くの公害の深い反省に基づくものである。あまりにも歴史において、対応処置が遅れてきた反省からである。福島の甲状腺がんもヨウ素剤の投与が見送られたことが危惧される。それなのに田崎本は「行き過ぎだけは」と強調する。普通は人命を尊重し、「逃げ遅れだけは避けてほしい」であり、その真意が私には理解できない。放射線による甲状腺がんは悪性で転移しやすく治りにくいというのは山下俊一氏達の論文の教えるところである。ウクライナの低線量汚染地に暮らす子供たちの健康の悪化をNHKは緊急出版している。16)

             7−6 楽観的予想
             p116 「これから先、福島でがんと診断される人が増えていくだろうと僕は考えている。これは、放射線の影響で癌が増えるからではない。おそらく癌はほとんど増えないが、多くの人が定期的にがんの検診を受けるようになり、早期発見が進み、見かけ上のがんの患者が増えるということだ。その結果として、初期の段階で治療する人が増えて、最終的にはがんによる死亡率は減っていく可能性が高いと思う。」
             まさに、驚くほど楽観的な予想であり、言葉である。ただし、田崎本の言うスクリーニング効果(調べすぎの効果)はチェルノブイリでも言われたが、2002年にゴメリで15歳以下の甲状腺がんがゼロとなるなどの事実から、発症は原発事故によるものであったことが確認され、スクリーニング効果は否定されている。田崎本の楽観的な予想に反して、原発事故以後、ウクライナ、ベラルーシでは死亡率が増大し続け、20年後にやっと増加が止まりつつある。これもウクライナでは1997年に飲み水の基準を2ベクレル/kgに引き下げて以後であった。
             この間、この両国の人口は、チェルノブイリ事故以後のピークから、合計で748万人も減少した(それぞれ670万人減、78万人減)。とくにウクライナでの人口減は激烈なもので12.8パーセントだった。およそ8人に1人が減ったという割合になる。ベラルーシでも7.6パーセントの減少率であった。さらに、ロシアでも2008年まで約580万人の人口減が記録された。この3国での人口減少は合計1327万人に上り、減少率は6.3パーセントであった。たしかに人口動態には、社会主義崩壊に伴う経済混乱が影響した部分があることは疑いない。しかし、混乱が収束して経済が回復しても人口の減少は続いてきたという事実が示すように、チェルノブイリ事故の長期的影響がそこに反映していることは疑いえない。ヤブロコフらは、チェルノブイリ事故による犠牲者数を約100万人と見積もっているが、この急激な人口減少と対比するならば、この数字が決して法外な数字ではなく慎重に評価された数字であり、また数字の示している事態が極度に深刻であることを感じないわけにはいかないであろう(『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店)。3)
             p117 「要するに,いつまで経っても、ぼくは確信をもって何かを言えるようにはならなかったということだ。…そういう「確信をもってものが言えない状態」のままで書いた。だから、これまでの研究・調査の結果、ほぼ確実にわかっていると思える事柄については「わかっている」とちゃんと書き、そうでない事柄については「わからない」と正直に書いた。」
             しかし、私には「わからない」事柄でも、田崎本は「わかっている」としてICRPの見解を信じて述べている箇所が多くある。例えば、通常いわれるように、ICRP の内部被曝の評価に関しての疑問である。アルファ線やベータ線による被曝は体内では射程距離が短い(夫々およそ0.04ミリ, 5ミリ)ので、極めて局所的な被曝である。それをICRPは係数を大きくするものの、生体内の機構を無視した一様物体に置き換えて被曝を評価しているのである。しかし、田崎本は疑問も述べるのであるが、結局ICRPに基づき、それを目安として、内部被曝はことさら恐れる必要がないというのである。

             7−7 放射性セシウムをカリウム40のベクレル数まで許容する重大な誤り
             p110 「1日の放射性セシウムの摂取量が30Bqなら、体内のカリウムとセシウムの量はだいたい等しくなる。後は、どこまで内部被曝が増えるのを許すかで、これは個人の考え方だろう。もともとあるものが数倍に増えても気にしないというなら、結局1日に200Bq程度のセシウムを摂っていいことになり、最初の厚生労働省の基準に戻る。もともとある物と同じくらいなら許そうという人は、放射性セシウムの摂取を1日30Bqに抑えることを目指せばいい。」
             これはとんでもない主張である。バンダジェフスキーたちの研究によれば体重1キロ当たり20Bq/kgでも心電図に異常が出る。それは心臓疾患につながり、心臓発作による突然死に至ることもある。これはカリウムと異なり、心臓に取り込まれた放射性セシウムによる健康破壊である。その点を理解しない田崎本はカリウム40の数倍として、毎日200ベクレルまでも許容する。そして厚生労働省の古い基準まで正当化する。一方、バンダジェフスキーは基本的にはゼロであるべきだという。それは脆弱な生殖系や脳、心臓など血管系への被害も考慮してのことである。それ故、この田崎本の記述を信じて毎日30〜200ベクレルを摂取することは極めて危険なことである。カリウムとセシウムは臓器に取り込まれ方が異なり危険度が全く異なる。毎日200ベクレル摂取すると100〜200日くらいで2〜3万ベクレルが蓄積する。体重60kgの人なら、体重1キロ当たり300〜500ベクレル以上となり、心電図や生殖系の異常の起こる濃度20Bq/kgの10倍以上を容認しているのである。たとえ毎日30Bqの放射性セシウムを摂取したとしても、約3000Bqが体内に蓄積し、体重60kgなら1キロ当たり50Bq/kgであり、心臓病や生殖異常の危険領域の値である。この記述だけでも田崎本は危険な書物になってしまう。ドイツ放射線防護協会は、こどもは4Bq/kg、大人は8Bq/kgを食品基準とすることを提案しているが、生殖系などの被害を考えるとこれでも高すぎるようである。

             7−8 気にしない自由
             p120 「気にしない自由」
             科学者なら科学に基づいて発言し,危険な時は避難も勧告すべきである。未来世代にも関わることである。事故時にも気にしない自由を認めるのか。低線量被曝の危険性、内部被曝の危険性も「気にしない自由」を認めるのか。被害が出たときはいったいだれが責任を取るのか。
             最終的な決断は市民一人一人がすべきであることは当然である。しかし、一人一人が正しく、適切な判断を行うためには被曝に関する正しい情報や知識が与えられなければならない。放射性セシウムとカリウム40とを単にベクレル数で比較して安全とする誤った知識を根拠に、「気にしない」のは看過できないことである。

            おわりに
             田崎氏は自分で「確信をもってものが言えない状態」と告白するくらいなら、このような本を、しかも子供向けに、書くべきではなかったのである。
             現在、政府と原発推進勢力は「国民にヒバクを強要する政策」を推し進めている。彼がこの本を書いた目的は、この政策に進んで協力することであると言われても仕方がない。なぜなら、彼の主観的意図がどうであろうと、客観的には、彼の本はICRPに基づき被曝を過小に評価することで、この危険で破滅的な政策に荷担することになる。それ故、田崎本の罪は、この政策がもたらすかもしれない「静かな大量虐殺」や全国民的な規模での健康破壊などあらゆる破局的な結果に対する責任の一端を負わなければならないほど重大なものではないだろうか。

            参考文献
            1) 山田耕作:日本物理学会誌、会員の声、2013年10月号
            2) 田崎晴明:「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」 朝日出版社、2012年
            3) A.V.ヤブロコフ、V.B.ネステレンコ、N.E.プレオブラジェンスカヤ:「チェルノブイリ被害の全貌」、岩波書店、2013年
            4) クリス・バズビー著 飯塚真紀子訳 「封印された『放射能』の恐怖」 講談社 2012年、p107
            5) 市川定夫:「新・環境論III」、藤原書店、2008年,p173
            6) 三宅泰雄:「死の灰と戦う科学者」岩波新書 1972年
            7) ユーリ・I・バンダジェフスキー:「放射性セシウムが人体に与える医学的生理学的影響」合同出版 2011年
            8) 大和田幸嗣他著:「原発問題の争点‐内部被曝・地震・東電」 緑風出版、2012年
            9) ユーリ・I・バンダジェフスキー、N・F・ドウボバヤ:「放射性セシウムが生殖系に及ぼす医学的社会的影響」合同出版 2013年
            10) 綿貫礼子編:「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」新評論 2012年
            11) 中川保雄:「放射線被曝の歴史」技術と人間、1991年、同増補版、明石書店、2011年
            12) ジェイ M・グールド:「低線量内部被曝の脅威」緑風出版、2011年、
            13) ジェイ M・グールド、ベンジャミン A.ゴールドマン:「低線量放射線の脅威」、鳥影社、2013年
            14) 津田敏秀:「医学的根拠とは何か」、岩波新書、2013年
            15) 今中哲二:「低線量放射線被曝」岩波書店、2012年
            16) 馬場朝子、山内太郎:「低線量汚染地域からの報告」NHK出版、2012年

            付録A.
            物性研究「ひろば」田崎本についての討論
            (途中で不掲載が決まり議論は残念ながら中断しました)

            編集委員A  ネットで見た朝日新聞および東京新聞の記事では 「福島県は7日、東京電力福島第一原発の事故当時に18歳以下だった子どもの 甲状腺検査で、結果がまとまった25万4千人のうち75人が甲状腺がんやがんの疑いがあると診断されたと発表した。昨年11月より検査人数は約2万8千人、がんは疑いも含めて16人増えた。県は『被曝(ひばく)の 影響とは考え にくい』としている。」
            「東京電力福島第一原発事故による放射線の影響を調べている福島県の『県民健 康管理調査』の検討委員会が七日、福島市で開かれ、甲状腺 がんと診断が「確 定」した子どもは前回(昨年十一月)の二十六人から七人増え三十三人になった。「がんの疑い」は四十一人(前回は三十二 人)。 しこりの大きさなどを調べる一次検査で約二十五万四千人の結果が判明し、千七百九十六人が二次検査の対象となった。」
            とあります。 2章の修正原稿の赤字追加部分と少し内容が違うように思いました。 山田先生に検討してもらった方がよいのではないかと思いメールしました。

            山田 私の修正部分は2月7日に明かになった追加部分について書いたものです。これまでの調査も加えると25万4千人で74人のがん及びその疑いとなります。これは10万人当たり29.6人となります。県の委員はこれを0.03%といっています。数字の違いを問題にされているなら、「がん」と県が発表している人は甲状腺がんの手術を終わった人です。「がんの疑い」というのは細胞での検査で癌と判定され手術を待っている人です。2月7日の発表ではがんが手術で確定が33人、疑い(細胞診で判定)が41人で計74人です。新聞によっては疑いが42人(そのうち1名は良性でした)として75名としています。私は良性の1名はがんではないので除きました。「疑い」はほぼがんに近いようです。
             「県は被曝の影響とは考えにくい」としている点ですが、確かに議論になっている問題です。県の主張は日本では初めての自覚症状なしでの調査なのでスクリーニング効果だとしています。記者会見では0.03%は想定内ギリギリではないかという見解です。事故の影響とは考えられないとする理由はチェルノブイリでは事故から4,5年経ってから増加したので、早すぎるということです。もう一つは年齢がチェルノブイリより高年齢に見られるということです。この点は検討の必要があり、修正部分に書きました。記者会見ではロシアの一部に0.03%のスクリーニング効果がみられると鈴木真一氏の説明がありました。私は次のように考えています。チェルノブイリの事故後2002年にはゴメリで14歳未満(福島より低年齢)よりではゼロになりました。調査人数は 25,446人です。もし0.03%のスクリーニング効果があるとすると7人くらいは発見されないといけないと思います。他にもチェルノブイリ事故の汚染地帯で0.03%より低いところは多く、ベラルーシでも国全体ではピークでも0.01%より低い。ほぼ福島の調査と年齢が等しい被曝時18歳未満では、2001年から2005年で女性が10万人あたり約12人、男性が10万人当たり4人です。福島県の検討委員会の主張のように被曝の影響がなしで、老年で発生する甲状腺がんを早く発見しているとすると事故の1986年と無関係に0.03%(10万人当たり30人)が、毎年発見されるはずですが、そうはなっていません。
             この点で津田敏秀氏と異常発生でないとする鈴木真一氏の間で討論が行われ、津田氏は疫学の立場から、鈴木氏は医者の立場から議論しました。新聞報道では平行線でした。
             以下に疫学的評価を示します。
             有病期間は病気になってから手術するまでの期間で発見率を有病期間で割ると発生率になる。100万人に11人が平常時の発生率とすると有病期間が6年でも3.56倍の異常発生となる。
             以上のように医者と疫学者との意見の違いがある問題です。この点補足しておくべきでした。コメントに感謝します。

            20140226_yamadakosaku_fig01
            (津田敏秀:科学、岩波書店2013年5月号、10月号、12月号)


            付録B.
            追記
             私は編集委員の方に、講演後あるお母さんから被害者たちの詳細な症状のリストを受け取ったと書きました。それは単に気のせいといわれるかもしれません。それに対する独創的な試みが次のブログです。これは私山田の研究ではありません。詳細は次のブログをご覧ください。営利以外は自由に使用してくださいとのことです。このような研究が物性研究の議論を通じて発展すれば素晴らしいことであると思います。
            http://ishtarist.blogspot.jp/2013/10/google.html#more 理論編
            http://ishtarist.blogspot.jp/2013/11/google.html#more データ編 
             タイトルは「東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌−Googleトレンドは嘘をつかない−」です。
            2部から成っていて、理論編(pdf file 2.5M)とデータ編(pdf file 1.6M)でそれぞれ50 ページ、43ページあります。
             データ編からお読みになった方が著者の立ち位置とGoogleトレンドのメリットとデメリットを理解できて、健康被害‐自覚症状として‐の時系列での統計データが示す事実が放射能によるものであることが視覚的にわかってもらえるのではと思います。
             例えば、次の図で膀胱炎、口内炎、動悸、生理不順が2011年3月から増加していることが見えます。これは東京都での検索数ですが、大阪ではこのような傾向はみられません。学問的にも新しく、興味ある試みだと思います。

            20140226_yamadakosaku_fig02

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